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第四話 死地の城砦



 まだ小さく弱い子供だった頃、

 少女は柵の中で暮らしていた。


 鋼の大地を貫く聖樹。

 見上げる天井を覆い尽くす巨大な幹と根。

 そこはスターライトを遮る大樹の陰にあり、

 荒れ狂う神威によって守られた牢獄だった。

 その古き聖域で、少女は誕生する前から、

 一つの運命を生きていた。



 十年前――



 引っ込み思案の少女は少年に出会った。

 透き通るような金の髪の男の子――

 少年はその日、柵の外からやってきた。


 少年が何者だったのか。

 なぜここに来ることになったのか。

 少女は何も知らなかった。

 少年も何も知らなかった。


 それは確かにありえないことだった。

 神官でもない少年が、

 ここに入り込むことは不可能に近く、

 滞在し続けることは更に難しかった。


 少女が少年と共にいた時間は短かった。

 しかし少年はその行動でたくさんのことを、

 謎かけのようにして教えてくれた。


 生きることはサイコロを振ることだよ。

 だが、だからこそ、いいんだ!


 少年は自信満々にそう言うのだけれど、

 少女には何がどうしてそう言えるのか、

 さっぱり分からなかった。

 それでも信じていた。

 そこには何か意味があるはずだ。

 そうでなければ、

 どうしてあんな熱心に教えてくれたのか、

 分からなくなってしまう。


 少年は眩しかった。

 何の根拠もないのに何でもできるという、

 そんな不思議な自信に溢れた少年だった。

 彼のようになりたいと思った。

 彼に近付きたいと思った。

 それは憧れだったのかもしれない。

 でもそれだけではなかった。

 彼の声を聞きたかった。

 彼の姿をもう一度見たかった。

 それは親しい仲間に感じるものとは似ていない。

 血の繋がりのあるものへの感じともどこか違う。



 どうにかそれを形にするなら――









 その時だった。



 ――?!



 何かが身体の内を閃光のように走る。

 次の瞬間、衝動が意識を突き抜けた。





 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 腕から響く、肉を裂く感触――


 鈍い痛みが頭全体を襲う。


 思考の働きが、

 まばたきをした一瞬で鈍ったようだった。

 そうだ、あたしは今も戦っていたはず――

 右の大槌は最初に構えた下段から動いていない。

 というより足元に置いた状態のままだ。


 一体何が…… って、ああ! そういうことか。


 左手にはなぜか小剣が握られて、

 その刀身は迫る貪狼の鼻先を切り裂いていた。


 あたしは大鎚を杖代わりにして、

 一瞬の休憩をとっていたらしい。

 そして眠りこけた頭に代わって、

 身体が窮地を救ってくれたのだ。


 だがまだ危機は去っていない。

 眼前の魔物は一瞬怯んだだけだ。

 既に体勢を整え直して反撃の準備を終えている。


 大槌の柄を握る右手に力を込める。


 貪狼はレイシャの喉笛へ一直線に突撃してくる。

 刹那に身体を傾けて、突撃を避ける。

 全身を捻るように大槌を跳ね上げ、

 最短軌道で加速! ぶち当てる!


 手ごたえは十分だった。


 弧を描いて魔物は地に落ちる。

 毬のように一度跳ねて、

 後はもう動かなかった。

 視線を切って、周りを見渡す。

 生き残った僅かな傭兵たちは、

 まだ抵抗を続けていた。


 だがその動きは疲労に侵され、

 いつものキレには程遠い。

 足元に散らばる死骸のほとんどは魔物だが、

 人の一部と思しきものも混じっていた。

 それは確かに絶望的な光景だ。

 だがレイシャは笑う。

 心のどこにもまだ諦めは生まれていない。

 なんだか割とどうにかなりそうな、

 そんな気がしている。

 それが誇らしかった。


 あたしは、確かにあたしだ!


 レイシャは大槌を担ぐと戦場へと踏み出した。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 そこは天と地を鋼によって画された迷宮の一画、

 所狭しと枝葉を広げる木々に占領された空間の、

 ぽっかりと開いた空白地帯にその城砦はあった。


 城内の一角には地下水路へと繋がる大穴がある。


 その大穴の上――


 周囲から伸びる四本の支柱に支えられた、

 直径三十メートルほどの円形の足場が、

 宙空に浮かぶ船のように存在していた。

 それはテーブルと呼ばれている。

 城内の生存者はもうそこにしか残っていない。


 テーブルと周囲の建物を繋ぐ橋は三つあったが、

 その二つは生き残った者の手で落とされていた。

 残る一つも破壊が試みられたが、

 頑丈すぎて落とせなかった。

 現在の主戦場はその残った最大の橋の上だった。


 レイシャはその防衛の一翼を担っていた。

 幅四メートルほどの橋は乱戦状態だ。

 魔物に撤退の気配はない。

 これだけ頑強な抵抗を受ければ、

 普通はどこかで諦めるものだ。

 何もかもがおかしかったが、

 考えるのは後!


