前
農家の四男である、と自覚した時からシドは己の限界に気付いていた。
そしてそれを越えたい、とも願った。
だが、どうすればいいのかは分からなかった。
シドは毎日、夜明けと同時に起床し、洗面とうがいを済ませて畑に向かう。
税である小麦の畑、その害獣被害の有無を確かめ、村の北側の防柵の破損がないかを見回るのが、彼の担当だ。
「土が乾きすぎている」
父が畑に触れ、朝焼けを見上げてそう言えば、あちこちに散った兄たちを呼びに走る。森との境界を確かめる長男、井戸と貯水池と水路を確認する次男、野菜畑の具合を検分していた三男と共に、水汲みと運搬だ。
誰よりも重い桶を担ぎ、水撒きに勤しむ父に、兄弟は誰も文句を言えない。励めばそれだけ早く終わる、麦が枯れれば生きてはいけない。それを知るからこそ、父に倣う。
シドはひたすら、貯水池に汲み桶を投げ入れた。縄を引き、空桶に水を注ぎ、手押し車で畦道を走る。父と兄たちが撒き終えた桶に水を移し、また貯水池へと戻る。
繰り返す度に、距離は遠退く。何度目かの到着時、石か柄杓で殴殺されたと思しきウサギが一匹、転がされていたので、シドは笑顔で拾い上げた。
すっかり明るくなった頃、どうにか水撒きが終わる。
汗だくで五人は畦道に座り込み、それぞれ報告し合った。
「西の森の出口まで、鹿が来てる。まだ新しい糞が見えた」
「立ち入っていないだろうな」
「もちろん」
死にたくないから、と続けた長男に、父は思案顔になる。
森は領主の所有で、平民が立ち入ることは禁じられていた。この村は森山保安官が常駐するほどの規模ではないが、不定期に巡回する役人に侵入を見付かれば、命はない。
だが、森から出た獣は防柵を壊し畑を荒らす。野菜畑や雑穀畑なら飢えるだけで済むが、小麦を狙われては村の一大事だ。受け持つ農家はあらゆるものを売って税に換えねばならず、冬を越せずに終わってしまう。
「村の防柵までは、来てなかったんだな」
「うん。ネズミ罠も壊されてなかった」
「水路に二匹かかってた」
と、次男の報告に父は小さく笑う。
「後で捌こう。ウサギといい、肉は三日ぶりだな」
父の言葉に、兄たちが色めき立つ。鳥は上等、ウサギは中等、ネズミは下等。そう言われていても、肉は肉だ。
「……豆に臭虫がついてた」
「それはいかん」
三男の報告に、シド以外が立ち上がる。遅れて腰を上げたシドは、嫌そうに口を開いた。
「北は異状なし。けど東の」
「ウサギが二匹いたな。一匹は逃したが──やってあるな?」
「うん、蔓草で縛って、水路に浸けた」
「よし」
豆畑に向かう四人に、シドはため息をついた。臭虫を取り除き踏み潰す仕事が、一番嫌だった。
シドは農家の暮らしに不平はない。
けれど、自分が継げる畑がないことも分かっていた。
長男の成人と共に、家を出なければいけない。村に残るのは次男まで、結婚しなければ同居が許されるのは三男まで。
それを知ってから、シドは焦った。家と、この村以外をシドは知らない。
領主の下働きに就ければ万々歳だが、商家に雇われる同様、学がいる。文字を知らないシドには、どちらも無理だ。
町に出て労役夫、しかない。今よりずっと不衛生な環境で、大部屋に押し込まれ、日銭を仲間に盗まれないよう使い切る。そんな道しか、残されていない。
定期商人や村の大人の口振りから想像できるのは、それだけだった。
それは嫌だなあ、とシドは思っていた。せめて寝台で眠り、金を貯められ──夢を見られる生き方がいい、と願っていた。
だから三日経って、村に現れた一団にシドは驚いた。
いよいよ村の防柵を越え、鹿の群に麦を荒らされるか、と思った日の夕方。
領主からの命で来た、という武装集団に。
□ □ □
彼らは「冒険者」だった。
害獣や野盗や、人外の化け物退治を専門とする、国から常態武装を許可された職能集団、だった。
「早期報告でなによりだ。良い村長だな」
冒険者のリーダーに、そう誉められた父は、恐縮していた。
シドは更に驚いた。
リーダーは、森山保安官の証と聞く羽根つき帽子を被っていて──あの父より強く、上の立場なのだ、と知った。
「あの山に暴食ウサギが現れてな、それに縄張りを追われた鹿たちが、森から出る動きをした」
ウサギに負ける鹿、がシドには想像できない。だがただの──村で分け、小さなスープの具材になったあのウサギではない、違うモノなのか、と思い直す。
化け物ウサギ、なんて迷惑な。
別の冒険者が指した西の山を、シドは睨んだ。夕陽を背にして黒くなった山は、言われれば化け物の住処に相応しく、思えた。
