そして一瞬、おじいちゃんはこちらを振り向いて何かを言ったように見えた。 声は聞こえなかったが、その表情には不思議な安心感を与えるものがあった。
「それでは人間どもよ、さらばだ。また会える日があることを楽しみにしているぞ」
不思議な存在が言った。
いつかはこういう展開になるのは分かっていたとはいえ、聞きたいことが多すぎる。
「えっ? ちょっと待ってください!」
そう。
こんな場所へ訪れる引き金となったおじいちゃんのことさえ。
「おじいちゃんとあなたはいったいどういう関係なんですか? それにさらばって……いったいどこに行くつもりなの!」
「さあな。こやつが望む場所へと行くだけだ」
えっ?
まだお別れもしていないし、なによりも私たちはこの事態についてなんにもわかっていない。
そんなとき、また心を読んだのか不思議な存在は話しかけてきた。
「案ずるな。会いたくばいつでも会えるだろうし、知りたくば知ることもできる。貴様らの能力を持ってすればな。ふふ、はたして再会はあるのかどうか。全ては貴様ら次第だ」
そう言うと、不思議な存在とおじいちゃんはどこへともなく、というより闇に飲まれるように徐々に消えていく。
そして一瞬、おじいちゃんはこちらを振り向いて何かを言ったように見えた。
声は聞こえなかったが、その表情には不思議な安心感を与えるものがあった。
なにかを満足し、決意したようにも見える。
しかしその時、突然未來がおじいちゃんたちの方に向かって走り出した。
「じいちゃん!」
振り向き様におじいちゃんが発したセリフ。
私には聞こえなかったけど、未來はなにかを聞きとったのかも。
それで追いかけ始めたのだろうか?
でも……。
「未來!」
ダメだよ未來。
「待って!」
さらに未來は駆ける。
「未來! ダメよ!」
ダメなんだよ……。
だって、これはおじちゃんが決めたことなんでしょ?
望んだ事なんでしょう?
こうなることだって予想もついていたはずだよね?
分かっていて手助けしたんだからさ。
だから、私たちはもう見守るしかない。
そうでしょ?
そして未來が最後の声を振り絞って叫んだ。
「出口~! あたしらどうやって帰ればいいんだよぉ!」
「そっちの心配かよっ!!」
本当にコイツだけは……。
「ジジィ~! 置いてくな~!」
そして、
「痛たっ!」
こける。
だから、なにもない空間でどうすれば転倒できるんだよ……それにさっき偉そうに言っていた、痛みを体で覚えて二度繰り返さないって話もなんだったのか?
しかも、
「くないんだよぉ! 全然きいていないぜぇ! とりゃ~」
と、もう今さっきまでおじいちゃんを追いかけていたことなど忘れて、転げまわって楽しんでいる。
「まったく」
おじいちゃんじゃなくて、お前が連れて行かれればよかったのに……。
「マジでこのままじゃヤバいって。どうするよ、華子ぉ?」
未來が言う。
が、
「本当にヤバいと思うんなら、それらしい態度をとりなよ」
未來は空間を平泳ぎしながら片手間程度の気持ちでヤバイヤバイと呟いている。
が、しかし、その姿からはヤバさよりも楽しさのほうが上にあるようにしか見えない。
「ヤバイよヤバイよぉ~華さんヤバイよぉ~」
意味不明な独り言をつぶやきながら宙をプラプラと泳ぎ、漂っている。
でも、確かにこのままでは……と、思ったその時、
『えっ?』
「アガッ!」
ほんの瞬きをしただけだった。
覆っていた闇は一気に払しょくされて、まるで違う場所に居る。
狭い空間とそこに残り香として漂っているあの匂い、そして床に散乱したスナック菓子の袋。
未來は平泳ぎの状態から戻ったためか、そのまま地面に落下したようでドシンという音とともに痛みの声を上げたのだろう。
「ここは……」
そう、未來のアジトだ。
「ぷわっ! クサッ! なんじゃこりゃ!」
どうやらさきほど自分で撒き散らした吐しゃ物の上に顔面から落下したらしい。
運の悪いやつ。
「って、ここはどこだ?」
顔が吐しゃ物にまみれているので目をあまり開けられないのか、薄目であたりを見回している。
未來はまだ状況が飲み込みきれていないらしい。
「戻ったんだよ。現世に」
「えっ?」
そういうと未來はあたりをキョロキョロ見渡すと、にわかに立ちあがった。
そして何を思ったのかテーブルの下を覆っているカーテンを引き、その中に隠しているブリキ缶を確認してから一言。
「ホントだ! やった! 戻ったんだ!」
「いや、そこ見なくてもわかるだろうよ」
ていうか、そもそもの話、なんでそこを真先に確認するんだよ。
それにしても……。
『帰ってきた』
『帰ってこれたんだ』
『帰ってしまった……』
喜び以外にはない、はずなのになんだろう、この寂寞感は?
あれだけのことを体験したにも関わらず、おかしな未練が私の中に渦巻いている。
見たことも聞いたこともない未知なる存在、そして現世では決して知ることのできない数々の知識と歴史。
恐怖を超越して憧れにまで突き抜けてしまったのだろうか?
あの時は一刻も早く抜け出したかったはずなのに、いまではまた戻りたいとすら思っているのだから。
『喉元過ぎればなんとやら。そうはいってもまたあそこに戻れば恐れおののくだけよ』
無理にそう結論付けてみたものの、それはまた自分自身をごまかしているだけなのはわかっている。
『能力を使えばもしかしたら……』
そんなことを考えている時に、突然目の前で未來が勢い良くパンツを脱いだ。
未だ蒙古斑が残っている青いお尻をこちらに向けて。
「ちょっと、なにやってんのよ」
余韻を台無しにされた。
またもこいつの無意味な行動のせいで現実に戻されてしまった。
「へへっ。あたしともあろう者が、あいつにちょいとビビったのか、少しばかりチビってしまったようなんだわさ」
と、照れながら言う未來。
『あっ……』
言われてみて気がついた。
私は……ビショビショだ。




