幕間:天魔の雑談<1>
◇◆◇ 天魔神教 教祖大殿 聖火の間 天魔神教教祖 崩月天魔 天武宗 ◇◆◇
大天魔神教の現人神であり、百万魔徒の君主。
江湖においては【崩月天魔】の別号で呼ばれ、武林の天に輝く【武天九星】のひとりに数えられる者。
それすなわち余・天武宗である。
「「「清浄光明!! 大力知恵!!」」」
今は六公子の聖火の儀である。
余の子である六公子・日月慶雲が夭折することなく一歳を迎えたことを祝うとともに、六公子の身を聖火にくべることでその身に宿る【天魔血脈】を錬磨し、優れた血を引く肉体の武骨をさらに改良する【伐毛洗髄】を行うのだ。
―――行うのだが……。
「「「神教万歳!! 天魔不死!! 万魔仰伏!!」」」
本来であれば、聖火にくべられた肉体は伐毛洗髄がなされることでより優れた武骨へと変化し、その武骨が優れた物であればあるほどに聖火の中にある幼子の肉体は強く発光する。
最初に淡い光であればあまり良い武骨を持って生まれなかったと思うしかないが、それでも時間の経過とともに伐毛洗髄が進み、それに比例して光が強くなっていくはずなのだがどうにも様子がおかしい。
全く発光が始まらないというありえざる事態。
しかし慶雲の脈と採ってみればその原因は容易に判明した。
この子の肉体は虚弱であり、経脈は細く、弱く、脆い。
武人の武骨どころか、凡人の肉体にすら劣る脆さである。
「「「教祖様の新たなるご子息の誕生をお喜び申し上げます!!」」」
一般に、経脈とは厚く強靭で柔軟性に富んだ性質のものが良しとされているのだが、この子のそれはその真逆。
これでは聖火による伐毛洗髄を受けたとして、ようやく凡人並みの肉体を持つのが精いっぱいであろう。
……否、香凛の、日月神女の情の深さを思えば、再び我が子の命が失われることに耐えられるとも思えぬ。たとえ凡人並みの肉体であろうとも、生きてさえいてくれればよいというものだ。
◇◆◇ 天魔神教 内宮 私室 天魔神教教祖 崩月天魔 天武宗 ◇◆◇
「ロン。立直、二盃口、ドラドラ。―――六翻、親の跳満だな。18000だ、焔刀魔君」
「……はっ」
月日が流れるのは早いもので、六公子の聖火の儀よりすでに四年を過ぎた。
余の末子である慶雲も幼魔館へと入館し、これにより余の子らはその全員が幼魔館か潜魔館へ所属していることになる。
虚弱であった慶雲が無事に成長してくれたことは、父としてあるいは香凛の夫としてこれ以上ない慶事と言えるだろう。
しかし一月ほど前、父としてでも夫としてでもなく天魔神教の指導者として、神教を挙げて祝うべきこの上ない慶事が発生した。
とある少女が仙界の太初神教の直伝弟子として推挙されたのである。
「焔刀魔君。いや、空燕よ。どうした? 今日はやけに振り込むな? やはり娘と離れては気もそぞろか?」
「いえ、そのようなことは……」
空燕はそのように言って首を横に振るが、こやつの顔色を見ればそれが虚言であることは火を見るよりも明らか。
とある少女の名は麻夢蝶。
麻空燕はその少女の父である。
一人の神教教徒として、あるいは一人の武人として、娘の才が評価され仙界へと推挙されることに喜びを感じないはずがない。
しかし父として、あるいは親として、いかに娘の未来が明るいものとなろうとも、今生の別れともなりかねぬそれを手放しに喜ぶことは難しいのだろう。
蝶姫はいまだこの俗界にいるが、今は天魔神教全土で行われることとなった推挙を祝う祝宴と式典の主役として、新疆・甘粛・青海を巡行している最中である。
「それほど気になるのであれば同行すればよかったではないか。いかにそなたが内宮の護衛の職にあるとはいえ、今生の別れともなりかねん昇界を前にして、父子の時間を作らぬほど余は狭量ではないぞ?」
「はっ、教祖様のお心遣いありがたく。されど私も公主もそろそろ子離れをせねばなりませんので……」
「ふむ、左様か。まあ余の父上にもご同行頂いておるし、すでに甘粛の巡行を終え青海に入ったと聞く。ここから先はもう大した危険はあるまい。あと数週の辛抱よな」
「はっ。つきましては娘が巡行を終え帰還いたしました後には……」
「わかっておる。休みを与える故、存分に娘との時間を持つが良い。……会えぬといえば慶雲もそうよな。不憫なことよ。あの子の才能では登仙を夢見ることさえ許されまい。蝶姫もあの子には随分と懐いていたと聞いているが?」
「左様でございます。六公子様には夢蝶を随分と可愛がっていただきましたが、どちらかと言えばより執着していたのは夢蝶の方ですので。むしろ不憫と言えば慕っている兄に会えぬまま行く娘の方こそ不憫と言えましょう」
「ほう? そこまで慕われていたとは知らなかった。慶雲も隅にはおけぬな。―――おっと、ロンだ。清一色、ドラドラ。倍満、24000だ。珍しいな血手魔君。そなたが振り込むとは」
「フフフ、これは申し訳ございません。少々高めを狙いすぎてしまったようで。ご歓談を遮ってしまいましたかな?」
血手魔君。
余が潜魔館に在籍していた頃から仕える忠臣の一人である。
年齢は余の二つ上であり、その年代の逸材たちをまとめて余の陣営に引き入れた剛腕と弁舌を持つ俊才である。
その才は現在、天魔神教の叡智を結集する軍略部の一員として振るわれている。
……それにしても高めを狙いすぎたとは、また見え透いた嘘を。こやつら軍略部の者たちは、たまにこういった毒にも薬にもならぬ虚言を吐くが、なんの伝統であろうか?
