決着、だが終わらず
お待たせしました!
2022/8/15現在
肩で息をするアリスティア。
緊張の糸が切れ、膝をつくエリーゼ。
呼吸を整えようとするクロス。
三人の前には竜と人が混ざる歪な男、アインが倒れていた。
「先生、この人の身体は一体...」
「コイツは『異人』だ」
「『異人』...」
今さらな質問と思いながらも尋ねるエリーゼにクロスは一言返し、アリスティアはそれを反芻する。
「悪魔の錬金術師、ラケルス=ホーエンハイムが生み出した『人造人間』は無から生命を生み出すというものだった。
だがそれでは成功率は低かったことでその研究資料を基にある男が開発したのが『異人』だ」
「もしかして....それって」
クロスの言い回しにアリスティアは気づき怖気を感じる。
無から生命を生み出すことが難しい。
ならば、つまり...
「想像の通りだ。『異人』とは人間の身体に魔物の因子を移植することで人間以上の存在にしようっていう狂気の沙汰だ」
エリーゼもアリスティアもその説明に息を呑む。
「尤も、それでも成功率はさほど高い訳じゃない。研究を重ね、失敗を積み重ねたことで成功率を上げる方法を見出していった」
あっさりと言いながらも、その顔はどこか暗いものを残すクロス。
「ぅ...」
僅かに漏れ出るアインの声にアリスティアとエリーゼは身構える。
アインに近いアリスティアは剣で追撃出来るようにと柄を握る手に力が入る。
「そこまでだ」
ぴしゃりと割って入った涼やかな声に三人の意識は逸される。
そこにいたのは修道服を身に纏い、頭巾とヴェールで顔が隠れた修道女。
アリスティアも先日会ったシスターだと気づく。
アインの方にばかり意識を割き、失念していた。
「アリスティア!」
クロスの言葉にアリスティアの意識は前へ向く。
そして咄嗟に剣を正面に立てる。ほぼ同時に剣に走る衝撃。
剣が弾け飛ぶ。柄は持っている。だが、その刃は半分ほど先が無くなっていた。
「ふん、ミスリルの剣に救われたな」
声の主は剣を振り切っていた。
(さっきのシスター?)
だが、その装いは全くの別人だった。
いつの間にかその服装は修道服ではなく、清廉な騎士を彷彿させる鎧---動きを阻害しないためであろう、身体のラインに合わせたもの---を身に纏っていた。
その手にはアリスティアが使っているのと同じ片手半剣と推測出来るサイズの剣。
しかしアリスティアのものと違い、剣身は黒みがかっており、よく見るとその表面には木目のようなものがあった。木目の線の部分は光の反射からうっすらと赤く見える。
シスターこと女騎士は振り切った刃を巻き戻すかのように逆に振り今度こそアリスティアを捉えようとする。
アリスティアの手元には刃折れの剣。しかも先程の一撃に負けたもの。
防げる可能性は僅か。
致命傷の可能性は確か。
だからクロスが割って入った。
宙を舞っていた剣の刃先を掴み、それで受け止め、強引に押し返す。
力を入れて握ったため、刃を握る手から血が滴るもクロスは意に介さず先端を向ける。
「無駄だ。既に刃毀れしているその剣では私の剣には勝てん」
「武器だけで全て決まると思っているなら五流以下だな」
「もちろん、私と貴殿の実力、そしてアイン様との闘いでのダメージも踏まえた上で言っているのだ」
クロスの挑発に女騎士は動じることなく淡々と返し剣を構える。
改めてその刃を見てクロスへ確信する。
「日緋色金の釼鋼鍛金..」
クロスは刃を手放し拳を構える。
女騎士の言う通り、アインの竜の鱗を切ったことで既に限界寸前だったミスリルの刃ではもう一交も防げないだろう。
「ほう、博識だな。いや、当然か。人の何倍もの人生を歩んでいる貴殿なのだからな」
女騎士も剣を構える。
クロスの見立てではこの女騎士の強さは低く見積もってもアインと互角。
技量に関して言えば数段上。
そもそも、クロスがアインに辛勝できたのはアリスティアとエリーゼの参戦、加えてアイン自身は肉弾戦が不慣れだったこと、そして何より...
