後
冒険者になるなら西の町、という後の格言がある。
資金に乏しい初心者でも、その日暮らしができる。紹介される安価な宿舎が清潔。
免許や技能や様々の講習で勉強漬けは覚悟しないといけないし、いきなり派手に活躍できる場などないが。
町中での低級任務は、他と同様。労役夫たちの補助が主体だが、その労役夫たちが腐っていないから過ごしやすい。
西の町の労役夫たちは、定期的な無料講習を受けられる。技能講習を経て正式に雇われ、合同宿場を出る者が半数。
体力や気質で宿場を出られない労役夫たちも、衛生管理と食と安い娯楽に支えられ、破滅には至らない。中には雑多な経験から、講習員として雇われる者もいた。
「適切なサボり方や休み方の講習員とか、自分でも意味が分からねえよ。それでも生きて金が貰えるんだ、ここは儂の天国よ。お前らも死ぬほど働き過ぎるんじゃねえぞ」
歯抜けの目立つ元労役夫の講習は、人気があった。
他所では忌避されそうな外観の老爺は、だが清潔で楽しそうで、他人に優しく、己を小汚ねえハゲジジイと卑下できる余裕があり──労役夫たちにも好かれていた。
どの町にもある貧困区だが、西の町のそれは他より遥かに上等と評された。路上生活者は僅かで、清掃と保安に勤しめば役人から駄賃を得られる。
役人に覚えられた者は、読み書きを教える奉仕教室を案内される。そこから労役夫を経て、就職することも。冒険者見習いになって町の周囲を守ることも、選べた。
貧困区に住まう者は、そこを仮初の場としている。諦観に濁らぬ目を持つ者は、遠からずそこから飛び立っていくのだ。
西の町の「冒険者の店」に、薬草採取の任務はない。
その生態研究が進んだ結果、適地と条件が明らかになり、薬草農家と新村が生まれたからだ。
草木の採取と見極めに秀でた低級冒険者たちは、そこへと優先的に派遣される。新種を探し持ち帰る者、試す者、判明した性質を書き留める者。剣を捨て、鍬と柄杓に持ち替える者。
新村はじりじりと開墾を繰り返し、大きくなっている。
見習いや新人冒険者たちに、単独行動は許可されなかった。先ずは先導と呼ばれる熟練冒険者に率いられ、一通りの未知を教わることが習慣になっていた。
苦手や適性を見極められ、必要免許の講習を奨められた若者たちは──結果、半数が冒険者を辞める。
得られた技能や免許、知己を足掛かりに、様々に転職するからだ。
人が増え、働き口が増え、周辺の村々への入植も増える。
木こりと石切りと大工仕事は人手を求め、手伝いに向かい歓迎された冒険者たちがそこに残る事例も増えた。
食糧生産需要の増大から、農家出身者が剣を持ったまま、開墾事業に参加した。
森にも限りがある、と若木の移植や苗木の繁殖が行われ、林ができた。獣が住み着き、森より見通し良く狩りが行えるそこは、新たな資源地となった。
森山保安官では足りぬ、との領主の声から林間保安官が新設され、整地と整備が進んだ。
西の領主は増えた税収を、領地に還元した。塩と麦と資材を蓄えつつ、道路整備と保安保全、衛生向上と水源水路に投資する。
労役夫たちの仕事と収入が増え、冒険者たちの低級任務も途切れない。
武器と防具と戦闘講習に金を注いだ冒険者たちの力量は上がり、護衛と駆除任務を受けられる中堅の充実は、各地の開墾と交易を加速させた。
□ □ □
発端は、シドだった。
教育と免許制度の有益性を実感し、職能を支える下働きの意義を知り。
魔法とあらゆる武器の扱いの基礎を得た、特筆すべき才を持たぬ「なんでも屋」冒険者 。
なにもかもが専門家には及ばず、個の戦闘力は辛うじて中堅レヴェル。
才ある後輩たちには次々に追い抜かれ、他所から流れてきた冒険者たちには無才の中年、と蔑まれる。
冒険者のぼの字も知らぬ見習いたちを連れ、コツなどない見回りや清掃、小動物の捌き方を教え込むのは無駄だと笑われる。
極められずとも、と手品にもならない弱小魔法を伝授する。
奇特な愚者だ、との嘲笑は東へと伝えられ。
やがてシドの名は、東方で物笑いの歌の題材になった。
それを耳にした労役夫たちは、怒った。
他所者がシドのなにを知る、と。
寝台で休むだけで疲れが変わる、大工手伝い任務の練習に、と宿場に下手な造りのものを持ち込んだ少年が、一人の腐った労役夫の目を覚まし。
馬鹿野郎、組みと強度とバランスを考えろ、と端材廃材をかき集めてシドに釘打ちから教え出したことから、宿場の環境は変わったのだ。
