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短編作品

熊のような女はごめんだと婚約破棄された令嬢ですが、はいそうですか、とはいかない

掲載日:2026/02/03

*「ヒーロー視点の番外編(前日譚)」の短編投稿しました(2026/2/5)

よければ、本編後に覗いてみていただけると嬉しいです。

(↓ページ下部にリンクあり↓)

 言い伝えでは、この王国は最初にこの地に降り立った人間が、大地に眠る大精霊の力を借り、建国したとされている。


 とはいえ、おとぎ話のように便利な魔法が使えるわけでもない。


 しかし建国の言い伝えを証明するように、我々が知る知識や技術ではいまだ説明できない不思議なことが数多く残っているのも、また事実だった──。





  ◇ ◆ ◇





 建国以来、辺境の地を守り続ける、ガルディーニ辺境伯爵家。


 直系子孫は輝くような銀髪を受け継ぐ。代々騎士を輩出し、武に秀でている一族で知られる名家。


 そのガルディーニの三兄妹の末っ子、年の離れたふたりの兄に続くのがわたし、ジュディス・ガルディーニだ。



 それは十年前、わたしが七歳のときのことだった。


 ある日、他領を訪問した帰りだという侯爵令息の少年が、辺境伯爵領近くを通りかかった際に馬車の事故に遭ったらしく、治療のためにわたし達の屋敷に担ぎ込まれた。


 令息の怪我は大したことなかったものの、大事をとって、彼とその護衛騎士らは屋敷に数日間滞在することになった。


 令息の名前は〝キャス〟だと紹介された。おそらく愛称だろう。


 当主であるわたしのお父さまは彼の素性について把握していたようだが、わたしには〝とある侯爵家のご令息〟という以外、教えてもらえなかった。


 キャスさまとわたしはほぼ同い年ということで、滞在中の彼の相手はわたしが務めることになった。


 お兄さま達がいればよかったのだが、お兄さま達はすでに青年と呼べる年になっているため、今は遠く離れた王都で騎士をしていていなかったのだ。


 キャスさまとあいさつを交わしたとき、彼はわたしを見るなり、なぜか一瞬呆けたような顔をした。しかしすぐに表情を引き締めると言った。


「ふ、ふーん、お前が辺境伯の娘のジュディスか。いいぞ、俺の相手をさせてやる」


 侯爵令息だとしても、かなり横柄な態度だ。わりと整った容姿をしているようだが、性格の悪さが全面に滲み出ている。


 すぐさまわたしは心の中で、関わりたくない相手として認定した。


 しかし相手はしなければならない。


 渋々ながら、キャスさまの話し相手になったり、屋敷の中や領地を案内したりして、ひとまず役割を果たすことに努める。


 彼は何かにつけてわたしにあれこれ指示するものだから、始終そばにいなければいけないほどだった。


 そして、それはそんな中で起きた。





  ◇ ◇ ◇





「そうだ、ジュディス、婚約だ! 俺の婚約者になれ!」


 領内にある、歴史的価値の高い有名な大聖堂内を解説しながら案内している最中のこと。


 キャスさまは何を思ったのか、突然わたしの手を掴むと熱を帯びた瞳でそう言ったのだ。


 なぜいきなり婚約者になれと言うのか、訳がわからない。


 そもそもこの国は、大地に眠る大精霊の力を借りて建国したと言われていることもあって、建国以来精霊が根付く場所に大聖堂や教会が建てられ、貴族の婚約や婚姻は精霊の力が宿る誓約書を使うことが決められている。


 だから安易に交わすものではない。それはこの国の貴族なら誰でも習っていることだ。


「無理ですね」


 わたしはきっぱりと拒否する。そんなこともわからないのか。


「何でだ!」

「何でと言われましても、無理なものは無理です」

「俺が言ってやってるんだぞ!」

「はあ、そうですか。でも無理です」


 キャスさまは駄々っ子のように地団駄を踏む。


 爵位があって見栄えにも自信がある自分が、まさか断られるなどとは微塵も思っていない様子だ。


「いいや、無理じゃない! ジュディスが婚約誓約書にサインするまで、俺はここを動かない!」


 まったくとんだわがまま令息だ。わたしは心の中で盛大に舌打ちした。


 わたし達の見学中は念のため、キャスさまの警護の都合で大聖堂内は立ち入り禁止にしている。それでも向こうの廊下には礼拝で訪れた領民達の姿も見え、彼らは何事かとこちらに視線を向けている。恥ずかしいことこのうえない。


 わたしがズキズキと痛む頭を抱えていると、キャスさまは背後に控えていたお付きの護衛騎士のひとりを呼び、何やら耳打ちする。


 護衛騎士はひとつ頷くとその場を離れ、しばらくすると、あろうことか婚約誓約書を手にして戻ってきたのだ。


 ハッとして壁側に目を向けると、顔見知りの大聖堂の司教が困惑した表情で汗を拭きながら、逃げるように奥に引っ込むのが見えた。


 まさか司教まで動かすとは。

 聖職者は国に所属するので、領主の権力が及ぶものではない。

 それなのにこんな勝手ができるなんて。

 キャスさまは侯爵令息とのことだが、いったいどの侯爵家だ。


「ほら、サインしろよ」


 キャスさまは自分の分のサインを終えると、当然のようにわたしに誓約書を押し付ける。


 今すぐこの誓約書を破り捨ててしまいたい。しかし精霊の力のためか、なぜか不思議と破ることは物理的にできない。


 そして相手はこちらが考える以上に大きな権力を持つらしい、どこぞの侯爵家令息。これ以上機嫌を損ねれば、あとでどんな難癖をつけられるかわかったものではない。



 幼いわたしは散々迷った末に覚悟を決め、サインした。


 承諾したからではない。


 この場合、サインするだけならまだ条件が揃っていないため、誓約書の効力は発揮されないはずだと気づいたからだ。


 貴族が婚約や婚姻の誓約書を交わす際、精霊の力が宿る誓約書を使う以外に、正式な司教または司祭の立ち会いのもと、誓約書に両者がサインするのが決まりになっている。


 でも司教は先ほど奥に引っ込んでいったので、ここにはいない。


 ならこの場を切り抜けるため、誓約書にサインするだけなら──。


 しかし考えが甘かった。



「──え?」


 わたしが誓約書にサインした瞬間、誓約書は〝成立〟を示す黄色い光を発し霧散して消えた。


 あとで知ったことだが、じつは王族に限り、司教や司祭の立ち会いなしに誓約が可能であるらしい。ただし儀礼的なこともあるので、王族の婚約、婚姻であっても、必ず司教らが立ち会うことになっているようだ。


