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20 完全敗北

「バグ・・・バグだっ!やっぱり来てくれたっ!」


 突然メアがカイトの後方を見て、嬉しそうにそう叫んだ。カイトはメアが幻覚でも見始めたんじゃないかとも思ったが、振り返ると確かに彼にもバグの姿がはっきりと見えた。


「おはようございます、皆さん。最後の夜は楽しんで頂けましたか?」


 バグはメアには目もくれず、優雅に頭を下げた。


「全くスリリングな夜だったよ。突如ホテルが崩壊してお空へ真っ逆さまっていうシナリオはアンタが考えたのかい?バグ」


 フェイブが聞くとと、バグは首を横に振って答える。


「いいえ、まさか。貴方達のことは全て彼女に任せたつもりだったんですけどね」


 そして初めてメアを見た。メアは飼い主を待っていた子犬のように、動かない手足で懸命に体を支えながらバグを見上げる。


「ワタシはこの三人を生け捕りにしろと言ったはずですが、あなたはその右手を使って何をしようとしていたんですか?」


 メアに近づきながら穏やかな口調でそう尋ねた。メアは引きつった表情で肘から下の無い右腕を見た後、


「ち、違うよっ!これは脅すためだったんだ!本当に使うつもりなんてなかったんだよ!」


 甲高い声で必死に弁解した。バグはメアの前で屈んで顔を覗き込むと、


「理由が何であれ、ワタシの言う通りに出来なかったのは事実です。もう、貴方は用済みですよ」


 微笑を浮かべ、優しい声でそう言った。それを聞いた時、メアの大きく見開かれた目からは何も溢れ出さなかった。ただぼんやりと視線が空中を漂っていた。

死刑勧告を言い渡した後、バグはメアを置いてその場から離れた。メアはバグがいなくなったことにも気づいていないらしく、宙を見つめたまま動かなかった。


「アンタほんっと最低だな」


 三人の前に戻って来たバグに、ファイブが失望とも呆れともつかない表情で言い放った。


「最低ですか?彼女はワタシのためなら何でもすると誓ったんです。その約束が果せなかったのですから、これくらい当然でしょう?」


 大して意味の無い世間話でもするように、バグは返す。それを見て、今まで黙っていたネコノタマが首を傾げ、台詞じみた口調でこう言った。


「最低だよっ!オレはそんなこと望んでない!元の生活に戻りたいんだっ!もしオレのために何でもすると言うんだったら目の前から消えてくれっ!て、柏木燈真が見てたらそう言うだろうねーぇ」


 その直後、ネコノタマの首が見えない何かに絞めつけられたように細くなり、体が宙に浮いた。バグが右手を前に伸ばし、何かを掴んでいるような動作をしている。バグが手を離すと、いつの間にかネコノタマには鉄の首輪がつけられていて、そこから繋がれた太い鎖で吊り下げられていた。


「ネコノタマ君っ!」


 フェイブが声をかけるが、ネコノタマの返事は無い。ジャラリと鎖が床に落ちると、ネコノタマは力無くうつ伏せに倒れ、


「まずは一人」


 事も無げにバグは言い、手にした鎖を勢いよく引いた。ネコノタマの体が引きずられ、バグの足元へと寄せられる。

 ファイブはバグから目を離さないまま、気づかれないようにポケットに手を入れた。右のポケットに入っている携帯電話を取り出そうとして、


「つっ!」


 指に猛烈な熱さと痛みを感じ、反射的に放り投げてしまった。痛む手を押さえながら床に転がった携帯電話を見ると、それはドロドロに溶けて最後に液体のようなものが残った。


「無駄ですよ。貴方が何か隠し持っていたことはメアの時にしっかりと見せてもらいましたから」


 バグの動きを止められる唯一の武器を安易に使ってしまった自分に腹を立て、ファイブは舌打ち混じりに顔を歪めた。残されたカイトも燈真を匿っているのだから無理はさせられないと考えている中、ふとある疑問がよぎる。

 そう言えば、先程からカイトが全く動かない。おかしい、真面目な彼なら何か行動を起こしていても不思議じゃないはずだと思い、ファイブがカイトを見ると、


「ようやく気づきましたか。実はもう一人は既に捕獲済みなんですよ」


 まるで彼だけ時が止まったかのように微動だにもせず立っていた。その端正な顔は無表情で、瞳は前を見たまま瞬きもしない。今のカイトは精巧に作られた人形で、さっきまで自分達と一緒に生きて動いていたとは思えない程だった。それを見たファイブは瞬時に燈真とテンのことが頭に思い浮かんだ。


「まさかお前っ!」


「そう。この街のどこにもいないとなれば、貴方達が匿っているしかないと思いましてね。彼をハッキングさせてもらいましたよ。もうトウマの居所も分かっています」


 ファイブを見ながら愉快そうにバグは答えた。しかし少し困った表情を浮かべ、溜息を吐く。


「ですがトウマのいる部屋は中からはドアを通じて外へ出られるのですが、外側からは中に入れないように作られていまして。残念なことにワタシの方から迎えに行くことは叶わないのです」


「当たり前だ。このことをお前が嗅ぎつけるのは想定済みだからな。オレ達を捕まえてどうしようが、柏木燈真はお前のものにはならないぞ」


 ファイブは口ではそう言ったが、内心ではバグがまた他の手を使ってくるのではないかと焦っていた。そしてその予感は見事的中し、


「安心してください、貴方達を拷問しようだなんて考えていませんから。そんなことしなくてもトウマは来ますよ。彼は思いやりのある子ですから」


 バグは余裕気な笑みを浮かべた。それから指を鳴らすと、ファイブは急に両手両足にひどい重みを感じ、立っていられなくなってそのまま両膝を床につけた。だらりと下がった両手を見ると、自分がメアにした時と同じような手錠がつけられている。バグは自由のきかなくなったファイブに近づくと深々と頭を下げ、こう言った。


「今まで本当にご苦労様でした。貴方は確かに自分の出来ることは全てやり遂げました。しかしどんなに努力をしても最初から結果が決まっていることもあるのです。時には諦めることも必要だと思いますよ」


「諦める?それはまず無いね」


 笑いながらバグを睨みつけ、ファイブは答えた。バグもそう返ってくると予想していたのか、大きく頷いて、


「そうですか。それではもう少し協力してもらいます」


 そう言って、静かに人差し指をカイトに向けた。ファイブが指のさす方向を見ると、カイトの足が音も無く床へと沈んでいく。空を綺麗に映した床は水面のような波紋を広げ、バグの後ろでうつ伏せに倒れたネコノタマも飲み込んでいった。


「何をするつもりだっ」


 ファイブはバグに視線を戻しそう聞いた瞬間、自分の体もゆっくりと床に沈み始めた。それを眺めながら、バグは答える。


「言ったでしょう、トウマは思いやりのある子だと。貴方達が捕まったと知れば自分から出てきますよ」


 ファイブはバグを睨みつけたまま何も言わなかった。バグの言う通り、燈真ならきっとそうするだろう。だがそれを止める者もまだ残っている。そのためにテンを置いてきたのだ。

 確証もないくせに絶対に自分が何とかすると豪語してしまった。これを燈真が知ったら嘘つきだと怒るだろうか。だがその時には自分はもういないだろうなと思いながら、ファイブは笑うように口元を歪め、目を閉じた。



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