再び鳴り始める音
グァグァグァ。
アラームをそっと止める。
iPhoneのクラシックバージョンのアヒルがアラーム音だ。
好きな曲にするとアラーム音の印象が強くて嫌いな曲になってしまうので、敢えて多少不愉快な音に設定している。
洗顔して時計を見ると時刻11時52分。
初めてのHとのスタジオ練習まで1時間ほどある。
化粧をして着替え、ベースの肩慣らしを始める。
アンプを持っていないので生音だから少し力が入りすぎる感覚があるが、基礎練から始めるのは活動休止LIVE以来だ。
練習スタジオは家から有難いことに徒歩10分程の場所にあるので、ギリギリまで練習した。
少し久しぶりなので指や手首が痛むが、痛むことより楽しみが勝った。
「おっす、H。今日はよろしくね。」
「おう。」
破天荒なHは時間ギリギリに現れたが決して遅刻することはない。今日もこれからも。
本人も遅刻する人間は大嫌いだと言う。
しかし車で現れたHの運転手役の子まで降りてきた。どういうことだ?
「バンドサウンドにはやっぱりドラマーが必要だろ?」
「こいつ、俺の職場の後輩な。」
「ちょっ、ちょっと…そんな強引な…。」
「えっと…経験は…?」
「んなもん、ある訳ないだろ。TENDOUJIのドラマーだって顔がいいからって理由で初心者からメジャーよ。まぁなんとかなるだろ。」
後輩君は口数少なく緊張感むき出しだ。
色白狼から狩りに出るぞと言われて怯えている子供のようだ。
不安な気持ちと、確かにドラマーと合わせたい気持ちもありつつ。早速店員に予約している旨を告げてAスタジオを使うように指示された。
AスタジオはBスタジオより幾分大きめに作られており、鏡張りでパフォーマンスの確認が出来、ホワイトボードの使い込みから数々のバンドマンが、あーでもないこーでもないと思い悩んだ姿を彷彿とさせる。
ホコリ臭くもなく清潔感溢れるスタジオで空気こそ遮断扉のせいで重いものの、透き通っている。
「じゃあな、まずは教えた俺のオリジナルソングから合わせるぞ。覚えてきたか?」
「勿論よ。」
「まぁ当たり前だわな。俺の好みのアレンジじゃなきゃ、コロス。」
「相変わらず口が悪いわね…。」
「ふん。いくぞ。」
「ま、待ってください!オリジナルソングって?どこをどう叩けば?」
後輩君は半ば本気で泣きそうな顔で教えてくれと哀願してくる。
「はぁ〜来る時YouTubeで聞かしてやったろ?アホ。つったんつったんだよ。やってみたらいいんだよ、間違えたらコロスだけだから。」
「さ、佐和子さん…。」
「大丈夫よ、コイツの中でコロスは口癖みたいなもんだし。」
「そうじゃなくて…。俺ほんとにドラム初めてで…。」
「あー!もう女々しい奴だな!男ならやってみせろよ!もういい、どけ!」
強引に後輩君を退かし、Hはエイトビートを披露した。
時折チャイムなど金物をまぜつつ、骨格作りを実践した。
「これやりゃいいんよ。簡単だろうが。」
「ほれ、時間もったいねぇよ。やるぞ。カウントとれ。」
「カ、カウント…?」
「てめぇが持ってるバチでカンカンやって、ワントゥスリーってやってドラム始めりゃ済むんだよ、さっさとしろ、さもなくば…。」
「もう、コロス禁止令。」
佐和子が仲裁に入ってやっと後輩君の覚悟も決まったらしく小さな音を出してカウントを小声で言いかけたら、気合いが足りねぇとHから足先で軽く小突かれやり直しを命じられる。心底コイツと同じ職場になった後輩君の運命に同情したが、ドラムの楽しさに目覚めてくれたら嬉しいなと、ささやかに期待した。
「い、いきます!ワン、トゥー、スリー!」
後輩君のドラムはリズムも出力もぐちゃぐちゃだったので(むしろ初めてのドラム体験にしては上出来であったが)、Hのギターに合わせてベースを弾くことにした。
AやHの地元を歌った爽やかな魚が恋する歌だ。破天荒なワガママ大魔王の癖に、曲作りの才能は限りなくスマートかつ繊細だった。美しい。ベースも指弾きで合わせた。ピックの鋭利さより指の滑らかさが合うと思ったから。
「よし。ヤニ注入タイムだ。」
一緒に来て欲しいくせに決して一緒に行くぞとは言わないのは実にHらしい一面だった。控え室のソファに3人座りタバコを吹かす。
「後輩君、ドラムはどう?」
無言に耐えられなかったのと元来人のことを気にしがちな佐和子は自然を装って気遣った。
「あ、はい。難しいですけど…楽しいっちゃ楽しいです。」
「なんだよそれ。楽しいか楽しくないか、だろ。」
「ま、まだ1時間しか合わせてないんで…。」
ふんっと、鼻をならしてAスタジオへ戻るH。慌ててついて行く後輩君。もう1本吸っとこうと吸い始める佐和子。
回想するのは、前のバンドの時のことだ。
バンドマスターとして必死だったがこのバンドの軸は限りなくHだろう。
いい仲間を持ったと微笑んでタバコを消してAスタジオへ戻る。