 つまり、キャスさまは侯爵家令息などではなく、王族──。


 この王国には、腹違いの王子が三人、王女が一人いるが、彼はその第一王子、カスパル殿下だったのだ。





  ◇ ◇ ◇





 キャスさま、もとい第一王子のカスパル殿下。その殿下の母で、異国の姫君だった前王妃はすでに亡くなっている。


 第二王子の母は、前王妃が輿入れの際に祖国より連れてきた専属侍女だった。カスパル殿下が生まれた四年後、酔った国王がその侍女に手をつけ、第二王子が生まれたのだとか。侍女は出産後、祖国へ返された。


 その後、後妻として嫁いできたのが最大勢力の侯爵家を実家に持つ現王妃で、幼い第三王子の実母。


 唯一の王女の母は子爵家出身で、現在側妃としておさまっている。数年前に子爵領内で金鉱山が見つかったことにより、王室がその利権を得る口実を作るためだけに結ばれた政略結婚だ。


 こうして多くの腹違いの子どもがいる中、現王妃はほかの子らも実の子のように気にかけていて、慈愛に満ちた素晴らしい王妃だともっぱらの評判だ。


 特に第二王子に関しては、奇病を患い北の離宮で療養中とのことだが、王妃自ら采配して彼の療養を献身的に支えているという。ただ噂の中には、〝呪い〟などという怪しげな話もある。殿下は呪いによって奇病を患っている、と。とはいえ、いずれにしても噂の域を出ない。


「じゃあな、また連絡する。お前も連絡してこいよ」


 カスパル殿下は、満足げな様子で辺境伯爵邸をあとにした。



 こんなこと、お父さまにもお母さまにも言えない。だからと言って、年の離れたお兄さま達に相談でもしようものなら、散々大笑いしたあとで「諦めたら?」と他人事のように返されるだけだろう。彼らは妹への愛情はあるが、脳筋ゆえに配慮に欠ける残念な面がある。


 ぐぬぬ。わたしは猛烈に憤り、後悔した。


 ただ、ひとつだけ希望の光もあった。


 カスパル殿下のあの様子では、国王陛下の許可などは得ていないはず。


 王都に戻って殿下自身が陛下に伝えるなり、あの場にいた護衛騎士の誰かが報告するなりすれば、すぐに婚約は破棄されるだろう。


 婚約の誓約無効書にサインすれば、すぐになかったことにできる。


 そう思っていたのだが──。



 まさかその後、何の音沙汰もなく十年が過ぎようとは、さすがのわたしも予想していなかった。





  ◇ ◆ ◇





 カスパル殿下と無理やり婚約させられてから、すでに十年──。


 わたしの中ですっかり記憶が化石となり、風化してボロボロになり、微塵も消え去っていた、そんな頃。



 その日、先触れもなく突然、カスパル殿下がガルディーニ辺境伯爵領を訪ねてきたのだ。


 そのとき、当主夫妻であるお父さまとお母さまは不在、お兄さま達は王都で騎士の職務中で、領内にはわたししかいなかった。


「どこのどなたですか?」


 あからさまに言ってやったが、殿下はなぜか赤い顔をして馬鹿みたいにこちらを見つめるばかりで、謝罪の言葉もない。長い移動で熱でも出したのか、軟弱め。


「忘れて……けど……、ああ、そうだな、これなら……、もっと早く来てやってもよかったな……」


 殿下は何やらひとりでぶつぶつ呟いている。


 わたしは改めて、殿下を関わりたくない相手第一位として、これでもかというくらい心の中で認定した。



 意味不明な相手のことは放っておいて、わたしは自分の用事を済ませるために歩き出す。


「──あ、おい、待てよ! 俺がいるのに、どこへ行く?」


 さすがに相手は王族、野宿しろと言うわけにもいかないので、彼が引き連れてきた護衛騎士も含め、屋敷への滞在は許した。でもわたしが彼の相手をするとは言ってない。


「ジャムにする木の実を森へ採りに行くんです。殿下のことは屋敷の者には指示していますので、どうぞお好きにお過ごしください」


 わたしは小型ナイフを入れたカゴを手に、振り返ることなくスタスタと歩き、慣れた森の中を進む。


 なぜか殿下がついてくる。


 あろうことか、殿下は護衛騎士にはついてくるなと言って置いてきてしまうので、わたしの後ろには彼ひとりだけだ。


 自分の立場をわかっているのかと思う。


 あまりに無防備で愚かな行動に、わたしは深くため息をつく。


 慣れた森とはいえ、崖などの危険な場所もあるし、野生の熊や狼だっている。


 わたしは仕方なく、背後の殿下にも注意を払いながら、森の中を進む。



 日中の暖かな日差しが木の葉の間から差し込んでいる。


 森特有の心地良い静寂の中、草木を踏み締めるふたり分の音が響く。


 しかししばらくして、突如わたしは立ち止まった。


 ハッとして振り返り、殿下を押し退け、頭上から飛んできたものを素早く掴む。


(──弓矢?)


