第1話 どうやら異世界に転生したらしい
――人間、死ぬときは案外あっけないものらしい。
耳をつんざくクラクション。
視界を埋め尽くす白い光。
身体を襲った、強烈な衝撃。
覚えているのは、そこまでだった。
次に意識が戻ったとき。
俺の視界いっぱいに、知らない男の顔があった。
「おお……! 目ぇ開けたぞ!」
でかい。
というか――
……近い。
髭面の男が、今にも鼻先が触れそうな距離から俺を覗き込んでいる。
離れてほしい。
そう言おうとして口を開いた。
「あぅ……」
出たのは、情けない声だった。
……ん?
もう一度。
「あー……う」
おかしい。
声だけじゃない。
視界に入った自分の手は、驚くほど小さかった。
指なんて、男の親指より細い。
「あなた、近すぎますよ」
穏やかな女の声がした。
男の顔が離れ、代わりに栗色の髪をした女性が俺を抱き上げる。
その瞬間、ようやく理解した。
俺は赤ん坊になっている。
「元気な男の子ですね」
「ああ! 俺の息子だからな!」
「声が大きいです。びっくりしてしまいますよ」
「お、おう……すまん」
何が起きた?
確か俺は――死んだはずだ。
事故だった。
そこまでは覚えている。
そして今、俺は赤ん坊になっている。
夢にしては妙に現実感がある。
それに、この部屋。
石造りの壁。
木製の家具。
窓の外には、見たこともない景色が広がっている。
少なくとも病院ではない。
……まさか。
そんな考えが頭をよぎったとき、髭面の男が嬉しそうに笑った。
「名前は決めてるんだろ?」
「ええ」
女性は俺を見つめ、優しく微笑んだ。
「レオ」
その名を確かめるように、ゆっくりと呼ぶ。
「レオ・アークライト」
こうして俺は。
レオ・アークライトとして、二度目の人生を始めることになった。
◇
それから五年。
どうやら俺の予想は正しかったらしい。
ここは前世の地球ではない。
アルディア王国。
その東端にある、人口三百人ほどの小さな村――ラト村。
それが俺の生まれ育った場所だった。
父の名はガルド。
村では腕の立つ狩人として知られている。
身体が大きく、声も大きい。
そして何より、豪快だ。
「レオ! 森で一番怖いものは何だ!」
ある日、村外れの森で父さんが突然そんなことを聞いてきた。
俺は少し考える。
「魔物?」
「違う!」
即答だった。
「油断だ!」
「……魔物じゃないんだ」
「魔物より油断の方が怖ぇ! どれだけ強くても、気を抜いた奴から死ぬ!」
言っていること自体はまともだ。
声が大きすぎるだけで。
父さんからは森の歩き方、獣の痕跡、危険な魔物の見分け方。
そして戦うための基本を少しずつ教わっている。
母さん――リーナは父さんとは正反対だ。
いつも穏やかで、薬草や簡単な治療に詳しい。
「レオ。この葉は?」
「止血草。揉んで傷口に当てる」
「では、こちらは?」
「似てるけど毒草。食べるとお腹を壊す」
「正解です」
母さんは嬉しそうに笑った。
「よく覚えていますね」
「母さんが何回も教えてくれたから」
「ふふ。ガルドより覚えがいいですね」
「おい、聞こえてるぞ!」
家の外から父さんの声が飛んできた。
母さんと顔を見合わせる。
そして、二人で少し笑った。
そんな生活の中で、俺はこの世界について少しずつ知っていった。
剣がある。
魔法がある。
魔物がいる。
そして何より――
この世界には、レベルが存在する。
「父さんって、Lvいくつ?」
夕食の席で聞いたことがある。
「俺か? Lv28だ」
父さんは得意げに胸を張った。
「すごいの?」
「まあ、この辺じゃ強い方だな!」
横から母さんが口を挟む。
「自分で言いますか?」
「事実だからいいだろ!」