 まずはでかい奴からだ!


 橋の奥で瀕死の傭兵に止めを刺そうとしていた

 大型の衛兵個体の、その間合いに、

 一足で飛び込んだ少女は、大槌で頭を叩き割る。


 肉を潰し、骨を砕く感触。魔物は動きを止める。


 レイシャはそのまま大槌を放り出し、

 腰に差した両の小剣を引き抜く。


 巨体がぐらりと倒れていく。


 それを背後に次の相手へ斬りかかる。

 迫り来るのは腰より低い位置を走る小物の群れ。

 彼らを捌くなら、手数は軽くとも多い方がいい。

 突進するレイシャは双剣を閃かせる。


 戦闘可能な傭兵はもう数えるほどしかいない。

 橋の上には魔物と人の屍肉が山と積み上がる。

 流れ出した血は排水溝から水路へ落ちていく。


 周囲で小物との戦いを続ける探索者たち――

 そこに立つのは傭兵の類だけではない。

 戦闘技術のない技師寄りの山師も戦っていた。

 災厄は人を繋げる。

 普段は派閥に分かれて対立し合っている彼らが、

 今は互いを助け合いながら戦い続けていた。


 変異持ちもその中にいた。


 レイシャは橋の上を縦横に跳び、

 無造作に魔物を刈り取っていく。

 止めを刺しきることよりも、

 爪牙を奪うことを優先する。

 戦闘能力を断ち切っておけば、

 仕留めるのは他の傭兵たちに任せればいい。


 今にも気を失いそうに眠いが、

 体力はまだまだ十分に残っている。

 だから斬り続ける限りは意識を失わずに済んだ。


 気付くと、

 押し寄せ続けていた魔物の波が途切れていた。

 魔物の血に染まったフロアの中心で、

 レイシャは遂に動きを止める。

 もう斬れるものは何もない。

 現在の中心である老傭兵が、

 全員に休息をとるように告げた。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 戦闘が終わるとすぐに、

 人と人の間の境界線は息を吹き返し、

 人と人、人と変異持ちの間に距離を作っていく。

 それでも普段よりは随分と近いままだ。

 変異持ちの集団と人の集団は僅かな距離を保ち、

 話はしないが、同じ場所に座り込んで、

 怪我の治療や武具の整備を行っている。


 テーブルの中心からは、

 空きっ腹を刺激する強烈な匂いが漂ってくる。

 そこでは新鮮な魔物の肉が焼かれていた。

 人間の傭兵はどこか嫌そうな表情で、

 しかし空腹には勝てず、それを口に運び、

 一口食べると、その手はもう止まらなくなる。

 もちろん変異持ちには少しも珍しくないものだ。

 何の躊躇いもなく、かぶりつく。

 しばし無心に空腹を満たしたレイシャは、

 ふと手を止める。

 とろんとした頭で周りを見回し、

 がっかりした後に、

 自分が何をしていたのか気付く。


 人を探していたのだ。


 あいつの姿がない。

 もしかしてさっきの戦いで死んだのだろうか?

 とはいえ死体の山の中にもその一部はなかった。

 まだどこかで生きているとは思う。

 橋の側には見張りに立つ山師二人がいるだけだ。

 レイシャは少し考えた後、

 テーブルの隅にある倉庫に向かった。


 倉庫の中の薄闇―― 探し人はその奥にいた。

 膝をつき埃に塗れて真っ黒になった少年が、

 黙々と手元の帳面に何かを書きつけていた。


 少年の名はクリス。

 クリス・オルトン。

 商会の会計係だ。


 背中に声をかけようとして少し躊躇してしまう。

 少年はその僅かな間に後ろの気配に気付いたか、

 膝の埃を払うと立ち上がり暗闇の外に出てくる。


 天井からの光に照らされて金の髪が輝く。

 顔を半ば隠すほどに長く伸びた髪から覗く瞳は、

 レイシャと同じ深い緑を帯びていた。

 中性的な顔立ちには僅かに険がある。

 だが整ってはいた。

 その小柄な身体は

 少女と見間違えるほどに華奢で、

 そんな見た目の割に頑丈だった。

 レイシャを見上げると、

 少年は鬱陶しそうに表情を歪め、

 それから取り繕うように微笑む。


「何かご用ですか、トカゲ女さん」


「あんたの姿が見えなかったから。

 ここだろうと思ってさ」


 レイシャは瓦礫に腰かけると、

 少年に焼けた肉を一つ渡す。

 串を受け取った少年は、

 倉庫の壁に背中を預けて腰を下ろす。


「じじいが次の群れが来るまでに、

 消耗品の残りを数えておけと言ってきたんです」


 少年は倉庫番として物品管理を請け負っていた。


「へえ、どのくらい持ちそうなんだ?」


 少年は肉を喰らいつつ言う。


「もって明日まででしょうね」


「そいつは短えな」


「これでも余裕を持って備蓄していた分、

 長持ちしている方なんですから。

 それにそれでも物資がなくなるよりも早く、

 皆さんの体力がなくなっているはずです」


「言い訳するこたあねえよ。

 あんたはよくやっている。

 おかげであたしたちは生き残れてるんだから」


 レイシャは付け加えた。


「それにあんたへの貸しはちゃんと別にある」


「別に?」


「あんだ? 分からねえのか?

