想いはスクランブル?週明けのオフィス
冒頭は照子視点、途中から天使ちゃん視点です。
―――月曜日。
予想通り、昼休みになる頃には、各務の存在は社内全体に広がる事となった。
海外出向組の中で、アメリカ支社勤務となった社員は、社内でもトップオブトップ、超エリートである。
その上、あの飛び抜けたルックス。話題にならない方がおかしいくらいだ。
「ちょっとちょっと~。茂木さんの同期のエリート、目茶苦茶話題になってますよ」
何時もは集中して無言で仕事をこなす佐々木さんが、浮き足立った様子で話し掛けてきた。……女性はいくつになってもイケメンの話題に弱いものだ。あの坂上さんも何処か浮かれているような気がする。
「流石にフロアーが違うから見る事は出来ないけど……はぁ、やっぱり海外組のエリートは違うなぁ~」
関心したように佐々木さんは言うが、各務の場合は仕事の優秀さだけで騒がれている訳ではない。
「違うのよ~佐々木さん。各務君が騒がれてる理由はそこじゃないのよ」
何故か得意気に言う坂上さん。この人、マジで各務のファンなんじゃないの?
佐々木さんや坂上さんだけでなく、普段部署の皆は黙々と仕事をしているのだが、今日は男女関係なく落ち着きなく騒然としている。
しかし、たった一人の社員の帰国で、社内全体がこんなに浮き足立つなんて……次元が違い過ぎる。
そんなヤツと週末二人きりで過ごしたなんて知られたら……想像するだけで怖い。
「でもこれだけ騒がれるエリートの登場って……男たちは気が気でないだろうねぇ~」
ニヤニヤと笑いながら会話に参加してきたのは、佐々木さんと仲が良い湯来さんだ。ギャルっぽい佐々木さんとは正反対で、ポッチャリ体型で癒し系な外見を裏切るくらいの超毒舌な女性だ。真逆の性格な所為で2人はよく言い合いをしているが、それでも馬が合うのかよく一緒に旅行したりしているらしい。
湯来さんは噂話が大好きな人で、社内のゴシップは部署イチだと思う。……仕事はそつなくこなす人なんだが、癖の強い人なので私は少し苦手だったりする。
「私たちの部署は地味な人が多いけど、別の部署の女子社員って可愛い子が多いじゃない?広報とか海外事業とか……そんな可愛い子の人気を独り占めでしょ?」
……うっ、軽く私たちをディスっている。坂上さんの米神がピクピクしてるし、仲良い佐々木さんも引き攣った笑いを浮かべている。悪気はないんだろうけど、誤解されやすいタイプの人だなぁ……。
「特に同じ部署の檜垣さん。今までは本社でぶっちぎりの人気のイケメンだったけど、今回の件でどうなるのかなぁ~」
くふふっ、と含み笑いをする湯来さんに、私と佐々木さんは苦笑いするしかない。女性で噂話が好きな人は多いけど、この手の話が苦手な私はちょっと居心地が悪い。
「でもねぇ……、檜垣君も別に女子社員にモテたくて仕事してる訳じゃないと思うし、流石にそれは失礼だと思うんだけど」
坂上さんが険のある声で言う。私以上に邪推が苦手……と言うか嫌いな人だ。湯来さんの話はあまり気分が良くないのは解る。
「そうだよ湯来ちゃん。あんまりこの手の話を広めない方がいいよ。檜垣さんの耳に入ったら、やっぱり気分が良くないと思うし」
佐々木さんもたしなめるように言う。佐々木さんの言葉に反省してるのか解らない表情で、『ごめんごめん、気を付ける』と言う湯来さん。
檜垣晃26歳。海外事業部の若きエース。
甘く整った顔立ちにスラリとした長身の、爽やかイケメンである。
……興味のない私でも知っている当社きっての有名人。
どんな人なのかは、滅多に見掛ける事もないので知らないが、彼のファンを自称している子から聞けば、気さくな性格な人らしい。
……割と排他的な所がある各務とは真反対な人だな。
完全に蚊帳の外である私は、のんびりとそう考えていた。
