第1話 村でいちばん弱い僕、王都へ行く
村でいちばん弱い僕が、王都の学院を受けることになった。
言い出したのは母さんだ。夕飯のシチューをよそいながら、明日は雨ね、くらいの調子で。
「ティオ。あんた、王都に行きなさい」
「……え?」
「学院よ。同い年の友達、作ってきなさい」
木の匙が、僕の手から落ちた。
シルト村には、子どもが僕しかいない。いちばん年が近いのは雑貨屋のリリさんで、本人いわく「永遠の二十歳」らしい。
「でも母さん、僕なんかが行っても」
「なんか、じゃないの」
母さんは匙を拾って、僕の手に握らせた。
「あんたは村でいちばん弱い。それは本当。でもね、外の人はもっと弱いの」
「そうなの?」
「そうなの。だから約束。外では、力は百分の一で」
百分の一。
薪割りも、狩りも、かくれんぼも、村の誰にも勝ったことがない僕の、さらに百分の一。それって、もう何もしないのと同じなんじゃないだろうか。
「わかった。百分の一で、がんばる」
「よし」
母さんは満足そうに頷いて、それから少しだけ声を落とした。
「それとね、ティオ。本当に守りたいものができた時だけは――全部使っていい」
「全部って?」
「そのうちわかるわ。ほら、冷めるよ」
その意味を、僕はまだ知らなかった。ただ、父さんがいつもより長く、黙って僕を見ていたことだけは覚えている。
◇◇◇
翌朝。
霧鳴山脈の奥深くにある僕の村は、いつものように冷たい朝靄に包まれていた。村の入り口の広場には、村人が全員集まっていた。全員といっても、僕を含めてたったの八人だ。子どもの頃からずっと見慣れた、家族みたいな人たち。
「ほれ、これを持っていけ」
村長のゴルドじいちゃんが、一本の木剣を差し出した。ずっしりと重い。裏山の千年樹の枝を削り出したものだ。
「ありがとうございます。でも、王都の学院で木剣なんて使うでしょうか」
「馬鹿者。剣の道は一日休めば三日遅れる。向こうに行っても、毎朝の薪割りの要領を忘れんようにな」
「はい、気をつけます」
僕は木剣を腰の帯に差した。僕の薪割りは、ゴルドじいちゃんには一度も褒められたことがない。王都で少しでも上手くなれるだろうか。
次に前に出たのは、薬師のオズ先生だった。
「王都の学問は、少しばかり遅れているかもしれないがね。まあ、基礎を振り返るにはちょうどいいだろう。はい、これ」
渡されたのは、分厚い革張りのノートと、美しいガラス製の筆記用具だった。
「問題文もよく読みなさい。読み書き計算の基本だ。わかったね?」
「はい、オズ先生。ちゃんと勉強します」
先生の授業はいつも話が長くて難しかったけれど、王都の勉強についていけるか少し不安だ。
「……ん」
無言でずっしりと重い布包みを押し付けてきたのは、猟師のシェラ姉だった。いつも無表情だけど、今日は少しだけ目元が寂しそうだ。
「ありがとう、シェラ姉。これ……干し肉?」
「……腹が減ったら、食え。それと」
シェラ姉は僕の頭をぽんぽんと撫でた。
「……気配には、敏感に」
「うん。狩りの時のようにだよね」
シェラ姉には、かくれんぼでも狩りでも、一度も勝てなかった。王都にはもっとすごい猟師がいるんだろうか。
「がっはっは!ティオ、忘れもんはねえな!」
大きな声とともに現れたのは、鍛冶屋のブロムおじさんだ。ドン、と地面に置かれたのは、鉄板や金属の留め具で補強された、やたらとごつい革鞄だった。
「王都のひ弱な鞄じゃ、お前の力仕事に耐えられずにすぐ壊れちまうからな。おれが特別に打った金具付きだ!」
「すごく頑丈そうです。ブロムおじさん、ありがとうございます」
持ち上げてみると、見かけによらずしっくりと手に馴染む。中には着替えと、少しのお金が入っている。