 先端には何かが塗られていた。となれば、毒だろう。


 刺客だ。


 でも矢の軌道を見れば、狙いはわたしではない。


「走ってください! 早く!」


 殿下に向かって叫ぶ。彼は何が起こったのかわかっていない様子だ。


 殿下を先に走らせながら進むが、その間にも矢が複数飛んでくる。


 どうやら相手はひとりではなさそうだ。


「──レミ!」

「全部で五人」


 わたしの背後に細身の少年が現れ、瞬時に情報を伝えてくれる。


 ガルディーニ辺境伯爵家お抱えの諜報活動も行う集団、〝銀の蜜蜂〟。そこに所属するうちのひとり、レミだ。


 彼は基本、わたしの影の護衛としてついている。


「三人、任せていい?」

「了解」


 レミがわたしから離れて、林の向こうに消える。とすぐに、ギャーッという叫ぶ声が聞こえる。


 彼に三人任せ、わたしは残り二人に集中する。


「な、何なんだ、あれは!」

「喋る前に走る! 早く!」


 おそらく喧嘩もしたことがなさそうな殿下は、直面する命の危機に顔が引きつっている。


 そんな彼を何とか走らせ、森の中を逃げる。


 こっちは地の利があるものの、殿下を庇いながら応戦しなければいけないため、いささか不利だった。


 領内で第一王子が暗殺されたとなれば、おおごとだ。しかもこちらが殺したことにされ、罪を着せられる可能性が高い。おそらくそれが狙いなのだろうけど。



 背後に耳を澄ませれば、追ってくる足音はふたり分。


 わたしは全力疾走していた足を止め、殿下には草陰に隠れるよう指示する。


 少し離れたところの木の幹に身を隠して、待ち伏せする。


 接近してきた相手のひとりを蹴り上げて気絶させ、もうひとりの背後を取って腕を捻り、その喉元にナイフをぴたりと突きつける。


「誰の指示──?」


 尋問しようとしたそのとき、

「──う、うわーっ‼︎」

 隠れているはずの殿下の叫び声が聞こえた。


 わたしの気がわずかにそれた瞬間、刺客は飛びすさり、そのまま森の中へと消えていった。


 仕方ない、あとはレミが上手く対処してくれるだろう。


「……はあ、次から次へと面倒なことばっかりね」


 逃げた刺客を追うことはせず、わたしは急いで殿下の元へ向かう。





  ◇ ◇ ◇





 勢いよく斜面を下りたわたしが、逃げていた殿下に追いつくと、彼は闇狼(えんろう)の群れに囲まれていた。


 通常の狼とは異なり、牙に毒を持つ狼だ。


 幸い、殿下は何とか抱きつく形で木に登ったようで、まだかじられてはいなかった。


 殿下はわたしを見て唖然としている。


 自分では至って普通だが、おおよそ令嬢、いや成人男性でもあり得ないほどの速さで駆けつけてきたからだろう。


 唸る狼達が振り返り、今度はわたしに狙いを定める。


 わたしは足元にあった太めの木の枝を拾い、先頭を切って襲ってくる狼達を一頭ずつ、頭や胴体などの急所を狙って的確に一撃を加える。


 ナイフを使うこともできたが、無駄な殺生はしたくない。素手でもいいが、毒のある牙に噛まれると厄介だ。


 体が一番大きな群れのリーダーらしき狼に狙いを定め、一撃を食らわせる。


 その瞬間、耐えきれず木の棒は粉々になる。


 狼達は統率が取れなくなったことで、さすがに諦めたようで逃げていく。



「……おい、手を貸せ」


 木の上から声がする。

 どうやら殿下は下りれなくなっているらしい。

 めんどくさ。


 わたしは木の幹に一撃を加え、振動で彼を強制的に下ろす、というよりも、落っことした。


「何をする! 怪我したじゃないか! 乱暴者め!」


 擦り傷ごときでわめいている。


 わたしはスカートのポケットから、おやつ用にと持ってきていたリンゴを取り出す。


 一口かじったあとで、にっこり笑い、軽々とリンゴを握り潰した。


 殿下の顔からサーッと血の気が引く。


「助けてもらっておいて、お礼もなしの礼儀知らずのくせに、何かおっしゃいました?」


 さすがのわたしもブチ切れた。王族だからと気を遣っていたが、そんなものはもう不要だ。


 殿下はヒュッと口を閉じた。


 それでよろしい。



 その後、森からの帰り道、この時期にしかお目にかかれない蜜蜂の巣を偶然見つけたわたしは持って帰ろうと手を伸ばしたのだが、足の遅い殿下は蜂に刺されてしまったようで、それなりだった顔は残念なことになっていた。





  ◇ ◇ ◇ 





 その翌朝のこと。


 わたしは客間に滞在させている殿下の元を訪れたのだが、朝のあいさつもそこそこに大声で叫ばれた。


「おい! 賊の侵入を許すなんて、領地管理ができてないんじゃないのか!」


 安全が確保された屋敷に戻ってこられたら、もう自分の立場を忘れたらしい。昨日言いたくても言えなかった文句をギャンギャンとまくし立てている。


 わたしは呆れて肩をすくめる。


「よくもそんなこと言えますね。あれは賊じゃなくて、殿下を狙っ──」


「な、何だ……⁉︎」


(おそらく殿下を狙った刺客だろうけど、まあ、いいわ。自分で気づかないようじゃあね)


「……いいえ、何でもありません。とりあえず無事に王都まで帰れるといいですね」


「どういう意味だ」


「そのままの意味です。さっさとお帰りくださいませ。どうぞよい帰路を」



 わたしは有無を言わさず、殿下を馬車に詰め込み、彼の護衛騎士とともに屋敷から追い出した。


「はあ⁉︎ 何なんだ、あいつ! 乱暴で怪力で、熊のような女じゃないか! クソーッ!」


 殿下を乗せた馬車が遠ざかっていく。


 何やら叫んでいるが、放っておいた。


 わたしはやっと一息つく。


(護衛騎士もいるし、まあ、大丈夫でしょう。というか、領内(ここ)から出ていってくれれば、あとはどうなろうとわたしの知ったことではないわ。ああ、そういえば、婚約の無効を念押しするのを忘れてしまったのは悔やまれるけど……)





