コミカライズ6巻発売記念SS「今夜、この想いは永遠に」
星祭の夜の一幕。コミカライズ版準拠でふたりは付き合う前設定です!
ガヤガヤと楽しそうな人々の活気が満ち満ちた星祭の夜。ジュードに背中を押してもらったアリシアは、クロヴィスの手を取って王城で開かれるパーティを抜け出した。そして今二人は、市井の人々で賑わう大通りにいる。
そんな中、クロヴィスとあちこちの屋台を覗きながらエラム川を目指すアリシアは、そわそわと心が浮き立つのを感じていた。
(まさか、クロヴィスとふたりで星祭を回れるなんて……)
楽しい。何より、ここ数日式典に向けてお互いに忙しかったこともあって、ひさしぶりにクロヴィスとふたりきりで過ごせてすごく嬉しい。
顔がにやけてしまいそうになるのを必死に堪えつつ、アリシアはクロヴィスの後ろにちょこんと立つ。一方のクロヴィスはというと、店主の説明を聞いてふむと考え込んでいた。
「なるほど。定番のおすすめはプレーンですが、星祭の限定品はチョコレート味、ですか。非常に悩ましいところですが……あなたは、どちらの味が気になりましたか?」
「え? 私?」
不意に話を振られて、アリシアは慌てた。どうやらクロヴィスは星祭に出る屋台の名物――チュロスと呼ばれる細長いドーナッツについて、どの味を食べたいかアリシアに問いかけたらしい。
正直浮かれていて、店主とクロヴィスの会話をさっぱり聞いていなかった。そう目を泳がせつつ、アリシアは一生懸命考えてこたえる。
「え、えっと。そうね。せっかくなら両方食べてみたいわ」
「では一本ずつ買って、一緒に分けましょうか」
嬉しそうに表情を緩めて、クロヴィスは頷く。宣言の通りプレーン味とチョコレート味を一本ずつ買い求めた彼は、そのうちのプレーン味をアリシアに差し出した。
「まずこちらをどうぞ。店主によれば、裏で揚げてきたばかりの出来立てだそうです」
「ありがとう!」
揚げたてのドーナッツに近い、砂糖の甘い香りが鼻腔をくすぐって、アリシアはぱっと目を輝かせる。さっそく一口いただいてみると、さくりと心地よく食感のあと、芳ばしいバターの味が口いっぱいに広がった。
「美味しい。すっごくサクサクだわ……」
うっとりと目を細めるアリシアの隣で、クロヴィスもチョコレート味のチュロスを一口食べ、感心したように頷いた。
「本当ですね。しかもこちらは、真ん中にチョコレートソースが入っています」
「そうなのね! ねね、そっちも一口もらってもいい?」
「もちろんです。そのつもりで、別々の味で買ったのですから」
にこりと微笑んで、クロヴィスがチュロスをアリシアに僅かに傾ける。それにためらいなく、アリシアはかじりついた。さくさくした生地ととろりと濃厚なチョコレートソースが口の中で混ざり合い、アリシアは空いている方の手で頬を押さえた。
「んー! 本当ね、チョコレート味もすっごく美味しい。これは甲乙つけられないわ」
「ふふ。アリシア様は、両方お気に召したようですね」
「クロヴィスも食べてみればわかるわ! ね、こっちのプレーンも食べてみて……」
深く考えずにチュロスをクロヴィスに差し出したその時、アリシアは不意打ちを喰らった。クロヴィスが身を屈めて、アリシアの持つプレーンのチュロスをさくりと食べたのだ。
さらりと揺れる黒髪を、クロヴィスの細い指が耳へとかける。そうやって身を起こしながら、突然のことに固まるアリシアに、クロヴィスは柔らかく、甘く微笑んだ。
「――本当ですね。これは、なかなか甲乙つけがたい」
「っ!」
紫水晶のような瞳と視線が交わった途端、アリシアは顔に熱が集まるのを感じた。ぱっと目を逸らし、ぽわぽわと赤くなる頬を空いている手で押さえる。そして、アリシアは心の中でジタバタとした。
(デートしてる。私たち、いますっごく、デートしているわ!)