じゃあ部屋の清掃を、と床からはじめたシドを止めた労役夫は、天井と壁の埃落としからが順番だ、と語り出し。
皆さんの教えを「家」で試したらすごいことになりました、と誉めちぎるシドの笑顔で、労役夫たちは動き出した。
小さなコツを話す労役夫たちを、シドは常に肯定した。すごいすごいと手を叩き、もっと話せ、とせがんできた。
認められ、誉められ、頼られ、寄り添ってくれる存在で、多くの労役夫たちは幸福を覚えた。
与太やわずかな教訓を聞き流さない相手に癒され、己を取り戻した。
己のために、あの反応のためにと努力し、視野と行動範囲を広げることが彼らを好転させたのだ。
宿場は徐々に、労役夫たち自らの尽力で変わり出した。来る度に改善点を見付け誉めるシドに、労役夫たちはやる気を刺激された。
ここなら住みたい、と言うシドを、全員で諌め笑った。腹の底から笑うことを思い出した労役夫たちは、明日を見ることも思い出せた。
笑い話を聞いた西の町の住人は、無知の輩め、とそれを信じ好む者を蔑んだ。
他の冒険者や見習いや労役夫たちと、町を少しずつ変え続けたシドこそが、町を明るくした一因であるのに、と。
うがいや水浴は気持ちがいい、石鹸で体を清めるのは格別だ、と言い。
だからこそ、と井戸や水路の清掃を喜び、励むシドに感化され。
労役夫宿場や貧困区に洗浄日を設けた役人が、大出世を遂げたことも。
病が減って、安価になった薬草に嘆いた薬屋が──大量購入が可能になった、好事家との共同研究で新薬開発に至り、領主を経て国に買い上げられ、大儲けをしたことも。
その金で、薬草栽培の道筋をつけた元薬屋の大商会が、薬草村設立と安定供給に繋げ、ポーション製造を可能にし、叙勲に至ったことも。
領主が水路と堤防工事に投資をはじめ、石鹸製造を推奨し。
氾濫渇水と流行病が年々減り、新たな働き口と産業が増え続け、西の町が発展していることも。
シドが改革を謳ったわけではない。彼はそれらを主導する金も、力も、権力もない。
だが確かに、それらはシドの一歩から、はじまっているのに、と。
その噂を知った西の町の冒険者たちは、心底呆れ返った。
基礎を軽んじる者が、長生きするはずもない、と。
シドがあの歳で尚、年少者の先導を続けるからこそ西は栄えているのに、と。
西の町の見習いや新人冒険者たちは、死なぬことと生き延びる術を先ず叩き込まれる。
身の丈にあった任務の達成を続け、ゆっくりと着実に成長する。
その中で学び身に付けた知識と経験は、最低等級の微細魔法は、引退や転職の後にも活きた。
免許制度の意味と難度を知ることで、役人や領主への敬意も発生する。それを向けられた側は、礼節と品格を心掛ける。
相互信頼は、波及する。
職能による差別は無知故と蔑まれ、知による尊重へと変わる。
認められれば、満たされる。
更なる求めは、向上となる。
秀でた冒険者が多く残れば、後続はそれに倣う。改善を肯定し、先達との繋がりを奨め、己の足で走り続けるシドを目にする限り、彼をよく知る冒険者に慢心の余地はない。
彼の才ではなく在り方を学び、名を上げた冒険者は一人や二人ではない。
シドが教えた、シドから広まった「基礎」を忘れなかったからこそ、強大なモンスターとの戦いに勝ち残り、生き延びられたとの声も多い。
だがそれを、己の中で正解と認めたくない輩が、妬心から歪曲し愚行として広めているのか、と。
元「緑の冒険団」と西の新領主は、憤っていた。
確かにシドの戦闘力は高くない。単独では未だ、暴食ウサギ一匹にも敵うまい。
されど、彼が入った集団は強い。
専門職に至らずとも、その時々で最善の補助を行い、最大の結果への一押しとなる。
臭虫嫌いが高じて調合したという虫除けは、専門家によって根本的に改良され、今や西の町の冒険者の必需品となっている。
発疹や発熱、体調不良が減ればそれだけじっくりと休むことも、気晴らしをすることも、鍛練や勉強に充てることもできる。
たかが一日、されど一日。
その積み重ねが、西の町の冒険者を強くした。賢くし、優しくした。
シドに倣い、現場に留まる先導が増えた。出世転職転属を打診されれば、後継を残し旅立った。新たな先導は師とシドを規範に勤め、シドを越え、また旅立っていく。
シドは元「緑の冒険団」の師匠たちに、幾度となく引退と運営転属を勧められた。
