第十話 安息所
仕事を始めたジャスミンは、
作業場で身体を迷いなく操りながら、
死ねだとかもげろだとか呟いている。
あれは僕への言葉なのだろうか?
そこらでうぶな少女をひっかけては、
好き勝手に味見をしているのは誰なのか。
己の所業を棚に上げて、
よくもぬけぬけと言えたものだった。
どうせ狙いはフレアの身体で、
僕を排除する算段でも練っているのだろう。
相手にするのも面倒だった。
僕は作業場の隅で武装の手入れに専念する。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
二時間後――
「おまたせー!」
最後の仕上げが終わったようだ。
「気をつけてね。
かなり重くなってるから」
ジャスミンはフレアに装具を渡すと、
のそりと立ち上がる。
首をごきごきと何度か回した後、
組んだ両のてのひらを天に向ける。
ぐぐぐと胸を張ると、
両の腕を頭の上でぴんと伸ばした。
「ううううーん! 疲れたぞー!」
布を巻いただけの格好で体を伸ばすと、
突き出された大きな胸に、
柔らかそうなお腹と脇の下の肌が覗く。
脇の下には、
僅かに産毛が見えるほかには何もない。
つるりとしていて、どこか艶めかしい。
「重量もそうですが、
外見も随分と変わりましたね」
装具の状態を確かめ終えたフレアが言う。
その手元にあるものを見る。
ただの鋳鉄だったのが、
表面に強化材が組み込まれ、
裏地にも柔らかな皮革が追加されていた。
「かなり無茶な使い方をするみたいだから、
ともかく頑丈さを最優先したんだ。
それと裏地にも色々入れておいたから、
拳にかかる衝撃も少しは緩くなると思う」
これは随分と奮発したようだ。
(使えそうか?)
フレアは装具を見つめたまま答える。
(素晴らしい構造です。
特にナックルの打撃面は、
組み込まれたアダマンティウムの欠片で
非常に高い強度が実現されています。
加えて打撃時の衝撃も
全体に分散するよう工夫されていますね。
このような劣悪な設備で
廃材を組んだだけのものとは思えません)
(ベルトでは再利用が基本だ。
新規に作る方が安価だった旧時代とは違い、
廃材再生のノウハウが蓄積されている。
まあ、これも安いとは言えないものだがな)
問題はアダマンティウムだった。
この物質はベルトでは加工できないため、
戦場跡で拾われた欠片から、
用途に合うものを選ぶことになる。
こうして使えるものは稀少だった。
僕は嘆息する。
「ジャスミン。
僕らの懐では材料費も支払えないぞ」
「いつも通りでいいよ。
というかプレゼントってことでいいから。
身を守るものはケチらない。
それが生き残るための鉄則ってものだよ」
ジャスミンは胸を張った。
フレアは僕に尋ねる。
(それほど高価なものなのですか?)
(ジャスミンの収入五ヶ月分だ)
フレアは少し迷ったようだ。
(受け取っていいのでしょうか?)
(好きにするといい。
施しが気に入らなければ断ればいいし、
対価はいらないと言うのだから、
そのまま受け取っても別に問題はない。
もらいっぱなしが気に入らないのなら、
何かを返せばいいだろう。
これはもうお前とジャスミンの問題だ)
僕は投げやりに答える。
正直なところで言えば、
まともではない。
女の気を惹くために男が贈る品でも、
こんなに金をかけはしない。
どんな下心が隠されているのか、
想像する気も起きなかった。
結局フレアは受け取ることにしたようだ。
「ジャスミンさん、
大事に使わせていただきます。
今は手持ちがありませんが、
お礼はいつか必ず」
ジャスミンは緊張していたのか、
深い息を吐き、恥ずかしそうに笑った。
「お礼なんていいよ。
私が使ってもらいたかっただけだし。
また遊びに来てくれたらそれで十分だから」
品物の確認を終え、
僕たちが立ち去ろうとしたところで、
ジャスミンは口を開いた。
「ラッカ……あのさ」
「ん、ジャスミン、どうしたんだ?」
答える僕を見て、
ジャスミンは少し躊躇った後、笑う。
「何でもない。呼んでみただけだよ」
意味が分からない。
僕は肩をすくめる。
「気味が悪いな。
言いたいことがあるんじゃないのか」
「迷宮に潜るなら土産を頼むな、ラッカ」
「考えておこう。
お前こそ遊びは程々にな、ジャスミン」
手を振るジャスミンに背を向けると、
僕たちは技師街を離れた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
(これで準備は終わりですか?)
