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セキセイインコ、君に敬す  作者: 多奈部ラヴィル
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セキセイインコ、君に敬す

Ⅲ引っ越し


ダーリンが帰るなり110番を鳴らしている。どうしたのかな? と思いながらわたしはCHOYAの梅酒を飲んでいた。そして時折エコーに火をつける。そして思う。そりゃあ、タバコはエコーは身体にも美容にも悪いのでしょうね。だけどね、わたしエコーを吸うことができなくなってしまったら、多分そう長くは生きていけないでしょうね。

 お巡りさんが来た。玄関でお巡りさんは

「いや、いいお宅だなあ。この木は? いい木を使っているなあ」

少しのデジャヴを感じる。わたしは全面的にダーリンを信じている。全幅の信頼。そう表現するのもためらわない。ダーリンは、

いや、住友林業の木でね。と答えている。それもまたデジャヴだ。

いつの時期のなんのタイミングのデジャヴであるのかは定かではない。でもデジャヴ。そう思えてならない。

 お巡りさんはびしっとした制服を着ていた。なぜやら頭にドンキとかコスプレとかそんなワードが浮かぶ。そしてそれはわたしがダーリンにそう、全幅の信頼っていうやつをおいているからこそ、ドンキ、コスプレなどという不思議なワードを思い浮かべるのだろうと安心するような気持ちになった。つまり今のわたしは余裕っていうやつがある。

 なるほど、なるほど、とお巡りさんはうなずきながらコロンボのごとく、メモ用紙にダーリンの言葉をメモしている。なるほどコロンボだ。お巡りさんが握っているのは、万年筆でもなければボールペンでもない、鉛筆であった。

 「いや、僕はね、草加市少年野球『ハッスル組』の監督をしてましてね、そう、僕にはそんな一面もある。そうです。儲かるカウンセラーっていうだけでもないし、国連事務総長だけっていうわけでもない。毎週金曜日には『草加市立市民ゴルフ場いこいの広場』の芝もからなきゃいけないし、ゴミ捨て場の掃除だって任されている。そう、僕は忙しい。多忙だ。けれどって言っていいか分からない。だからと言っていいのかもわからない。そう、僕にはお金ならあるんだ。当然。その忙しい様々な活動や役職、そんな僕だから、けれど、とも言い難く、だからっていうのも少し嫌味な気がしてね。けれど、だから、ああ、僕には文才っていうものだけは足りないんだ。つまりそれは妻に任せている一面でね」

「それで何を盗まれたっていうんです?」

わたしはどきりとした。ダーリンは窃盗にあったのだ。ダーリンはこうして無事帰り、今、「けれど」と「だから」に煩悶しているのだから、ケガ等はなかったのだろうが、やはりその「窃盗」という不穏なワードはわたしをドキリとさせたが、お巡りさんとダーリンが座るソファにはわたしは座らず、テレビの前に置かれた小さなカフェテーブルにストロベリーティーを置いて椅子に座り、オットマンに足を投げつつ、その二人の会話を聞いている。ダーリンとお巡りさんには、もう夜も遅いし、少し薄めのコーヒーを入れた。

「僕は今日、ハッスル組の合宿費を持っていたんです。ああ、すぐに銀行に入れてしまえばよかった。ああ、なんていう僕のミスなんだろう! しかし、ああ、ここも迷うな。しかし、そう言っていいのだろうか。日本語っていうのは難しいものですね。まあ、しかしをこの場では採用するとする。そしてしかしながら、僕はそうしなかった。僕にその価値はよくわからないが、働く男性一般に、今流行しているというわけで、ポールスミスのブリーフケースを持っていた。それがね、ひったくりにね、あってしまった。そういうわけです」

 その後お巡りさんはコロンボのようにダーリンを懐柔するように、下手に出てそうですかそうですかと聞きながら、ダーリンの着るスーツを誉めたり、部屋の壁紙を誉めたりして、ダーリンの結びの一句の後に何もないのを確認したのち、

