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新米陰陽師と怠惰な狐番 2

「さて……」


 紬は続いてデータベース内の目付け役名簿を開き、これから会いに行こうとしている人物の登録情報を改めて読み上げる。


狐坂(きつねざか)(きょう)、二十四歳。狐の妖怪を専門とする狐番……」

「狐番? そいつって、部長のオヤジが言ってた厄介者じゃねえの?」


 その時、彼女の背後から不意にふわりと浮かび上がったのは、体がうっすらと透け、尻尾が二股に分かれた一匹の黒猫だった。黒猫は紬の肩越しにタブレット端末を覗き込んで人語を口にする。

 彼は猫又という妖怪の一種で、紬の相棒だった。名前は千綾(ちあや)。千本通と綾小路通の交差点付近で通行人を驚かせていたずらしていたところを、当時十八歳の紬に捕まったのが名前の由来である。

 千綾は元捨て猫で、飼い主に対する恨みを募らせて死んだせいで猫又になったらしい。その事情を聞いた紬は、千綾の飼い主代わりになることを約束し、それと引き換えに、千綾は紬に仕える契約を交わしたのであった。


「厄介者……。うん。そうだね……」


 紬は硬い表情で頷く。

「あいつの扱いには苦労すると思うぞ……」と、顎髭をつまみながら言う部長の渋面が脳裏によみがえった。あんな風に言われてしまうなんて、いったいどれほど難がある人なのだろう。

 そこまで考えてから、紬はブンブンと激しく頭を振り、悪いイメージを脳内から追い出した。何事も先入観で決めつけてかかるのは良くない。


「――いやいや! 実際に会ってみないとどんな人か分からないし! とりあえず訪ねて、まずは挨拶しないと!」


 紬はそう言って千綾を手招くと、車を降りて目の前の小汚いマンションを見上げた。名簿に記載された住所は確かにこの建物を示している。紬はごくりとつばを飲み込み、意を決してそちらへと歩き出した。


 ***


 部屋番号を何度も見直して、間違いないことを確認してから、紬は「えいやっ!」と心の中で掛け声を上げて呼び鈴のボタンを押した。

 ピンポーン、ピンポーンと、扉の向こうでチャイムが繰り返し鳴る音が聞こえてくる。


(こんにちは。「うらのつかさ」から来ました。賀茂紬です)


 その間、紬は関係者の間でしか通じない合言葉を脳内で繰り返し、部屋の主が出てくるのを待った。

 ――しかし、一分ほど待ってみても、部屋の中からは一向に反応がない。


「あれっ? 留守なのかな?」


 紬は首を傾げ、もう一度呼び鈴を鳴らしてみた。が、相変わらずの無反応である。


「寝てるのかもしれねえぜ。俺が見てこようか?」

「うん。お願い」


 肩の上の千綾が提案してきたので、紬は首を縦に振って答えた。千綾は「よしきた」と扉をすり抜け、紬の視界から消える。実体がない妖怪は物理法則の制約を受けないので、こんな芸当だってお手の物なのだ。

 すると、ほどなくして、


「紬ーっ! 見つけたーっ! こいつ、居留守を決めこんでやがったーっ! ほらっ! 早く出なよ! 俺の主人が外で待ってるんだから!」


 扉の向こうから、千綾の甲高い声が響いてくる。続いてドタバタと物音がしたかと思うと、今度は、


「うわっ! やめろ! 耳元で叫ぶな! ひっかくな!」


と叫ぶ男の人の声まで聞こえてきた。

 紬は慌てて千綾を止めようと口を開きかけるが、その前に扉がガチャッと内側から開き、部屋の中から出てきた青年と顔を突き合わせてしまう。


「あー……。どうも……」


 狐坂喬は気まずそうな愛想笑いを浮かべ、ちょっと腰を屈めて挨拶してきた。   

 狐を思わせる細身の体型に、ダボッとしたオーバーサイズのTシャツ。こげ茶色のくせ毛は耳が隠れるまで伸びていて、顔立ちは整っているが、なんとなくだらしない印象を受ける。――でも、思っていたよりはずっと話しやすそうな人だ。

 紬は内心ほっとしながら、


「すみません。突然押しかけてしまって……。おいで! 千綾」


と、喬の後頭部にかじりついている猫又を手招いた。千綾が離れると、喬はやれやれと頭をかいて言う。


「いきなり猫又をけしかけるなんて、ひどい人だなあ。これってプライバシーの侵害なんじゃないの?」

「へん! 部屋にいるくせにチャイムを無視するのが悪いんだよー!」


 喬の言葉にすぐさま千綾が食ってかかった。紬は「こら」と千綾の口を手で塞いで黙らせる。喬は肩をすくめて気怠げに続けた。


「ま、いいや。じゃあ、あんたがこの春、陰陽師協会に入った新人さん? なんか一斉メールでお知らせが回ってきた覚えがあるけど」

「あっ。そうです! 私が新人の賀茂紬です! はじめまして!」


 紬が頭を下げると、喬は「ふーん」と言って品定めするように薄く目を細めた。


「賀茂……ね。陰陽師の名家だ。それで、どうしたの?」

「あ、はい。実は、妖狐に関する依頼の解決にご協力をお願いしたくて……」

「あー……。悪いけど、今日は忙しいから、また今度でいい?」

「へっ?」


 そう言って喬がさも当たり前のように扉を閉じようとしたので、紬は慌てて彼の手をつかんで止めた。


「ちょ、ちょっと! 目付け役は陰陽師に協力するのが仕事ですよね!? 陰陽師協会から給料をもらっているんですから、ちゃんと契約に従って働いてください!」

「む……。なかなかいい反射神経してるね、あんた」


 喬は真顔でそう言って、いったん動きを止める。しかし、すぐに思わぬ角度から次の手を繰り出してきた。


「いてて……。さっきその猫又にひっかかれたところが急に痛んできた……。今日はもう働けないかもしれない……」

「はあ!? いきなり何を言い出すんですか!?」


 わざとらしく痛がる喬を前に、紬は思わず声を大きくする。

 なるほど、「扱いに苦労する」というのはこういう意味だったのか。これは確かに厄介極まりない。


「――千綾にひっかかれたって、実体のない妖怪は体を傷つけられないし、痛みも幻覚でしょ!? ただ理由をつけてサボりたいだけじゃないですか!」


 紬が詰め寄ると、喬はこれ以上は言い訳が通用しないと悟ったのか、心底残念そうな表情を浮かべ、がっくりと肩を落とした。


「はあ……。分かったよ……。仕方ない。着替えて出掛ける準備をするから、外で待っててくれる?」

「やっとやる気になってくれたんですね! 承知しました。早く出てきてくださいよ!」


 紬は頬を膨らませて言い、相手をつかんでいた手を離す。喬はすごすごと後ずさりしながら扉を閉めたかと思うと、


 ガチャッ!


 部屋の中からすぐさま施錠した。刹那、紬は自分がまんまと騙されてしまったことに気がつく。


「ちょっとーーっ!?」


 紬は慌てて呼び鈴を連打したが、もちろん応答はない。


「あんにゃろう! 内側から結界を張りやがった! 中に入れない!」


 繰り返し扉に体当たりしている千綾も、先ほどまでのように扉をすり抜けることができなくなっているようだ。魔除けの霊符か何かを玄関に張られてしまったに違いない。


「ぐぬぬぬぬぬ……! やられた~っ! 悔しい~っ!!」


 結局、打つ手を失った紬は、その場で地団駄を踏むしかなかったのである。

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