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第一話 光の別名

第五章開始です。



 長い階段を降りた僕たちは暗闇に出た。


 まとわりつく空気はジメジメと湿って、

 得体の知れない物質の匂いがした。

 呪いが皮膚から染み込んでくるようで、

 どうも落ち着かない気分だ。


 どこかから水音がしていた。

 足を踏み出すたびに地の高さが変わる。


 段差があり、低いところに流れる水があるのだ。

 気をつけていなければ足を挫いてしまうだろう。


 足元はざらりとして薄く泥がある。

 泥の厚みはないに等しいが、

 靴底に粘着質の抵抗があり、

 つまづきには注意が必要だ。


 道幅は広いが障害物も多い。

 巨大機器が周辺設備と併せて並んでいるのだ。

 この大陸の規格でユニットにされているため、

 どのような機能を果たしたのか、

 外から見ただけでは分からない。


 おそらく僕が歩いている平面も、

 そもそも道ですらないのだろう。


 見上げる上方には柱や廃材が浮かんでいる。

 天井近くには重力がない区画があるらしい。

 上空まで跳び上がるなら注意が必要だ。


 周囲では魔物の威嚇が響く。

 人間の怒声も混じっている。


 階段下にいた傭兵に案内されて傾いた柱を登る。

 縛りつけられたロープを足掛かりに上へと進む。


 仮設陣地はユニット上に構築されていた。

 大型電気灯が四囲に突き出している。

 光は強烈で遠くまで届いている。

 暗闇の方がそれでもまだ広いが、

 ないよりは遥かにマシだった。


 中央には食料や水、補給物資が積まれている。

 その周りでは傭兵が腰を下ろして休んでいた。


 大柄な赤毛の青年は拠点の端に立って、

 一帯を見渡しているようである。

 振り向いたエンリックは微笑む。

 

「よく来てくれたね、フレア。

 ……それにラッカードも。

 生憎もてなしになるようなものはないが、

 ゆっくりしていってほしい」


 僕たちはエンリックの立つ端まで行くと、

 その視線の先を見る。

 貪狼の群れだ。

 まるで地を埋め尽くすように蠢いている。

 闇に紛れて総数は分からないが、

 おそらく三百は越えている。

 フレアの視力なら把握できているだろう。


(様子はどうだ?)


 準備を整え、地下へと入った探索者たちは、

 その場で足止めを食わされていた。

 そこには巨大な貪狼の群れが存在したのだ。

 傭兵たちは再び、一丸となって、

 貪狼退治を始めることになった。

 それが半日前の話だ。


(大型個体が複数います)


 女王が複数……


(上にいたのは一部だったんだな)


 厳しい表情でフレアがエンリックに問う。


「本当にここにいるだけでいいのですか?」


 今にも飛び出しそうな勢いだ。

 だがエンリックは静かに頷く。


「その通りだよ。何もしないでいてほしい」


 傭兵たちは飛ぶように空中を駆けている。

 ベルトの傭兵の長所は機動力にあり、

 足を止めての防衛には向いていない。

 その真の力は遊撃戦において発揮される。


 傭兵の戦術は貪狼に似ている。

 

 魔物を多人数で撹乱し隙ができた瞬間、

 死角にいる者が全力の一撃を叩き込む。


 最もリスクの高い突撃役が最も安全になる。

 悪くない伝統だ。

 だが最上級の戦士はこの戦い方を選ばない。


 巨大な武器を携え、単独で飛び込むのだ。


 その姿は疾風のような軽功で戦場を駆け抜け、

 速度が生む破壊力で一方的に蹂躙する戦車だ。


「ここは彼らに任せてやってくれないか。

 鬱憤がたまっているんだ。

 足手まといがいなければ、

 貪狼ごときに遅れをとるはずがないと」


「足手まといだと!」


 整備中の技師たちは手を動かしながら怒る。

 休憩中の傭兵は何も言わず、へらりと笑う。


「彼らも一流だ。

 貪狼の群れなど本来ものともしないほどに」


 エンリックの言う通りだ。

 守るべき者を気にかけず、

 一本の槍として走り抜ける探索者の戦力は、

 足を止めた状態とは異なる次元に到達する。


 十分後――


 エンリックに説得されたフレアと共に、

 僕は傭兵たちの戦いを見守っていた。

 

 まるで全力で投げられたつぶてのように、

 空間中を跳ね回っている。

 巨大な武器を扱いながら、

 その重量を感じさせない。

 しかも地を蹴るまでもなく、

 空中で持続的に加速できるから、

 速度が衰えることもない。


(私にはやはり重力制御のように思えますが、

 本当にそうではないのですか?)