  ◇ ◆ ◇





 不思議なことに、ガルディーニ辺境伯爵家には、代々熊のような並外れた身体能力(スキル)を持った子どもが生まれる。


 言い伝えでは、領地の(いにしえ)の銀の森が火事になったとき、先祖が森の番人である熊、その子どもを助けたことが始まりだという。


 そのスキルは一世代にひとりにしか現れない。


 ガルディーニでは、スキルを持った者が将来の当主になることが決められている。


 現在、辺境伯爵領の執務はお父さまに代わって、ほとんどわたしが行っている。


 特別な力を持つことは、一族の中でも直系子孫とその嫁しか知らない。


 悪用されないためだ。


 ただ、スキルが現れるのはほとんど男性なうえ、代々熊のような大柄な体格に恵まれることも相まって、人間よりも優れた俊敏性や打撃力、握力を公に発揮しても、特別な力があるなどと疑われることはなかった。


 そしてわたし達三兄妹の代では、お兄さま達ではなく、わたしがスキルを持っていた。


 だから、殿下がわたしのことを〝熊のような〟と言ったのも、ある意味間違いではないのだ。





  ◇ ◆ ◇





 ──そして現在。


 十年ぶりにカスパル殿下がガルディーニ辺境伯爵領を訪れた日から、三か月後のこと。




 王都の中心にある白亜の王城。その王宮の大広間では、この国の第一王子、カスパル殿下の生誕を祝うパーティが始まろうとしていた。


「我が王国の誇り高き臣達よ。今宵集まってくれたことに感謝する。祝宴開始の宣言をする前に、この場である者に言っておきたいことがある。──ジュデス・ガルディーニ!」


 今夜の主役であるカスパル殿下が一際大きな声を発し、ぴたりとわたしに目を止める。


(おおやけ)にはしていなかったが、訳あって俺は今から十年前の子どもの頃、そこにいるガルディーニ辺境伯爵家の娘、ジュディスと婚約の誓約書を交わした」


 その瞬間、第一王子が十年も前に婚約していたというまさか事実に、大きなどよめきが起こる。と同時に、

「……見ろ、あの銀髪」

「ではやはり、あの令嬢がガルディーニ辺境伯爵家の……?」

「初めてお目にかかるわ……」

 という声もあちこちであがる。


 わたしは領地からほとんど出ることがないため、ここにいる人の大半はわたしを見るのは初めてなのだろう。


「よく聞いてくれ! 重ねて言うが、訳あってのことだったのだ。しかしそれは誤りだった」


 殿下は大袈裟に激しく後悔するそぶりを見せると、さも勝ち誇ったようにわたしを見下ろし、叫んだ。


「──ジュディス! お前みたいな、熊のような女はごめんだ! 今この場で婚約破棄してやる!」


 殿下の隣には、見るからに親しげな令嬢の姿が見える。


 呆れてものも言えない。


 そもそも十年前のあのとき、無理やり婚約させたのは、そっちだというのに──。



 殿下が今日この場で婚約破棄を宣言することは、わたしは事前に把握していた。


 再会した日から集めた情報によって──。


 殿下としては、再会時に起きた出来事の逆恨みから、わたしに恥をかかせてやりたい一心なのだろうが、恩を仇で返すとはまさにこのことだ。


 だが殿下が言うように、そもそもこの婚約は公にはなっていなかったため、婚約、さらに婚約破棄という目まぐるしい展開に周りは理解が追いつかないようだ。


 そのうえ、大柄でもないわたしの容姿はどう見ても〝熊のような女〟には見えないだろう。


 大勢の者がどう受け止めたものか、首を捻っている。


 そんな周りの空気を察したのか、殿下の取り巻きらしき令息がおろおろと確認するように口を開く。


「恐れながら殿下、熊のような……、というのは、もしやそれはガルディーニ辺境伯爵令嬢の兄君達のことではありませんか?」


 令息がちらりと目をやるのは、わたしの両脇に立つ、まさに熊のような長身でがっしりした体躯をした銀髪のふたりの青年。年が離れたわたしのお兄さま達だ。


 わたしは結局この婚約のことを家族には一切伝えていなかったので、お兄さま達も思わぬ事実に驚いている。


 しかし(わたし)が侮辱されていることをすぐさま理解すると、殺気を漂わせ、殿下を睨みつけている。



 わたしはふうっと息を吐き出してから、静かに口を開く。


「熊のような……、ですか?」


 それはある意味間違いではないが、代々家族の間でしか共有されていないことを、わざわざこの場で大っぴらにする気はない。


「そうだ! お前のことで間違いない! 俺がこの目でしっかりと見たんだからな!」


「はあ、さようですか」


「はっ、しらばっくれるのか? まあいい、俺は愛想も何もない熊女のお前との婚約は破棄して、ここにいる愛らしいカーラと婚約するのだから!」


 殿下は目配せして壁際に控えていた侍従を呼び寄せると、侍従が恭しく差し出した一枚の紙にさらさらとペンを走らせる。そのあとで隣にいる令嬢、カーラ嬢にも同じように何やら書かせる。


 わたしは、まさか──、と目を見開く。


 殿下は書き込んだそれを得意げに宙に掲げた。



 ──婚約の誓約書だった。


「今、新たな婚約の誓約書を交わした! これで上書きされる! ジュディス、お前との婚約はこれで破棄──、な、何だ⁉︎」


 その瞬間、誓約書が赤い炎を纏って一気に燃えた。


 本物の炎ではなかったが、カスパル殿下は大慌てで手を離す。


 燃える誓約書の欠片がヒラヒラと床に落ち、最後にボッと火の勢いを強めたあとで、跡形もなく消える。


「な、なんで、火が──⁉︎」


「う、嘘でしょ──⁉︎ ちょっと待って、こんなの聞いてない──!」


 殿下は驚きのあまり、ポカンとしている。


 反対に、先ほどまでしおらしくしていたカーラ嬢は一変、必死の形相で隣の殿下を押し除けると、床に這いつくばって消えた誓約書を必死で探している。


 どうやらカーラ嬢のほうが、事態を素早く理解しているようだ。


「誓約書が赤く燃えたぞ!」

「まさか、本当だったのか⁉︎」

「は、初めて見ましたわ」


 皆、戸惑いの言葉を口にしている。


「おい! 何が起こったんだ!」


 殿下は誓約書を持って来させた侍従の襟首を掴み、詰め寄る。





  ◇ ◇ ◇





 そのとき、大広間の後方にある大扉が開いた。


 誰かが、国王陛下、と声をあげる。皆、一斉に後ずさり、道を譲る。


「──待て、いったいどういうことなのだ、カスパル! なぜお前が婚約していることになっていたのだ! ええい、それよりも、なぜ婚約の上書きなどという馬鹿な真似を! 何があろうと、無効の誓約書を交わすのが先であろう‼︎」


