第2話 若君との出会い
兵庫が主膳の隠れ家に辿り着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
大坂の町外れ、ひっそりと佇む古い屋敷。
門は朽ち、庭は荒れ放題。
しかし、その奥にただならぬ気配がある。
「主膳殿、片桐兵庫、参りました!」
兵庫が声をかけると、しばらくして戸が静かに開いた。
「……入れ」
現れたのは、白髪の老武士・桑原主膳。
豊臣家に最後まで仕えた忠臣であり、兵庫にとっては父のような存在だ。
「主膳殿、文にあった重大事とは……?」
兵庫が問うと、主膳は深く息を吐き、奥の部屋へと案内した。
「その目で確かめるがよい」
襖が静かに開く。
そこには――
ひとりの少年がいた。
六つか七つほどだろうか。
白い着物を着て、静かに本を読んでいる。
顔立ちは幼いのに、どこか気品がある。
その横顔を見た瞬間、兵庫の胸が強く締めつけられた。
「まさか……」
主膳が静かに言う。
「このお方こそ、豊臣秀頼様の御子息。名は……まだ公にはできぬが、確かに秀頼様の血を継ぐ若君じゃ」
兵庫は息を呑んだ。
少年が顔を上げる。
その瞳は澄んでいて、どこか懐かしい光を宿していた。
「あなたが、片桐兵庫殿ですか?」
幼い声なのに、礼儀正しく、落ち着いている。
兵庫は膝をつき、深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります、若君……!」
その瞬間、兵庫の脳裏にあの日の記憶が蘇る。
◆
兵庫がまだ十歳の頃。
飢えと疲労で市場の片隅に倒れ込んでいた。
誰も助けてくれない。
母は病で寝込み、兵庫は働きすぎて限界だった。
その時――
影が差した。
「大丈夫か。名は何という」
顔を上げると、若き豊臣秀頼が立っていた。
身分の高い者が、こんな場所に膝をついて声をかけるなどあり得ない。
「ひ、兵庫……です……」
秀頼は懐から干し飯を取り出し、兵庫に食べさせた。
「武士の子であろう。ならば立て。武士とは、弱き者を守るものぞ」
その言葉は、兵庫の胸に深く刻まれた。
後に、あの青年が秀頼だったと知った時、兵庫は泣いた。
そして誓ったのだ。
――この命、豊臣家のために使う、と。
◆
兵庫は涙をこらえきれず、若君の前で拳を握りしめた。
「若君……! 拙者は、秀頼様の恩を忘れてはおりませぬ!」
若君は驚いたように目を瞬かせ、そして微笑んだ。
「ありがとう、兵庫殿。父上のことを、覚えていてくれて」
その笑顔は、まるで秀頼の面影そのものだった。
兵庫の胸が熱くなる。
「主膳殿! 若君をお守りするためなら、拙者は何でもいたす! たとえこの身がどうなろうとも!」
主膳は深く頷き、しかし厳しい声で言った。
「ならば聞け。若君を守るには“裏大奥”を作らねばならぬ」
「裏、大奥……?」
「豊臣の血を絶やさぬための、秘密の大奥じゃ。だが、資金はない。協力者もおらぬ。迎える側室など、夢のまた夢よ」
兵庫は拳を握りしめた。
「ならば、拙者が作ってみせる!」
「無茶を申すな!」
「無茶こそ武士の本懐! 若君のためなら、拙者は何でもいたす所存!」
主膳は頭を抱えた。
「この男、止められぬな……」
若君はくすりと笑った。
「兵庫殿。あなたがいてくれるなら、私は心強い」
その言葉に、兵庫の心は決まった。
――裏大奥を作る。
――豊臣の血を守る。
――秀頼様への恩を返す。
この瞬間、兵庫の無謀な戦いが始まった。




