第一話 湖畔の遺跡
第四章開始です。
集落の門を出て四日後の夕刻――
見上げる空は重なり合った枝葉に覆われ、
スターライトを放つトールハンマーも、
その彼方に広がる虚無の闇も、
おぼろげにしか感じ取れない。
僕は深い暗がりの底の、
湿り気に満ちた木々の中を調べて回っていた。
足元には十センチ近い腐葉土が積もり、
その中では植物の根が縦横に絡み合っている。
その間からは金属の柱や箱が顔を出し、
ところどころ朽ちかけた配線が飛び出ている。
(こちらは収穫なし。そちらはどうだ)
僕は頭の中で話しかける。
ためらいがちな声が届く。
(今度こそ見つけた、かもしれません)
(すぐに行く)
僕は確認していた地図をしまう。
森を出て瓦礫の山を駆け上がる。
鉄塔の軋む梯子に手をかけ、
そろりそろりと最速で昇る。
昇るほどに視界が開く。
一面の緑――
眼下は全て樹木の群落だ。
樹高はほぼ二十メートルを越えている。
繁る樹冠はその下にあるはずの地表を、
完全に覆い隠していた。
そのもこもことした緑の絨毯からは、
傾きかけた高層建築がぽつぽつ頭を出している。
塔の間に引かれたレールや金属管は、
至る所で寸断され蔦のように垂れ下がっていた。
目に見えているものは、
この地にあるものの一部でしかない。
足下には形を保てなかった同類が、
瓦礫の山として横たわっているはずで、
更に下にはかつての交通システムの痕跡がある。
それらは制御機構の崩壊と共に、
解除困難な罠となる。
今や地表部は致死の迷路と化し、
探索者の侵入を阻み続けていた。
この遺跡の規模は、
現在のベルト都市を優に上回っているが、
人の居住を全く考慮していない現状では、
それは単なる大規模地形でしかなかった。
塔の最上部はプレート水平面から、
四十メートル近く突き出している。
周辺の建造物や樹木には、
この塔より高いものも幾つかあるが、
安全を考えればここが一番だ。
その頂点には半径三十センチほどの
柵と手すりのついた足場があり、
茜色の瞳の少女はそこに軽く腰かけ、
下界を見つめていた。
彼女の名はフレア・スティールマン。
人間のふりをしている変異持ち、
のふりをしているがその実体は、
旧世界の遺物、
陽電子脳を搭載した機械人形だ。
(なかなかいい景色だな)
フレアはじとりと僕を見た。
(何の冗談ですか)
冗談という訳ではなかったのだが、
彼女はそう感じたらしい。
(で、どこだ?)
フレアは森の向こうの湖を指差す。
(湖の傍にあるドームです。
外壁の一部が崩れたことで、
中に入れるようになったようですね)
ベルトは完全な平面ではない。
最大で二十メートルほどの高低差がある。
この高低差はプレート中央に近付くほど、
大きくなる傾向がある。
内部に向けてへこんでいるのだ。
ある程度大きな低地のあるプレートでは、
重力によって導かれた雨水が、
中央部分に湖沼地帯を形作る。
そこはベルトのオアシス、
魔物たちの住処となった。
その湖に突き出た突堤上には、
プレートと半ば一体化したドームがある。
ここから三キロほどの距離だ。
僕はそのドームの傍を歩いた記憶がある。
記憶の中のそれは、
内部への侵入口のない閉じた遺跡だった。
破壊できそうな箇所もなかった。
利用不可能ならそれは、
ただの地形でしかない。
だが今はそうではないようだ。
(人間の姿はあったんだな)
(瓦礫に隠れていて、
全身を確認はできませんでしたが、
はみ出た手足と武器は、
もう何度か見ることができました。
早速行きましょう)
フレアは立ち上がる。
僕は首を振った。
(仕掛けるのは明日の今頃としよう。
敵地に飛び込むなら、
情報を集め準備万端で臨むべきだ)
(随分と慎重ですね)
(ジョセフが何か企んでいるのなら、
僕にそれが見抜けるとは思えない。
今回ばかりは、後手に回る前提で、
手を打っておかないとな)
フレアはまじまじ僕の顔を見た後、
くすくすと笑った。
(それはもの凄い方なのでしょうね。
分かりました。
しっかり準備をして臨みましょう)
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
翌日の夕刻――
スターライトの照射停止も近い薄闇の中、
僕とフレアは件の遺跡へと近付いた。