 そもそもの始まりを考えてみな。

 あたしをここに連れてきてくれたのは誰だい?」


「それは…… それはともかく、

 今の窮状は完全にバーノウトの親父の失策です。

 私はやめておいた方がいいと言ったんですから、

 文句があるならあいつに言ってやってください」


「笑えねえ冗談だぜ。

 死人に文句を言っても何も変わりゃしねえだろ」


 その時だった。橋の方から怒声が上がる。


「次の群れが来たようですね」


 レイシャは立ち上がると背を向ける。


「よっしゃ!

 最後の一足掻きといこうじゃねえか!

 全く大した引退戦だぜ、なあ?」


 少年はため息をつく。


「あなたも、私のこと、恨んでいるんでしょうね。

 こんなことに巻き込まれたのは私のせいだって」


 少年の問いにレイシャは振り返ると笑う。


「確かに後悔したくなる状況だぜ」


「そうですよね」


 少年の声に重ねるようにレイシャは言う。


「でも、あたしは何も恨んじゃいねえぜ。

 幸運に感謝しているくらいさ」


 少年は目を細める。

 レイシャは続けた。


「んなこと考えるよりも、仕事だぜ!

 まず生き残ろう。まだ死ぬ気はねえんだろ?」



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 半人半竜の魔物憑きは笑って見せて、

 戦場へと走って行った。

 クリスは見送ることなく倉庫に戻る。


 全く呆れたものだ。

 そう思う。

 いったいどうしたら、

 あんな頭空っぽの馬鹿が出来上がるのだろうか。


 こんなことに巻き込まれるなんて、

 不運以外の何ものでもない。


 クリスはぶつぶつと呪詛を吐く。


 ここ三週間、ろくでもないことばかりだった。

 どうして自分ばかりがこんな目に遭うのか。


 クリスはしばらく毒づき、そしてため息をつく。

 何もかもが厭わしく、思い通りにならなかった。


 全くどうしてこんなことになってしまったのか。


 クリスはのろのろと仕事を再開した。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 レイシャはふと足を止め、振り返る。


 少年は何やらぶつぶつ毒づきながら、

 とぼとぼ倉庫へ戻っていくところだ。


 彼は随分と現状を嘆いているようだったが、

 レイシャはこの悲惨な地獄に居合わせたことを、

 不運だとは感じていなかった。

 レイシャは運命の存在を信じてはいなかったが、

 ある種のめぐり合わせはあると思っていた。


 あたしはここに引き寄せられ、

 この場の中心の一つになった。

 ならば、そこにはきっと意味があるはずだ。


 あるかもしれない。

 ないかもしれない。


 でもありえないと思っていたことが起きたなら、

 それを手放してはならない。

 そうすればありえないことはもっと続いていく。


 かもしれない。

 そうじゃないかもしれない。


 でも、そうであってほしい。

 だから――


 レイシャは少年と出会った日を思い返した。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 一週間前――


 完全武装の少女は、一人荒野を駆けていた。

 深緑の瞳の竜属の少女、

 緑鱗のレイシャである。

 二つ名の少女は、お見合いをすっぽかして、

 教会の奥から逃げ出して来たところだった。


 あれからもう十年が過ぎた。

 レイシャは過ぎた時を思う。


 あたしは今あの牢獄から遠く離れた地にいる。

 あれから少年とは二度と会うことはなかった。

 だがあの場で殺されたはずはない。

 あの少年がそう簡単にくたばるはずがない。

 ひょっこりと顔を出してくれるはずだ。

 レイシャはそう信じていた。


 会いたかった。


 別に仲よくしたい訳じゃない。したいけど。

 でも、そうじゃなくてもいいから、

 もう一度だけ会いたかった。

 あの場を無事に逃げ延びて、

 どこかで生きているのだと確かめたかった。


 だが、どこかでは諦めかけていた。

 諦めようとしていた。もう二度と会えないのだ。

 彼はあの混乱の中で死んだ。

 それが現実なのかもしれない。いや現実なのだ。

 レイシャは自分にそう言い聞かせることで、

 未練を断ち切ろうとしていた。


 わがままなのは分かっていた。

 生まれた意味も知っている。

 それを投げ出すつもりはない。

 それでも、もう少しだけ、

 諦めるための時間がほしい。

 だから少しの間だけ、わがままを許してほしい。


 現実から少しでも遠ざかるために、

 変異持ちの少女は鋼の荒野を飛ぶように駆けた。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 荒野の瓦礫の彼方に大型の倉庫の姿が現れる。