「ごめんなさい!!」
またやってしまった。
何度も何度も同じ失敗を繰り返している所為で、目の前にいる先輩は呆れて物が言えないようだ。
そんな先輩が漏らす溜め息に、我慢していた涙がじわりと滲んでしまう。
「……天使さんさぁ……、何でも謝ればいいと思ってない?私、何度も言ったわよね?自分で結論を出して、私の指示なしに事を進めないでって」
クールビューティーと名高い喜多見先輩は、綺麗な顔を顰めて頭を抱える。女性でありながら、色んなプロジェクトの責任者を経験している才女で、男の人も震え上がらせるきつい性格でも有名だ。
……そんな喜多見さんがピリピリしていたら、声を掛けるのも躊躇ってしまう。もっと優しくしてくれたら、声を掛けやすくなるのに……。
「あの、喜多見さん忙しそうでしたし、そんな難しい事ではないと思ったんで……」
「新人の貴女が、どうして易しいか難しいの判断をするの?私たちだけが迷惑するならともかく、先方に迷惑を掛ける事になるって解らない?たった1度のミスで信用を失う事は多いのよ。それに私が忙しそうだからと言って、何も言わないのが正しいと本気で思ってるの?」
「ごめんなさい……」
駄目だ……そう思ったら、涙が溢れてきた。
社会人になってから初めて、私はこうして怒られる事を経験した。
学生時代にアルバイトをしていなかったので、社会に出るのは今年が初めてで、半年過ぎた今も、こうして些細なミスで叱られる事が多い。
働き出して気付いたけど、私は次から次に課題がやってくるとパニックになってしまう所があるみたいで、今回も電話で突然言われてしまって、指示を仰がずに承諾してしまい、喜多見さんに報告するのが後になってしまった。
自分でも勝手に返事をするのは悪いと思ってる。
だけど、始終ピリピリしてる人に話し掛けて、きつく言われるのは傷付いてしまう。
みっともなくポロポロと涙が出てくるのを止められないと、喜多見さんはまた溜め息を吐いた。
「貴女もう大人でしょう?泣いて許してもらえると思っているの?」
「まーまー、喜多見さん。そこまでにしとなきなよ」
私に追い討ちを掛けようとした喜多見さんを止めたのは、檜垣さんだ。
檜垣さんは、こうして叱られている私をフォローしてくれる優しい先輩だ。仕事も出来る優秀な人なのに偉ぶらない、気さくな人柄で部署のムードメーカーのような人だ。
若手俳優のように整った顔立ちで、茶色に染めた髪を緩くパーマを掛けているのもお洒落で、女子社員の間でも人気がある。
「天使ちゃんも泣きたくて泣いてる訳じゃないし、あんまり追い詰めて萎縮しちゃったら、またミスをしちゃうと思うよ」
「そうやって檜垣君たち男性社員が庇うから、許されたと思ってしまうんでしょう?だから何回も同じミスを繰り返すのよ」
「喜多見さんの怒りも解るけど、言い方ってあるからね。天使ちゃんも同じ失敗繰り返すの駄目だって思ってるんだよね?」
「は、はい!!それは勿論です」
「だったら、どうして繰り返すのかちゃんと考えようね。1度や2度なら解るけど、頻繁に繰り返すのは反省してないと思われても仕方ないよ」
「はい……」
「まず、パニックになるなら1度深呼吸して、落ち着いて対処しよう。それと、何か決断する事があるなら必ず喜多見さんに言う事。喜多見さんが忙しくてピリピリしてて、声を掛け辛いからって黙ってるのは、社会人としては失格だよ」
同じ注意でも、檜垣さんみたいに優しく言ってもらえると、すんなりと頭に入ってくる。喜多見さんは早口で捲し立てる事が多いから、内容を理解しようとしてる間に、次の注意が飛んでくるからパニックになってしまうのだ。
「そんなに男性社員がいいなら、檜垣君に教育係代わってもらうように言うわよ?私もこれから大きな企画に携わるし……出来ない新人に関わっている時間ないもの」