その話によれば、普通に暮らしている人なら、生涯を通してLv10から20程度。
訓練された兵士ならLv30前後。
Lv40を超えれば、冒険者としても一人前と見られる。
Lv80を超えれば英雄。
Lv90を超える者ともなれば、国を代表するほどの実力者だという。
「王国騎士団長がLv92だったかな」
「Lv92……」
「化け物だぞ。俺なんか一瞬でぶっ飛ばされる」
Lv28の父さんが一瞬。
それだけでも、レベル差がどれほど大きいのか想像できる。
「じゃあ、一番強い人は?」
「さあな」
父さんは肉を頬張りながら答えた。
「ただ、どれだけ強くなってもLv100より上には行けねぇ」
俺の手が止まった。
「Lv100?」
「ああ」
父さんは何でもないことのように言う。
「人間の限界だ」
Lv100。
どれほど修行しても。
どれほど魔物を倒しても。
どれほど才能があっても。
人間はLv100を超えられない。
それが、この世界の絶対的な常識らしい。
「なんで?」
「知らん」
「知らないの?」
「俺に聞くなよ」
父さんは困ったように頭を掻いた。
そして最後には、
「神様がそう決めたんだとさ」
そう言って笑った。
母さんも、それを否定しなかった。
きっとこの世界では、それくらい当たり前のことなのだろう。
けれど。
俺は妙に、その数字が気になった。
Lv100。
そこまで強くなる人間がほとんどいないなら、俺には関係のない話なのかもしれない。
それでも――
この世界で、自分はどこまで強くなれるんだろう。
純粋に、知りたいと思った。
◇
五歳になった子供には、一つの大きな行事がある。
《天恵の儀》。
職業。
レベル。
能力。
スキル。
それらを初めて確認するための儀式だ。
村の小さな教会には、俺と同じ五歳の子供たちと、その家族が集まっていた。
「緊張してるか?」
隣に立つ父さんが聞いてくる。
「少し」
「大丈夫だ! 何が出ても、お前は俺の息子だからな!」
「あなたの息子だから心配なのでは?」
「リーナ!?」
いつものやり取りに、少しだけ緊張が解けた。
やがて俺の名前が呼ばれる。
「レオ・アークライト」
「はい」
祭壇の前へ進む。
神官が俺の頭に手を置いた。
「目を閉じてください」
言われた通りにする。
神官が何かを唱えた。
次の瞬間。
頭の中に、無機質な音が響いた。
《個体情報を確認》
《ステータスを開示します》
目の前に、半透明の板が現れる。
思わず目を見開いた。
――本当に出た。
前世で見たゲームそのものじゃないか。
そこには、俺の情報が並んでいた。
【名前】レオ・アークライト
【種族】人間
【職業】剣士
【レベル】1
【HP】32/32
【MP】2/2
【スキル】なし
【固有スキル】未覚醒
「おお、剣士か!」
後ろから父さんの嬉しそうな声が聞こえた。
俺も悪い気はしない。
父さんから戦い方を教わってきた影響もあって、剣には興味があった。
剣士。
うん。
悪くない。
ただ、一つ気になる。
魔法も使ってみたかった。
せっかく剣と魔法の世界に生まれたんだから、火の玉くらい撃ってみたい。
そう思いながらMPを見る。
【MP】2/2
「……二?」
思わず声が出た。
「どうしました?」
神官が尋ねる。
「MP……少なくないですか?」
一瞬の沈黙。
後ろで父さんが吹き出した。
「ははは! 剣士だからな!」
「笑うところじゃないでしょ」
「いや、だってお前、すげぇ真顔で……!」
神官も小さく笑っている。
「剣士は魔力をほとんど持たない者も珍しくありません。レオ君にもMPがありますから、簡単な魔法なら将来的に使える可能性はありますよ」
「……簡単な魔法」
少しだけ希望は残った。
まあいい。