「暴食ウサギは昨日退治したが──ただの鹿がすぐに戻ることはないだろう。今日明日で、出てきたやつは全部狩って、他は森に追い返す」
大弓を携えた別の冒険者に、シドは目を輝かせた。飴色に鞣された革鎧が格好良くて、舐めたら甘いのかな、なんて考えた。
シドは一睡もせず、冒険者たちの狩りを納屋の軒から見守った。
はじめて目にする魔法に、心を奪われた。闇を裂くように飛ぶ光を、美しいと思った。
それがシドの運命を変え、人生を変えた。
□ □ □
シドはその冒険者たちの見習いとして、共に村を出た。道中で様々を尋ねられ、視力と体力を誉められた。
「けど読み書きができないとなあ、依頼書の見分けができないとどうにもならん」
リーダーのもっともな指摘に、シドは赤面する。返す言葉もない。
「小動物の捌き方を知ってるのはいい。モンスターの体も、大抵の構造は同じだ。覚えておけば、収入が変わるぞ」
弓使いは予備のナイフをシドに譲ってくれ、解体を教えると約束してくれた。
「魔法は向き不向きがある、できなければ他で補うことを考えるのじゃぞ」
最高齢と思しき魔法使いは、先ずは自然を知ることからはじめよ、とシドに様々を指し、その名や繋がりを教えた。
「剣、槍、刀、斧、鎚、杖、棒、弓、どれが向くかを己の体に尋ねろ。誰に続きなにを優先するか、瞬時に定めろ。防具の意味を知れ」
物静かな槍使いは、鍛練の重要性を強調した。
覚えることがたくさんだ、とシドは気合いを入れた。
彼ら「緑の冒険団」は、森山保安官免許を持つリーダーを中心とした、中堅冒険者だった。
各地の農村警備と巡回を担い、孤児や食い扶持のない子を育て、新たな団員にしたり、勤め先を斡旋したりする有名人たちでもあった。
拠点である町は領都の西にあり、「家」には七人の子がいた。シドは最年長の少女に新たな仕事とルールを学び、年少の子に新入りだからと躊躇いなく頭を下げ、共に文字や計算を教わった。
シドは特別、賢くはなかった。一つを覚えるのに、他の子の倍の時間がかかった。
なので他人の倍、勉強した。
旧い寝台で、毎晩ぐっすり眠って、家事に励んだ。
読み書きができるようになったシドは、冒険者見習いの登録をして身分証を手に入れ、雑務と手伝いと応援で様々な現場を駆け回った。
諦める、という言葉はシドから消えていた。
学び続ければ、鍛練を続ければ、知己を増やせば、一つずつを達成すれば、自分は進める。
「緑の冒険団」の分隊、たまに西の町に訪れる先輩冒険者たちに教わり鍛えられ。巣立ち職を得た同胞との交流を続け。
数十日おきに帰る保護者たちを労い、技術を乞うた。
そしてシドは、成人した。
□ □ □
一人前の冒険者となったシドは、変わらずひたすら働き、学び続けた。
週に二日の体休日でさえ、手仕事と諸々の復習に励んだ。
食用野草や薬草の採取任務は、全草の図解と分布図を作りながら行った。失敗談も含めて記し、拠点に住む後輩たちと共有する。
顔を見せにきた先輩たちに、これでこなせるようになりました、と披露した。
シドが留め書いた薄木の板は繰り返し写され、先輩たちや同期が真似、地区ごとに増やされた。
やがてまとめられた地図は、「緑の冒険団」に属する全員の共有財産になった。
「……普通、こういうのは個人で秘匿するものなんだがなあ」
苦笑する羽帽子のリーダーに、シドは笑った。
「おれはばかだから、留め書きを残さないと次の年に忘れてしまうかもしれないんです。それにみんなで交替して回れば、採りっぱぐれないじゃないですか。見習いでも間違えなくなりますし」
「町の外に畑があるようなもんか」
言われたシドは、ふと故郷での日々を思い出した。皆は、元気でやっているだろうか。
□ □ □
「狩猟免許?」
「おう、森山保安官ほどじゃないが、本格的な駆除任務を受けるなら要るぞ」
休暇中の弓使いと共に、川辺で水鳥を狩り捌いていたシドは首を傾げた。武器の携帯免許なら、成人直後に受けた試験で合格し所持している。
一定の刃渡り以上・重量以上の武器は、町中村中では鞘から抜けず振るえない、との制約付きだが、防壁門番預かりになるよりはずっと便利だ。
「町の外だと、なくてもいいんですよね」
今みたいに、とシドが問うと、弓使いは笑った。
「今は俺といるから、この狩猟許可区で好きにやれる。お前だけだと、他の狩人とかち合ったら訴えられるぞ」
「それは困ります」
ネズミやウサギくらいなら無免許でもいいが、と続けられ、シドは納得した。今まで任務で狩ってきたのはそれくらいで、だから「冒険者の店」で困ったこともなかったのか、と。