私が檜垣さんに優しく注意されているのを見てた喜多見さんが、棘のある声で言う。別に私は男の人が教育係になって欲しい訳ではないのに、女性より男性がいいと何故か昔からよく誤解されてしまう。
「大きな企画って……あのアメリカ帰りのエリートと?」
喜多見さんの言葉に反応した檜垣さんが、面白くなさそうに言う。私は『アメリカ帰りのエリート』と言う言葉に反応した。
「あの……その人って、各務さんと言う方ですか?」
おずおずと話に加わった私を、二人は驚いたように見てきた。
驚くのは当たり前だと思う。入社半年足らずのぺーぺーの新人が、接点のないアメリカ支社の社員の名前を知っているのだから。
「天使ちゃん、各務さんと知り合いなの?」
「知り合いとは言えないんですが……土曜日にお会いしたので」
土曜日に幼馴染みの雷斗とショッピングに出掛けた時、駅で研修中の教育係だった茂木さんに出会った。
茂木さんは、最初の研修場所である事務課の教育係だった人で、仕事の出来ない私に唯一苛立たないで丁寧に教えてくれた人だった。
そんな人だから私は感謝していたので、いつか御礼が言いたいと思っていた矢先の事だった。
研修中に茂木さん以外の教育係の先輩に、散々酷い事を言われていたので、雷斗に泣き言をよく漏らしていた。その所為で雷斗は茂木さんに対してかなり失礼な態度で接してしまった。
御礼を言いたかったのに、逆に不快な思いをさせてしまって申し訳ないと思い、何とか雷斗に謝ってもらいたいのに上手くいかない。
茂木さんは人と待ち合わせていると言っていたのに、私の都合に合わさせてしまったと気付いた時には、茂木さんの待ち合わせ相手がこちらに来た時だった。
茂木さんの待ち合わせ相手は、漫画や小説の世界から抜け出して来たかのような、完璧な美形の男性だった。
雷斗もかなり整った顔立ちをしているので、私は“美形慣れ”していたはずなのに、その人を見た瞬間に固まってしまった。それくらいの衝撃があった。
年上の落ち着いた雰囲気の男性に、私はドキドキしていた。低く耳障りの良い声で茂木さんと話す姿は、クラクラするくらい格好良かった。
……だから、茂木さんの彼氏かと思った時、私は落胆してしまった。
男性……各務さんは、茂木さんには笑顔だったけど、私には無表情で挨拶をしてきた。
美形が無表情になるとより美しさが増すと、身を持って体験した。
私は各務さんの濃い茶色の瞳に映った瞬間、恋に落ちてしまった。
茂木さんと付き合っているかどうかは分からないけど、各務さんが茂木さんに好意を抱いているのは明らかだった。
私は不毛な恋を始めてしまったのだ。
「皆、ちょっと集まってくれないか」
朝から席を外していた部長の声で、私は自分の思考から浮かび上がった。
私の側にいた檜垣さんや喜多見さんや部署にいた社員全員が、『彼』の姿を呆然と見つめていた。
部長は五十代半ばの年齢より若々しく優しげな容貌で、女性社員憧れの存在だが、『彼』と並ぶと霞んでしまう。
部署全員の視線を集めているのに、当の本人である『彼』は涼しい顔をしていた。
「以前から聞いていた者も多いかと思うが、本日付でアメリカ支社から本社に異動になった各務浩輔君だ」
「各務です。5年前までは本社勤務でしたが、色々と変更された所もあると聞きましたので、暫くは迷惑を掛けますがよろしくお願いします」
ニコリともしない無表情で頭を下げた各務さんに、私の横にいた檜垣さんが顔を顰めて、喜多見さんはうっとりと見つめていた。
私はと言うと、ドキドキする胸を押さえて、私の心を捕らえて離さないあの濃い茶色の瞳を見つめていた。
登場人物が美形ばかりなのは、『少女漫画原作の連ドラあるある』です(笑)