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鬼の嫁乞い  作者: 久里
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「何故返事が来ない……。高貴な娘は雅やかな文字で歌を綴れば喜ぶのではなかったのか……?」


 一方その頃、鬼。

 恋文の返事がいつまでも来ず、一人きりの牛車の中、愕然として落ち込んでいた。


 温羅(うら)が【運命】である伊勢の斎王を見たのはひと月ほど前。

 普段は宮に篭って過ごしている斎王が、祭事の為に外に顔を出した時であった。神の娘の血肉はいかほどのものかと興味を持った温羅は最初、斎王を攫って食うつもりでそこに赴いたのだ。


 けれどいざ目にしてみれば、相手はまさかの、温羅の運命。

 豊かな黒髪。雪の様に白い肌。伏せられた睫毛が頬に影を作っていた。微笑んでいるのにどこか寂しげで、まるで孤独な百合の花のようであった女。


 温羅は斎王を一目見た瞬間に心を奪われた。

 鬼やトカゲ……、つまりは龍など、人外のもの達の間でまことしやかに囁かれる奇跡の現象。

【運命の番】の存在など、温羅はこれまで信じてなどいなかったけれど、そうでもなければ説明が付かないほどに胸を掻きむしらずにはいられないほどに、たった一目見ただけのあの娘が愛しくてたまらないのだ。


 温羅はあの瞬間、本当は食うためではなくて、娶る為に斎王を攫おうと考えた。

 それを押し留めたのは、温羅のなけなしの理性である。


 鬼の好むものと言えば古今東西、美酒に美食、それから美女と相場が決まっている。

 それは温羅もまた例外ではなく、これまで温羅は何人もの女を攫い、それとも縄張りである村々から生贄として差し出されてきた。

 飽きるまで抱いて、最初泣き叫んでいた女が「温羅様、温羅様」と鬱陶しくなる頃には殺して血を啜り肉を食うのだ。美女の血は鬼にとって美酒にも等しく、美女の肉は美食に等しい。一度で三度美味しいのが、鬼にとっての女なのである。


