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第六話 ミラード・バレットの身の上話



 八時間後――


 遥か下からさらさらと、僅かに届く水の音。

 酔い潰れた傭兵たちの不規則ないびき。

 宴の後の広場には穏やかな解放感があった。


 一部の傭兵は数時間眠っただけで、

 既に迷宮探索に向かっていた。

 だが誰もがそうできる訳ではない。


 僕とフレアは宴の後始末を手伝っていた。

 遥か下方にある水路から水を汲み上げて、

 ざばりと撒いては、じゃばじゃばと、

 ブラシでテーブルの端まで掃いていくと、

 真っ黒になった水が水路へ落ちていく。


 眼下を流れる水は暗く濁っていて、

 ほとんど見通せないが、

 表面を叩く汚水が作る波とは違う、

 水底から湧き上がるような揺らぎがある。

 何かが潜んでいるのだ。

 その様子を見るともなしに見ながら、

 片付けを続けている、その時だった。


「昨日はいい呑みっぷりでしたね」


 声の主は長身痩躯、切れ長の目の青年、

 仙境で共闘した護衛たちのリーダーだ。


「ありがとうございます」


 その後ろには四人の傭兵たちが続く。


「おかげで一儲けさせてもらったぜ!」


 昨夜の飲み比べの勝者はフレアだった。

 がっしりとした青年が言う。


「今でも信じられねえ……

 野郎が飲み比べで負けちまうとはなあ……」


 ジェイホークも人間としては十分に粘った。

 ふらつきを抑えられなくなった後も、

 足元の力で強引に耐え続けたが、

 オーラ制御に失敗したのだろう、

 最後は身体を軽くしすぎた瞬間、

 重心を崩してしまった。

 後ろに反り返り、

 足を滑らせると、

 もはや立て直す余力もなく、

 そのままの勢いで一回転。

 顔面から地に落ちた後は、

 無様にもがくばかりで、

 もう立ち上がれなかった。


「それにしてもすげえ腹だったな!」


 小柄な傭兵が言う。

 呑み比べの勝敗が決した時、

 彼女の腹周りは限界まで膨らみきっていた。


 飲んだ酒はすぐ燃やすこともできたが、

 余計な疑いを持たれないよう、

 全て溜め込むことにしたのだ。

 だが樽一つを呑み込んだかのような腹部は、

 酒の重量に耐える内臓の強度も含めて、

 既に人間の理解を遥かに超えていた。


 飲み比べが終わった後、しばらくの間、

 フレアは隅に座り込み、蒸気を上げ、

 ゆっくり体内の酒を焼却していった。

 その異様な姿を多くの傭兵が見ている。


「もう動いて平気なのですか?」


 人間の肉体に、あの量の酒を流し込めば、

 アルコールの毒にあたる以前に、

 文字通り酒で溺れることになる。


 変異持ちの限界は超えていないのだろう。

 だが彼女が怪物であることは、

 もう誰の目にも明らかだった。


「はい」


 傭兵たちの問いに、

 人を超えた少女は静かに微笑んだ。


「背丈はあんたの方が小さいが、

 胃袋はあいつよりもでかかったってことだな」


 ひょろりとした傭兵は一人で頷く。

 リーダーがフレアに問う。


「最初から酒で勝負する予定だったんですか?」


「私は拳でいいと思っていました」


 青年は少し目を見開くと、

 口の端を僅かに上げる。


「好戦的なんですね」


 フレアは眉を上げる。

 心外であると伝えたいようだ。


「そんなことありません。

 ただ彼は戦いを望んでいたようでしたから」


「ではどうして戦わなかったんですか?」


「それは……」


 フレアは横目に僕を見た。


「あの人に聞いてください」


 僕がその場にいたことを、

 今思い出したかのように、

 青年は僕に視線を向けた。


「あなたは……」


 青年は僅かに逡巡し、

 それから遠慮がちに問う。


「すみません。名前を聞いても?」


「ロデリック・ラッカードだ。

 ラッカードと呼んでほしい」


「ラッカード。

 あれはあなたが考えたことなんですか?」


「そうだ」


 僕は頷く。


「なぜ酒なんですか?

 負けていいと思っていたんですか?」


「まさか。酒なら確実に勝てる。

 そう思っただけだよ」


「ジェイホークを相手に?」


 問いは疑念に満ちていた。

 この商会の傭兵にとって、

 あの男に酒で挑むことは、

 敗北しか意味しないのだ。

 彼の目には勝負の結果も、

 運任せの辛勝に映ったかもしれない。


「有名な大酒呑みだったらしいな。

 フレア相手に粘れる人間が、

 そこらにいるとは思わなかった。

 少しばかりひやひやしたが、

 それでも敗北は考えなかったよ」


「戦った方が確実だったんじゃないですか?」


 試されているのだろうか?