「ウアアアアアアアッ!」
「!? アイン様!」
苦悶に満ちた絶叫に女騎士はクロスに対しあっさりと背を向けアインの方へ駆け寄る。
不意に訪れた隙、だがクロスにとっては予測できた隙。
だからクロスは女騎士へと殴りかかる。
「くぅっ!」
鎧や剣で防ぐではなく回避を選択する女騎士。
「勘がいいな」
「邪魔をするな!」
クロスの介入に腹を立てる女騎士だが、当のクロスからすれば望むところ。
自身に苛立ち敵意を向けようとしても、この女騎士には今余裕がない。
アインの方へとすぐに向かいたいのにをそれを妨害され、苦しむアインへ意識を割かれているために先程のようかキレは失っていた。
だから『浸破』を叩き込む余裕が生まれる。
クロスは更なる追撃をかける。
「援護します、【疾風の礫】!」
「【魔法の矢】」
そこに慌てて魔法による攻撃を放つアリスティアとエリーゼ。
先程までの戦闘で消耗しているため、威力はほとんどないが気を散らすには十分だった。
女騎士は二人の魔法を鎧で防ぐ。そこで動きが止まった所をクロスは仕掛けるが身を翻して躱す。
「ちぃ!」
「行かせねぇよ!」
苛立ちを募らせる女騎士にクロスはアインとの線上に立ち塞がる。
クロスにとってこの女騎士を倒すのではなく、女騎士を邪魔するために動いている。
このまま時間を稼げばこちらが優位になる。
ただし、この人員が変わらないという前提でだ。
廃墟とは言え建物の天井を穿ち、その場に立ち尽くすアリスティアとエリーゼ目掛けて暴風が降り注ごうとする。
エリーゼは咄嗟に『対魔法防御』を展開するが、暴風は容易く粉砕しその猛威を知らしめる。
寸前に天井からの音で察したクロスは二人を庇うように戻り、即座に『魔導法壊』を発動することでそれを防ぐ。
三人の周囲は暴風により吹き荒れる。
落ち着いた頃には椅子も瓦礫も吹き飛んでいた。
暴風が吹き止むと共にクロスは膝をつく。
「ルチカ、大丈夫?」
彼女は上から女騎士へ声をかける。
彼女は空に佇んでいた。
足場も何もないのに、彼女はそこに立っている。
「ラナー、アイン様の容体が!」
女騎士、ルチカは空にいる女性、ラナーに呼びかける。
ラナーは空よりゆっくりと降りてくる。
クロスは彼女の纏うマントと履いている履物を見る。
マントは光の反射の具合で急に見え難くなり、サンダルの方は足首のベルトに羽根の装飾が施されている。
(『隠身のマント』と『空踏み』...あれで上空から姿を隠しての魔法攻撃か...)
自分が今の今までこの伏兵に気づけなかった状況を察すると共に、意外性のある手口に内心称賛したい気持ちにもなった。
よく見ると女騎士と魔術師の顔はよく似ていて、双子だと察せた。
苦しむアインに近づくラナーに任せて、ルチカは剣を構え警戒態勢に入る。
攻め込んでこないのは先程のような展開を作らないため。
クロスも膠着状態を保つ。
片や一人は戦闘不能な状況とはいえ万全の状態の二人がいる。
片や満身創痍の自分と消耗し切った二人の教え子。
実力は相手が上。
勝ちの目は限りなく低くなった以上仕掛けるのは自殺行為でしかない。
結果、お互いに仕掛けない。
「ルチカ、ここは退いた方がいいわ。竜の因子が暴走している」
「なら、エステリーゼ王女を...」
ラナーの言葉にルチカはエリーゼに狙いを定める。
それに反応し即座にエリーゼを庇うように立つアリスティア。
その手には未だに刃折れした剣を握っている。
「無駄なことを...」
「ルチカ、駄目よ。時間が惜しい」
「....分かった」
ラナーの言葉にルチカは渋々従う。その目はアリスティアを睨み捉えていた。
ラナーは懐から巻物を取り出しそれを拡げる。
拡げられた巻物には魔法陣が刻まれており光出すと共に、人間一人は余裕で通れるサイズの黒い影が生まれる。
もっと正確に言うなら光がそこだけ吸い込まれるようにして失われて、影のように黒くなった。
(『亜空の扉』の魔法の巻物....一級品の魔法道具を幾つ持ってやがるんだ?)