剣士なら剣士らしく強くなればいい。
それよりも。
「神官様」
「はい」
俺は一番下を指差した。
「これは?」
【固有スキル】未覚醒
神官の表情が変わった。
「これは……珍しいですね」
父さんも覗き込む。
「固有スキル!? レオ、お前すげぇじゃねぇか!」
「あなた、まだ何の能力か分かっていませんよ」
「固有って付いてるんだから絶対すげぇだろ!」
単純すぎる。
神官は苦笑しながら説明してくれた。
「固有スキルとは、その人物だけが持つ特殊な力です。ただし、《未覚醒》となると話は別です」
「使えないんですか?」
「今は、使えません」
覚醒条件は人によって違う。
年齢によって目覚める者。
戦いの中で目覚める者。
何らかの条件を満たすことで目覚める者。
そして――
生涯、目覚めない者もいる。
「珍しいことは確かです。しかし、必ず強力な能力だとは限りません」
「なるほど」
少し期待した。
固有スキル。
いかにも特別そうな響きだ。
けれど、使えないものを今考えても仕方がない。
「まだ使えないだけでしょ?」
「え?」
「なら、使えるようになってから考えるよ」
神官が目を瞬いた。
その直後。
「はっはっは! それでこそ俺の息子だ!」
父さんが俺の肩を叩いた。
痛い。
五歳児に対する力じゃない。
「父さん、痛い」
「お、おう! 悪い!」
母さんがため息をつく。
「もう少し加減を覚えてください」
「嬉しくてつい……」
俺はステータスをもう一度見る。
剣士。
Lv1。
HP32。
MP2。
スキルなし。
固有スキル――未覚醒。
何の力なのかは分からない。
いつ目覚めるのかも分からない。
それでも。
不思議と、焦りはなかった。
使えるかどうかも分からない力を待っているより、今できることをやればいい。
俺は父さんを見上げた。
「父さん」
「ん?」
「剣、教えて」
一瞬。
父さんの顔が止まった。
そして次の瞬間。
「任せろ!!」
教会中に響くほどの大声を上げた。
「明日から朝五時だ!」
「五歳ですよ、この子は」
「じゃあ六時!」
「そういう問題ではありません」
「でもレオが教えてくれって!」
「加減という言葉を覚えてください」
「分かった! 加減して六時!」
母さんが額を押さえる。
俺は思わず笑った。
「お前、本当に五歳か?」
父さんが不思議そうに俺を見る。
「五歳だよ」
「なんか妙に落ち着いてんだよなぁ」
「それはあなたが子供っぽいだけですよ」
「ひどくないか!?」
教会の中に、母さんの笑い声が響いた。
こうして俺の二度目の人生は、本当の意味で動き始めた。
このときの俺は、まだ知らなかった。
Lv100。
それが人間に許された絶対の限界であることも。
その限界に、いつか自分自身が辿り着くことも。
そして――
その先に何があるのかを。
この世界の誰も、知らないということも。
◇
同じ頃。
アルディア王国王都。
その地下深く。
今では入口すら忘れ去られた古い神殿に、一つの黒い石碑があった。
誰も訪れない。
誰も祈らない。
何百年もの間、ただ闇の中に存在し続けてきた石碑。
その表面には、百個の紋章が刻まれている。
一。
二。
三。
四。
それは順番に並び。
最後は――百。
そこで終わっている。
そのはずだった。
暗闇の中。
石碑が、微かに震えた。
百番目の紋章。
そのさらに上。
本来なら何も存在しない場所に。
淡い光が集まっていく。
ゆっくりと。
確かに。
新たな紋章を形作る。
――百一。
それは数秒だけ淡く輝き。
誰にも見られることなく。
音もなく消えた。
再び、神殿を静寂が包む。
この世界の誰も知らない。
その瞬間。
人間に許された限界の、その先が示されていた。




