第18話 幕間:【鳳雛】の激動人生<俗界編・裏>
◇◆◇ 天魔神教 日月宮 麻夢蝶 ◇◆◇
父・【焔刀魔君】麻空燕。
母・【白蘭公主】林雪梅。
祖父・【貫海天魔】天雲外。天魔神教太上教祖。【武天九星】のひとり。
伯父・【崩月天魔】天武宗。天魔神教教祖。【武天九星】のひとり。
わたくしの名前は麻夢蝶。
頂いた別号は【百雷鳳雛】。
皆様からは『蝶姫』と呼ばれております。
もちろんわたくしの最も大切な人からも……。
◇◆◇
『お兄様!』
『蝶姫か。大きな声を出してどうした? 雪梅叔母上のような優雅な淑女になりたいのではなかったのか?』
『そ、それは……申し訳ございません。……って違います! 夢蝶は聞きたいことがあってきたのです! お兄様! 誤魔化さないでちゃんと聞いてください!』
『ほう、そうか。それは悪いことをしたな。では詫びに一つ助言をやろう。蝶姫に相応しい一人称は『わたくし』だ』
『え? あ、はい。わ、『わたくし』ですか?』
『ああ。自分のことを夢蝶と呼んでいるようでは、いささか子供っぽいというものだ。対してこの『わたくし』は、別の世界において絶大な力を持つ天下最強の兄を、とても敬愛している重度のブラコン妹が使う一人称だ』
『別の世界の天下第一人の妹……ということですか?』
『うむ。本座にはまだこの男ほどの力はないが、いずれこの兄のような文武両道かつ天下無敵の隙のない傑物となるつもりだ。本座を兄と慕う蝶姫には、この淑女の一人称が相応しかろう』
『なるほど。淑女の……さすがはお兄様です』
『ハッハッハ。であろう?』
『はい! ……ところでお兄様?』
『ん?』
『『ぶらこん』とはなんですか?』
『…………ん?』
◇◆◇
わたくしには兄がいます。
名を日月慶雲。
別号ならぬ蔑称は【白葦公子】。白葦とは黄茅白葦からつけられたもので、荒れ果てて瘦せた土地のことを示します。
実の兄ではなく実際の血縁でいえば従兄となるのですが、わたくしに数多の恩恵をくださったお兄様を、わたくしが兄と呼び慕い、深く敬うのは当然のこと。
言うまでもないことですが、このわたくしが、あのような蔑称は付けた者も使った者も絶対に許すはずがありません。いつの日か、必ずや報いを与えると決意しております。
わたくしがお兄様より賜った御恩は、大小合わせれば数え切れないほどあります。
その中でもお兄様が幼魔館への入館前に残された【霊薬・空清石乳】や【法宝・護心瑠璃環】、そして直接教えを授かった【玄魔養生功】とそれが進化した【不滅神訣】は特に大きな恩恵と言えるでしょう。
しかし、わたくしがお兄様より頂いた最大の恩は別にあります。
愚かなわたくしは、ようやくそれに気づくことができたのです。
あの日。
仙人様に資質を見出され、仙界の太初神教の弟子となることが認められたあの日から、わたくしの生活はガラリと形を変えました。
以前は一日の大半を日月宮で過ごし、建物の外に出たとしてもあくまで内宮の敷地内。
まさしく箱入り娘と呼ばれるにふさわしい生活を送っていましたが、そんな箱入り娘も今では、推挙を祝う式典や祝宴に頻繁に招待され、名家の同年代の子供たちと交流を行っております。
そんな新たな生活はわたくしにたくさんの刺激を与えてくれました。今回はその新生活の中でも、特に衝撃を受けたことを三つご紹介いたしましょう。
一つ目は言わずと知れたお兄様に対する無礼極まる風評と流言です。
【白葦公子】という蔑称とその意味。それを初めて聞いた時のわたくしの衝撃と怒りはどれ程であったのか、想像に難くないのではないでしょうか。
二つ目は、『老化』という現象です。
……言い訳をさせていただくのでしたら、わたくしがお会いしたことのある年配者は祖父母のみであり、お二人とも返老還童という肉体の年齢が巻き戻る境地に至っており、その外見はお二人の娘である雪梅お母さまよりも若く見えるのです。
つまり、当時のわたくしにとって『老化』というものは初遭遇の未知の現象であり、式典の客人の顔や手にあるしわやシミは病にしか思えず、恐怖と驚愕の念を覚えることは致し方ない、そうご理解いただければ幸いです。
それでも今となっては口にするのも恥ずかしいわたくしの秘密ですね。こういうのを『くろれきし』と言うのでしょう。
ちなみに祝宴においては、老化している者ほど分別を知らず、自らの非才を棚に上げてお兄様のことを侮辱しておりましたので、後々報いを受けさせる際には区別に困ることは無いでしょう。絶対にあのような老害どもを駆逐すると心に決めております。
三つ目は、話が通じない同年代の子供の知能です。