「さ、アイン様」
「ぐぅ、クロス..シュヴァルツ」
ルチカに肩を借りるアインはクロスを見て睨む。
「君は...僕が終わらせてやる。君の全てを、絶対にだ。神の代わりに裁きを下す」
「いもしない神の代わりか...」
激昂するままに吐き出されるアインの言葉をクロスは無情に流す。
「僕達『セフィロト』の計画はまだ始まったばかりだ。いずれ君は全てを失う。君の命も、君の周りも、全て!」
呪詛を込めたその叫びは知らない者ならば単なる負け惜しみの言葉。
だが、彼を知る者ならそれは本気でそのつもりであるということが分かる。
現に、その言葉に応える様に、傍に立つ二人が詠唱を終わらせた。
「「【天落の激鎚】」」
双子の紡いだ詠唱により、上空から風が降り落ちる。
クロスは『魔導法壊』を展開する。
クロスの魔力は背後のアリスティアとエリーゼも包み込む。
風は猛威を振るい三人を中心に吹き荒れる。
風が吹き抜けた所は凍てついていく。
「...ッ!」
(さっきと桁が違う。最初に放ったのは中級の『暴風の鉄槌』か...)
ラナーと呼ばれた女が最初に繰り出した魔法『暴風の鉄槌』と姉妹で繰り出した『天落の激鎚』は原理そのものはほとんど同じだった。
この二つの魔法はどちらも上から下へと風を吹き降ろすというもの。
その規模が違うのだ。
具体的には振り下ろす空気の高さの違い。魔力による遠隔操作は自身から離れれば離れるほど難しくなる。
だが、その難易度を乗り越えた先にあるのがこの規模の差。
空気は上空にいくほどに気圧が下がり、そして気温が下がる。
それこそ雲が発生する高さとなれば大抵の生物は凍てつくほどに。
『天落の激鎚』はそれほどの高度にある空気を真下へと叩きつける上級魔法である。
クロスがいくら『魔導法壊』で暴風を掻き消そうにも広範囲に振り落ちる暴風と冷気は防御範囲の外側の熱を奪う。
となると、魔法による現象ではない冷却までは防ぎ切れない。
クロスは耐えられるも、アリスティアとエリーゼは寒さに震え出すのが視界の端に写る。
(くそ、いけるか)
クロスは大きく息を吸い精神を統一させる。
身体の内側、魂の奥から魔力を更に引き出すイメージを固める。
いつもは掌を起点に魔力を放出するイメージで発動する『魔導法壊』を、クロスは全身を起点に放出・展開する。
クロスのマナが降り注ぐ暴風を消し去る激流の如く辺りを吹き抜ける。
それにより、辺りの空気が冷えが止まる。
時間にして僅か。
風は治まり、辺りを静寂が包み込む。
周囲には建物の残骸とも分からぬほどに崩れ果てている。
クロスはアリスティアとエリーゼを一瞥する。
二人は血色こそ悪そうだが、大事は免れていた。
そして案の定、他には誰もいない。
風が振り下ろされたと同時に『亜空の扉』を通って撤退したのだろう。
少なくとも今すぐ脅威が迫ることはないのが分かるとクロスは倒れる。
「「先生っ!?」」
慌てるアリスティアとエリーゼ。
駆け寄るとクロスは寝息を立てている。
いくら膨大な魔力を有するクロスと言えど、短時間に何度も魔力の大量放出をしたことで精神的な疲労がかかり、その意識を刈り取ったのだ。
急いで残った魔力で治療を始めるエリーゼ。
幸い、使った魔法自体はさほど大きなものではない分、消耗は少なくあくまで精神的な疲労がある程度。
クロスの傷も致命的なものはなかったので治療は間に合った。
だが、今回また新たに謎が生まれた。
アイン=ジューダス。
彼の父。
その父が造った...
そしてクロスとの浅からぬことが窺える因縁。
アリスティア達は何も分からない。
クロスに尋ねたら教えてくれるだろうか?