「良い。それでなんだ? わざわざこのような話の切り方をするからには、なにか問いでもあるのだろう?」
「御意。さすがにお気づきでございますな。――実は以前から気になっていたことなのですが、六公子様は絶脈症なのでしょうか?」
……なるほど。それゆえこのような回りくどいことをしてまで言い渋ったのか。
まあどこから漏れたか、慶雲には武骨の貧弱さを揶揄する蔑称まで付けられておるからな。この人を食ったようなところのある血手魔君であっても気を使うか。
「違う。妙な言い方だが、特に障害なく経脈が細く弱く脆いと言うだけのことだ。聖火による伐毛洗髄で多少ましにはなっているがな。実は余もな、空燕から慶雲が頭脳に優れていると聞いた時には、三陰絶脈ではないかと疑ったことがある。まあ、脈を採り直してみても見当違いではあったがな」
三陰絶脈は絶脈症の一種である。
絶脈症と言えば我が同母妹である雪梅が患った九陰絶脈が有名であるが、三陰絶脈は九陰絶脈ほど重篤な症状を呈する病ではない。
しかし疲れやすく傷つきやすく、さらに無理をすると発作が起きるという武に適さない体質となる病なのだ。
ただ一方で、三陰絶脈の者は優れた頭脳を持ち、暗記と理解に長けて一度見たり聞いたりしたことは忘れないという頭脳方面での利点も持ち合わせている。
ゆえに500年前の『大界変』以前ならばいざ知らず、今の時代であれば【魂力】を鍛えることで【術道】を歩む【術錬師】という道が開けることもあるのだ。
「なるほど。そういえば武ではなく、術をもって天魔至尊の座まで登られたといわれる稀有な天魔、萬術天魔様は三陰絶脈を持たれていたとか。可能ならばその後継人にと考えられたのでございますね」
「ほう、良く分かったな。さすが軍略部の軍師だ。あの子には母も兄も既に亡い。であればその道筋を照らすのは父である余の役目だ。贔屓に見られぬ範囲で、ではあるがな。それに天魔としても、神教に萬術天魔の後継ともいえる新たな術錬師が増えるのであればそれは喜ばしきことだ」
萬術天魔とは、500年前の『大界変』以来仙界からの急速に流入した術道の知識と、『大界変』以前から俗界に存在した呪術・瞳術・幻術・巫術・陣法などの術法を纏めあげ、その力で天魔の座に就いたと言われる伝説的な女傑である。
その威名は、自ら剣を振るう者が尊ばれる武道全盛の現代においても絶大であり、神教は常にその跡を継げる者を探し続けていると言っても過言では無い。
術錬師となり術道を修めるには魂力を鍛える錬魂法が必須であり、さらに錬魂法を学ぶには適性が必要不可欠となるため、現在の神教にも術錬師は数えるほどしか存在しない。ましてや天魔の技術を受け継げるほどの才を持つ者は皆無で、ゆえに慶雲がその伝承を継げたらと画策したわけだ。
まあ結局、いくら余が企みを抱こうとも三陰絶脈というのは見当違いであった以上は、術錬師への道も萬術天魔の伝承もすべては捕らぬ狸の皮算用。先走りも良いところであったな。
天魔の一族であるからこそ特別扱いは出来ぬ以上は、これ以上余にできることは何もない。
弱肉強食こそが神教の掟である。
慶雲には自力で這い上がる以外の道は存在しないのだ。
「ツモ。四暗刻、字一色、大三元。トリプル役満」
「……」
ちなみに麻雀は、我らの話に全く加わらず一言もしゃべらなかった鬼哭魔君がトリプル役満を和了し、焔刀魔君と血手魔君が箱割れして終了した。
……鬼哭魔君のくせに鳴かんからなこやつは。