彼はいま、補佐官クロヴィス・クロムウェルとしてではなく、ひとりの男性としてここにいる。そのことが痛いほどわかって、どうしようもなく嬉しい。
アリシアは再び、背中を押してくれたジュードに深く感謝をした。
「あ、あのね、クロヴィス! 私、あそこでやっているゲームがしたいわ」
「ゲーム? ……なるほど、射的ですね」
「私とクロヴィス、どっちが景品に宛てられるか勝負しましょう!」
「ふふ、いいですね。受けて立ちますよ」
それからしばらく、ふたりはゲームに食べ歩きと、あらゆる屋台を巡って楽しんだ。幸いに星祭を行きかう人々の足は一向に減らず、魔法のような夜に終わる気配はない。エラム川で灯篭流しをするのに、まだ十分時間に余裕はありそうだ。
「あー、楽しかった!」
ほどなくして。偶然空いていた噴水広場のベンチに腰掛け、ふたりはほっと息を吐いた。満足して空を仰ぐアリシアの隣で、クロヴィスも嬉しそうに頷いた。
「たしかに。私たちにしては、色々と遊びましたね」
「まさかクロヴィスが、射的が苦手なんて!」
「逆にアリシア様は、百発百中の名人級でしたね。お店の方も目を丸くしていました」
「名人といえば、通りの角でやっていた手品はすごかったわ! どこにあんなにたくさんのハトを隠していたのかしら。まるで魔法みたいだった!」
「それを言うなら、近くに並んでいた飴細工も本当に見事でしたね。なぜただの砂糖から、あんなに美しい作品を生み出せるのか……。あれもまた、一つの魔法のようでした」
大真面目に考え込むクロヴィスに、アリシアはくすくすと肩を揺らした。それから、改めてオレンジ色の灯に染まる通りを見つめた。
(この時間が、永遠に続いてくれたらいいのに)
叶うわけもない、ありきたりの言葉が頭に浮かんでしまう。永遠なんてない。時間に限りがある。なのにこんなことを考えてしまうなんて、クロヴィスに知られたら笑われてしまうだろうか。
――けれどもその時、ぽつりとクロヴィスが言葉を漏らした。
「この時間が、永遠に続けばいいのに」
「…………え?」
「……なんて。柄にもないことを、一瞬考えてしまいました」
そう言って、クロヴィスは困ったように苦笑した。
その瞬間、アリシアの胸はぎゅっと締め付けられるような心地がした。
“まずは飛び込んでごらんなさい。それがあなたの十八番でしょう”
王城のテラスで送り出してくれたジュードの声が、頭の中でリフレインする。
(私、クロヴィスにちゃんと伝えたい……!)
自分も同じ気持ちだと。ずっと前から好きだったのだと。どれほどに貴方に救われたか。どれほど、多くの想いを押し殺してきたのか。――消えてしまった未来の中、自分たちがどうやって出会ったのかも。それすらも凌駕して、どれほど貴方の存在が大きくなってしまったのかも。何もかも、包み隠さずすべて――。
「そろそろ行きましょうか」
クロヴィスが手を差し伸べてくれる。街を照らすのと同じ暖かなオレンジ色の灯に染まる美しい面差しを、アリシアは息を詰めて見つめる。
「――ええ」
手を重ねて、ふたりは再び歩き出す。そうやっていよいよエラム川に向いながら、アリシアは心の中で決意をした。
今夜こそすべてを伝えよう。今夜こそすべてに向き合おう。
大丈夫。だって。
「――私たちは、ずっとそうやって手を繋いできたんだもの」
「……? いま、何か言いましたか?」
口に出すつもりはなかったのに、つい独り言が漏れていたようだ。よく聞こえなかったらしいクロヴィスが、こちらを見下ろして不思議そうな顔をする。それに、アリシアは笑って誤魔化した。
「ううん、なんでもない」
「本当ですか? まさか疲れて無理をされてるのでは……」
「違うってば! ね、私、灯篭流しすっごく楽しみだわ」
「ふふ。そうですね」
柔らかく微笑むクロヴィスに、アリシアも満面の笑みで見上げる。
そして、改めて心の中で誓った。
繋いだこの手だけは、永遠に離さずにいようと。
2022/10/06 コミカライズ6巻が発売いたしました!!