いや、おそらく曖昧なままにするだろう。
けど、分かったこともある。
あの男は狂っている。
止めなければいけないのだと。
かくして、オリエの街で起きた連続失踪事件は幕を閉じた。
だが、あくまでオリエでのみなのだ。
しかも、今回、クロス達に襲いかかった行方不明者達の人数は実際の行方不明者の数と一致しない。一致せず行方が未だに分からない者の中には母親に育児放棄されていた少女もいる。
幕は閉じても、終わらないことを痛感させられた事件だった。
「....ッ、......ッ!」
「アイン様!」
「落ち着いてルチカ」
悶えるアインの様子に落ち着かない様子のルチカをラナーは制する。
この場には彼等三人だけでなく、もう一人いる。
白衣を纏い、痩せ過ぎて神経質そうな印象を持たせる男がアインの状態を観察する。
アインは円柱状のガラス槽の中に満たされた薬液に浸かっていた。
全身浸かっているので口許には水中呼吸用の魔法道具のマスクが付いている。
「アクリュス、アイン様の容態は?」
「落ち着いてくださいルチカ様。まず、ダート様の急変はやはり、竜の因子による肉体の急速侵食です。そちらについてはこの中に数日入れば安定します」
「そうか...すまないな」
「いえ、ご心配になるのは致し方ありません」
白衣の男、アクリュスの説明にルチカはようやく落ち着きを取り戻す。
ここはアクリュスが管理する研究施設の一つ。
尤も、アクリュス自身はここで行われる研究の過程で生まれた産物をよく思っておらず、元々の持ち主が組織に加入し自身の配下になったことで管理しているというのが真相だが。
だが、それでもガラス槽に眠るアインのためならば自らの信条に反する覚悟はとっくに出来ている。
そのために蘇生魔法の適性を持つ魂魄保有者を犠牲にする『エリクシール』の開発を決断したのだから。かの神薬の力ならばいまだ不安定な力に悩まされているアインを救うことが出来るから。
そして判明した蘇生魔法の適性を持つ少女、エリーゼ。
本名、エステリーゼ=エイル=リュアデス。
病没したとしてその存在を伏せられたリュアデス王国の王女その人。
彼女の生存が分かり、その身柄の確保をと思い、諜報部隊が抱える『草』であったマーカス=ピーブスを動かしてもらった。
しかし、その結果は失敗だった。
警戒網が敷かれた現状、彼女の身柄を狙うことは困難となった。
だから代替案を選ぶこととした。
「とは言っても、あくまで一時凌ぎです。早急にこの計画を完遂させなければ...」
その代替案が今、アインと同様にそれぞれのガラス槽に収められた者達である。
その中にはまだ幼い少女もいる。その身体には虐待のものと思しき傷も見られた。他にも老人、青年と多種多様。
共通点はある。
この者達は全員、ヴァン人種。
僅かに魂魄の余剰エネルギーが存在する者達。
蘇生魔法に適性のある魂魄を持つ者達
当然、蘇生魔法を使える者に比べてそのエネルギーは微々たるもの。
だがそれが集まれば...
理論上はエリクシールを作るのは可能だ。
だからその身柄を確保する計画が実行された。
だが人数はまだまだ足りない。
故にまだまだ集められる。
そのための裏工作も更に行われるだろう。
落ち着いたはずの人種差別問題を掘り起こすだけではまだまだ足りない。
「分かった。他の者達には私から改めて伝える」
「それと並行して、エステリーゼ王女の身柄の確保も検討すべき」
「申し訳ありません。本来ならわたくし『峻厳』の者で行うべきことを...」
「なに、これもアイン様のためだ。他の『聖珠』も惜しむ訳がない」
「筆頭のルチカ様のお言葉、痛み入ります」
恭しく頭を下げるアクリュス。
『セフィロト』には十人の幹部『聖珠』が存在し、それぞれが配下を有し各々の役割を担っている。
『峻厳』のアクリュス。
『王国』のラナー。
そして聖珠筆頭の『王冠』のルチカ。
筆頭とは言っても、各部門の違い故に対等が基本であり、アクリュスの態度は彼自身の性格からに由来している。
だが、ルチカの言葉の通り、彼等にはそんな部門の垣根を超えて共通することがある。
『セフィロト』の頂点『神の真意』又は叛逆の元英雄アイン=ジューダスへの絶対の忠誠。
そのためならば何をするのも厭わない。
その忠誠心と行動力は正に狂信者の言葉が相応しかった。
傍から見れば異常でも、セフィロトの者にとっは正常で健常ななもの。
彼等が齎すものは影となり、やがては闇となって世界を覆うだろう。
それを止める者が現れるか否か。
まだそれは分からない。
分かる訳がない。




