45話 誘い
朝日と春風が窓を優しく叩き、返事をするかのようにカーテンが開かれる。ガラスの内側では薄水色の瞳が陽気を浴びて細くなった。地味な茶髪の下にあるその目をこすり、エミールは伸びをする。
身支度を整えるべく洗面台の方へ体を回すが、その際にルームメイトのベッドが目に入った。寝台の上は空っぽで寂しく毛布だけが畳まれている。寮室の中にもルイの姿は無い。
今日も一人で支度を終え、寮の食堂ではルイとは席を別にして朝食を取る。食後の紅茶と雑談さえ、彼とではなく顔見知りの軍人家生徒と時を過ごした。
エミールはルイを避けている訳ではない。逆である。あの日からここのところ、ルイに避けられていた。
「ちょっと心の整理をさせて」
そう言われたのが、彼との最後のまともな会話だった。以降、話しかけても味気ない返事や無視が返ってくるだけとなる。
学生寮から校舎へ向かうにも、学科に関わらず受けるその日初めの座学でも、エミールの隣に彼はいない。授業を終えて次の科目へ移動する時も、当然のようにルイと出会うことが無かった。
エミールはそれに平然としている。表面上は。
騎士科の同級生を始めとする、馴染みの軍人家生徒との付き合いや他愛無い話は尽きないため、ルイが居らずとも孤独とは無縁ではあった。しかし、どこか張り合いがなく、物足りなさが付きまとう。
今や数少ないルイとの対面は、放課後の軍人家生徒による学内活動、軍事学研究会だった。とはいえ、それもかなり限定的なものに過ぎない。
いつもの古倉庫前で、ルイが軍人家生徒達に魔力操作の指導を行うが、大勢を相手にする以上、教師役の彼とエミールが個別に言葉を交わす機会などまず無かった。軍人としての集団行動訓練でも、ルイは別の生徒の方へと行ってしまい、以前のような隣り合うことは無くなっている。
こういった常と異なる日々は、他の会員も奇妙に思いつつあった。その筆頭がダミアンだ。
「なぁ……ルイと喧嘩でもしてんの?」
行進訓練を終えて息を整えていると、やや暗い色合いの赤い癖っ毛を揺らすように、同年の若者がエミールの顔を覗き込む。そばかすの上にある薄紅の瞳はほんの少し目尻を下げており、気遣っているようにも見える。
「うーん、喧嘩ってほどじゃない、と思うんだが……」
ダミアンにどこまで話していいものか悩み、腕を組んでいると、彼が先んじて正論を紡ぐ。
「事情はさっぱりだけど、無理矢理にでもじっくり話し合った方がいいと思うけどなぁ。ルームメイトなんだし、二人っきりになれる時間は絶対取れるじゃん」
「それはそうなんだが」
確かに夕方にはマンツーマンの魔力操作鍛錬があるし、就寝時にも必ず同じ空間にいるため、誰にも邪魔されることなく話し合う機会はあった。が、会話を拒絶するルイの頑なな態度に阻まれている。
鍛錬中には声を掛けてくるものの、無味乾燥な指導や指摘だけで、会話とはとても言えない一方通行。エミールの方から話を振っても、尽く無視されるような状況だ。
何をすべきかは分かっているのに、それは結局のところ相手次第というもどかしさに、どうしたものかと顔を右手で覆う。嘆息するエミールに、ダミアンの追い討ちが掛かった。
「難しそうなのは分かるけどさ、来週には合同実習じゃん。流石にこのままは、マズくない?」
「ううぅ、そうなんだよなぁ」
それにエミールは思わず唸ってしまう。
二年生となったエミールらは、昨年と違って上級生の監督を受けずに、二年生のみのパーティで行動する。いつもエミールとルイの監督役を担っていた上級生も既に卒業しており、彼を頼ることはもうできない。
その上、今後は以前の大規模討伐作戦のような魔物の領域やダンジョンといった、より強力な魔物が出没する可能性のある地へ赴くことも増えていくのだ。
魔術師として大いに優秀なルイの火力が望めないとなると、今後の実習はかなり厳しいだろう。
「あー、俺っちの方からもルイにお前の話を聞くよう言い聞かせておくから」
「……ありがとな」
眉尻を下げたダミアンの言葉は、エミールにとって気休めにしか聞こえなかったが、礼は返しておく。
さっそくその日の内に、エミールはそばかす顔の友人の忠告通りに行動した。
日が没し、ルイによる魔力鍛錬の個別指導──有無を言わせぬ一方的な進行で、指導中は会話を挟む余地がない──を終えるなり、今日こそは腹を割って話そうと意気込んで声を掛ける。
「なぁ、話があるんだが……」
「ごめん、今日はもう休みたいから。また今度ね」