 黙って見ていたフレアが呟いた。

 またそれか。


(その話はもう随分と前に済ませたはずだが、

 まだ足りないことがあるのか?)



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 五ヶ月前――


(お前の言うとおり、重力制御だとしよう。

 だが自分と自分の触れているものだけを、

 選択的に重力制御下におくことができるのか?

 トールハンマーが作るフィールドは、

 小刻みに方向を変えるものを、

 そこまで精密には追えない。

 異なる要因が作用していると考えた方がいい。

 お前にはどう見えているんだ?)


 夜の自室で僕とフレアは、

 地下で見た傭兵の動きについて話をしていた。


 アリスに雇われ真竜討伐に参加した傭兵は、

 アルテミスでも上位の者たちだ。

 彼らの技を見たフレアは、

 それを重力操作だと考えたのだ。


(彼らが戦闘態勢に入った後、

 武器の変形率が僅かに減少していました。

 支える重量が減少したのでしょう。

 跳躍が描く曲線も重力制御を示しています。

 滞空中に高度がほとんど下がりません。

 明らかに何らかの力が働いていました)


(だが重力フィールドは発生していなかった)


 超越駆動器の重力操作は空間を対象にする。

 トランスポーターと同じだ。

 その操作圏では死者の行進が必ず生まれる。

 どれほど運動を精密にトレースしたとして、

 境界付近で観測されないことはあり得ない。


(確かにフィールドは観測できませんでしたが、

 体内にあると考えれば不思議はありません)


 人体の内部は無理か……

 どういうセンサーなのか。


(彼らの動きを見たセントラルの科学者も最初は、

 トールハンマーが何かをしていると考えたよ。

 だが最後にはその仮説を放棄するしかなかった。

 手持ちの機械弓の重量も軽減されているのは、

 どう説明するんだ?

 武器の周りにフィールドは見えているのか?)


(それは……)


(それに上位変異持ちの肉体をどう説明する?

 構造は通常の生物と変わらないのに、

 耐久力も出力も全く違うあいつらを。

 特殊な生体エネルギーを一つ仮定した方が、

 矛盾なく全てを説明できると思わないか?)


 フレアは目を細める。


(自分たちは超能力者だと?)


(僕たちは気と呼んでいる)


(気、ですか。陰陽五行の?)

 

 茜色の少女の問いに僕は頷く。

 

(その通り。シンといったか、インといったか、

 定期的に王朝を変えていった易姓革命の国の、

 陰陽五行、風水のエネルギーで合っている)


 気の概念はネオブッディズムの世界の一部だ。

 大地を循環する不可視の力の流れ、

 集合と離散を繰り返す万物の元素、

 全ての現象の背後に隠された構造。

 技師にとっては擬似的な原子概念であり、

 宗教にとっては永続思想を支える基盤となる。


(ベルトの気功は確かに超能力に似ているが、

 そういう力とも少し違う。

 気の力は世界の力なんだ。


 僕たちの内側には何の秘密もなくて、

 取り巻く世界にこそ力が満ちている。

 僕たちはそう感じている。


 地球には気功という名の格闘術があり、

 呼吸で取り入れた気を操作することで、

 時には羽毛のように軽く、

 時には鉄のように頑丈になれたという。


 そのおとぎ話がベルトでは現実になっている。


 ベルトの人間の身体の中には気の流れがある。

 外から入り込み、内を巡り、外に還っていく。

 その流れの変化が肉体を変化させている。

 僕たちはそう考えているんだ)


 フレアは難しい顔で僕を見た。


(変異持ちもそうなのですか?)


 フレアの問いに僕は頷く。


(魔物の頑丈さや力強さは、

 自覚のない気の作用だね)


 自覚がないのだから、

 否定しようもない。

 フレアが目を細める。


(では傭兵たちも魔物の一種なのですか?)


