第十話 トビー・ビショップという男
迷宮の出入り口となる亀裂の傍には、
自然と門前町が発生する。
山師向けの洗浄屋、食事処、休憩所、
買い取り屋などが客を取り合い軒を並べるのだ。
先日から騒がしい町ではあったが、
今は戦争のような騒ぎになっていた。
まず洗浄屋に行き、
装備と身体の汚れを落とした僕らは、
適当な飯屋のカウンターで食事をとりながら、
隣に座る山師を見る。
四十代の男だ。
染みだらけの皮膚に全身の傷。
それなりの経験を持つ山師と見えた。
僕は尋ねる。
「なあ、妙に騒がしいけど、何があったんだ?」
「ああん?」
面倒そうに僕を見た山師は、
洗浄を受けたばかりの僕の姿を見て笑う。
「帰ってきたばかりか。
随分と長く潜ってたみてえだな」
「三日だ」
「そりゃ驚くはずだ」
僕は酒を一つ頼み、男に奢る。
「若いのに分かってるじゃねえか」
男はぐびりと半分ほど飲み話し始める。
それから僕は更に数人に話を聞き、
状況を確かめた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
三日間でスワルガの状況は大きく変化していた。
予想通り、
独立派は僕らを探そうと大きく動き出していた。
だがその動きは制限されていた。
黄衣派が牽制を始めたのだ。
またシモン殺しについても、
独立派が主張した真実は全く信用されず、
表立って語られるのは、
独立派による非道な暗殺があったのではないか、
という憶測が中心となっていた。
その憶測の中では独立派が動いている理由は、
アルテミシアの連絡員の口封じのため、
同席した者を全て消して真実を隠蔽するため、
そういうことになっていた。
本来の悪役であるアブラハムはといえば、
指導者であるシモンを失った穴が大きく、
急速に縄張りを失っていた。
落ち目になったところで報復を受けたか、
幾人かの幹部が暗殺されもしていた。
だが全体的に見ると、
いけすかない奴らだったが、
独立派の非道な行いの被害者であり、
同情すべき部分はある、
という流れになっていた。
一周回って間違いではない。
だが、やはり真実でもない。
この情報操作は、
独立派を弱めたい黄衣派によるものだろう。
しかしスワルガで最も穏健である黄衣派が、
ここまで攻撃的に動くとは予想外だ。
憶測の通りとしても、
アブラハムと独立派の争いである。
黄衣派の利害に直接触れる問題はなかった。
もしかすると宗主選挙が近いということが、
影響しているのかもしれない。
今や状況は、独立派と黄衣派の抗争に、
変化しようとしていた。
これは僕たちにも好都合な流れである。
このまま強硬な動きを続ければ、
独立派は弱まるばかりだ。
しかし独立派はまだ戦意を保っていた。
一度このまま抜け出すことは可能かと、
都市外への出口へ向かってみた。
だが警戒は厳重なままだった。
(突破できそうか)
(私単独ならおそらく可能ですが、
二人でとなると、あなたは、
無事では済まないでしょう)
(もう少し待とう)
僕らは諦めて引き返した。
そして迷宮で決めた案の通り、
空白の上端が接する場所を確認することにした。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
(どういうことだ?)