湖の匂いが漂ってきた。
腐敗臭を含む点では森の匂いと同じだが、
それとはどこか異なっている。
視界が開ける。
霞の彼方まで濁った水面が広がっていた。
湖だ。
湖畔を突堤へと向かう。
既にドームの開口部は見えている。
それは歪な形状をしていた。
本来の入り口ではないのは確かだろう。
僕の記憶では、その壁には傷一つなく、
簡単に壊れるような状態ではなかった。
僕たちは歩く。
こちらの姿はもう隠れていない。
見張りからも見えているはずだ。
「そこで止まれ!」
ある程度距離を詰めたところで、
瓦礫の陰から制止の声がかかる。
二人の傭兵が槍を手に姿を現す。
僕は足を止めない。
(フレア、お前は後ろで待機だ)
「止まれっつってんだろうが!」
年上の男が槍を突こうとしたところで、
足を止め外套から顔を出すと、
僕は笑いかける。
「久しぶりだな」
「な、ラッカード!」
男は嫌そうに顔を歪めた。
その腰は引けていた。
それもそうだ。
この傭兵はいつかの喧嘩で、
軽く殴り倒した記憶がある。
思えば長い付き合いだった。
男は槍を引くと、
八つ当たりをするように、
がすりと鋼の大地を石突きで打つ。
「止めなくていいのか?」
僕の問いに傭兵は吐き捨てる。
「それができりゃ誰も苦労しねえ。
貴族の犬が何しにきやがった!」
「今はただの山師さ」
「ただの山師が何の用なんだよ!」
「悪いが商会長と至急話がしたい。
取り次ぎをお願いしていいかな」
傭兵は表情を歪める。
「何様のつもりだよ、ラッカード。
貴族の飼い犬でも無理だが、
野良犬にゃもっと無理だ。
俺たちは忙しいんだ。
てめえの与太話に、
付き合ってる暇はねえんだよ!
さっさと消えやがれってんだ!」
男の言葉は友好的ではないが、
僕にはそれで十分だった。
ジョセフは現場主義者だ。
大きな事業ほど陣頭指揮に拘るはず。
そう思っていたがやはりそうだった。
「本当にいいのか?」
僕は微笑んでみせる。
「何が悪いんだよ?」
「今、僕を追い払えば、
責任を取らされるのは君だろう」
「ま、またそれかよ」
男は笑おうとするが笑いきれない。
僕の言葉が現実になった場を、
知りすぎていたのだ。
「君のためを思って言うんだが、
そうだな、
会いたいと言う必要もない。
ここに僕が来ていると、
それだけを伝えてくれ。
ジョセフならそれで十分だろう」
男はため息をつくと、
苦虫を噛み潰した表情で尋ねる。
「本当に大丈夫なんだろうな」
ジョセフの反応を恐れているのだ。
あの老人は無能とみなした者には、
どこまでも厳しく当たる性癖だった。
僕は付け加える。
「不安なら言うといい。
僕がなぜここを知っているのか、
そこが気になった、とね」
「言われてみりゃそうだが、なんでだ?」
男の素朴な問いに僕は笑った。
「それは秘密だ。
僕の数少ない切り札だからね」
二人の男はしばし相談し、
それから渋々と頷いた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
一時間後――
僕は遺跡の中の一室にいた。
フレアは別室で待っている。
応接室らしきその空間には、
電気灯が設置されていた。
スターライトが停止した後も、
屋内はそれなりに明るい。
「忙しいのに悪いな」
僕に向かい合って座っているのは、
豪華な服を着た狡猾な目の老人。
この五十過ぎの痩せ細った男こそ、
悪名高いジョセフ・カーウィンだ。
「他人行儀なことを。
歓迎するよ、ラッカード。
久しぶりだが元気そうでよかった。
スワルガでは黄衣派相手に、
大立ち回りだったそうじゃないか!
アルテミシアの麾下に、
トビー・ビショップの盟友がいた、
などという噂も、
私の耳には幾つも届いているぞ!」
ジョセフは好々爺の風情で言う。
「トビーなんて会ったこともないし、
僕は独立派に追い回されて、
迷宮の中を逃げ回っていただけだ」
「案外それが真実なのかもしれんが、
どちらにしてもお前はもう、
トビーの盟友の名から逃れることはできんぞ。
そうではないと繰り返したとして、
その言葉を信じる者はいまい。
どういう裏事情があったとしても、
少なくともトビーの盟友がいたなら、
試みたであろうことをお前は成し遂げた。
中心ではなかったとしても成就に手を貸した。
そういうことなのだろう?