 大広間に足を踏み入れた国王陛下が大股で進みながら、顔を真っ赤にして怒り心頭の様子で叫ぶ。


 陛下のすぐ後ろには、王妃殿下の姿も見える。その細い腕を伸ばし、カスパル殿下に掴みかかりそうな勢いの陛下の体を引き止めようとしている。


 王妃殿下が真っ青な顔で、唇を振るわせて言う。


「へ、陛下……、まさか、これではカスパル殿下はもう……」


「ああ、もう金輪際、誰とも婚約、さらには婚姻もできないということだ!」


 それはつまり、カスパル殿下は王族としての義務を果たせない、国王の座に就くことは限りなく難しくなった、と言える。


 陛下の吐き捨てるような言葉に、ざわっと一際大きなどよめきが起こる。



 おそらくこの場にいる者達は、先ほどの婚約誓約書が赤い炎に燃えるのを目にして、貴族の令息令嬢としての教育過程で学んだ内容を思い出し、すでに気づいていただろう。しかしそれでも信じられない様子だ。


 何でも建国時に力を借りた大地の大精霊はかなり嫉妬深い性格だったらしく、婚約や婚姻の誓約書の重複には罰を与えるのだ。


 罰とはつまり、重複を犯した者は二度と誓約書を交わせなくなる、ということらしい。


 だから、この国の貴族に生まれた人間なら誰でも幼少期から、『婚約や婚姻の誓約書を交わすとき、重複には十分注意しなければならない』と、頭に叩き込まれているはずだった。


 ただしそれさえ守り、事前に無効の誓約書を交わして白紙に戻していれば何の問題もない。



 しかし殿下は狼狽しながら、何やら見当違いなことを口にする。


「な──! ち、父上、それはどういうことですか⁉︎ でも、王族なら無効の誓約書は不要のはずでは──!」


「そんなわけがあるか! 世迷言を言うな!」


「で、でも、俺はそう聞いて──」


「陛下、カスパル殿下はとても混乱しておいでです。今はこの場を収めることのほうが先決かと……」


 王妃殿下が周りを気にするように言う。


 生誕パーティに集まったはずの大勢の招待客は、今や目の前のとんでもない事態に収拾つかないほど混乱し、ざわついている。


 陛下が頭痛を抑えるように額に手を当て、わたしのほうに顔を向ける。


「……はあ、ガルディーニ辺境伯令嬢、すまないが、後日、日を改めて話し合いの場を設けさせてくれ」


 日を改めて──、つまり水面下で今回のことを穏便に済ませたい、という魂胆が見え見えだった。


 今の陛下に限らず、昔から我がガルディーニ辺境伯爵家は辺境領の中でも特に〝従順ならざるガルディーニ〟として、歴代の国王からは煙たがられている。


 しかしそのくせどの国王も公の場では、「戦でガルディーニほど頼りになる家門はない」と声を大にして言うのだから、二枚舌もいいところだ。


(まさか、はいそうですか、なんて引き下がらないわよ)


 わたしはカスパル殿下を冷めた目で一瞥したあと、陛下に向き直り、ここぞとばかりににっこりと笑う。



「恐れながら陛下、この場でわたしから、お伝えさせていただきたいことが──」


 陛下がぎょっとする。


 わたしが何を言うのか、陛下は戦々恐々として慌ててこちらを目で制そうとしたが、わたしは気づかないふりをして続ける。


「じつは十年前、カスパル殿下は〝とある侯爵家のご令息〟というご身分でお忍びで出かけられ、たまたま当家の辺境伯爵領の近くを通りかかられました。その際、馬車の事故に遭われ、治療のためにわたしどもの屋敷に担ぎ込まれたことがございました。そしてそのとき、年の近い少女のわたしが、殿下のご滞在中のお世話役を務めさせていただく名誉に預かりまして」


「ほ、ほう……、そんなことが。カスパルが世話になったな、今さらながら礼を言う」


「もったいないお言葉でございます。そういえば初対面の折、カスパル殿下にごあいさつさせていただいたとき、殿下はわたしを見るなり、なぜか一瞬呆けたような顔をされていらっしゃいました。殿下にしてみれば、王都で花のようなご令嬢を見慣れていらっしゃるので、森しかない辺境に住むわたしなど垢抜けない少女で、さぞ驚かれたことでしょう」


「いや、それ完全に一目惚れじゃ……」

 どこかから誰かが思わずといったふうな声を漏らす。


「それでわたしが、ご滞在中の殿下を我が領内でも有名な大聖堂にご案内させていただいたとき、なぜか殿下はわたしに婚約誓約書にサインするようにとおっしゃられ、恐れながらご辞退申し上げると、サインするまで動かないとおっしゃられて……」