「どういうブリーフケースで、どんな風にひったくられて、そのひったくりの乗っていたのは自転車であるのか、バイクであるのか、複数か、単独か、どんな格好をしていたか、年の頃はどれくらいか、どっちの方向に去っていったか」

そんなことをこまごまと聞き、メモ帳に鉛筆で盛んにメモしたかと思うと去っていった。


 その二日後ダーリンは任意で拘留された。それはこういう経緯らしかった。ダーリンは飲み屋街から千鳥足で歩いてマンションに向かっていた。そしてA地点のカメラにはポールスミスを持ったダーリンが歩いていた。そしてそれはB地点においてもだった。そしてC地点、そのA地点、B地点、C地点にもすらすらとダーリンが述べた

「青い原チャリに乗った、二十代か三十代の若者が、ブリーフケースをふんずと奪い取り、その男は目だし帽に黒いナイロン製のスポーティーでありながら、目立たない格好をしていた」

というそんな男は映っておらず、それどころか、C地点のカメラに、ゴミ箱にブリーフケースを押し込む、ダーリンが映っていたのだ。

「おい、そこのおっさん、ふざけないでほしいな」

若い元気はつらつの取調官は言った。

「なぜ、ブリーフケースをゴミ箱に捨てたんだ?」

「弁護士を呼んでください。黙秘します」

と言って黙りこくると、その若い取調官は出て行って、しばらくしてかつ丼を手にしたいかりや長介にも似た取調官が入って来た。取調室にそのかつ丼の、しょっぱいような甘いような香りが漂う。それをダーリンの目の前に置いて、そのいかりや長介は、

「なあ、長くこんなところにいると、奥さんもお子さんもさみしがるぞ」

と言った。ダーリンは「僕には子供がいないんです」と言おうかどうか迷ったが、言わなかった。確かにハニーは心細く待っているだろう。すべて本当のことを言っててしまおうか? そして言ったところで、打ち明けたところで、何が変わるというのだろう。確かに今までユーキャンとともに二人三脚で歩んできたこの生活は失われる。けれどそれがどうだっていうのだろう。人がどんな風に、様々な出来事に生活に簡単に適応できるかっていうこと、それは僕のユーキャン人生のおいても実証済みだ。そうだ、言ってしまおうか?

ダーリンはお腹が空いており、かつ丼は大好物であった。

「それはいかりやさんのご想像通りなんです。そうです。僕はハッスル組の合宿費を横領してしまって、それを盗まれたがごとくふるまいたかったために、ひったくりにあったというウソをついてしまったんです」

その取調官は決していかりやという名字ではなく、サトウというらしかったが、いかりやさんと呼ばれることにも慣れていたらしく、特に否定もせずにダーリンの言葉が終るのを待った。

「出来心、そう、魔がさしたっていうかな。それっていうのは大抵の人の人生に起こりうることだ。だけどそんな自己保身のウソ、これはいけねえな。さあ、かつ丼でも食べて元気を出せや」

そう言って、割り箸をばしんと割って、ダーリンに手渡す。ダーリンはとてもさみしそうな顔でかつ丼を完食した。

 共同通信にそのニュースは流れた。国連事務総長、横領で逮捕。けれど今のところは詳細がわかっていない。


 「そして、そのお金だけど、それはどうしたんだ?」

「弁護士を呼んでください。黙秘します」

するとそのいかりや長介風の取調官は空のどんぶりを持ってっていって、去っていった。

 次の取調官は若い女性だった。ネイビーの上品なワンピースを着ていた。少しだけ広末に似ている、そうダーリンは思った。

「わたしは少しあなたの子供って言っていいのか、わからない。歳だってアンバランスだわ。わたしにももちろん父がいた。けれどわたしが十七歳の時に、交通事故で死んでしまったの。悲しかった。とっても悲しかった。そしてねいつの間にか少し年上の男性に憧れを持つようになったの。それは『父』と慕う気持ちだけでもないのかもしれない。もしかしたら他の感情も交じっているのかもしれない」