 その周囲には偽竜が何頭も並んでいた。

 店内は酒の匂いの漂ういつもの空気だ。


 馴染みの傭兵や山師たちをあしらい、

 変異持ちの区画へ向かう。

 そこは二つに別れている。

 狩人出身の傭兵たちと運び屋たちだ。

 それぞれ喧嘩することはないが、

 関わることなく仲間内で騒いでいる。

 両陣営に挨拶しつつ通り抜ける。

 酒場の雰囲気は居心地がいい。

 そこには教会にはない解放感があった。

 レイシャはこの空気が好きだった。

 儀式が終わってしまえば、

 ここに来ることもできなくなるだろう。

 レイシャの本来の権能は武に限るものではない。

 それはレイシャの受け継いだものの中でも、

 最も意味のない余禄である。

 鍛えた力を自在にふるうのもこれが最後になる。

 少女は酒場の空気をしばし満喫した後、

 何かいい仕事はないかと物色を始めた。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 傭兵が仕事を得る方法は幾つかあるが、

 駆け出しの傭兵が最初に体験するのは、

 おおよそ酒場での募集だ。

 常設の護衛を持たない零細の商人の仕事や、

 常設の数だけでは不足の場合の追加募集のため、

 酒場では傭兵の募集が常に行われている。

 とはいえ、数時間以内に出発、かつ長期の拘束、

 という条件となると、なかなかない。

 というより、そんな募集は何かがおかしいのだ。

 今すぐ受けられそうな依頼となると、

 日帰りのものばかりだが、

 そんなものを受けても、

 帰り際に爺どもに捕まるだけだ。

 しかし数日がかりの依頼は、

 最短でも明日以降の出発でやはり意味がない。

 とはいえそれは最初から分かっていたことだ。

 望み過ぎては何も得られない。

 レイシャは妥協を考え始める。


 その時だった。


 視野の隅を何かが過ぎる。

 誰かが募集の窓口で食い下がっている。

 全く相手にされていないのだが、

 それでも粘っている。

 普段なら気にも留めないような光景だ。

 だがちらりと気まぐれに一瞥した瞬間、

 レイシャは注意の全てを奪われていた。


 そこに立っていたのは、

 透明な金色の髪の少年だった。


 レイシャが呆けている間も、

 少年は変わらず喚き続けていた。

 その言葉の内容は常識外れのことばかりで、

 少年の様子は何かが違ってしまっている。

 レイシャの知る彼ではなかった。

 だが背中はそのままだった。

 彼が成長したならそうなるだろう姿をしている。


 こんな運命があって、いいのだろうか。

 そして次の瞬間、己の間違いに気付く。


 振り返った少年の顔に宿る感情は、

 あまりに荒んでいた。

 明るく朗らかだった彼とは全く似ていない。

 そして何より、

 あの少年の瞳は深い群青だったが、

 この少年の瞳は明るい緑だ。


 似ている。だが違う。

 この少年はあの少年ではない。

 物語のような運命なんてあるはずもない。


 少年の言っていることは無茶苦茶だ。

 傭兵を集めたい、というのはいい。

 だが行先は不明、期間も未定、前金もなし、

 しかも出発は集まり次第即時だという。

 どれほど高額の報酬を約束されようと、

 そんなふざけた依頼に応じる者などいない。


 少年はどうにもならないと諦めきっていた。

 それは妥当な未来予測だ。

 だがそれでも勧誘を止めることはなかった。


 それだけで十分だった。

 レイシャは微笑む。

 そして自分の最後の仕事を決めたのだった。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 続く少年の勧誘に、強引にレイシャは割り込む。


「てめえは常識知らずもいいところだな!

 そんなんで人を集められる訳がねえじゃねえか」


 少年は言葉を止める。


「……何か文句でもあるんですか?」


 レイシャは見物人をかき分けて前に出ると、

 にやりと笑ってみせる。


「大ありさ! 分からないとは言わせねえぜ。

 ジョセフ・カーウィンと言えば大物さ。

 あたしは関わったことはねえが、

 アルテミスで傭兵をしていて、

 その名を知らねえなんてことはねえし、

 尾鰭のつきまくった評判と、

 裏腹に堅実な仕事ぶりもよく知ってる。

 で、みんな思ってるのさ。

 こいつはカーウィンの仕事にしちゃあ、

 どう考えても、手抜きすぎるってな!」


「……何が手抜きだっていうんですか」


「秘密の依頼ってのもそりゃあるだろうが、

 そういうものは前金をたんまり弾むのが、

 常識ってものだぜ。

 カーウィンがその程度気を回せないとは、

 到底思えねえ。


 あんた、前金はどうしたんだ?