「なっ、ジュディス、お前! 勝手なことを言うな! う、嘘です、父上、いえ、陛下──! そいつの言うことを信じないでください!」


 カスパル殿下がたまらず声をあげる。でもそれが自分で自分の首を絞めているとは気づいていないらしい。


 陛下だけでなく、この場にいる誰もが冷ややかな視線を殿下に向けている。


 当然ながら、わたしが言ったことは作り話ではないし、話を盛ってもいない。すべて事実だ。むしろ柔らかい表現にしてやっているくらいだ。


 わたしはここぞとばかりに、つらつらと言葉を並べる。


「わたしはそれ以上お断りできず、どうしようもなく……。しかしながら、貴族間の婚約や婚姻は尊い陛下のご許可が必要です。勢いで交わされた誓約ですから、あとで必ず破棄され、婚約無効の誓約書を交わすことになるだろうと思っていたのです! ああ、それにわたしが、その侯爵家のご令息がカスパル第一王子殿下だということに気づいたのは、誓約が終わってしまったあとでした。そのときの驚きと言ったら……、侯爵家のご令息ではなく、殿下だったなんて……! ですから一刻も早く、この婚約を無効にしていただかなければと思っておりましたが……、その後気づけば十年間も音沙汰がないままで……。きっと殿下にとっては、王都に戻れば忘れてしまうような些細な出来事だったのでしょう」


「じゅ、十年も……」

「あり得ないわ……」


 わたしの話を聞いている方々がたまらず、といったふうに同情の言葉を口にしてくれる。


 そこで陛下が何やら思い至った顔をする。


「そういえば昔……、カスパルがどこかの令嬢を婚約者にしたいと突然言ってきたことがあったような……。勝手なことを言うので許可しなかったのだが、あれはそなたのことだったのか? でもすでに誓約書を交わしたなどとは言っておらんかったが」


 ああ、なるほど。


 わたしは心の中で頷く。



 十年前、きっとカスパル殿下は陛下に叱責されるのを避けるために、婚約の誓約書を交わしてしまった事実は伏せておき、まずはわたしを婚約者にしたいと願い出たのだろう。


 でも許可してもらえなかった。


 そうしてそのまま棚上げにして、結局忘れてしまっていたというところか。


 そして三年ほど前に自分好みのカーラ嬢に出会い、徐々に仲を深め、彼女との婚約を考えるようになった。


 今の殿下はわたしと出会った子どもの頃とは違い、いずれ王になるのは自分なのだからという気持ちで強気になり、わたしへの逆恨みと嫌がらせの気持ちも相まって勢いで行動したに違いない。


 わたしはちらりと殿下に目を向ける。自業自得だが、蒼白になっている。


 そんな殿下と親密そうだったカーラ嬢は、今や鬼の形相だ。それはそうだろう。彼女の目的だった王太子妃、ひいては王妃になることは失敗してしまったのだから。


 今回のことも、カーラ嬢のほうから殿下と仲を深めたあとで頃合いを見て、殿下の婚約者になりたいと言い出したのだろう。それがきっかけで、殿下は十年前にわたしと婚約していたことを偶然思い出したというところか。


(変だと思ったのよ。十年間も放置しておきながら、今さら現れるなんて)



「じつは三か月ほど前、十年ぶりに殿下がわたしの元を訪ねていらっしゃいました」


 これも伝えておく必要がある。わたしは陛下に向かって言葉を続ける。


 陛下はご存じでなかったのだろう、驚いている。


「──な、何⁉︎」


「なぜ今さら? とわたしも思いましたが、『そういえば、ジュディスの見た目は悪くなかったな。婚約破棄する前に、一度見ておいてやってもいい。昔のまま成長していて、もしあいつから泣いて懇願するなら、婚約を継続してやってもいいかもな、ははは!』──、でしたっけ? それで、わざわざわたしの顔を見に辺境までお越しくださったそうで」


 再会後に集めた情報の中にあった、殿下がほざいたらしい言葉だ。


 わたしは射るような視線を殿下に向ける。


 彼は目を見開いて、陸に上げられた魚のようにハクハクと口を動かしている。


「そうして我が領地にいらっしゃった殿下は、わたしを見るなり大層驚かれておられました。きっとご期待に添えなかったんでしょう。そのときなぜか殿下の顔が赤かったのは、長旅でお疲れだったんでしょうね」


 軟弱め、と思ったことは口に出さずにいてやる。


「いやいや、やっぱり好みだったんじゃ……」

 誰かの独り言に対して、周囲も同意するように小さく頷いているのは気のせいか。


「再会したものの、殿下はすぐにお帰りになられることがなく、なぜかわたしのあとをついてこられて。その際、森の中から出てきた狼に殿下は大変驚かれ、動けなくなってしまい……。しかしわたしはいち臣下として、何とか殿下をお守りしようと必死で狼を追い払ったのですが、どうやらその際のわたしの行動が令嬢らしからぬ、〝()()()()()〟と思われたようで……」


「──お、おい、全然違うだろ! 勝手なことを言うな‼︎」


「まあ殿下、事実ではないですか。でも殿下は、わたしのような小娘に庇われたことが、どうしても受け入れがたかったようですね。ですから、『俺をぞんざいに扱って、恥をかかせた罰だ。三か月後、俺の生誕パーティにあいつ、ジュディスを招待する。さすがに断れないだろう。何も知らずのこのこやって来たところ、大勢の前で婚約破棄してやる!』──、なんてこともおっしゃっていらっしゃったとか? ええ、恐れ多くもわたし、ジュディス・ガルディーニ。こうして()()()()()王城までやって参りました」


 本当にこんなのが第一王子だなんて、王太子候補だったなんて、この国の行く末が心配でならない。


 わたしはゆっくりと周りを見回す。


 本当に伝えたい相手は陛下ではない。ここに集まっている大勢の貴族達だ。


 これでもう揉み消すことはできない。


 わたしは再び陛下に目を向けると、優雅ににっこりと笑った。





  ◇ ◇ ◇





 無理やり婚約させられた挙げ句、十年も放置され、公の場で婚約破棄された立場のわたしが先ほど話した内容は、多くの人に衝撃を与えたことだろう。


(まあ三か月前、殿下と再会したときに起きた出来事の内容は、かなり省略したけど……。ガルディーニに罪を着せられないよう、刺客が送られたことは伏せておかなきゃいけないし)


 放置されている十年の間、わたしから殿下に連絡を取ることも考えたが、なぜこちらから連絡せねば? という思いが強く、そのうち自分が婚姻するまでに解決できればいいだろうと静観を決め込んだため、気づけば年月が経っていたのだ。


