第2話「聖書について」
「聖書」にこう書かれてある事をご存じだろうか?
「創世記」1章16節。「神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。」
この「大きい光」とは、太陽。地球と比べると随分と大きい恒星である。対して、「小さい光」とは、月。地球と比べると比較的小さい衛星である。
つまり、宇宙的に見て、大きい小さいを判断している事が読み取れるだろう。
であるなら、科学的に聖書を見る事は可能なのである。
しかし、問題がある。
ウェストミンスター小教理問答書にはこうある。「Q9創造の御業とは、何ですか。
A創造の御業とは、神が、すべてのものを無から、力ある御言葉により、六つの日にわたって、万事はなはだよく造られたことです。」
キリスト教一般的に数千年前に宇宙は造られたという事に聖書ではなっているのだ。
では、科学とは一体なんだろう?
「第三の聖典」の128章1節にはこうある。
「128書録
1普通の書録は違うだろうが、この書録は一貫して、御父が「命の書」を所有している。(他の書録は「ラドゥエリエルの書」の書録。「前史上録」の書録。「前史下録」の書録があり、それぞれ、この世のあらゆる事。「聖書」として、存在はしないが、史上に存在するもの。史上にすら、存在しないもの。それぞれ、三大書録がラドゥエリエル、シェメシュエル、ヤレアッハエルの三天使に持たされている。光とは昼が明るく輝き、昼が光の世界である為、上が太陽、下が月なのである。夜は闇の世界である。次元光の上でも、三次元光(太陽の光)が上、一次元光(闇)が下である。)」
「聖書」の立場だと「存在はしないが、史上に存在するもの」が地質学等の扱いらしいのだ。
宇宙論として、多重的に考える事が出来るゆえに、こういうとらえ方もあるのだと想った方がいいだろう。あくまでも科学を前提に考えるならば、こういう立場を退けて、扱う必要があるのだ。(ちなみに「書録」とは、書のありかをはっきり記した記録書の事だ。本の中の本つまり、書録天使は常にメタな次元にいるという事である。)
あくまでも、科学は聖書を廃した中にあり、明らかに、知的に聖書を片付けた所にあるという事なのだ。