「ティオくん、行っちゃうんだねえ」
最後にひらひらと手を振ってきたのは、雑貨屋のリリさんだ。
年齢不詳で、いつも飄々としている彼女は、僕の頬を軽くつねった。
「かくれんぼ、結局一回も見つけられなかったねえ。王都の子はすぐ見つかっちゃうから、手加減してあげなよ」
「手加減だなんて。僕、村でいちばん見つけるのが下手だったのに」
「あはは、ティオくんは本当におもしろいねえ」
リリさんがくすくすと笑う。
最後に、少し離れたところに立っていた父さんの前に進み出る。いつも無口で、畑仕事と牛の世話ばかりしている父さんだ。
「父さん、行ってきます」
父さんは僕をじっと見て、短く頷いた。
「……行ってこい」
その一言に、不器用な父さんなりの励ましが詰まっている気がした。
「百分の一よ、わかってるね?」
腕を組んだ母さんが、最後にもう一度だけ念を押してくる。
僕は深く頷き、みんなを振り返って深く頭を下げた。
「いってきます!」
◇◇◇
村を下り、ふもとの宿場町まで歩いて、そこから乗合馬車に乗った。王都リーフェンガルドまでは、ここから馬車で十日の道のりだ。
「いやあ、いい天気ですねえ」
馬車の中で、僕は窓の外を見ながらつぶやいた。同乗しているのは、行商人のようなおじさんと、少し疲れた顔のおばさんの二人だった。
なだらかな平原が続き、遠くにぽつぽつと家が見える。道を歩いている人たちは、みんな普通の服を着て、普通に歩いている。裏山のように、突然巨大な魔獣が飛び出してきたりすることもない。
「王都へ行くのかい、坊ちゃん。大きな荷物だね」
行商人のおじさんが、ブロムおじさんの鞄を見て言った。
「はい。学院の試験を受けに行くんです」
「ほう、学院か!平民でも実力があれば入れるって言うが、なかなかの難関らしいじゃないか。がんばれよ」
「ありがとうございます。でも、僕なんて村でいちばん弱かったので、受かるかどうか……」
僕が正直に言うと、おじさんは苦笑いした。
「ははは。謙虚なのはいいことだが、自信を持ちなよ。王都の連中は口ばかり達者で、案外脆いもんさ」
脆い。
その言葉で、僕は母さんの言葉を思い出した。
『外の人はもっと弱いの』
『だから約束。外では、力は百分の一で』
百分の一、百分の一……。
僕は心の中で何度もその言葉を繰り返した。誰も怪我をさせないように。普通に、目立たず、同い年の友達を作るんだ。
馬車はのんびりと進んでいく。初めて見る外の世界は、とても平和で、静かだった。道ゆく人々も、村のみんなみたいに岩を素手で砕いたり、一瞬で屋根の上に飛び上がったりはしない。
これが「普通」なんだ。
僕はなんだか嬉しくなって、窓枠に頬杖をつきながら、流れる景色をずっと眺めていた。
宿場町に泊まり、また馬車に揺られる。そんな日を何度か繰り返して、今日で七日目だ。王都リーフェンガルドまで、あと三日。僕はすっかり馬車の揺れにも慣れ、オズ先生からもらったノートを開いて、王都の地理を復習していた。
その時だった。
キキィィィッ!
御者が慌てて手綱を引き、車輪が悲鳴のように軋んだ。僕は前のめりに倒れそうになって、座席の背をつかんだ。
「な、なんだ!?」
行商人のおじさんが慌てて窓から顔を出す。
御者台から、震えるような叫び声が聞こえた。
「ひぃぃっ!魔物だ!大きな魔物が!」
僕はノートを閉じ、鞄を持ってすぐに馬車を降りた。
街道の少し先。
前方を走っていた立派な商隊の馬車が、横転して砂埃を上げている。
そして、その上空。
巨大な影が、太陽の光を遮るように翼を広げて旋回していた。
村の外にも、あんなに大きな鳥がいるんだな。
僕は眩しさに目を細めながら、上空を見上げた。