 僕は首を振る。


(気の流れに干渉する力そのものは正しい力だ。

 ネオブッディズムにとって気とは光の別名。

 地球の価値観で見れば、

 気功使いも変異持ちも同じく化け物だろう。

 理解しがたい存在だ。

 でもネオブッディズムの教えは明確に、

 人の本質が光であることを認めている。

 少なくともベルトでは彼らは単なる人だよ)


 自在に宙を舞う羽毛の軽さ。

 鉄の強度と機械の出力。

 全て、気が肉体に作用した結果だ。

 魂と肉体は異なるものだが、

 始まりを見れば同じ源から流れ落ちたもの。

 この光であり肉である原初のものの、

 直接的な顕れがベルトの気だった。


(随分と恣意的なのですね)


 この強引な説明を教義にしたのは、

 当時の戦場上がりの指導者だった。

 仲間への友情もあっただろう。

 だがよい選択だったと思う。

 危険な存在を正規兵とすることに成功したのだから。

 変異持ちと気功使いの両方を敵に回していたなら、

 当時の弱々しいベルト政権はまず滅んでいただろう。


(姿は人のままだからな)


 たぶんそれがたった一つの理由だ。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 全力を出した上位傭兵の力は凄まじいものだが、

 その最大値を維持できる時間は限られていて、

 限界まで持てる力を出しきれば、

 しばらくまともに動けなくなる。


 拠点は傭兵の休憩場所だ。

 傭兵は水と食料を補給し、

 体力を回復させている。


「おう、フレア。あんたも来ていたのか!」


 身体がすっぽり隠れるような大荷物を、

 軽々と担いだ変異持ちが登ってくる。

 深い緑に輝く髪、二本の大角――

 

 レイシャだ。


 尻尾を揺らしてバランスをとりながら、

 細い登り道をひょいひょい渡りきると、

 空いた場所に荷物を下ろす。

 補給物資だ。


「すごい数だよな。数えきれないぜ」


「あなたは行かないのですか」


 レイシャは笑う。


「我慢してんだ。あんたはどうなんだよ?」


「必要ないと言われました」


「そういうこったな」


 その時だった。

 戦場から跳んで帰ってくる傭兵がまた一人。

 緩やかな弧を描いて長距離を一またぎ、

 空中で減速しながらふわりと着地した。

 熟練の重力制御である。


「お前らは……

 エンリック、てめえが呼んだのか?」


 大剣を置いて、銀髪の老人は言った。

 ハリー・ケイン・アーガイル。

 傭兵たちの頭目だ。

 エンリックは微笑んで答える。


「保険だ。それくらいはいいだろう?」


「文句なんてねえよ」


「約束する。彼らは戦わせない」


「気にするな。危ないと思えば出してくれ」


「そんなことはありえない。そうだろう?」


「そのつもりだがね」


 老人は水を飲み、

 干し肉をかじり、

 それからフレアとレイシャを見た。


「あんたらは強い。

 それはもうみんな分かってる」


 決闘の前のことを言っているのだろう。

 フレアは静かに聞いている。

 レイシャは寝ていたから、

 分からないかもしれない。


「だが、俺たちも強い。

 そいつを見てほしい」


 フレアが不思議そうに言う。


「もう知っています。

 あなたがたは強い」


 僕は笑い出したくなる。

 本気ではあるのだろう。

 だがその声には別の声がつきまとっている。

 フレアにそんなつもりはないのだろうが、

 おそらくハリー・ケインは聞き取っている。


 私ほどではありませんが……

 という声を。


 今の彼女は僕が最初に教えた基準を捨て、

 ドラゴンレイスから得たデータを基準に、

 能力の上限を決め直していた。

 

 あれは上位変異持ちの中でも例外中の例外だ。

 あれを基準にした時点で敵う人間などいない。


 そんな上位者が評価をする時、

 下位の者は傲慢さを自然と聞き取ってしまう。

 礼節という名の偽りが必要な理由だ。

 ハリー・ケインも苦笑いを浮かべた。


「あんたから見りゃ結局そうなんだろうが、

 まあ、頼んだぜ」


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