 言っとくがな、

 確かに商会の金をどう使うかってのは、

 あたしたちの知ったことじゃねえぜ。

 でもあたしたちへの無作法はそうじゃねえ。

 だから、こいつが上からの指示なのか、

 あんたの独断なのか、確かめたいんだ」


 少年はただ呻く。


「で、どうなんだい?」


 レイシャは少年の様子を窺う。

 よく分からなかった。かまをかけてみる。


「まさか、使い込んじまったのかよ、

 怖いもの知らずだな」


「そんなことしません。はめられたんです!」


 少年は激したように言う。


「はめられただあ? 何を馬鹿なことを……」


 レイシャは言葉を途中で止めた。


 それはあからさまに怪しい。だからこそ、

 最初から疑うのは止めよう。そう思った。


「……詳しい話、してみろよ」


 少年は僅かに躊躇い、

 それから観念したように話し始めた。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 クリスが語った物語は単純なものだ。


 クリスは確かに、前金の手形を、

 カーウィンから受け取っていた。


 その場で貴重品袋に封じこの酒場まで来たが、

 到着後に確かめると袋の中には何もなかった。

 どこで失くしたのか、クリスにも分からない。

 ただ状況から考えると、

 誰かに袋から抜かれたと考えるしかなかった。

 振り返ると、それが可能な状況にされていた。


 それだけのことだった。


 明確に辻褄の合わない部分はないはずだが、

 しかし証拠も全くなかった。


「確かに前金はありません。でもそれも含めて、

 仕事が終われば、全額を支払うと約束します」


 クリスは語り終える。緊張に手が震える。

 加速した心臓の鼓動が大きく響く。


「ふうん」


 魔物憑きの少女は少し考え、

 それからカウンターの奥の老人に目を向けた。


「なあ、じいさんよ。

 こいつの雇い主がカーウィンだってのは、

 まず確かなのか?」


 老人は頷く。


「ここ七、八年はずっとあれの下にいたよ。

 今どうかは知らんがね」


「そこはデタラメじゃねえんだな」


 少女はクリスに向き直る。


「話は分かったが、

 金がねえと、どうしようもねえのは確かだぜ。

 さすがに前金なしでこの依頼は受けられねえ。

 どうしたもんかな」


 そんなことは分かっていた。

 まだ諦めていないふりをしていたのは、

 ここで見ている誰かが、

 その諦めをカーウィンに知らせないか、

 恐れていたからだった。

 だが限界はある。

 やれることはもう全てやった。

 ここで諦めたとしても、

 責められる謂れはないはずだ。

 もういいのだ、ばっくれよう。

 そう決めた瞬間だった。


「いいぜ。あたしがケツを持ってやる」


 その声が何を言ったのか、

 しばらく分からなかった。

 それから遅れて理解が訪れる。

 しかし相変わらずその意図はまるで掴めない。


 少女は傭兵たちに向き直る。


「お前ら、こいつは、前金は欠片もねえが、

 この緊急の依頼に見合うだけの金額は、

 必ず全額支払うって言ってやがる。

 その額自体はいっぱしの儲け話だ。

 太っ腹と言っていい。

 とかく嘘くせえ話だが、

 何と言っても、あのカーウィン殿の依頼だ、

 行けば取りっぱぐれるってことはねえさ。

 確かに危険を冒して実入りがねえのは辛い。

 危ねえ話にはそりゃあ腰が引ける。

 だから……」


 傭兵たちは戸惑っている。

 クリスと同じでいきなりのことに、

 思考が追いつけていないのだ。

 魔物憑きの少女はさらりと告げる。


「こいつの話が嘘だったって時は、

 あたしが前金分は持ってやるよ」


 い、いったい何を……?


「なあ、おやじ!あたしの金庫、

 どのくらい入ってるよ?」


「ま、そのくらいは優にあるじゃろうが、

 だが、こんなことに使っていいのかね」


「全く構わねえさ」


 彼女は笑うと傭兵たちに向き直る。


「ほらな、お前ら、損はさせねえぜ?

 あとはもちろんだがあたしも出る。

 このあたしが戦う戦場では、

 そう簡単には死なねえぜ」


 あんたがそう言うならそれでもいいぜと、

 男たちが少しずつ集まり始める。

 口をはさむ暇もなく状況は変化していく。


「で、どうすんの?