 それとも、この青年は、僕たちに、

 奴を潰してほしかったのだろうか。


「逆に聞きたいんだが迷宮攻略真っ最中に、

 主戦力が潰し合うことに何の意味がある?

 お互い五体満足、二日酔い程度で済んだ。

 奴の面子は少々潰れたかもしれないが、

 これ以上の結果はない。そうだろう?」


 青年は少し目を見開き、

 吹き出すように笑った。


「聞いていたのとは随分違いますね」


「どう聞いていたんだ?」


 青年は言う。


「五年前、突然アルテミスに現れたと思えば、

 街中のごろつきに喧嘩をふっかけていった

 イカれた一匹狼、血に飢えた狂犬、

 そして貴族の威を借り威張り散らす飼い犬。

 聞く限り、危険な人だと思っていましたが、

 実際に会ってみれば、商会長の言うとおり。

 ……あなたはいい奴でした」


 そして僕の目を覗き込む。


「なぜ貴族なんかに使われていたんですか?」


 アルテミスは貴族に支えられた街で、

 貴族に好意的な居住者が多いが、

 柵の外の住人までそうとは限らない。


「確かに貴族には何の借りもない。

 だがアルテミシアには恩がある。

 僕はミレニアムの生まれで、

 先代には命を助けられた」


 僕は言葉を選ぶ。


「恩、ですか」


 青年は目を細める。


「……貴族の不始末を貴族が拭う。

 当然のことじゃないですか?」


 貴族が壊して、貴族が救う。

 マッチポンプのヒーローに、

 感謝なんて馬鹿げている。


「そうだな。

 恩も本当はないのかもしれない」


 そう思っていたこともある。


「なら……」


 だが今は違う。


「それでも不始末をする側と、

 拭う側は同じじゃなかった」


「そうですか」


 呆れたように笑った後、

 青年は片手を差し出す。


「ミラード・バレットです。

 今後ともよろしくお願いします」



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



「五年前、アルテミスからいなくなったのは、

 スワルガに行ったからだったんですか。

 昔から関わっていたんですね」


 僕とフレアは掃除を中断して、

 傭兵たちと朝食をとっていた。


「独立派にうまく利用されてしまったけど、

 僕は貴族の使者として行動しただけだよ。

 全て根も葉もない噂だ」


 傭兵たちから根掘り葉掘り聞かれるが、

 まともに答える訳にもいかない。


「あなたが簡単に利用されるとは思えませんね」


「そもそもスワルガに行きたかった訳じゃなくて、

 スワルガ側からフロンティアに向かい、

 アポロンを経由して、ミレニアムまで、

 寄り道しながら歩いてみたかった。

 ミレニアムからアルテミスへ来た時は、

 最短距離の街道を通っただけだったから、

 今度は遠回りしてみようと思ったんだ」


「スワルガからフロンティアまで踏破したのか?」


 ベルトは円環だ。惑星の表面と同じように、

 プレートからプレートへ円の先に進む限り、

 どこまでも果てはない。

 しかしベルトにおいて辺境という言葉には、

 それなりに意味がある。

 アルテミスからスワルガを抜けた後、

 その先にはベルト最大の魔物生息地があり、

 人間の通行をほぼ不可能にしていた。

 ベルトには人の交通に限っては終端がある。


「運よく死なずには済んだが、

 フロンティアに抜けるまで、

 結局、半年以上かかったよ」


「幾つかルートがあると聞いています。

 それは使わなかったんですか?」


「当時のスワルガで僕が知ることができたのは、

 どれも熟練の飛行師にしか選べない道だった。

 プレート一つを軽く跳び抜けたうえで、

 追ってくる飛竜から逃げきれるような、

 底なしのスタミナの達人しか使えない。

 僕には縁のない話だ」


 飛行師とは移動速度に特化した気功使いを言う。

 気功術の才能には幾つかの方向性が存在する。

 加速、反応、持久、浸透――

 傭兵は何より反応を重視するが、

 飛行師は加速と持久を重視する。

 全ての才能を均等に鍛え上げるのは難しい。

 安全な街道上で移動速度を競えば、

 上位傭兵も飛行師に及ばないのが常である。

 ベルト全体でも数えるほどしかいないが、

 最上位の飛行師となれば、プレート一つを、

 十分もかけずに横断しきることも可能だった。

 真偽も定かではない伝説的な事跡では、

 人間一人を荷物として抱えた状態で、

 三十分で百キロを走り抜けた超人もいたという。

 この域となれば飛竜も簡単には追えなくなり、

 危険地帯も安全に跳び抜けられるようになる。

 だが僕にそんな才能はなかった。


「じゃあ地表を歩いたんですか?」


「飛竜に頭の上から狙われながら歩けるなら、

 僕もそうしただろう」


 飛竜の襲撃を軽くあしらえる力があれば、

 ただのプレートを歩くのと同じだが、

