チョコレート・アイデンティティ
「ある魔女の為の鎮魂歌【第2部】」の第11章~12章くらいの頃の話です。
キラはお菓子作りが得意だ。クッキーが一番得意だが、ケーキ、タルト、マカロンなど、婆ちゃんから教わったものは大体作ることができる。
その日は、偶々チョコレートを作っているところだった。様々な「型」に液状に溶かしたチョコレートを流し込み、冷やして固める。キラは完成したチョコレートを型から取り出す時、少し不思議な気分になる。最初は「型」とは全く違う形だったはずなのに、熱されて、ドロドロになって、型に流し込まれて、冷やされて、今はしっかり「型」と同じ形になっている。
チョコレートの原料はカツオだかカカポだかそんな名前の植物だった気がするけれど、元々はどんな形をしていたのかな?
そんなことを考えるけれど、調べることはない。だって、チョコを型から取り出すほうが先だもの。キラは出来上がったチョコをボウル状の皿に盛り付けた。
「できた!」
キラは早速チョコを盛った皿をリビングへと運んだ。今日はゼオンたちいつものメンバーとセイラが遊びに来ている。特に遊ぶ約束をしていたわけではなく、ティーナが三人を連れて勝手に押しかけてきただけなのだけど、お菓子作りをしていた日に来てくれたのは運が良い。出来上がったものは、なるべく早く誰かに食べてもらいたいものだ。特に、今日は珍しくセイラが家に来ている。ブラン聖堂での一件を経て、ようやくセイラとも仲良くなれたのだから、今日はめいっぱい一緒に遊びたい。
「お待たせ! きらきらチョコレートだよ!」
リビングにいるルルカとセイラのもとへチョコレートを持っていくと、「わぁ……!」と歓声が上がった。普段物静かな二人から歓声が聞けたのは嬉しい。ルルカが早速星型のチョコレートを一粒摘んだ。
「へえ。これ、あなたが作ったの?」
「だいたいは。最初にチョコを刻むとこはちょっとだけ婆ちゃんに手伝ってもらっちゃったけどね」
「いただいてもいいかしら?」
「どうぞどうぞ!」
その為に出してきたのだから、めいっぱい味わってほしい。ルルカはチョコレートを一粒口に入ると、目を大きく見開いて驚いた。
「美味しい……。あなた、料理は上手いのね」
「やったー! ルルカに褒められた! ねえねえ、ゼオンたちも食べてよ! ……って、あれ。どうしたの?」
ゼオンとティーナが戸棚に飾られている物を見つめながら何か話している。キラは暖炉の傍の机にチョコレートの器を置いた後、二人の傍に駆け寄った。
「どーしたの?」
「ねえ、キラ。あれ何? あたし、あんなもの初めて見た」
ティーナが指した物は額縁に入ったモノクロの絵だった。だが、ただの絵ではない。キラ達家族の姿をそっくりそのまま映し取ったようなリアルな絵。まだ幼いキラ、サラ、そして後ろには両親であるミラとイクス、そして隣にはキラの祖母のリラと、祖父のウルファの姿があった。ゼオンはその絵を見つめ、ぼそりと呟いた。
「家族勢ぞろいって感じか。……お前の家族は、みんな笑顔だな」
「そうそう、たまには一枚くらいみんなで集まったところを撮っておきたいよねーって、ルイーネに頼んだんだ」
「ルイーネ? なんでルイーネなんだ」
「ルイーネってホロが見た物を録画できたりするでしょ。録画した景色を紙とかに焼き付けることもできるんだって。それで、こういうものを作ってもらったんだってさ」
「……ずっと思ってたんだけど、ルイーネって便利すぎるだろ」
これにはキラも深く頷いた。ルイーネには何かとお世話になりっぱなしだ。すると、ティーナがその額縁を手に取ってまじまじと見つめた。
「へえ、じゃああたしが知らない未来の新技術! ってわけじゃあないんだ。だとしてもすごいね。これ、ホロの目玉からでるビームとかで焼き付けてるのかな」
「そうみたいだよ」
「へえー、すごい。キラの両親もいるってことは、これは十年以上前の様子かあ。他にもこれと似たような物ってあるの?」
ティーナが興味を持ったようなので、キラは早速近くの棚にあるノートを取り出してきた。ノートには、ルイーネに焼き付けてもらった絵がいくつも貼ってある。
「わー、すごい! いっぱいある!」
「小さい頃から何度も撮ってもらってたからね」
「もうなんか、キラの成長記録ってかんじだね!」
たしかに、年代順に何枚もキラの絵が貼り付けられているので、見ただけでキラがどのように成長してきたのか辿ることができる。キラがぺらぺらと頁を捲っていくと、ゼオンが一枚の絵を指して呟いた。
「この絵……これだけ、別人みたいに沈んだ顔をしてるな」
