鴨川デルタの戦い 6
「頼む! あんたならそいつを使いこなせるはずだ! 呪術の技術は僕よりあんたの方がはるかに高い! これは賭けだ! ここで勝つためには、その折符の効果を最大限に引き出してもらうしかない!」
「…………!」
紬はハッとして手元の瓶に目を落とした。そうか。狐坂さんは私を信用して、長年の努力の結晶を託してくれたのだ。そのことに気づいた紬は、責任の重大さを実感して瓶を握りしめる。
「分かりました! 全力を尽くします!」
紬は大声で答えると、さっそく瓶の蓋を開け、中から狐の折符を手の上に取り出した。
(邪気を肩代わりするってことは、きっとこれも形代の一種だよね!)
そう判断した紬は真剣な表情で折符を岡丸に向かって掲げ、九尾がまとう邪気を折符の中に取り込むイメージに意識を集中する。その間にも、喬は守護の折符を打ち振り、岡丸の攻撃をギリギリで凌いでいた。
バチッ! バチッ!
という音が繰り返し紬の耳朶を打つ。
(お願い……! 作動して……!)
紬が必死に心の中で祈ったその時だった。不意に周囲の黒い霧が彼女の手の上の折符に吸い込まれたかと思うと、邪気の発生源である岡丸の頭と、収束点である折符の間にひときわ濃い霧の帯ができる。喬は拳を振り上げて叫んだ。
「いいぞ! あとはあんたの術でその折符を浄化するだけだ!」
「はいっ!」
紬は叫び返し、右手に乗せた折符の上に左手に持った霊符を重ねて、腹の底から「せーっ!」と鋭い気合いを発する。
「させません!」
捨道が妨害しようとこちらに石の破片を投げつけてくるのが見えたが、紬の術の発動の方がわずかに早い。折符はたちまち幻の黄色い炎に包まれ、黒い霧の帯を導火線のように伝わり――。岡丸の手前で闇に呑まれて消えた。
「えっ!?」
紬は驚きの声を上げる。おまけに、次の瞬間、無数の礫に襲われた紬は、ひるんだ拍子に、その手から折符と霊符を取り落としてしまった。
「な……。う、嘘だろ……。あの折符は完璧に作動していたはず……。それなのに、九尾を浄化するには、まだなにかが足りなかったっていうのか……!?」
喬の絶望的な叫びを聞きながら、紬は慌てて地面にはいつくばり、落とした呪具を探す。捨道の笑い声が徐々に大きくなり、辺りに響き渡った。
「くっくくく……。あーはっはっはっは! なーんだ。驚かせないでくださいよ! いやあ、うまくいきそうだったのに、残念でしたねえ! 最後のあがきが無駄に終わって、どんなお気持ちですか!?」
紬は狐の折符を拾い上げ、それが無事であることを確かめる。しかし、霊符は遠くに飛ばされてしまったのか、目が届く範囲内に見つけることはできなかった。
「くそっ! ダメだ! あんただけでも逃げろ!」
喬はいよいよ岡丸の猛攻を防ぎ切れなくなってきたようで、息を切らしながら声を張り上げる。
「そんな! 狐坂さんを見捨てることはできません!」
紬はそう言って立ち上がろうとしたが、不意に膝からガクンと力が抜けてその場に崩れ落ちてしまい愕然とした。捨道の高笑いがますます大きくなる。
「あはははははっ! ついにあなたにも呪いの影響が出てきたようですね! 体が動かなくなってきたら気を失うのは時間の問題です。己の無力さに打ちひしがれなさい!」
「う……」
紬は岡丸の攻撃を受けた左腕から全身に、少しずつ痺れが広がっていくのを感じる。目がかすみ、音が遠くなり、自分の体がどこにあるのかすら分からなくなっていく。
そんな夢とうつつの狭間で、紬はふと亡き伯母の声を聞いたような気がした。
『紬ちゃん、しっかり! 私の力を貸してあげるから、もう少し頑張って!!』
懐かしい……。紬は胸に小さな温もりが灯るのを感じる。そのぬくもりは心臓から手足の末端までじんわりと広がり、紬は一気に感覚を取り戻した。
「し、詩織伯母さん!?」
覚醒した紬は周囲を見回して、今の声が幻聴だったことを悟る。が、同時に彼女は、自分の胸ポケットが眩い金色の燐光を放っていることに気がつき、驚きの表情を浮かべた。
(これは……伯母さんにもらった御守り!?)
捨道は動揺を隠せない様子でこちらを指さして声を震わせる。
「な、なんなんですか! その光は!? まさか、それが呪いの効果を弱めたというのですか!?」
紬は右手に狐の折符をのせたまま、左手で胸ポケットから御守りを引っ張り出すと、それを拳に握りしめてすっくと立ちあがった。
「そうみたいですね。これは私が伯母から引き継いだ、最高傑作の霊符だったようです」
紬は彼女が一族の中でも特に霊符の製作を得意としていたことを思い出して言う。
(ありがとう! 詩織伯母さん!)
紬は心の中で感謝の言葉を述べると、御守りを折符に重ねて再び全身全霊で術を発動した。
「せえええいっ!!」
今度はさっきとは比べ物にならないほどの勢いで黄金の炎が噴き出し、黒い霧を伝って燃え広がりながら岡丸に迫る。そしてついに霧の帯を渡り切った幻の炎は、九尾の巨体を瞬く間に包み込み、轟轟とすごい勢いで邪気を燃やしはじめた。




