最終話 スナップエンドウ
大分、風が涼しくなってきた。
ついこの間まで青々と茂っていた葉は、今では力なく枯れ始めている。
あれほど次々と実をつけていたトマトも、もう勢いを失っていた。
私は籠を手に、最後の収穫をする。
赤く色づいた実をひとつ、もぐ。
くるりと裏返す。
……小さな穴が空いていた。
中には、何が住んでいるのやら。
思わずため息がこぼれる。
けれど、少しだけ可笑しくもあった。
私が丹精込めて育てたのだもの。
それはそれは、住処にしたくもなるのでしょうよ。
穴の空いたトマトを、自家肥料用の箱へ放る。
それから、役目を終えたトマトの木を引き抜いた。
根が抜ける感触。
土の匂い。
本当に終わると思うと、少しだけ寂しい。
「土をひっくり返す作業、このセバスチャンにお任せください」
振り返ると、セバスチャンが胸を張っていた。
「天地返しのセバス、とお呼びくださいませ。
必ずや、ご期待に応えてご覧に入れましょう」
「腰痛が悪化しますよ!」
間髪入れず、ジョアンナが言う。
「ふふ……最近の農作業で、ずいぶん良くなっております。
この柔らかな土に足を預けると、膝も腰も楽になるのですよ。
つまりこのセバスチャン、ついに鍬を振るう時が――」
「あ! 鍬は三本しかありませんので。お客様と父と私のです」
ぴしゃり。
ジョアンナはそう言って、セバスチャンへ背を向け、ぺろりと舌を出した。
セバスチャンが固まる。
……ああ、なるほど。
ジョアンナ、さては最初からそのつもりだったのね。
でも、ちゃんとセバスチャンを大事にしている。
その様子がおかしくて、私はくすくすと笑った。
空を見上げる。
雲は高く、遠い。
夏が終わる。
トマトの旬も。
ゴーヤの旬も。
薔薇を抜いたあの日から始まったこの季節が、今、静かに終わろうとしていた。
だからこそ私は、少しだけ背筋を伸ばす。
撤去しましょう。
終わったなら、次のために。
「ロザリア様!」
明るい声が聞こえた。
振り向けば、麦わら帽子。
首にタオル。
長靴。
……相変わらず、身なりの良い農業従事者のようなお姿で、ナナホシ様がいらっしゃる。
「ナナホシ様」
私が笑うと、ナナホシ様も笑顔になる。
「茎は片付けました。
あとは、土の再生準備ですね」
「はい。土をひっくり返して、風にさらすのです」
ナナホシ様は袖をまくる。
「私がやりますので、お任せください」
そう言って鍬を手にする姿は、実に頼もしい。
ナナホシ様は少しだけ得意げに微笑んだ。
「天地返しが終わったら、スナップエンドウを育てましょう」
「……まあ」
「トマトを連続で育てるのは難しいのですからね。
土壌改善に向いている種類なんですよ」
私は瞬きをする。
トマトが終わる。
全てなくなると思っていたけれど、違うのね。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「この庭に、来年の春……また別の収穫があるということですか?」
「はい、そうです」
「夏にはまたトマトも?」
「はい!もちろんです!」
ナナホシ様が、まっすぐに頷いた。
「私も協力します。
たくさん作りましょう」
その言葉に、思わず頬が緩む。
終わるのではなく、変わっていくのだ。
薔薇の庭が終わって、トマトになったように。
トマトが終わって、今度はまた別の季節が来る。
この庭は、失ったものを悼む場所ではない。
これから育てるものを、選び続ける場所なのだ。
「ナナホシ様」
「はい」
「ありがとうございます」
私は心から笑った。
「とっても、とっても楽しみだわ!」
ナナホシ様も、笑う。
「私もです、ロザリア様」
秋風が吹く。
役目を終えたトマトの葉が揺れ、
耕される土の匂いが、ふわりと広がった。
薔薇の庭は、もうない。
しかしこの庭には、まだまだ育てたい季節がある。
庭を、ナナホシ様を好きになれてよかった。