ならば生前の彼と面識がなくとも関係もない。
そうすることで、お前は事後的に、
死者の盟友となったということだ。
少なくとも今を生きる者は、
そのように理解するだろう」
「知ったことか」
「名前の一人歩きを許した凡人として、
助言するなら、まあ、諦めることだ。
いいことも悪いことも受け入れるしかない。
無駄に警戒されるようにもなるが、
一目置かれるようにもなる。
そんな感情は手玉にもとりやすい。
使えるものは使え。
そうしていけば活路は開けてくる。
お前なら言わずもがなだろうがな」
「あんたと一緒にしないでくれ」
「それはどうかな。
あの頃のお前を知ってる奴らは皆、
戦々恐々としていたぞ。
狂犬の首輪が外れちまったってな」
僕は一瞬、答えに詰まる。
老人は哄笑すると続けた。
「ほぉれ、人のことは言えないじゃないか。
私も五十年生きてきたが、
お前みたいな奴は他に見た覚えがない!」
ひとしきり笑うと老人は続けた。
「これからどうするんだ?」
「しばらくのんびりやるさ」
「なら私の……」
僕はジョセフの言葉を断ち切る。
「そろそろ本題と行こう」
老人は名残惜しそうな顔を作る。
だがそんな表情に惑わされ、
罪悪感を覚える僕ではなかった。
ジョセフはため息をつく。
「そうしたいのなら、そうしよう。
それでは訊くが、お前は、
どのようにしてここを知った?」
「あの程度の偽装で、
露見しないと思う方がどうかしてる。
酒場でお前の行動を辿れば、
誰だって疑問を感じる。
隠しごとがあると分かってしまえば、
後は探っただけボロが出て、
すぐにアルテミスの荒野で、
掘り出し物を見つけたと分かったさ」
僕は発見の経緯を手短に説明する。
ジョセフは僕の説明に、
驚きと安堵の表情を順に表現した。
「随分と簡単に言ってくれるが、
そんな僅かな痕跡から、
ここに辿りつける奴は、
お前ぐらいしかいないさ。
で、望みは何だ?
その情報を売り飛ばさずに、
単独で姿を見せたからには、
それなりの理由があるんだろう?」
「あんたに恨まれていいことはない。
仕事の分け前を狙う方が現実的だ」
「おお、手伝ってくれるのか?」
「条件次第だ」
老人はにやりと笑う。
「技師長級の報酬は約束しよう」
技師長とは技師の称号の一つだ。
技師街の競技会での成績や、
成し遂げた仕事の質と量で、
総合的に決められるものだ。
基準は技師街によってまちまちで、
さほど公平なものでもないが、
そこそこには実態を反映しており、
技師の腕前の指標として、
技師を雇う際の報酬の基準等、
広い用途に使われていた。
「それは何の冗談だ?」
技師長というのは、
技師街の指導層である元工僧が、
その全盛期に受ける称号である。
二十五段階ある称号の第六位で、
それより上は組織の役割に関わるものだから、
現場ではこの技師長が事実上の最高位だった。
「それだけの腕前はあるだろう。
腰抜けの根性なしの犬ころめ」
確かに僕がセントラルで得た知識は、
学僧のそれより豊富かもしれない。
だが僕は何の称号も受けていない。
それは僕が技師であることより、
探索者であることを望んだからだ。
ジョセフの提案を受け入れることは、
それが含む暗黙の内容に同意することだ。
称号制度を嘲り、その地位を貶めること。
その代わりにジョセフの手による評価で、
報酬を決める流れを既成事実化すること。
最後にこの提案を受けた者を、
技師街への挑戦の共犯にすることだ。
それは自由商人と技師街の間にある、
伝統的な対立の構図の最新版だった。
「いつもどおりが一番さ」
僕はジョセフの言葉を受け流す。
「全くもって頑固な奴だ! 冗談だよ!」
ジョセフは愉快そうに笑う。
何が冗談なものか。
試されたのだ。
本気ではなかったとしても、
僕が対応に失敗すれば、
ジョセフは遠慮なく利用しただろう。
呼吸をするように人を陥れるのだ。
本当に面倒な男だった。
「そう言えば、子供の連れがいると聞いたが、
それが例の鉄壁かな?」
「それはあいつには過ぎた二つ名だ。
護身の心得は叩き込んだが、
あまり期待してくれるな。
あくまで僕のおまけと考えてくれ」
「狂犬の直伝とは、
恐ろしい二つ名持ちもいたものだ。
もちろん戦ってくれるんだろう?」
それは問いではなく確認だ。
二つ名を知っていることの示唆はおそらく布石。
既に正体を知っていることを示し、
隠し続けるという選択肢を先回りし封じたのだ。
しかしフレアの二重の偽装のうち、
人間のふりをしている、
という部分は既に機能していない。
(変異持ちとして戦う。
それでいいんだな?)
(問題ありません)
フレアは力強く言い切った。
「僕の目の届く範囲でなら構わない」
ジョセフは微笑んで頷く。
「すまんな。正直、お前の助力より、
その戦力の方が助かるかもしれん」
僕とジョセフは詳細を詰める。
技師ではなく山師として。
妥当な内容を定め契約を作る。
「地下はどうなっているんだ?」
「それは歩きながら説明しよう。
私も今日になってからは
まだ地下の見回りをしていなかった。
実際のところ、困難だらけだが、
理由はその目で見ればすぐに分かる」