 つまりそういうことを繰り返したからこその温羅の悪名であるのだが、それはともかくとして。

 温羅が斎王を攫おうとした瞬間、思い出されたのが、過去の女達の嘆き叫びの数々であったのだ。


「怖い、助けて、お母さん!」と泣き喚いた女が居た。

「どうして私がこんなことに、家に帰りたい」とずっと俯いて涙を流していた女も居た。

「どうか殺してください。これではもう、生きていることの方が苦しい」と懇願したのは、都から攫ってきた貴族の女であった。

 温羅を怖がり、温羅を憎み、錯乱して刃物を向けてくる者も居た。


 ふと、思ったのだ。

 あの静謐な白雪の横顔が、恐怖に歪み、嫌悪にひきつり、温羅を強く拒絶する様を考えた。

 他の女共のように、何度かものにすればそれも収まるかもしれない。でも、傷付けるのは嫌だった。


【運命】を知覚するのはいつだって人外のもの。けれど人間は人外とは違う。たとえ運命であろうとそれを知覚することも、その為に無条件に相手を愛することもない。

 つまりあの女にとって温羅は、あくまでただの恐ろしい鬼なのだ。


 温羅はこれまで数多の憎悪を向けられてきた鬼である。老若男女全てに恨まれている自覚もあるし、その憎悪の全てを嘲り、笑い飛ばしてきた過去もある。


 けれど、それでも。あの斎王に怯えられ拒絶することだけは、温羅はどうしてか恐ろしくて堪らなかったのだ。考えただけで身の毛がよだつほどであった。


 だからその時、あのまま攫うことはやめたのである。

 その代わり、どうすればあの娘が自ら温羅の元に来てくれるのかを考えた。

 どうしたらあの娘は、温羅に心を開いてくれるのか。


 高貴な娘は雅やかな男を好むという。

 では、温羅もまたそうなろうと決めた。


 とはいえ温羅は山を根城としてきた鬼である。

 歌に文字、教養。生まれに立場。その全ては温羅にとって縁遠いものであり、今から人の世に一から忍び込むんで身に付けることは現実的ではない。


 そこで温羅が考えたことは、食うことであった。

 温羅のような人外のもの達の間には、古くから伝わる呪術があるのだ。肉を食い、心の臓を啜り、何よりも名を掴むことでその人間の全てを取り込むというものである。


 古くには狐などが使い、美女に成り代わるなどをして国を傾けていたという呪法。

 温羅はこれを利用して、人の娘が理想とするような男になろうとした。

 これを人外の悍ましさ、鬼の残虐性と眉を顰めるものもいるだろう。そんなことは温羅とて分かっていたけれど、そんなことを気にしていられる余地など最早なかったのである。

 そうでなくとも、戦と恋にはどのような手段も厭わないのが、男というものなのだから。


 見事な歌を詠むという男を食った。

 気品漂う文字を書くという男を食った。

 心地の良い音色の笛を奏でるという男を食った。

 月にたとえられる程、素晴らしい見目をした美男子を食った。


 すると、どうしたことであろう。

 温羅はたちまち見事な歌を詠めるようになり、気品漂う文字を簡単に書けて、心地の良い笛の音を奏でるようになった。

 月にたとえられる程に美しい男の姿を手に入れて、本物の『月の君』が持っていた高貴な生まれも高い地位も温羅のもの。


 いっそ冷たく見えるほどの壮絶な美貌。

 細く長い指先がしたためるのは、愛の歌。

 斎王への恋文を書いた。けれど斎王はその身の上から愛を許されていない。都のように人に届けさせることは出来ないから、この時ばかりは鬼としての力を使った。


 昼は都の貴族として振る舞いながら、日が暮れると温羅はすぐに伊勢に飛んだ。人の足では何日もかかる道のりも、鬼である温羅には些細なものだ。

 時には物忌みを装ってまで朝廷を休み、斎王の元へと駆けつけた。いくつもいくつも歌を詠み、いくつもいくつも文を書き、斎王の元へと届けた。

 恋とは不思議なものである。斎王の姿を思い出しただけで、恋しい気持ちは絶えることなく湧き出てきた。あとはそれを、奪い取った才で形にするだけ。

 あの女はこれを読んで、心を動かしてくれるかと淡く期待を抱きながら。


 心が欲しかったのだ。

 身体ならいくらでも攫うことはできる。けれど温羅はあの女には泣かれたくなかったし怯えられたくなかったし、出来るのなら、笑って欲しかった。

 あの白雪の美しい女が、喜んで温羅のもとへと来てくれるのなら、それ以上のことはないと本気で考えた。


 この、黄昏山の主たる温羅が。

 残虐という言葉をそのまま形にしたような恐ろしい鬼は、それでも愛のために必死だったのである。


「女から返事が来ない?お前が文を送ってもか?」

「ああ。どれだけの歌を詠んでも、心を動かしてくれる様子もない……」

「はーっ!変わった女も居たものだなぁ。世には月の君とも讃えられる頭中将(とうのちゅうじょう)に歌を送られて、うんともすんとも言わぬとは」

「……」

「大抵の女であれば、一通目が来たところで舞い上がり簡単に落ちそうなものであるが」

「……訳あって、身分を明かせていないのだ。それもあるやも知れぬ」

「訳?」

「相手の住む場所と立場が、少々複雑でな」


 ため息を吐きながら温羅が言うと、温羅と相対する男は不思議そうに片眉を上げた。

 彼は在原(ありわら)の家の息子で、位は少将。その為在原の少将と呼ばれている男であり、女遊びに精通している。

 温羅が『月の君』に成り変わってから友人となった男である。多少の身分の差はあるものの、こうして二人で会う時には気安く話す仲である。

 今回温羅が彼の屋敷を訪ねたのは、やはり女心をよく知る彼に助言を貰う為であった。


「なるほど。となれば、まぁ無理もなかろうよ。お前の評判は世の女達をさぞやときめかせて居るが……。相手がそんな月の君とも知らぬなら、その女が文に心動かさぬのも仕方のないことであろう」

「やはりそうか。しかし、となればどうやって身分を明かしたものか……」

「夜這いするしかなかろう」

「……夜這い、だと?」

「何を不思議そうな顔をしている。あれだけ浮き名を流したのだ、お前とて夜這いなど幾度となく経験しておろうに。……さてはお前、今回の女がはじめての本気だな?」


 悪戯のような顔をした少将に、温羅はグッと押し黙った。すると若い貴公子は「図星か!」と楽しそうに扇を広げる。

 厳密に言えば、これまで浮き名を流していたのは温羅が成り代わる前の本物の『月の君』であるのだが、まぁ温羅も温羅でこれまで何人もの女を抱いてきたことにも、しかしこれが初めての恋であることにも変わらない。

 それも、こんな人間の社会に紛れ込むほどには必死の恋だ。少将の言葉は、あながち的外れとは言えない指摘であった。


「お前ほどの美男子であれば、どんな女も見ただけで心を奪われるさ。良いな、頭中将殿。自信を持って寝所に忍び込め。その女をモノにしてしまえ」

「そう、だな。……しかし少将。嫌がられはせぬだろうか。あの方に怯えられてはかなわん」

「何を馬鹿なことを!うちの銅の鏡を貸してやる。一度じっくりその顔を見てこい」

「褒めているのか?それは」

「もちろんだとも。……まぁその相手とやらも、お前の見事な歌や文字にときめかない時点で、変わり者には間違いなかろうが」

「あの方をそのように言うな」

「おおこわ」


 きゅ、と眉を顰める温羅に、人間の小僧はけらけらと肩を揺らして笑う。

 笑う少将にトントンと背中を鬱陶しく叩かれながらも、しかし温羅は黙り込み、あの斎王の姿を思い浮かべていた。

 夜這いか……、と。少将の言葉を反芻するようにしながら。




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