 別に契約を取り交わすわけでもなし、

 あたしの好意を受けて、

 あんたに損が出ることは何もねえぜ」


 傭兵たちの姿を横目に少女はクリスを見た。

 クリスは交錯する情報を頭の中でまとめる。

 今起きているのはこういうことだ。

 彼女はなぜだか知らないが、

 クリスが払えない金を、

 自分が保証すると言っているのだ。

 見ず知らずの人間にそんなことをするのは、

 ただの馬鹿か、そうでなければ……


 意味が分からなかった。

 少女を見る。

 彼女は笑顔をクリスに向けている。

 何か、苛立たしさを感じた。

 その笑顔には何かがあった。

 狙いは分からなかったが、

 その感じは既知のものだ。


 差し伸べられる手、

 値踏みする目つき、

 恩着せがましい声、

 吐き気がする。

 何が好意だ。

 感謝すりゃあいいってのか、

 それで何かを与えたつもりかよ。

 最悪の気分だった。

 それでも返事はせざるを得ない。

 全く忌々しい限りだが、

 今は他に道がなかった。

 クリスは小さく毒づき、

 それから笑顔をどうにか作り上げる。


「ありがとうございます。

 本当に困っていたんですよ。助かりました」


「どうってことねえさ。

 よし、それじゃ一仕事と行こうじゃねえか」


 魔物憑きの少女は朗らかに笑った。


 少女が動き始めるや、

 あっという間に人も物も揃ってしまう。


 二頭の偽竜の荷台に満載の補給物資と、

 武装を担いだ傭兵たちが十五人。

 今までの苦労は何だったのか。

 クリスは嘆息する。


 偽竜が歩み始めた。


 酒場は後方に去り、

 キャラバンは道なき荒野に突入する。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 陰りかけたスターライトの降り注ぐ道中、

 御者席で手綱を取るクリスは、

 幌の中のざわめきを背に、

 偽竜を進ませる。


 ふと何かを感じて背後を窺う。


 後ろの偽竜の幌から、

 誰かが乗り出そうとしている。

 次の瞬間、影は荷台からひょいと跳び上がると、

 空間上になだらかな放物線の軌道を描き、

 クリスの隣にふわりと着地した。


 ゆらりと揺れる尾、

 ぬらりと輝く鱗まみれの無骨な四肢――


 鱗と角と尾を持つ半人半竜の少女だった。


「……何かご用ですか?」


「まあな」


 彼女は御者席の空きスペースに腰を下ろすと、

 笑みを浮かべながらにじり寄ってくる。


「とって喰おうっていう訳じゃねえんだ。

 そう逃げるなよ」


 気付くと、

 身体が勝手に距離をとろうとしていたが、

 御者席に逃げる場所などほとんどない。

 少女はクリスの隣につくと言う。


「なあ、あんた……

 以前どこかで会ったことはねえかな?」


 一体何を言い出すのだろうか。


「覚えがないのですが……」


 だが彼女は信じていないようで、

 嘘を見抜こうとするように、

 クリスの表情を覗き込んでくる。


「本当にそうか?」


 その声はどこか不信の念が篭っている、

 でも最初から知らないものは、

 思い出したくとも思い出せる訳がない。


「はい」


「本当の本当に?」


 クリスは頷く。頷くしかない。

 魔物憑きの少女は僅かに目を細めた。


「もしかしてよ……

 しらばっくれてるんじゃねえよな?」


「覚えていないのは本当なんですが……」


 クリスはその魔物憑きの姿を見直す。


 彼女はクリスより頭二つ分は背が高い。

 一見痩せているようにも見えるが、

 よく見れば、そうではなかった。

 鱗に覆われ一回り太い四肢のために、

 生身がほっそりとして見えるだけで、

 それは実際には鍛え抜かれた筋肉を、

 鎧のように纏った戦士の肉体だった。

 それは魔物憑きの特性ではなく、

 端的に彼女の努力の成果である。

 先ほどの動きでもそれは窺い知れた。


 それに、この目を惹く変異、

 深緑に煌めく長い髪、

 艶めかしい質感の鱗、

 それらはあまりに特徴的だ。


 もしいつかどこかで会っていたのなら、

 こんな人物を見逃しているはずがない。


「やっぱり記憶にありません。

 今日が初対面のはずです」


 言い切る。

 すると少女は一瞬何かを言いかけ、

 それから静かに微笑む。


「そうか。そうだよな」


 クリスは尋ねる。


「私とあなたが会ったのは、

 いつどこでのことですか?