「今のお前なら、独りで鹿も小鬼も狩れる。早目に取っておけ」
「分かりました……でもなんで、そういうことを最初から誰も教えてくれないんですか?」
「俺らも誰も教えてくれなかったんだよ。技量が上がった頃合いで、誰かから伝え聞くんだ」
人付き合いと情報収集を軽視する者を、冒険者の枠組みから排除するための罠のようなものか、とシドはぼんやり理解した。
引っ掛かった者はさぞ腹立たしいだろうな、とも。
シドは必死に勉強して、二年かけて狩猟免許を取った。とてもとても大変だったので、間違えたであろう問題や間違えやすそうな規定を留め書き、冒険者見習いになった後輩たちに伝授した。
□ □ □
「──極めるには、足りぬか。済まぬ」
小鬼の群の最後の一匹を仕留め終わり、魔法使いがそう溢す。
老いても尚、健脚な彼に、シドは首を振った。
「農家の四男坊が、これだけ使えれば十分です」
嘘だった。
シドはもっともっと、強い魔法を操りたかった。あの夜、一撃で大きな鹿を貫き絶命させた光線を、自ら放ちたかった。
「でも研鑽と研究は続けますよ、いつか師匠を追い越してみせます」
シドの心からの言葉に、魔法使いはなにも言えなかった。
シドの保有魔力では、現状以上の呪文は発動しない。そう、見えていても。
「……さ、とっとと屍を焼きましょう。余計なものが来ないうちに」
「小規模なモンの加減は上手いのにのう……」
「生存や後始末に限れば、便利ですよねえ。このくらいが」
西の町に戻った魔法使いは、威力を最小限に弱めた魔法を研究した。強く大きく速く広く、が正しいとされる魔法開発研究とは真逆の。
破壊攻撃や戦闘補助でなく、生活や生存の助けになるそれは、適性なき者にも扱える、と冒険者見習いたちから求められるようになり。
それに押されるように、中堅冒険者たちも教えを乞い出し、有益な命綱であると体感する。
やがて職能問わず、西の町の人々は魔法使いの下を訪れるようになり。
予期せぬ身分の中から、強大な魔法適性を持つ者が見出だされ、弟子入りが続くようになった。
感謝と人望を得た魔法使いは、町の名士と呼ばれるようになる。
□ □ □
惜しいな、と槍使いは思った。
血紅熊の駆除の最中、余所事を考える余裕があるのは、シドが随伴しているからだ。
己が牽制し、リーダーの剣が死角から傷を与え、弓使いが気を反らし、魔法使いが幻惑する。
その連携を、シドが補う。
リーダーの逆位置になる死角からの攻撃。
弓使いへ火魔法を発動させようとした瞬間、血紅熊の注意を引くよう魔物笛を吹く。
魔法使いの幻惑魔法効果が切れるタイミングで、継ぐように弱い酩酊魔法をかける。
シドの剣はリーダーより軽い。
槍もよく使うが、己より小柄なシドの範囲は小さい。
大弓を引く力に欠け、だが石打ちのコントロールに長ける。
決定打となる破壊魔法は唱えられないが、補助魔法や小規模魔法はすべて巧みだ。
ああ、なんと戦いやすいことか。
シドが伴う駆除任務で、失敗はない。
そして槍使いは戦況観察を続け、シドのようにそれらを図解と文言で残す楽しみを覚えた。
□ □ □
シドは一人前の冒険者になった。
「緑の冒険団」への随伴に不足なく、分隊への参加は常時求められ、「家」の後輩たちの成長を助け、冒険者としての信用を重ねた。
どんな任務内容であろうと受け、西の町には「塩漬け」と呼ばれる低報酬な忌避放置任務はない。シドに浚われ、しばらくすると「緑の冒険団」の見習いたちが効率良く──他の任務と同時に請け負い、片付けていくようになるからだ。
やがて「緑の冒険団」は、その貢献度から領主直属の臣下となった。西の町の冒険者のまとめ役を命じられ、「冒険者の店」の運営を担うようになる。
リーダーたちは副所長や教官となり、分隊は各地に斡旋中継機関を設立し、成長した見習いたちが中堅冒険者となり。
シドは、冒険を続けた。
町に籠っていては強くなれない、自分は未だ先達の強さに届いていない、後輩の面倒を見たくないわけではないが──それだけを選びたくはない、と。
なにかを掴んだ、と納得できるまでは自分を諦められない、と一介の冒険者として走り続けることを選んだ。
その「なにか」を掴む才はない、今がお前の最高値だ。
そう説得できる者は、いなかった。
「緑の冒険団」に関わっていた全員、西の町に住む民たちのほとんどが、天賦の才がなくとも努力を続けるシドを、好いていたからだった。
シドの目の輝きを消したくない、そう思ったからだった。