脳内に声が響く。
斜め後ろを歩くフレアの声だ。
アルテミスの通りを歩きながら答える。
(まだだ。一番大事なものが残っている)
(大事なもの、ですか?)
フレアが訝しげに繰り返す。
(レイシャのことだ。
すぐに追いかけてもいいが、
今のままでは少しばかり不安がある)
(どういうことですか?)
(僕たちはレイシャの事情を、
あのマシューという男から聞いただけだ。
それを鵜呑みにするのは、
あまりいい選択じゃない。
もう一度、修道会に向かおう。
僕たちには、情報の裏をとる必要がある)
僕らは市街地から離れる方向に進み、
アルテミスの外周、
農地と市街の狭間の周回道路に出る。
傭兵たちの拠点から見ると、
修道会はアルテミスの反対側になるが、
しかし一直線に中心街を抜けるよりは、
迂回する方が結局短時間で移動できた。
アルテミス郊外から柵までは、
基本的に農地が広がっている。
その中に奇妙な一角があった。
森である。
周回道路はその中を通り抜けている。
森の中は鮮やかな色彩に満ちていた。
そこでは時期を問わず、
どこかでは花が咲き誇っている。
花をつける草や木が、
計画的に配置されているのだ。
ベルトの通常の環境では、
花のように昆虫を介するような、
繁殖方法があまり有効ではなく、
それらの植物は数を減らしていた。
ここはそれが特別に残された空間だ。
ベルトの集落では、
このような場所が必ず用意されている。
森の中心へは、
市街地からも一つの道が伸びていた。
「あ、フレアさん!」
声が聞こえた。
見ると小柄な少女が立っている。
その一つにくくられた黒髪は、
朝の準備には苦労しそうなくせっ毛だ。
ワン爺さんの孫娘のモリーちゃんである。
「モリーちゃん! 奇遇ですね!」
「フレアさんはこれからお仕事?」
モリーは僕たちの旅装を見ている。
「しばらく迷宮に入る予定なんです。
モリーちゃんはどうしたんですか?」
「今日は学校が午前中で終わりで、
ちょっとお母さんに会いに来たの」
少女は言う。
その手には小さな花飾りがあった。
それは死者への贈り物だ。
(少し時間をもらっていいですか)
(僕たちはまだ来ていなかったな。
いい機会だ)
「私たちもご一緒して構いませんか」
モリーは僕とフレアの間で、
視線を何度か往復させた後に頷いた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
四ヶ月前――
僕はフレアのために、
アルテミス市域の外周を案内していた。
(食料の大半は、
市域の中で生産しているのですね)
(大規模設備で一括生産しても、
効率化されるのは投入労働力だけだ。
輸送に伴う資源のロスを考慮すれば、
消費地で生産するのが最善だろう)
道を歩いていると森に突き当たる。
(この森も何かの生産拠点なのですか)
(いや違う。ここは安息所、
死者の肉体を休ませる場所だ)
(墓地、ということですか?)