「──へ、陛下! これは何かの間違いです! 聞いてください‼︎ ジュディス、お前のせいだぞ! 誰か、あいつを捕まえ──」


 最後の足掻きとばかりに、カスパル殿下が叫ぶ。だが、陛下は冷めた目で一瞥するだけ。


 殿下は行き場を失った怒りをぶつけるように、わたしに襲いかかろうとするも、何かに足を取られ、すっ転ぶ。盛大に顔面から床にぶつかり、気絶したようだ。


 レミだ。


 招待客に紛れ込んでいた我が家の影の護衛、貴族令息のような出で立ちのレミがちらりと見える。


 わたしは彼に視線を送り、それ以上相手にするな、放っておけ、と伝える。


 殿下は側近達に両脇を抱えられながら、大広間から退場していく。


 そのとき、パンッと手を打ち鳴らす音がした。


「──今宵はここまで。陛下、ここは一度ご退席を」


 そう言ったのは、それまでずっと控えていた王妃殿下だった。


 その顔に一瞬、冷徹な表情が覗いたようにも見えたが、すぐに何事もなかったかのような表情で淑やかに微笑む。


 王妃殿下の一瞬の変化に気づかぬ陛下は、息子である王子が起こした騒動で痛む頭を押さえながら、

「……はあ、そうだな、そうするとしよう。皆の者、今宵集まってもらっておきながら、すまぬ。今日のところはこれでお開きとする」

 と言うと、王妃殿下に支えられ、大広間を出ていく。



 わたしは遠ざかっていく王妃殿下の背中をそっと見やる。


(……食えないお方ね)


 慈悲深い聖母のような顔をして、その内実は権力に固執する野心家。裏から宮廷を操っている。


 変に目をつけられたらあとが厄介だ。だからよほどのことがない限り、今は表立って無駄に敵対するつもりはない。



 あのとき、ガルディーニ辺境伯爵領の森の中で、カスパル殿下の命を狙ったのは王妃殿下だろう。


 送られた刺客はただの雇われで、依頼人については把握していなかったが、厳重に捕らえてある。依頼人はあとで刺客達を消すつもりだったはず。


 亡き前王妃の息子である第一王子のカスパル殿下を蹴落とすことができれば、一番得をするのは幼い第三王子の母である、王妃殿下だ。


 残る王子の第二王子は、確か十四歳。


 奇病を患って北の離宮で療養中とのことだが、本当のところはどうだか。


 義母である王妃自ら采配して彼の療養を献身的に支えている、というのもかなり怪しいところだ。


 今回の騒動の一端となったカスパル殿下に、『王族なら婚約誓約書の上書きができる』『無効の誓約書は不要』という嘘の情報を第三者を通じて教えたのも、王妃殿下だろう。きっと手の内の者を使い、さぞ真実であるように偽って嘘の情報を伝えたに違いない。


 そして、カスパル殿下が絆されたカーラ嬢。彼女はおそらく、隣国からのスパイの可能性が高い。


 ゆくゆくは王妃の座に就く計画か。はたまた、王子でも産んで摂政という立場で意のままに操るつもりだったか。いずれにしても、内側から国を乗っ取る計画であったことには変わりない。


 先ほど彼女があんなに取り乱していたのも、計画が失敗に終わり、指示役からの処罰を恐れてのことだろう。


 とはいえ、その計画はこの先どのみち失敗していたはず。


 あの王妃が気づいていないわけがない。おおかたカスパル殿下失脚のいい切り札になると踏んで、あえて泳がせていたのだろう。



 この国の王子は三人、王女は一人。王位継承権は男子のみ。


 第一王子のカスパル殿下は、今やこの騒ぎ。


 第三王子は、母であるあの王妃が背後にいる。


 残るは──。


(第二王子殿下、ね……)