それは、十年前の夏頃に撮ったものだった。この時期は……そう、両親がアズュールの城で亡くなった時期だ。絵の中のキラの目に光は無く、俯いていた。傍でリラとサラがこちらに視線を合わせるように促すような仕草をしていた。
「ああー、まあ、お父さんとお母さんが亡くなった時期だからね。あたしも辛かったんじゃないかな」
「…………」
ゼオンは心を吸い込まれてしまったかのようにじっとその写真を見つめていた。すると、ティーナが次の絵を指した。
「でも、次の絵では笑っているよ。これから数日しか経っていないのに」
ティーナが指した絵の中では、キラは数人の村人と共に取れたての野菜を手に取って笑っていた。なぜその数日でキラの笑顔が戻ったのか。今なら、その理由もわかる。
「この数日の間に、ばーちゃんがあたしの記憶を封印したってことかあ」
「……それがわかった時は正直イラッとしたけど、今はちょっとお婆さんの気持ちわかるかも。ずっとあんな暗い顔のキラを見てるの、悲しいもん」
ティーナは少し肩を竦める。そして、その隣にいたゼオンはティーナ以上に険しい表情をしたまま、ずっと黙り込んでいた。
「そんな顔しないでよ。たしかに封印のことがわかった時は辛かったしパニックになったけど、もう大丈夫だから。それに、今ならあれはあれで婆ちゃんや村のみんなの優しさでもあったんだって、ちょっとわかるんだよね」
その後の絵の中には、いつもキラと共に村の大人や同年代の子供が写っていた。一緒に写っている子供の中には、ペルシアも混じっている。みんな、キラと一緒に笑っていた。記憶の封印は、キラを現実から遠ざける優しい檻だったかもしれないが、同時にキラに笑ってほしいという皆の願いでもあったのだろう。だから、両親の死の後、村のみんなはいつもキラを気にかけ、一緒に笑ってくれていたのかもしれない。
「きっとみんな、あたしのこと励ましてくれていたんだろうなあ」
「……だから、お前はいつも『みんな』を大事にするのか」
唐突に、ゼオンがそう問いかけた。キラはハッとして顔を上げ、少し考えた後、深く頷いた。
「そうかもしれない。みんなあたしのこと大事にしてくれてるって、無意識にわかってたのかもね。だからあたしも、みんなのこと大切だって思うのかも」
「そうか……」
ページを捲っていくと、また別の絵が現れた。ちょうど、両親が亡くなってから3年ほど経った頃のようだ。手を繋いで笑っているキラとペルシアがいる。その背後ではリラとカルディスがブスッとした顔で写っていた。その様子を見て、ティーナが笑い出した。
「あはは、この後ろの二人の顔! キラのお婆ちゃんとあのお爺ちゃんってほんと顔合わせるたびにこんな顔してるよね。孫同士は仲良いのにさあ」
「それ、あたしもペルシアも何百回も本人たちに言ってることだから」
「んで? そういうと何て言われるの?」
「『おや、何か言ったかい? 近頃耳が遠くてねえ』だって」
「あはは、キラのお婆さんらしいや」
ペルシアと笑い合っている様子を見ていると、なんだか懐かしい気分になってきた。この頃のキラはもう何も悩むことなく笑うことができるようになっていた。ペルシアも、他の村人たちも、このようなキラの笑顔が見たいと願って励まし続けてくれたのだろう。この一枚の絵は、その願いが届いた証拠だ。幼いキラは、無事に『みんな』の願いに応えることができたというわけだ。
キラが感慨にふけっていると、ゼオンがノートを覗き込み、一枚一枚、絵を目で追った。春に満開の花々の前で友達同士と笑い合う様子、夏に森の中の湖でペルシアたちと遊んでいる様子、秋の収穫祭に村人みんなでお祭りをしている様子、冬の年越しの時期にオズと雪だるまを作っている様子──ゼオンはそれを見て、ぽつりと呟いた。
「…………眩しいな」
「ゼオンはこういうこと、あまりしなかった?」
「しなかった」
「じゃあ来年はゼオンたちも一緒に遊んでるところ撮ってもらおうよ」
キラが笑いかけると、ゼオンはいつもどおり少し困ったように視線をそらす。ゼオンっていつまで経っても素直に嬉しい顔してくれないんだよなあ。そう思っていると、ルルカやセイラも近くにやってきた。
「おや、キラさん。それ、何ですか」
「へえ、何それ。変わったもの見てるわね」
「おっ、セイラやルルカも見る?」
キラはノートを大きく広げてルルカとセイラに見せてみた。キラの回りの人が増えるたびになんだか嬉しくなる。嬉しくなると笑いたくなる。そうしてキラが笑っていると、みんなもどこか喜んでいるように見える。
「えへへー、こうして思い出をいつでも振り返ることができるっていいよね。ルイーネに感謝しなくっちゃ」
キラがニコニコしていると、セイラがそれぞれの絵を見つめながらぽつりと呟いた。
