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第九話 ジャスミンの勘違い

ジャスミン視点です。



 四年前――


 当時のジャスミンは、

 まだ自分の作業場を持っていなかった。

 師匠がまだ健在で、

 その店で修行中の身だった頃のことだ。


 そろそろ自分の作業場が欲しいな、

 と思うことはよくあった。

 けれどそんなことを口にしても、

 長々しい説教が待っているだけだ。

 それはもう聞き飽きるほど聞いた。

 暗記してしまったほどである。

 ジャスミンは不満を心の奥にしまい、

 全て忘れたふりをして働き続けた。


 最近になって、

 師匠は体調を崩しがちになり、

 歩き回ることを面倒がるようになった。

 これ幸いと、

 ジャスミンは顧客に媚を売って、

 乗っ取り計画を進行させることにした。

 もしも師匠が回復したとして、

 その頃には顧客はみんな、

 偏屈な老人の姿を見て、

 ため息をつくことになるはずだった。


 なぜジャスミンちゃんではなく、

 こんな干からびた爺さんが来るのか?


 という感じである!


 しかし現実はそうならず、

 師匠はこれで楽ができるわいとうそぶき、

 病状が悪くない時も、

 趣味としか言いようがない発明品作りや、

 茶飲み友達とのチェスに興じるようになった。

 たまに殺してやりたくなる。

 でも少し嬉しくもある。


 自分でも役に立てることがあるということ。

 居場所はここにあるということ。


 それらが実感できるからだ。

 そんな日々がずっと続けばいいと思った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 その日は珍しく雨が降っていた。


 もうスターライトは消えかけている。

 店仕舞いを済ませると、

 出かける準備をする。

 カルロ爺から師匠へ呼び出しがあり、

 師匠からその代理を頼まれたのだ。

 薄暗い技師街を一人で歩くのは心細い。

 外套をかぶったジャスミンは、

 雨に濡れた鋼の通りを足早に走り抜けた。


 到着すると、

 カルロ爺の店はまだ開いたままだった。

 軒先には電灯が掛けられており、

 そこには幾人かの技師が集まっている。


「入りますよー」


 ジャスミンは声をかけ軒先に入り込む。


「おう、ジャスミン!

 カーライルの老いぼれは相変わらずか!」


 座っていた矮躯の老人が声を上げる。

 こびとのカルロッティ。

 元工僧にして技師街を牛耳る顔役だ。

 師匠とほとんど変わらない年齢だが、

 まだその意気に衰えはない。


「今日は布団から出られませんでしたから、

 割とよくない感じですね」


 ジャスミンの答えに老人は笑う。


「かっはっは、いい気味だ!