「おれはばかだから、人の上には向かない。おれは弱いから、強くなりたい。引退するのは自分に納得できてからだ」
シドの断り文句はいつも同じで、彼はその言葉通り、何年経っても現場から離れなかった。
西の新領主は、どうにかシドを内に囲おうとした。
だが、調べれば調べるほど、シドに特筆すべき才や武勲がないと知り、それが叶わない。
見習いや新人を率いることはあっても、目立つ成果がない。一人も死なせない、は評価と呼べるだろうがそれだけだ。
シドの下を離れてから──彼らは名を上げ、功績を積む。
シドは彼らを鍛え抜かない。
それは元槍使いの主席教官や、名士となった魔法使いの長老の指導によるものだった。
害獣やモンスターの駆除、その素材の有効活用度合いも、シドが教えるのは基本と初歩。
冒険者の店や精肉業者の解体職人の技量は、元大弓使いの指導割合が大きい。
労役夫環境の改善と変革は、労役夫たち自らの功だ。
貧困区の減少は、それを実行した役人や奉仕教室を支えた教会神官に起因する。
新薬やポーション開発、薬草村は好事家と元薬屋の力であり。
領内全域の治安と生産性の向上は、現役引退両方の冒険者たちと、前領主である父の投資と計画。支えた臣下たちによるもの。
虫除け調合の発端はシドだが──彼が作ったものは、実は素人の気休め程度の効能しかなかった。
実用に耐える調合と、生産販売にこぎつけたのは、別人の成果である。
最高効能が得られる組み合わせ、の中にシドが用いたハーブは、一つも含まれていないのだ。
シドは英雄に匹敵する力がない。
新規発明もなく、幾らかの貢献は他の冒険者との合同任務に限られている。
文字にすれば他領で嘲られる、才なき凡夫としての来歴でしかない。
壮年になっても尚、中堅任務以上を単独では達成できず。見習いや新人冒険者を率いて低級任務の先導を続ける。
功なき功労者に、どう報いればいいのかが分からない。故にあの不名誉な風聞を消すに至れない。
「……父たちも、苦悩したのだろうな」
新領主は嘆息した。侍従も、同じ顔をした。
□ □ □
シドは聖人君子ではない。どこにでもいる、非才の冒険者だ。
一人前になって二十年が過ぎ、他の中堅冒険者たちの親に等しい歳になっても未だ、独り身で任務を受け続けている。
シドが先導し、追い越し、後に有名になった後輩は多い。
自分には装備できない武器や防具を易々と使いこなす若者にも、多彩な上級魔法を操る者にも、後に強大なモンスターを退治して英雄と呼ばれた少年たちにも、追い越されてきた。
嫉妬はある。自分もああなりたい、という欲もある。
剣も魔法も、もっともっと上手くなりたい。
誰もが見惚れる筋肉を得たい。
故に、シドは続ける。
森羅万象を司る叡知に達せば、と勉強と学習を続け、あらゆる鍛練に手を抜かない。
諦めず続ければ、いつかは届く。なにかが実る。
二匹のネズミが水路の罠にかかった日のような幸運が。
あの日、村に現れた「緑の冒険団」のような奇跡が。
明日、訪れるかもしれないのだから。
だからシドは、今日も冒険者の店に向かう。先導任務がなければ、貼り出された藁半紙の任務票を吟味する。
死なぬよう、達成できる任務を見極める。死ねば、シドの夢は叶わず終わる。
不人気な任務の裏には、困窮する依頼者がいる。
シドは惑う側、苦しむ者だった。
そして救われる喜びを、忘れなかった。
悩む子はかつての自分であり、道を選べぬ辛さは身に沁みていた。
そして努力で広がる世界を、笑う幸福を、変わる愉悦を知っている。
小さな、奉仕にすらならない思い付きから羽ばたいていった、労役夫たちの宿場や環境を、見ている。
彼らが自らの真価で、新たな道を拓き、後続へと繋いでいった様を。
だから任務は、等級あれど貴賤はない、と思っている。
誰かが喜び楽になれば、それが周囲に波及し、なにかが変わると気付いている。
それがシドの夢に繋がる可能性は、ゼロではない。彼はそう、信じている。
労役夫が変わり、「家」がより住みやすく変わり、町が変わり、冒険者が変わり、村々が変わり、すべてが良くなっているのだから。
「いつか、英雄になりたいもんだ」
なに一つ、無駄なものはない。
この商人護衛任務が、英雄譚の第一話かもしれない。
そう思いながら、シドは隣村までの安い任務票に手を掛けた。
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