(違わないが……違うな)
僕は少し考える。
(昔の言葉では言い表しにくいんだが、
これは死という現象の捉え方の違いなんだ)
ベルトでの死者への儀礼は、
輪廻転生を基盤としている。
ネオブッディズムにおいて、
死者は永遠に死者のままなのではない。
彼らはいつかベルトに舞い戻ってくる。
今ここにいる生者もまた、
生まれる前は死者だった。
死とは輪廻の環の一局面に過ぎず、
死は新たな生の始まりでしかない。
そもそも死とは何なのか。
ベルトにおける、
死とは何を意味するのか。
死とは消滅だ。
あらゆるものの死とは、
それが永遠に失われることを意味する。
だがネオブッディズムの教義によれば、
魂は不死不滅の存在だ。
人の本質が魂なのであれば、
魂が死なない限り人が死ぬことはない。
ならば目に見える死は人の死ではなく、
肉体という物質の死だ。
しかし肉体もまた消滅してはいない。
魂という支えを失ったことで、
人の形を保てなくなり、
異なる姿に変化しただけのことだ。
ならば物質もまた死んではいない。
物質はベルトを流動し続け、
魂は輪廻の円環を歩み続ける。
いずれ再び人がベルトに生まれる時、
流動する物質は再び集い肉体となる。
故に真に死ぬものは何もない。
故に全ては永続する。
(迂遠な論理を繋ぎ合せて、
ネオブッディズムはそのように結論する。
とは言え、
死が死ではないとしても、
しかしそれは確かに別れではある。
そして別れは、
残る者も去る者も寂しいものだ。
ベルトにおける死者への儀礼は、
別れの宴なんだ。
死者を悼み、
喪失の悲しみに浸るのではない。
その門出を祝い、
今生の奮闘を讃え、
来世への旅路の平穏を願い、
そして未来の再会を期す。
いつかどこかでまた会おう。
ベルトでの死者への儀礼は、
この言葉に集約される。
この観点で言えば、
死者の肉体は、
魂が去ればただの物質に過ぎない。
しかし正統派の教義は、
そのただの物質にも意味を与えた。
肉体とは魂の協働者であり、
この無限の闇の中で、
魂を虚無から守る鎧である。
正統派の教義は、
肉体を魂に従属するものとしたが、
同時に戦士としての栄誉を与えた。
戦いの果てに力尽きた戦士が、
一時の休息を与えられる場所、
それがこの生気に満ちた空間だ。
安息所――
この森はそう呼ばれている。
正統派の教義に従えば、
戦士たちの一時の休息の場だが、
要は死体置き場ということだ。
その地には死者の肉体が埋められる。
正確に言うと、
肥料に加工した後に散布される。
それは咎められることではない。
万物は流転する。
総量に限りのある物質を、
役割を終えた形に留めることこそ、
何より罪深いことだと僕は思う。
だが死者を思うこと自体は罪ではない。
人としての当然の感情だ。
過去を形として残すのは罪悪だが、
記憶として残すことは生きる糧になる。
そして死者との思い出を回顧する時、
きっかけとなるような形あるものは、
確かに必要になるだろう。
ベルトでは、
一人の死者が輪廻の円環に還るたび、
安息所に一本の木の苗が植えられる。
それは死者と、
物質的な繋がりを持つものではない。
だが繋がりは心の中にあれば十分だ。
ベルトの住民は、
時と共に成長する木の姿に、
死者とその死から過ぎた時間を思う。
僕はベルトで生まれ育ったから、
そう思うだけなのかもしれないが、
金属よりも木の方が、
死者を記念するためのものとしては、
ふさわしいように感じるな)
フレアは微笑んだ。
(そうかもしれませんね)
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
僕たちは森の中の小道を歩く。
花の匂いは心躍るものである。
そこには、
僕たちの本能に起因するのか、
説明しようのない快感がある。
「ここだよ」
先頭を歩くモリーが足を止めた。
そこは森の隅に近い場所だった。
草花が生い茂る中に、
刈り込まれた一角があり、
中心には木の苗が植えられていた。
苗はごく小さい。
植えられたばかりだからだ。
モリーの母親が死んでから、
まだ三ヶ月しか経っていない。