 若い頃の放蕩三昧が祟っていやがる!」


「その言葉伝えておきますね」


 被っていた外套のフードを外す。

 奥には技師街の実力者が集まっている。

 彼らは困り顔で店の奥を、

 見るとはなしに見ている。


「どうしたんですか?」


「ジャックの野郎に、

 面倒を見てくれねえかと頼まれたんだが、

 さあて、こいつはどうしたもんかな。

 技師としての腕は確かだって話だがなあ……」


 店の奥に座っているのは少年だった。

 その身体は痩せ細っていて、

 拷問を受けた痕跡が全身に刻まれていた。

 それは骨と皮だけの弱々しい姿なのだが、

 まき散らす雰囲気は、

 獰猛な魔物のように荒々しく、

 見守る者たちに緊張を強いていた。


 ジャスミンは、

 ふと違和感を覚えた。


 知っているような気がしたのだ。

 どこかで会ったことがあるだろうか。

 あるような気がする。

 不思議な懐かしさが湧く。

 少年の目がふとジャスミンを捉える。

 その瞳が僅かに揺れる。

 視線が何かを確かめるように動く。

 同じなのだ。

 あの少年も気付いている。

 ジャスミンの視線を避けるように顔を背ける。


 ああ、そうだ。


 その姿に記憶が繋がる。

 遠い昔に拾ったうすのろの少年。

 ジャスミンはその顔を思い出す。

 当時もジャスミンの機嫌が悪い時は、

 あんな風に嫌そうに顔を背けていたものだった。


「ラッカ……だよな」


 思わず呟く。

 少年は諦めたように目を合わせる。


「あんたは……

 どうしてアルテミスに?」


「今はジャスミンと名乗ってる。

 ここで技師の見習いをしてるんだ」


「そうか。

 あんたにはその方が向いているよ」


 少年は僅かに笑う。

 そうすると面影がはっきりする。

 ここにいるのは確かに彼女の知る少年だ。


「ラッカ、あんたはどうして?」


「僕は……」


 少年は黙り込む。

 老人が問う。


「ジャスミンよ、

 このガキは君の顔見知りかね?」


 ジャスミンは渋々頷く。

 老人はいやらしい笑みを浮かべる。

 その後は、

 ジャスミンの家で、

 少年を引き取ることが決定するまで、

 あっという間だった。

 流れは止められるものではなかった。

 誰もがこの危険人物を、

 早く厄介払いしたかったのである。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 それから三週間――


 店から帰ると、

 今日もラッカの姿が消えている。

 またなのか。

 もう我慢の限界である。

 ジャスミンは外套を羽織ると、

 暗くなりかけた通りへと出る。


 向かうのは灯火の方角だ。

 僧兵の守る門を抜けて

 繁華街の喧噪に踏み入る。

 知り合いの顔を探して尋ねると、

 ラッカの行き先はすぐに分かった。


 その方向に歩くと、

 黒山の人だかりが見えてくる。

 その奥から漏れるのは乱闘の響きだ。

 また、この流れだ。

 ジャスミンはため息をつく。

 人混みをかき分けて、

 状況が見えるところまでたどりつく。

 覗き込む。

 やっぱりそうだ。


 そこは酒場の入り口で、

 十人近い傭兵が一人を囲んでいる。

 中心に立っているのは、

 薄笑いを浮かべた少年だ。

 拷問の傷跡もまだ癒えておらず、

 その身体は衰弱したままで、

 そよ風にもよろけそうに頼りない。

 だがその表情はどこか楽しげで、

 少し退屈しているようだ。

 囲んでいる傭兵の方が、

 はっきりと怯えている。

 少年の周囲には、

 既に幾人かの傭兵が倒れている。

 立ち上がることもできず呻いている。


「もう来ないのか」


 ラッカは見下した表情で言う。

 傭兵たちが弱いわけではない。

 純粋な筋力なら、

 傭兵たちの方が上だ。

 それでもなおラッカは強い。

 技術の種類の違いなのだ。

 こう何度も見せられれば分かる。

 ラッカが使う技は、

 魔物を狩るためのものではなく、

 おそらく人を殺すためのものだった。


「では僕から行こう」


 ラッカは傭兵たちを打ち倒していく。

 一分もしない内に、

 立っているのはラッカだけになった。


 もう放っておいて帰りたい……


 どうせろくでもない口論で、

 好き勝手に挑発して、

 相手が手を出してきたところで、

 売られた喧嘩は買うぜーとか何とか言って、

 暴れ始めたに違いない。


 しかしそうもいかない。

 ジャスミンは諦めと共に、

 喧噪の中に生まれた空白に踏み出す。


「ラッカ、帰ろう」


 知り合いの手を借りて後始末をする。

 それから部屋に帰る。

 そんな風にして一日は終わっていく。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ラッカが来るまで、

 眠る時はいつも一人だった。

 たまに女の子を拾ってきたり、

 逆にお邪魔することもあるけれど、

 おおっぴらにやるには限度がある。


 今でも男の人は苦手だった。

 普通に話すぐらいなら平気だけれど、

 部屋には入れることができなかった。

 吐いてしまうのだ。


 誰もいない部屋に戻った時、

 その静かさにいつも孤独を実感する。

 そんな時は無性に誰かと一緒にいたくなる。

 でもそれが不可能なのだとも理解していた。


 成長したラッカを見た時は無理だと思った。

 頭の足りない子犬はもういない。

 そこにいたのは一匹の獰猛な獣だった。

 八年前に陥れられた恨みもあった。