 そんなことができるのは上位貴族だけだ。


「迷宮に潜るのが一番安全だ。

 たまに地上に出て空を見て、

 とにかく円周方向に進んだ」


「樹海迷宮群! 樹怪とは闘り合ったのか?」


 巡礼の道の終端、樹海迷宮――

 人を食う植物が歩き回る魔境だ。


「戦いは考えもしなかったよ。

 足が遅いから逃げられるし、

 蔦や根で逃げ道を塞がれたら、

 もう対処のしようがない」


「まあ、そんなもんだよな」



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 そこからは各自の身の上話と、

 誇張まみれの武勇伝が続き、

 しばらくして話し手は、

 ミラードに移る。


「私は小村の商人の生まれです。

 姉が二人の末っ子で、

 いつも失敗をしては、

 二人にからかわれていました。

 出来の悪い子供で、家業を継ぐのも、

 優秀な姉のどちらかだと言われていましたが、

 結局、どちらにもなりませんでした」


 傭兵には珍しい穏当な生まれだった。


「……どうなったんだ?」


 僕は尋ねる。

 青年は言う。


「店が襲撃を受けたんです。

 誰も助かりませんでした。

 私も後少しで殺されていましたが、

 間に合ったここの傭兵に助けられたんです」


「ひどい状況だった」


 中年の傭兵が頷く。


「あんたもその場にいたのか」


「まだ駆け出しの頃だ。

 盗賊が闇に乗じて門を破ってきたんだ」


「集落の中の店を盗賊が襲ったのか?」


「街道上で狙われると思っていたが、

 裏をかかれちまった。

 門までは破らないと油断していた」


「……狙われる覚えはあったのか」


「当時の俺たちは盗賊と敵対していた。

 ミラードの家は俺たちと組んでいたんだ」


「組合商人を抱き込んでいたのか」


「辺境は物資の配給も滞っていた。

 あの頃は品物も足りなかったが、

 正規ルートの横流しも酷かった。

 背に腹は代えられない。

 供給があれば誰とだって組むさ」


 ミラードが子供の頃というのは、

 第四次の大巡礼が道半ばにして失敗に終わり、

 貴族が責任のなすりつけ合いをしていた頃だ。

 重力変動からの復興も終わっていない状態で、

 貴族どものベルトを決闘場にした馬鹿騒ぎで、

 辺境での物流は麻痺しきっていた。


「自由商人と取り引きをした罪で、

 我が家は組合から除名され、

 天涯孤独、無一文になった私は、

 バーノウトに誘われて、

 この商会の一員になったんです」


「バーノウト。その名前、何度か聞いたな」


 バーノウトという戦士は、

 カーウィンの腹心の一人だったらしい。

 エンリックとハリー・ケインの話では、

 貪狼の襲撃で命を落としたようだ。

 カーウィンにとっては痛手だろう。


「商会創設時からいた最古参の傭兵です。

 本当の名前も故郷も知りません。

 ただバーノウトと名乗っていて、

 誰からもそう呼ばれていました。

 二十年前もこの商会の傭兵部隊にいて、

 当時の私を助けてくれたのも彼でした。

 行く先々で人を拾うのが趣味で、

 拾われてくる者も去っていく者も多く、

 バーノウトの部隊だけはいつも、

 素性の知れない拾われ者ばかりでした。

 人に任せて怠けるのがうまい人で、

 口が悪くて、強引で、面倒くさがりで、

 繊細さの欠片もない人なんですが、

 いつもそこらを歩き回っていて、

 暇と見れば何か押しつけていくんです」


 気安い仲だったのだろう。


「腕はどうだったんだ?」


「この商会の傭兵は、

 私の知る限りで三度は大敗していますが、

 その全てを最後まで戦いながら、

 五体満足で生き残ってきました。

 技ではハリーやジェイには及びませんが、

 負け戦にも動じず、冷静に戦える人です。

 長く生き延びた分、経験も豊富で、

 この仕事でもここで指揮をしていました」


 エンリックも疑っていたが、

 ミラードの説明でも分かる。


「そうか、残念だ。会ってみたかったな」


 持久が弱点となる高速戦闘型ならともかく、

 長期戦にも対応した万能型の熟練者が、

 貪狼ごときに後れを取るだろうか。

 そんな不運を想定するより、

 貪狼を呼び込んだ者の手で、

 四肢を落とされ貪狼の群れに放り込まれた、

 そんな可能性を想定して行動した方がいい。


 他殺を疑っている者は僕だけではないはず。

 ミラードはどう思っているのだろうか?


「気が合うかは分かりませんが、

 バーノウトはあなたのような人のこと、

 嫌いではなかったでしょうね」


 青年は目を細めて笑った。


「あの人は商会長が好きでしたし、

 あなたは昔の商会長によく似ていますから」


「勘弁してくれ、それだけは言われたくない」


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