僕は確認した場所を横目に見ながら考えた。
空白の上端に被さるようにあったのは、
黄衣派の聖地、無名墓標の社だった。
そこは黄衣派の開祖である破戒僧が、
最後の日々を過ごした場所と言われている。
門前までは一般にも開放しているが、
問題の箇所は、
その奥にある広大な社殿の中だった。
中に入り込もうにも難しい。
社は公式に立入禁止であり、
常に黄衣派の本拠地と同等の、
厳重な警備が敷かれている。
その様子にふと疑問が湧いた。
トビーという山師はここから侵入して、
あの円筒を持って脱出できたというのか。
考えられない話だった。
だが現状で入り口はここしか考えられない。
(一度引くぞ)
僕らはそこから離れた。
状況は理解しがたいものになっていた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
僕たちは裏通りを巡り、
山師の溜り場を梯子しながら、
トビーという名の青年の情報をかき集めた。
そして見えてきたのは、
空恐ろしいほどに優秀な探索者の姿だった。
トビー・ビショップ。
享年二十八。
高い技術知識と鑑定眼を有し、
山師としての探索能力にも長けて、
なお変異生物の狩り手としても名を馳せている。
弱冠十七歳で地下迷宮未踏区域の踏破者となり、
今までに三十五のマップの完成に寄与している。
それは天才という言葉ですら生温い。
存在自体が奇跡のような人物だった。
この噂に語られるトビー・ビショップなら、
あの厳重な警戒の中を、
潜入できたとして不思議はない。
だが分からないのは、その理由だった。
ただの金目当てとは到底思えなかった。
また、こうして調べることで、
出現した謎がもう一つあった。
なぜナイジェルはこのことを隠していたのか?
僕はナイジェルとトビーの関係を調べ始めた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
地上に戻ってから二日。
僕とフレアは教会に戻って遠巻きに様子を見た。
教会はまだ平穏である。
しばらく見ていると、
子供たちと一緒に遙花が出てくる。
遙花は洗濯物を抱えていて、
外壁の隙間からスターライトが差す場に向かう。
これから洗濯物を乾かすところらしい。
遙花は子供たちと楽しそうに笑い合っている。
僕らは三十分ほど周囲を探り、
監視がついていないことを確認して、
素早く教会に入り込んだ。
「遙花、元気にしていたか」
「あ、兄さん!」
遙花は走り寄ってくる。
「ご無事でしたか……ってちょっと汚いですね」
僕らは迷宮探索の服を、
都市でもそのまま着ていた。
そういう探索者も少なくないが、
基本的にはマナー違反である。
迷宮探索をした後の服には、
化学物質や変異生物の血のりなど、
あらゆる悪臭がこびりついていて、
洗浄してもなくなりはしなかった。
だが人を遠ざけるには、
好都合な臭いだった。
「すまない。
急ぎの用があるんだがナイジェルはいるか?」
「外出中です。
でも夕飯までには帰ると言っていました」
僕らはここで待つことにした。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
「兄さん、ソーマってなんですか?」
食事を作る手伝いをしていると、
遙花が尋ねてきた。
「どこで聞いたんだ?」
「ここにいる子は親がいないんですけど、
どうして、と聞いてみたら、
ソーマを飲んで、馬鹿になって死んだ。
みんな、そう言っていました」
たった数日で、身の上話を聞き出せるまでに、
孤児たちをたらしこんだらしい。
遙花は不思議と子供に好かれるところがある。
僕は皮むきを継続しながら答える。
「僕も手を出したことはないから、
本当のところは分からないけど、
ソーマを飲むと、
幸せな夢を見られるらしい。
つらい現実を忘れる夢をな。
そういう薬なんだ。
現実が辛い奴ほどよくはまる。
一度、その夢を見てしまうと、
もう現実に帰りたくなくなるらしい。
そして飲めば飲むほど体を蝕むと、
分かっていても何度も飲んでしまう。
そして金を搾り取られた頃に死ぬんだ」
「金を?」
「ソーマはマフィアの収入源の一つなのさ。
夢の効果に惹かれて飲む奴は絶えないし、
一度飲めば、もうやめられない。
そんな中毒者相手なら、
どんな値段をつけても確実に売れる。
ぼろい商売さ」
「死ぬと分かっているのに……