 断ろうと思った。

 断りきれなくて頭を抱えた。

 ともかく部屋に連れて行くしかなかった。


 結論を言ってしまうと、

 部屋に入れても大丈夫だった。

 何も感じなかったのだ。


 それから数日、

 ラッカは置物のようだった。

 それを眺めているうちに、

 何となくジャスミンは理解した。

 結局のところ、

 ラッカは変わっていなかったのだ。

 頭はよくなって、

 身体は大きくなったけれど、

 根っこのところはあのうすのろのままだ。


 ラッカは何も教えてくれなかった。

 ただ自分の中に沈み込んで、

 黙り込んだままだった。


 それでもよかった。

 傍にいても怖くない誰かが、

 帰りを待ってくれている。

 それだけでほっとした。


 ある日、求められた。

 どういうつもりか分からなかったけれど、

 不思議と自然に受け入れることができた。

 その時の気持ちを言葉にするのは難しい。

 嫌じゃなかったのは確かだ。

 燃え上がるものはなかったけれど、

 穏やかな気持ちで、すごく安心できた。

 失っていた何かを取り戻した。

 そんな気がした。


 それから数日、

 ラッカは外に出るようになった。

 町を巡って僧兵の厄介になったり、

 傭兵たちと喧嘩をしていることもあった。

 何を考えているのかは、

 やっぱり分からなかった。


 けれど私は、

 温もりを感じるだけで幸せになれた。

 それで十分だったのだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「旅に出る」


 一ヶ月が過ぎた頃、ラッカは言った。


「今までありがとう。

 それと八年前、あの時は悪かった」


 随分とひねくれたものだ。

 ジャスミンは知っていた。

 あの時ラッカがいなければ、

 犯されて、殴られて、吊されるような、

 ろくでもない結末を迎えていただろう。

 この少年がいたから、

 追放はあれほど穏やかなものになった。

 恨むポーズなんてただの甘えで、

 本当は感謝していた。


「ここじゃ、私じゃダメなのかな?」


 ジャスミンは問う。

 ラッカは首を振る。


「そうじゃない。

 ただ色々なものを見て回りたいんだ。

 僕の知るものの何が正しく、

 何がそうではないかを知るためには、

 僕にはもっと多くの場所を見て、

 もっと多くのことを経験する必要がある。

 学んだものは全て伝え聞いたものだ。

 それは自分の目で確認してこそ、

 確かな実在になる。そのはずだ。

 僕はセントラルで学んだものを、

 意味のあるものにしたい。そう思う」


 その言葉には覆せない強い決意があった。


「もうここには帰ってこないのか?」


 ジャスミンは問う。

 ラッカは首を振る。


「しばらく留守にするだけだ。

 一周したらここに、君の元に戻ってくる。

 必ずだ。生きている限りはな。

 その時には土産物でも用意しておく。

 それまで待っててくれるか、ジャスミン?」


 何度も頷く。

 微かに笑うとラッカは、

 癒えきらない身体のままで去って行った。


 当時の私はそれを、

 遠回しな結婚の約束だと受け取ったけど、

 あいつにとってはそうではなかったようだ。

 それはラッカが帰って来た時に判明したのだが、


 ううう、ああああ!


 思い出してもムカムカするし、

 早とちりした自分が恥ずかしくてたまらない。

 後からベルやハルカちゃんに聞いてみると、

 セントラルにいた頃も誰彼構わず、

 あんな思わせぶりなことを言っていたらしい。

 もはや私にできることは呪うことだけだった。


 女の敵め、死ね! もげろ! 腐れてしまえ!


 まあ、

 そんなことを言いつつも、

 ずるずると関係は続けていたりするのだが。


 師匠が息を引き取った時も、

 ラッカがいてくれたから一人じゃなかった。


 それからもずっと支えてくれた。


 愛人とか、

 あんまりいいイメージなかったけど、

 なってみるとそんなに悪くもないのかなー


 ジャスミンは、

 ラッカの寝顔を見つめながら、

 そんなことを思っていたのだった。


 フレアちゃんが来るまでは……



 あの子が来てから、

 あいつは全く姿を見せなくなった。


 二ヶ月ぐらいして、

 やっと顔を出しに来たかと思ったら、

 フレアちゃんへのプレゼントの依頼だ。


 あんなかわいい子じゃなければ、

 いびり倒してやるのに……


 そんなことを考える自分に、

 ちょっと嫌気が差したりもするけれど。

 今はこのままでもいいかなと思う。


 ベルやハルカちゃんは大事な友達だ。

 正妻の座は譲ってもいい。

 というかいらない。


 独占したくない、

 なんて言うと嘘になるけど、

 ずっと一緒にいたら疲れそうなのは本当。

 たまに会うぐらいでちょうどいい。


 フレアちゃんもいい子だ。

 今日、きちんと話をするまでは、

 少しわだかまりもあったけれど、

 今はそんな気持ちは全く残っていない。


 見ていたら分かったけど、

 本当にただの妹扱いっぽいし。


 彼女となら、

 三人でするのも許せてしまうだろう。

 というかその時は私もラッカと一緒に、

 フレアちゃんを攻める側に加わりたい!


 ジャスミンは妄想する。

 涎が垂れそうになるのを我慢する。


 ジャスミンは今、割と幸せだった。


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