モリーは手にしていた花飾りを、
苗の根本近くに結わえ付ける。
その花飾りは、
死出の祝いの品の一種だが、
贈る者の思いは異なるだろう。
僕たちはまだ
死者を身近に感じており、
理屈とは別のところで
その死を実感できていないのだ。
だからもう会えないのだと
納得できるようになるまで、
そこにいるように扱う。
死者への贈り物に
儀礼的ではない意味があるとすれば、
それはそういうものなのだと思う。
僕たちは膝をついて静かに瞑目した。
「お母さんって
ちょっと子供っぽいところがあって、
すごくかっこつけたがりだったから。
そのせいで逃げ遅れたのかなー
と少し思ってる」
モリーの母親は、
組合商人の傘下で働く会計屋だった。
高等教育を受けた訳ではないのだが、
算法には滅法強かったらしい。
だが三ヶ月前、
同行していたキャラバンが
魔物の群れに襲われた際に、
逃げ遅れたという話だった。
魔物の群れとの遭遇は、
頻繁にあることではなかったが、
年間で見れば何度かは起きることだ。
今回のような不運も稀だがある。
少女は静かに思い出を語り、
僕たちはそれに耳を傾けた。
しばらくして僕たちは立ち上がる。
元来た道を戻る途中、
モリーはふと足を止めた。
道の脇に立つ巨木を見上げる。
「どうしたんですか?」
モリーはいたずらっぽく笑う。
「この木は実はね、
モリーが死んだ時に植えられた木なの」
フレアは首を傾げた。
(どういうことでしょうか?)
僕は笑う。
「フレアはそういうことに詳しくないんだ」
「そうなんだ」
モリーは目を丸くする。
驚くのも当然だろう。
こんなことは戒律の授業で、
必ず教えられることだからであり、
実際には教えられるまでもなく、
ネオブッディズムの社会の中で育てば、
物心ついた時には知っていることだ。
しかしモリーはすぐに表情を消した。
「この木は生まれ変わる前のモリーが死んだ時に、
植えられたものだってじーちゃんが言ってたの」
「生まれ変わる前、ですか?」
「うん、ひいひいひいばーちゃん。
じーちゃんが昔言ってた。
モリーが生まれた時、
モリーって名前にしたのは、
死んだモリーばーちゃんにそっくりで、
モリーばーちゃんが還って来たって、
すぐに分かったからだって。
ほんとかどうかは知らないけど……」
フレアは大樹を見上げる。
「前のモリーさんというのは、
どのような人だったのでしょうか?」
「料理の上手な人だったみたい」
モリーはそう答えた。
「モリーは結構苦手だけど」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
十字路まで戻ってくる。
「今日はありがとーです」
モリーは畏まって言う。
それからいつもの口調に戻る。
「フレアさん。
仕事から帰ってきたら、
すぐお店に来てねー。待ってるからね」
「はい。必ず」
モリーは次に僕を見る。
「ラッカードさんは……お好きにどぞー」
彼女の僕を見る目が妙に厳しいのだが、
どういう訳だろうか。
しばらく僕の様子を見て、
モリーは諦めたように笑い表情を緩めた。
「と言いたいとこだけど。
今日のお礼もあるし、
来たら歓迎してあげるから感謝しろー
だからフレアさんとだけじゃなくて、
ハルカおねーちゃんも連れてくることー」
納得である。
「遙花の次の休みにはそうしよう」
僕は頷いた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
しばらく歩いて、
いつもの門までたどり着く。
僧兵の男が、
今日も同じように立っていた。
僕の姿を見ると顔をしかめる。
「よう、ご活躍は聞いてるぜ。
消灯に間に合うように、
帰ってくるって話じゃなかったのかよ」
その愚痴を要約すると、
昨夜は大変だったという話だった。
上司から何度も確認を受けただの、
訓示の集会の時間が長かっただの、
やっと家に帰ったら嫁が浮気を疑ってきただの、
詳細はどうでもいいことである。
(もう昼過ぎだ。先を急ごう)
ぶつぶつと呟く男を軽くねぎらうと、
僕たちは柵の外に出て、
変異持ちの集落に向けて歩き始めた。