セントラルではこんなもの売られていませんよ」
「そりゃセントラルで作ったら死刑だ。
だがベルトに法はないし、
何より儲かるからな。
まともな奴は、そんな仕事には関わらないが、
進退窮まったところが、
一発逆転をかけて流通販売に手を出すせいで、
いつまでたってもなくならない。
黄衣派や独立派といった、
ある程度まともな組織は、
製造元そのものを撲滅しようと動いているが、
うまくはいっていないようだな。
流通の動きを見る限り、
明らかにスワルガが中心となっている。
おそらくこの近辺でつくられているんだろうが、
今のところ、こいつは、
どこで誰がどういう風に作っているのか、
それさえ分かっていないんだ。
ソーマはどこからともなく流入する。
そして製造元ではなく新興マフィアが売り払う。
そういう構造になっている。
その意味ではこの都市の真の支配者は、
ソーマを製造している者なのかもしれないな」
僕はただ一般論を教えた。
「ひどいです。
どうして変われないんでしょうか」
遙花は呟いた。
僕はシンプルに世の理を返す。
「金になる限り、どうにもならないさ」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
それから二時間後、ナイジェルが帰ってくる。
「ラッカード、生きていたのか」
ナイジェルの顔は疲労の色が濃い。
「迷宮こそ僕のテリトリーだからね。
逃げるも隠れるも自在なものさ。
お前こそ、かなり疲れているようだな」
「あの情報のせいで眠る暇もない。
十分以上に稼がせてもらってはいるがね」
「それはよかった」
「で、何の用だ?」
「追加の仕事の話だ」
「いいだろう」
小部屋に入ると、僕は尋ねた。
「一つ聞きたいことがあって戻ってきた」
「何だ?」
「トビーという男がいたな。そいつは何者だ?」
ナイジェルの表情は変わらない。
「お調子者の若い山師だよ」
「それはもう聞いた。
僕が一度聞いたことを忘れないのは、
知っているだろう」
「他に何がある。
死人のことをどうこう言っても意味がない」
ナイジェルは、
それ以上、話すことはない、
というように口をつぐんだ。
「ナイジェル、お前は、
トビーがどこであれを手に入れたか、
知っているか?」
ナイジェルは目を細める。
「さあな」
「僕は見つけたぞ」
ナイジェルの目つきが険しくなる。
「本当に見つけたのか?」
「間違いなく」
「どこだ?」
「どうして僕が教えなければならない?」
ナイジェルは黙り込む。
「トビー・ビショップ。
その本名はトビー・アブラハム。
トビーはアブラハムの先代指導者の子だ。
お前はかつてアブラハムの一員だった。
先代の死後、シモンが後を継いだ直後に、
お前はアブラハムを抜けると、
先代の子を連れて、
この教会に住むようになった。
お前たちとアブラハムには、
十分な因縁があるようだな」
「よく調べたな」
「トビーはえらく優秀な探索者だったそうだな。
信じられないような偉業を幾つも聞いたよ。
そんな男が、金目当てにドジを踏むと、
僕には到底思えない。
何をするにせよ、
別の狙いがあったに違いない」
「どんな狙いがあったと言うんだ?」
ナイジェルの静かな問いに、
僕は確信のこもった声で答える。
「ソーマの製造者の正体を暴くことだ」
ナイジェルは表情を変えない。
「言ってみろ」
僕は続ける。
「アブラハムは、
指導者がシモンになってから、
すぐにソーマの流通に手を出した。
そして先代アブラハムの死因はソーマ中毒だ。
僕はそれを聞いて、こう思った。
シモンにはソーマ製造者との繋がりがあり、
その援助を受けていたのではないか。
より明確にいうと、
ソーマ製造者がシモンを操り、
アブラハムを流通業者に
仕立て上げたんじゃないかと。
トビーは、そう考えて、
裏を探っていたんじゃないか?」
「ただの推測だ」
ナイジェルはそこまで言うと、僕を見た。
「だが、ラッカードよ。
その推測が正しかったとして、
お前に何の利益がある?
関わっても損が出るだけかもしれないぞ」
「普段ならそうだった。
知ったとしても無視しただろう。
だが今回は違う。
その製造者を叩くことで、
僕にも十分な利益が生じる予定でな。
ナイジェル、お前こそどうだ。
トビーの仇をとる気はあるのか?」
ナイジェルの表情が凍った。
長い逡巡の後、ナイジェルは僕を睨んだ。
「……計画を聞かせてもらおうか」