 きっかけがあれば思い出せるかもしれません」


 その問いに女は口をつぐむと、

 今度は何かをごまかすように曖昧に笑った。


「記憶になければそれでいいんだ」



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 そして半日後――


 偽竜は荒野を一息に縦断し、

 ドームの裂け目に到着した。


 廃墟に偽装した停竜場まで、

 闇の中を偽竜に進ませた後、

 クリスは疲労した身体を急き立て、

 のろのろと御者席から降りる。


 魔物憑きの少女は後ろの偽竜の幌で、

 傭兵たちに指示を与えている。


 それを一瞥すると、

 クリスはドームの裂け目へと向かった。


 ドームの内部、エントランスの広場で、

 見覚えのある姿に気付くと、

 クリスは更に疲労を感じる。


 広場のベンチに腰を掛けていたのは、

 華やかな格好をした、

 燃えるように鮮やかな赤毛の青年だ。

 彼は水筒に入った茶を飲みながら、

 紐で綴じられた書面に目を通していた。


 青年は顔を上げ、

 クリスを見つけると頬を緩めた。


「無事に戻ってきてくれたようだね、私のクリス」


 反射的に表情が歪んでしまいそうになるが、

 何とか堪えて、クリスはにこりと笑い返す。


「エンリックさん、心配してくれたんですか?」


 エンリック・ウェリグと名乗る彼は、

 ここ数年で台頭してきた技師上がりの商人だ。

 無謀さと狡猾さの入り混じったその行動は、

 若き日のカーウィンの再来とも語られ、

 技師や山師を中心に多くの信奉者を得ていた。

 その勢力は無視できないものだが、

 今の彼はその支持者たちによる失点のために、

 身動きのとれない状態になっていた。


「君は本当に詰めが甘いから。

 それでうまくいったのかい?」


 クリスは感情を押し隠して問い返す。


「どう思いますか?」


 エンリックは微笑む。


「君なら当然最高の結果を持って帰ってくる、

 私はそう信じているよ」


 クリスも応じて微笑もうとするが、

 表情が強張るのを抑えることができなかった。


 その言葉には裏があるとしか思えなかった。

 証拠はないし、見つかりもしないだろうが、

 クリスを陥れたのはおそらく彼の、

 少なくとも彼の信奉者の手だ。


 それでもまだ堪えられる。

 なぜならクリスはまだ負けていないからだ。


「商会長へ報告に行きます」


 エンリックは僅かに目を細める。


「いいのかい?

 言いにくいのなら、

 私がとりなしてあげてもいいんだがね」


 現状は彼に有利なものではなかった。

 だがその振る舞いに焦りはなく、

 泰然と何かを待っているようだった。

 それは見習うべき点だ。


「大丈夫ですよ、ほら」


 クリスは後ろを振り返る。

 荷をまとめた傭兵たちの、

 停竜場から歩いてくる姿が見え始めていた。


「これはこれは……」


 エンリックは笑う。


「一体どんな奇跡があったのやら!」


 その声音に負の色はない。

 本当に感嘆しているのだ。

 彼はそういう人間だった。


「ではエンリックさん、失礼します」


 青年の興味津々の視線を背に、

 クリスは遺跡の奥へと向かう。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 商会長の部屋の電灯はもうついている。

 ノックをして、部屋の中に入る。


 老人は書類を繰る手を止めると、

 クリスを見た。


「帰ったか、クリス」


 老人への報告はすぐに終わった。


 失ったはずの手形は老人の手元に戻っており、

 クリスが不注意で忘れたことになっていた。


 傭兵たちに前金なしで依頼したことには、

 カーウィンも少し反応したがそれだけで、

 傭兵たちに後払いながら、

 前金を含めた報酬の全額を支払うことも、

 簡単に承認された。


「不注意なのは問題だが、

 どうにかできたのならそれでいい。

 次は気をつけることだ」


 カーウィンはそう言うと、


「もういいぞ。

 仕事に戻れ」


 書類に目を落とす。


「……はい」


 クリスはそのまま部屋を出て、

 地下へと下り倉庫区画に戻る。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 留守の間の仕事をこなし終わると、

