8 入寮
十五歳、春。順当に私は鬼衛大学付属高等学校に合格した。
五年ぶりのがらんとした自室で、憧れだった制服に袖を通す。鏡には、眉がへにょりとした私が映っていた。
合格するのはぶっちゃけると当然だった。うっかり入学通知書は握りつぶしてぐしゃぐしゃにしてしまったけれど、私は優秀だし。
だから合格のうれしさよりも、久しぶりの我が家がよそよそしさの方が気になる。どうにも両親との会話がぎこちない気がするのだ。特に父さんとは一言も話していない。
……違うな、一番の原因は、私自身がよそよそしいのだ。
「桃―? 降りてらっしゃい、朝ごはんよ」
母さんはいあいかわらずマイペースだ。少し、声に引きつるようなところがあって、それだけが以前と違うのかも。
返事をして、昨日用意していた多少の荷物をもって、階段をいくぶんのんびり降りていった。ハムの油とパンを焼いた香ばしさとすれ違う。
リビングでは、記憶よりもずっと白髪の増えた父さんが、顰め面で新聞を睨み、食卓が整うのを待っていた。私は、なんとなく、母さんの配膳を手伝うこともためらわれて、いつも座っていた席に着いた。
「また、しばらくいないのね」
「うん。全寮制だし」
久しぶりに飲んだ気がする、インスタントのコーンポタージュとともに、夏休みでも冬休みでも――つまり長期休暇のときでさえ、帰ってこないかもしれないという言葉を飲みこんだ。
とぎれとぎれの会話を切り上げて、ごちそうさまと手を合わせる。私は逃げるように、でもそうとは見えないように気をつけて、荷物をもって玄関へ急いだ。
「もう行くの? 早いのね」
「うん」
嘘だ。だから胸がちくりとした。
新品のローファーに足をつっこみ、振り返らないで出ていく。つもりだった。
「桃……、お前は父さんの娘だ。……行ってこい」
背中にかけられた久々の父さんの声に振り返り。肺が、青い風でふくらんでゆく。
「……っ、はい! いってきます!!」
自然と、軽く、大きく、私は別れの挨拶を置いて駆けだした。
東京の奥多摩。人よりも妖魔の方が人口が多いような山の中。
柔らかい桃色を湛える桜に囲まれた寮の前で、私は春にいを待っていた。案内してくれるって言うから待ってるのに。
スマホで待ち合わせの場所と時間を確認する。もう何度目かの溜息がこぼれた。
「君、かわいいね? 誰を待ってるの?」
「どなたでしょうか?」
気配が無かった。この人、できる……!!
横合いからかけられた声の主の男子生徒の目は、にんまりと細められて胡散臭いことこの上ない。こわばった私の質問に首を軽く傾げた。
「……僕は賀茂尚親ここの生徒会長をやってるよ。よろしく、春の従妹ちゃん」
「あんまりよろしくしたくはないですが、鈴鹿桃です。藤宮先輩がいつもお世話になっています」
春にいは地味に優秀なのだ。学年でも首席だと、美紀さんがこっそり自慢してきたのがすこし懐かしい。
私も師匠以外だと、春にいに教えてもらったことが一番多い気もする。
……ん? この人――会長は春にいから私のことを聞いていたっぽい? 春にい、変なこと吹き込んでないだろうな……。
「春から聞いていたけど、君ってバカみたいに素直だね~。十年ぶりの高校からの入学生だからどんな子かと思ったけど……」
「な、お、ち、かあああああ!!! てめえ、仕事をオレの机に置くな!!!」
「あ、もう来た」と、目の形も唇の角度もそのままに、会長は小さく呟いた。
「あ、桃。よう。入学おめでとう」
「春にい、ありがと。でも、仕事溜まっているなら戻っていいよ。案内くらい無くてもなんとかなるだろうし。私以外の高校からの入学組だって一人でどうにかしていたんでしょう?」
知らない場所で知らない人と話しているところに、やっと知り合いがきて、ちょっとほっとした。春にいは忙しそうだし、ついでに会長を持ち帰ってくれたらいいな。知らない人と一緒にいると、若いはずなのに肩が凝る。
「桃ちゃんこう言っているし、春は戻りなよ」
「てめえもだ尚親。むしろお前だけ戻れ。桃が先約だ」
「えええ~。生徒会には優秀な人材揃えてるし? 家名だけで当選させられた僕なんてむしろ邪魔~」
「じゃあな、桃。約束すっぽかして悪いけど、こいつに仕事させてくるから。今はまだ生徒もほとんど戻ってきてないし、なんかあったら連絡寄こせよ?」
わかった、と私は頷いて手を振った。にへらっとした会長が、引きずられながら手を振り返してきた。会長に振ったわけじゃないんだけど……。
「よし。行くか」
春にいを見送って、私は振り向いた先にある緑のドアを目指して右足を踏み出した。
「ふぅ」
寮母さんに軽く案内されて――といっても、食堂と、大浴場と、自室だけ。部屋は二人部屋なんだけど、相手は誰なんだろう?
あらかじめ送っておいた荷解きすると、合格通知書が出てきた。皺のよったそれを渋々のばす。
鈴鹿桃 受験番号****
得点内訳
座学 671/700
実技 73/100
合計順位 2/118
「負けるもんか。首洗って待ってるがいい、首席のヤツ」
2を睨みつけるけれど、やっぱり気に入らなくて。びりびりに引き裂いて、空っぽだったゴミ箱に入れる。いや、押し込めた。