以前お兄様の申されていたことなのですが、人は『あいきゅー』というものに20ほどの差があると会話が成立しないのだそうです。『あいきゅー』という言葉の意味を知らないわたくしにはよく分からないお言葉でしたが、祝宴で保護者に連れられた同年代の子供たちを見て、ようやくその真意を理解することが叶いました。
さすがはお兄様です。
ただ、これについてはどうしようもありませんので本当にびっくりしただけのことですね。
新生活を始めて以来、このような衝撃を受けることは珍しくはありませんでしたが、同時にわたくしは自身の心の片隅にわずかな寂寥感を感じ始めていました。
お兄様と離れ、たくさんの人と関わることで初めて感じるようになったそれの正体は、疎外感と孤独感です。
集団における普通を認識したが故に感じる疎外。
自らの異常性を認識したが故に感じる孤独。
そしてそれの正体を自覚したときこそ、わたくしがお兄様より頂いた最大の恩を理解した瞬間だったのです。
わたくしがこれまでの人生の中でそれらの感情を覚えたことがなかった理由は、お兄様がそばにいてくれたからです。
子供から見て大人は違う生き物に等しく、だからこそ同じ子供であるお兄様との数多の会話は、わたくしに疎外感を感じる暇など与えず、それにより自らの異常性を自覚しえなかったわたくしには、孤独感というものは影も形も存在しないものでした。
お兄様がわたくしに与えてくれた最大の恩。
それは武功などの知識や霊薬などの物品ではなく、ただ傍にいて、たくさんの話をしてくれて、時にからかい、時に慰め、わたくしを独りにしないでいてくれたことなのです。
……改めて冷静に振り返ると少し恥ずかしいですし、何よりお兄様への愛情が限界を突破してしまいそうですね。
お兄様曰く、わたくしのような者のことを『ぶらこん』と呼ぶそうなのですが、わたくしがお兄様に捧げる愛情に同等かそれ以上の愛で答えてくださるのがわたくしのお兄様です。
そんなお兄様にこそ、『ぶらこん』のような相応しい呼び方があるのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
まあ、それを指摘したところで無自覚なあの方は小首を傾げるだけでしょうが、一応、今度聞くだけ聞いておきましょう。
仙界へ行くことが決まっているわたくしにとって、その今度がいつになるのかは定かではありませんが、それでもお兄様は約束してくださったのです。
必ず追いつくと。
わたくしが鳳凰の雛であるならば、自らは臥龍か麒麟となり共に駆け上がって見せようと。
信じて待つのがよい妹の在り方というものです。
あるいは良い女の在り方、でしょうか。
どちらにせよわたくしの【太古天眼】がお兄様を見失うことは決してない以上、焦りを抱く必要はまるでないのですから。
◇◆◇
『――それで蝶姫よ。今日は結局何を聞きに来たのだ?』
『……お兄様。わたくしはお兄様の下を離れ、仙界に行くことになると聞いたのですが、真のことなのでしょうか?』
『真だ。おそらくそうなる』
『っ!?』
『蝶姫よ。そなたの誕生とともに降り注いだ百八の雷劫と空にかかった鳳凰の幻影は、仙界の宗門が重い腰を上げるだけの価値がある。さらに本座の【黒龍六眼】でさえ見通せぬその天賦。ここまできたら数え役満であろう』
『や、役満?』
『うむ。必ずや仙界への推挙がなされ、昇界することとなろう。……掃き溜めに鶴という言葉がある。まあ、その場合この天魔神教が掃き溜めとなってしまう故、鶏群の一鶴のほうが相応しいかな? どちらであっても凡庸な環境に存在する非凡なる者という意味だ』
『……』
『その場が掃き溜めであれ、鶏群であれ。相応しからざる者が相応しくない場所にいる。これはあまり良い影響を与えぬのだ。鶴にとっても鶏群にとってもな』
『夢蝶が……いえ、わたくしが鶴であると?』
『否、それ以上よ。そなたは鳳雛、即ち鳳凰の雛だ。その羽ばたきは鶴など比較にもなるまい』
『……では、わたくしは……その、ま、舞い上がってしまえば、もう……お兄様とは共に居られないのでしょうか?』
『フッ、それは違うぞ蝶姫』
『……え?』
『そなたが鳳雛だというのであれば、本座は臥龍となるまでよ。この俗界からそなたの元まで上り詰めて見せよう』
『……はぃ』
『あるいは鳳凰の対となるは麒麟かな? 臥龍か麒麟か。本座の行く道がどのようなものあろうとも必ずやそなたに追いつき、そなたとともに駆け上がってゆくと約束する。――だから泣くな蝶姫』
『――はい! ありがとうございます! お兄様!』