 四時間が経過していた。


 そろそろ一休みしよう。


 テントの隅にある事務机を離れて、

 荷の山の間をすり抜け、

 明るく照らされたブロックに出る。


 この区画に夜はない。

 事業は不休で常に動き続けており、

 人が交替で休むのだ。


 ブロックの外にある寝床の暗がりを求め、

 巨大空間の片隅にある出入り口へ向かう。


 その途中で戦士たちの姿が視界を過ぎる。

 門前の広場に集まっている集団の中には、

 クリスが連れて来た傭兵たちの姿もある。

 どうやらこれから探索らしい。

 仮眠をとった後のしゃっきりしない顔で、

 武器や防具を着込み、

 揃えた道具をポケットに詰め込んでいく。


 彼らの向かう先をクリスは知らなかった。

 クリスの役割は調達までで、

 調達されたものを扱うのは、

 現場の指揮者たちの役割だ。


 その時だった。


「クリス坊! そこにいたのかい!」


 男の野太い声がした。

 見ると縦にも横にもでかい巨漢の中年男が、

 戦士たちの脇にどっかり座り込んでいた。


「話があるんだ、ちょっとこっちまで来てくれ!」


 クリスは仕方なく、そちらに向かった。


「何かご用ですか、バーノウトさん」


 その本名不詳の中年の巨漢は、

 商会の者からは単にバーノウトと呼ばれている。

 年はおよそ四十過ぎというところだろうか。

 商会でも最古参の傭兵だった。


「用もへちまも何も聞いてねえのか、クリス坊よ。

 砦に積み上がった物資の整理がおっつかなくて、

 ジョセフに追加の倉庫番を一人頼んだら、

 お前さんを連れていけばいいと、

 薦められたんだがな」


「聞いてません」


 中年男は豪快に笑う。


「まあジョセフの言葉なんだ、仕方あんめえよ。

 分かったらささっと準備してくれやクリス坊。

 そろそろ出発なんだ」


 言いたいことだけ言い終えると、

 バーノウトは俺も準備があるんでなと消える。

 その場に取り残されたクリスは、

 荒れる感情をどうにか呑み込み溜息をついた。

 何しても確かに迷宮に出るのなら、

 それなりの準備が必要だ。


「よう、また会ったな」


「あなたは……」


 その声は半人半竜の魔物憑きの少女のものだ。

 目を向けて唖然とする。

 そこにいたのは鉄塊だった。

 要所を守る鋼鉄の無骨な鎧を身に着けた上で、

 何本もの巨大な武器を針山のように背負い、

 なお少女は重みを感じさせず軽々と立っている。


「何というか、重装備ですね」


「戦う時にまで全部持ってく訳じゃねえが、

 命を預ける道具は使い慣れたものが一番、

 持てるだけは持ってくぜ」


 少女は笑う。


「それにしたって、

 頼りにされてるみたいじゃねえか。

 帰って来たばかりだってのに、

 もう次の仕事だなんてな」


 クリスは肩をすくめた。


「そんなものじゃありません。

 言われるがままどこにでも、

 ただの便利屋です」


 少女は武器の束を下ろすと言った。


「準備があるんだろう?

 手伝ってやるよ。

 荷物持ちにはなるぜ」



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 職場に戻るとクリスは、

 倉庫から必要な道具を集めていく。

 変異持ちの少女は、

 文句も言わず手伝ってくれていた。


 居心地の悪い気分だった。


 自分は彼女を知らない。

 忘れてしまったのではないと思う。

 思い出せないという感じではなく、

 全く見覚えがないのだ。


 しかし彼女はクリスを知っている。

 おそらく、いや確実に。

 通りすがりの顔見知り、

 という感じではない。

 しっかりとよく知っている感じだった。


 胸の奥がしくりと痛んだ。

 僅かだが消えない不快感が後に残る。

 それは罪悪感に似ている。


 自分には何も非はないはずなのに、

 どうしてこう感じなければならないのか。


 理由はさっぱり分からなかったけれど、

 無性に何か言わなければいけない、

 そう感じた。


 悩んでいる内に準備は終わってしまう。

 後は着替えて戻れば出発できる状態だ。

 次に話す機会はいつになるだろうか。

 感情に追い立てられるように口を開く。


「どうして助けてくれたんですか?」


 それは言いたかったことではない。

 しかし何かを口にしたことで、

 焦燥感は薄れる。

 最初からそれが訊きたかった。

 そんな気さえする。


 問いに少女は少し首を傾げて、

 それからにやりと得意げに笑った。


「そこに理由なんて必要かい?」


 その恰好をつけた言い草は……


「どういうことですか?」


「どうにもならないことは、

 気にしても仕方がない。

 でもどうにかできるなら、

 どうにかするべきだ。

 どうにかできるとして、

 それが結構面倒なことでもな。

 あたしはいつもそう思ってる。

 できるからやったんだ。それだけだぜ」


 その語り口はまるで演劇の物真似のようで、

 自分に陶酔しているように感じた。

 その言い草には覚えがある。

 頭の中が沸騰した。


「では私が感謝する理由もないですね」


 クリスは低く言う。


「え?」


 魔物憑きの少女は固まる。


「それはあなたがあなたの決まりで、

 勝手にしたことです。

 それで気分よくなれるのでしたら、

 功徳でも何でも上げていればいい。

 助けてくれてありがとう、トカゲ女さん。

 二度と私に関わらないでください」


 喚かずにいられた自分を後で褒めてあげたい。

 動きを止めたままの少女から視線を外すと、

 クリスは荷物をまとめ、彼女に背を向ける。

 絶対に振り返らない。

 クリスはそう決めた。



 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 そして現在――


 どうしてこんなに嫌われちゃったんだろう。

 走りながらレイシャは自問自答する。

 何か間違えてしまったのだろうか。

 考え直してみてもよく分からない。

 恩に着せようなんて思わないけど。


 一応恩人のはずなのに。


「やっと来たか! レイシャ!」


 門前に走り込んだレイシャに、

 老傭兵ががなり立てる。


「応援だ! 待ちに待った補給の到着だ!」


「おいおい、群れを突っ切ってきやがる!」


「迎えに行くぞ!」


 武装を手に傭兵たちが飛び出していく。

 みな疲れきっているはずなのに、

 ここ数日で一番の動きだ。

 レイシャもそのまま前線に走る。


 魔物の群れの中を走る一団が見える。

 大荷物を背負った二十人程度の一団。

 鈍くさいへとへとの足取りながら、

 噛みついてくる貪狼を押しのけて、

 必死の顔つきで走ってくる。


「最後尾で時間稼ぎをしている奴がいるぞ!」


 その言葉に一団の最後尾に目をやる。

 確かに女王の前に誰かがいるようだ。

 だがその瞬間、戦士は吹き飛ばされ、

 群れの中に消えた。


「駄目だ、飲まれやがった!」


「あたしが行く!」


 大槌を振り上げ、

 レイシャは飛ぶ。


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