「この四角い型の中に、過去の一瞬が詰め込まれてるってわけですか。不思議なものですね。過去の出来事を保存しているという点では『記録』と共通していますが、この絵には主観的な補正がかかっているように見えます」
「シュカン? ホセイ?」
「記録というよりは、思い出ですね、これは」
「たしかに、そうかもね」
もしかすると、この絵には写っているキラたちの想いだけではなく、撮影したルイーネの想いも込められているのかもしれない。ルイーネもキラたちの様子を微笑ましく思ってくれていたのだろう。
「思い出かあ。あたしたちもなんかこういう思い出を残したいね。やっぱり来年はみんなでルイーネに一枚こういうの撮ってもらおうよ」
「いいんじゃない? やろうやろう!」
「わーい、ティーナだいすきー!」
キラはティーナと両手を合わせながら「いえーい」と声をあげてジャンプした。笑顔を詰め込んだ人々の輪の型。思い出を詰め込んだ四角い型。甘い甘いチョコレートみたいに、幸せをいっぱい詰め込んだ時間を創っていきたい──キラは仲間たちの顔を見ながら、そう思う。
「嬉しそうな顔してるところ悪いんだけど、ねえキラ」
「ほえ?」
ルルカが急に暖炉のほうを指して言った。
「あんなところにチョコレートを置いたままでいいの?」
暖炉のすぐ傍のテーブルの上にチョコレートが乗った皿が放置されている。キラは口をあんぐりと開けて青ざめた。
「ああああああああああーっ!!!」
すぐに皿の傍に駆け寄ったが、時すでに遅く、チョコレートはドロドロに溶けてしまっていた。
「うっうっ……せっかく作ったのに……」
がっくりとうなだれているキラを見て、ティーナとゼオンもテーブルのところに駆け寄ってきた。
「どうしたんだ」
「せっかく作ったチョコレート、溶けちゃった……ティーナとゼオンにも食べてもらいたかったのに……うぅ」
「また冷やせばいいだけじゃないのか」
「ただ冷やしただけじゃ形は崩れたままじゃん。折角可愛い型使って作ったのに」
ゼオンは不思議そうに尋ねた。
「型?」
「そうそう、チョコを刻んで溶かして、型に流し込んで作ってるんだよ。へへ、今日は残念だけど、作り直したらゼオンにもあげるよ」
「そ、そうか……」
ゼオンはそわそわしながら、溶けたチョコが入った皿を横目でちらちらと見つめていた。チョコレートはゼオンの好物だ。きっと気になるのだろう。絶対美味しいものを作ってぎゃふんと言わせてやろう。キラが意気込んでいると、横からティーナが溶けかけのチョコレートを一つ摘まんで口に放り込んでしまった。
「ああーっ、作り直すって言ってるのに!」
「へへーん。のんびりしてると、溶けたチョコが固まる前に、あたしみたいな狡いコに掠め取られちゃうぞっ、と。それはそうとさ、型に流し込むだけってのはつまんなくない? どうせなら、トリュフチョコとかやってみたら。ガナッシュを作って冷やして、手で丸めるやつ」
「いいねえ。でもあたし、トリュフは挑戦したことないんだよね……」
「だいじょーぶだいじょーぶ、あたしも一緒にやるから!」
ティーナと一緒にトリュフチョコ作り。ティーナがいれば、きっととびっきり美味しいトリュフを沢山作ることができるだろう。出来上がったら誰に食べてもらおうかな。ゼオンやルルカやセイラは勿論のこと、オズや、ばーちゃんや、学校の友達や、近所のおじさんおばさん、その他にもたくさん……想像しただけで顔が綻んだ。
「楽しそう! やるやる!」
「でしょー。型が無くてもチョコはできるんだよっ。一緒にチョコをコロコロしよう!」
「おー!」
キラとティーナはパチンと手を叩いてくるくる回る。ティーナは料理上手だ。二人の力を合わせたら、どれほど美味しいチョコができるのか、今から楽しみで仕方がなかった。二人で盛り上がっている様子を見て、ゼオンは少し気まずそうに黙り込んでいた。
「ゼオン!」
キラはゼオンにぐいっと近づいて言った。
「ぜったい美味しいチョコ作って、あんたをぎゃふんと言わせてやるから、待っててね!」
「ぎゃふんと言わせるのか……」
「そうだよ。ぎゃふんのふんだよ! 覚悟しろ!」
「チョコレートを食べるのに、一体何の覚悟をしろっていうんだよ」
素っ気ないことを言っているけど、きっと本心ではチョコレートを楽しみにしてくれているだろう。けれどもいつまで経っても、冷たい無表情を崩してはくれない。冬空のように凍り付いた表情をいつか溶かしたい。いつか、春風のように暖かく笑ってほしい。
笑顔の詰まった四角い絵と、溶けたチョコレート。いずれゼオンがどんな笑顔を浮かべるのか、今はまだわからないけれど、
「そりゃあ、『美味しい』って言う覚悟だよ。その澄ました顔、いつかきらっきらにしてやるんだから!」
ずっとずっと、きみが笑ってくれるのを待っている。