 わたしは腕を組んで考える。


 表向き、殿下は奇病を患っているとされている。そしてただの噂にすぎないが、その奇病はじつは呪いが原因だという話もある──。



「おい、ジュディス、あとで説明しろよ」


「そうだぞ。俺、何が起こってんのか、よくわかんなかったぜ」


 騒ぎの間、じっと堪えてくれていたお兄さま達が、わたしの頭や肩に手を乗せて言う。


「ええ、あとで説明するわ。お父さま達にもね」


「とりあえず、俺達は事態収集だな。この騒ぎだ、騎士団も手が足りてないだろうから」


「ああ、だな。でも、お前ひとりで大丈夫か?」


 お兄さま達は現在王都で騎士職についているので、そちらのほうが気になるようだ。


「わたしは大丈夫、仕事に行ってちょうだい」





  ◇ ◇ ◇





 わたしはお兄さま達と別れ、大広間を出る。


 廊下は強制的に帰宅を促されている招待客達や、何が起こったかわからずおろおろする給仕などの使用人達でごった返している。


「……お嬢さん。報告が遅れたけど、どうやらここに連れて来られてるみたいだ」


 レミがわたしの背後にさりげなく近づき、そっと耳打ちする。


「え、ここに?」


「多分、あとで見せものみたいにするつもりだったんじゃね? 悪趣味ー」


「あの殿下がやりそうなことね。──で、彼はどこに?」


 問いかけたそのとき、ガシャンッという音とともに、近くで声があがる。


「──うわっ!」

「も、申し訳ありません‼︎」


 振り返れば、床の絨毯が水浸しになっていた。


 どうやらトレイを持った給仕係が誰かとぶつかり、飲み物が入ったグラスを落としてしまったようだ。この混雑だ、無理もない。


 運悪くその場にいた人物にも飲み物がかかったらしい。頭や肩が濡れている。


 その人物は、紳士淑女ではない、少年だ。


 招待客にしては、やけに幼い年齢。


 皆戸惑うばかりで誰も手を差し伸べないのは、王城に出入りを許されたとは思えないほどボサボサの黒い髪に、着ている服があまりにみすぼらしかったからだろう。


 わたしは進み出ると、動けずにいる少年の腕を取って引っ張る。


「こちらへ──」


 途端に強張ったように相手が手を振り払おうとするが、わたしは構わず力を入れると、そのままひと気のないほうへと連れていく。


 立ち止まり、無言のまま屈むと、ドレスのポケットから取り出したハンカチで濡れている彼の髪の毛や肩を拭う。


 やけに長い前髪だ。手入れもされず、顔を隠すほど伸びてしまっている。


「……あ」


 小さな声が聞こえた。

 少年はわたしの足元を凝視している。


「……? ああ、これですか?」


 わたしは手を伸ばして、足元のそれを拾い上げる。


 蓄光石(ちくこうせき)だ。


 日中に太陽の光を浴びせておくと、夜に光る特殊な希少鉱石で、種類によって色や形、明るさが異なる。辺境の地でしか採れない。


 今わたしが持っているのは、金平糖のようなトゲトゲした形のもので、蛍の光に似たほんのりとした明かりを発している。


 さっきポケットからハンカチを取り出した際に、落としてしまったようだ。


 わたしは蓄光石を手のひらに乗せて、相手が見やすいように差し出す。


 途端に、少年の視線が釘付けになる。


 まるでサーカスのショーを見ている子どものよう。見ているこちらまで楽しげな気持ちになって、思わずくすりと笑みが漏れる。


「気に入ったのでしたら、差し上げましょうか?」


 パッと弾かれるように少年が顔を上げる。


 わたしは蓄光石を差し出す。


 彼はしばらく視線をさまよわせるも、やがておずおずと遠慮がちにカサついた両手のひらを広げる。


 その手のひらにそっと乗せてあげる。


 少年は宝物のように手のひらでぎゅっと包んだあとで、指先でつまみ、宙に掲げて食い入るように眺め始める。


 その長く伸びた前髪の間から覗くのは、淡いグレーの大きな瞳と愛らしい顔──。


 瞳は蓄光石の光を反射して、夜空の星のようにキラキラと輝いている。


 なんて純粋で無垢で、まっすぐな瞳──。


 わたしの目が彼に釘付けになる。


 まるで、自分だけの特別な蓄光石を見つけたときのような──、いや、もっと別の何か──。


(──え?)


 わたしは胸を押さえる。


 心臓がきゅん──、と鳴いた気がした。


 途端にドキドキと心臓が早鐘を打ち始める。おかしい。心臓が壊れてしまったのか。


 吸い寄せられるように、もっと相手の顔を見たくて無意識に手を伸ばす。


「あ、だ、だめです、触らないで!」


 その瞬間、彼がわたしの手を避けて怯えたように後ずさる。でもすぐにハッとして謝る。


「すみません、でも僕に触らないでください。呪われます」

「……呪われる?」

「ええ、そうです。だからこれ以上は……」


 わたしは構わず、ぐいっと近づくと言った。


「──第二王子の、デミアン殿下でいらっしゃいますか? 恐れながら、奇病にかかって北の離宮で療養しておられる、というお噂の?」


 おそらく彼が、そうだ。



 痩せ細った身体は、聞いていた十四歳という年齢よりもずいぶん幼く見える。


 それでも足取りはしっかりしていて、言葉遣いも丁寧で、とても病に伏せっているようには思えない。


「ああ、奇病、ですか……、そう、ですね、そういう噂もあるようですね……」


 大人びた言葉でそう漏らした殿下は、どこか自嘲めいた笑みを浮かべ、目を伏せる。


 なぜ彼が、自身に触られることで呪われると言うのかわからない。わからないが──。


 わたしは殿下の手を取り、両手でぎゅっと包み込む。


「そんな! こんなに可愛いのに、呪いだなんて! そんなわけないでしょう!」


 その瞬間、殿下の顔が真っ赤に染まった。


 と同時に、ボンッという奇妙な音がしたと思えば──。


「……え?」


 わたしは驚きのあまり、目を見開く。


 なぜか突然、目の前に愛らしい子熊が現れたのだ。


 子熊の丸い瞳は、先ほど見た殿下と同じ淡いグレー──。


「──か! 可愛わわわ……っ‼︎」


 わたしは一瞬、意識を飛ばしかけた。いや、確実に飛んでいた。


 可愛い! 尊い! 存在してくれて、ありがとう‼︎


 これまでの人生、異性の好みなどさっぱり理解できなかったが、今ならはっきりとわかる。


 その瞬間、わたしの運命が決まった。





  ◇ ◇ ◇





 デミアン殿下は、先祖返りの熊の獣人だった。母方の血の影響のようだ。


 公には奇病とされ、裏では呪いのせいで奇病にかかっているという噂をまかれ、隔離されるように追いやられた北の離宮で幼い頃から虐げられていたという。


 ──許すまじ。


 わたしはふつふつ湧いてくる怒りとともに、自分が持てるすべてを駆使して殿下を虐げた者を追いやってやる、と心に決めた。




「デミアンさま、こんな熊のような女はごめんですか?」


「キュウーン……」


 その日、まるでぬいぐるみのようにわたしに両脇を抱えられ、両足を宙ぶらりんにさせている殿下の姿があった。


 彼は熊に獣化してしまっていたので、何と言ったのかはわからなかった。


 でもどこか照れるように視線をそらす殿下を見れば、わたしの期待はますます高まる。


 嫌だと言われても、そばを離れる気はこれっぽっちもないけれど。


 わたしは自分に都合の良いように解釈し、「ありがとうございます!」と言って、彼をぎゅっと抱きしめた。


 あとで人間の姿に戻ったら、改めて言葉にしてくれるだろう。


 そんなふたりの未来は、まだ始まったばかり──。





最後までお読みいただき、ありがとうございます!


物理的にも精神的にも全方位つよつよヒロイン。でも恋愛面は今はグイグイいけても、ヒーローから仕掛けられたらドギマギしちゃうのかな、と想像してます。



「面白かった」「ほかの作品も読んでみたい」「応援しようかな」など思っていただけましたら、ブックマークや下の★★★★★評価で応援いただけると励みになります!リアクションも喜びます!


次回作も頑張りますので、よろしくお願いいたします(*ˊᵕˋ*)


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