しかし、そうぴしゃりと払い除けられた。
今日はじゃなくて今日もじゃないか。エミールはその言葉を飲み込み、食い下がった。
「いや、今聞いてくれ。改めてお前に謝り──」
「だから明日にして」
しかし、伸ばした手はそっけない返事に叩き落とされてしまう。それでもと、エミールは諦めずにルイの肩を掴んだ。
「ルイ」
「……」
彼はこちらも見ずにそれを振り払い、さっさと着替えて寝台へ潜っていく。取り残された手が宙を彷徨い、やがてぱたりと力無くぶら下がった。
エミールは暫しの間、毛布を被ったルイの背を呆然と見つめていたが、俄かに振り返り、机上から部屋を仄かに照らしていたランプ型魔道具の明かりを消す。
しんと静まり返る暗闇の中、反対側へ置かれた自分のベッドに向かい、畳んでいた寝衣をどかしてそのまま横たわった。まるで夜に呑み込まれるのを拒絶するかの如く、抱きしめるようにして毛布で身を包む。
だがそれは内から現れるものには何の効果もなかった。静寂が思考を騒がしくさせていく。頭の中をぐるぐる堂々巡りするのは、暗い思念。
自分はどこで間違ったのだろう。どうすれば正解だったのだろう。
そんな思いが駆け回り、後悔を胸中に撒き散らしていった。
このままルイと和解できなかったら──。開かれたままの瞳が、じわりと濡れた。
慌てたようにエミールは指で目を擦り、誰に見られるわけでもないのに、何もなかったかの如く瞼を閉じる。
鼻息を僅かに荒くさせつつも、ちっぽけな矜持がそれをルイへ聞こえないように抑え込む。同時に頭の片隅で、ルイが異変に気付いて声を掛けて来ないだろうかという、緊張と下心がない混ぜとなった思いが湧いた。
しかし、その二つの相反する目論見は何の意味もなさない。
エミールの寝台の向かいにあるもう一つの寝台は、毛布がめくれ上がり、いつの間にか空になっていたのだから。
──いくつか日を跨ぎ、ルイとは結局話し合いも和解もできぬまま、エミールは合同実習を迎える。迎えてしまう。
実習の場となるのは王都より南に進んだ、昨年大規模な討伐作戦を行った高地に程近い森。そこに騎士科や魔術科の二年生のみが集まった。今回は森の中に存在するダンジョンが実習の対象である。
いつものように隊を組むべく生徒達が声を掛け合い、自然と小さな固まりがあちこちで形成されていく。
エミールもルイの姿を探す。はたして彼は数人の軍人家生徒と言葉を交わしていた。
一瞬こちらと目が合った気がしたが、すぐにルイは目を逸らしてしまう。自身より外された紫水晶の瞳の冷たさに、エミールは淡い寂寥を覚えた。
かつて誰からも腫れ物扱いされていたルイが、単独で他人と何気ない会話と交流を成立させている。その事実は本来喜ばしい筈だった。しかし、現状においてエミールには孤独感を感じさせるだけで、どうしても喜べない。
そんな彼を見かねたかのように、明るい声が背中を叩く。
「よっエミール、今年も俺っちと組もうぜ」
ダミアンだ。錆めいた暗い赤毛を揺らしてエミールの隣に降り立ち、にかりと笑う。その軽やかな声色と笑顔にエミールの暗い表情もやや緩んだ。
「ああ、助かる。よろしく頼む」
「もちろん……で、ルイとは?」
その問い掛けがされた途端、エミールの面持ちが曇る。ダミアンはそれだけで察したらしく、視線をルイの方へ移した。
「駄目だったかぁ。研究会の訓練の時に、エミールと話をしてやってくれって言っといたんだけども。反応薄かったしなぁ」
そのまま二人は軍人家生徒と話し込むルイの姿を眺めていたが、やがて意外な光景を目にしてしまう。驚愕したダミアンの叫びがエミールの耳朶を打つ。
「えっ殿下とセリア嬢方がルイに声掛けてる!?」
彼の言う通り視線の先では、シャルル、セリア、テオドールに他数名の学年トップ層がルイに話しかけ、他の生徒達は皆驚きに固まっている。
いくつか言葉を交わしたかと思えば、ルイが困惑を浮かべつつも、おずおず頷き、先程まで交流していた軍人家生徒らへ小さく頭を下げた。そして、王太子シャルルを筆頭とするとんでもない面々に連れられて、その場を離れてしまった。
「おいおい、パーティに誘われちまったってことかよ」
「マジか……」
王太子とその婚約者からの誘いなど、おそらくルイも断るに断れなかったのだろうが、ダミアンとエミールは呆然とするしかなかった。そして気付く。
「あれこれルイ抜きで魔物と戦わなくちゃならんの?」
「……やばくね?」