その中高年の男性向けの広末に似た取調官の手管に引っかかるようなダーリンじゃなく、軽くそのセリフを無視すると、初めの取調官がプリンアラモードを持ってきた。

「プリンアラモード。小さい時ね、父や母とそして妹と、週末にはたいていスカイラークで食事をしたの。わたしの生家は決して裕福じゃなかったけど、その程度のことはできる、そんな家庭だったの。家族全員、食後のデザートはプリンアラモードだった。本当においしく感じられたの。幼くて何もわからなくてなんの経験もなかったわたしにとってね。そしてそれはきっと父にとってもだったって今思うの」


 この女、俺に気があるのか? そんなことは思わないダーリンだった。ただその広末にも似た女性のネイビーのワンピースを見ていたら、目の前に懐かしいそして彼女にとって今はすぐに手に入り、幼い頃はそれを手に入れるのが、そう簡単ではなかったっていう意味を持つ、そのプリンアラモード。それを見ていたらなんだかそのプリンアラモードが面白く見えてきて、ゲラゲラと笑いたいような気持になってきて、

「そうなんすよ。つまりですね。野球賭博。これですっちゃたんだなあ。合宿費」

ととうとうゲロしてしまった。若くネイビーのワンピースを着た広末涼子似、侮れないらしいのだ。そしてここまでの拘留中のダーリンの様子は、ダーリンから後で聞いたものだ。

 そして共同通信に衝撃が走った。国連事務総長、野球賭博で逮捕。

それをマンションの一室で知った。わたしが思ったのは

「全くもーう」

という笑いたくなってしまうような感想だった。


まあ、どうなったってそれはそれなりだから、と考えて、保釈金二百万円を納めると、ダーリンは拘置所から出てきて、各報道陣に囲まれてたかれるフラッシュが、とてもまぶしかったらしく、少し寄ったカメラにはまるでダーリンが涙ぐんでいるかのように映っていて、頭を一回下げて車に乗ったらしい。


 ダーリンは帰ってくると、

「あーあ、疲れた。本当に疲れちまった。ハニー、取調室のイスっていうのはとても絶望的なんだ。かつ丼とプリンアラモードはしばらくはいいかな、夕飯はさんまに大根おろしっていうのが今の気分だね」


「ダーリン、わたしから言わせてもらうわ。ダーリンが逮捕されても特に何の感慨も浮かばなかったの。ただ親戚には少しバツが悪いなっていう程度よ。本当なの。どうであれ今までのダーリンとこれからのダーリンが、そのダーリン、そのままなのならば、わたしはダーリンを愛し続けることができる。これは本当の気持ちなの」

「ハニー、僕は君と結婚できたこと、それを奇跡のように思ってる。君は類まれな奇跡的女性だって僕は思う。それは今思っているわけじゃなくって、結婚した日、一緒に住み始めた日に一緒にモルタルのアパートのお風呂に一緒に入った時、その時からそう思っている。そしてね、こんな僕を許してほしい。僕が君に何回許されたか、それは僕には数えられない。数えることは不可能だ。そしてそれに対しても君自身の存在そのものに対しても、本当の感謝を感じているんだ」

「ダーリン!」

「ハニー!」

わたしたちはきつく抱き合った。しばらく抱き合っていたけれど、「そうか、今日はさんま。大根おろしめんどくさいなあ、ああ、でもめんどくさがってると死んでしまうらしいし」

などと考えていた。


 それからのわたしたちの生活は、とても淡々としていて、時間の流れもゆっくりとしていて、コミュニケーションも増え、一緒に笑うことも多くなって、それは老後の生活ともたとえられず、夫婦二人で失職中っていう不思議な状態で、それは悲観するような生活ではないし、それが表現するのは「これからは収入がないけれど、余裕のある貯蓄はあって、住むところもあり、心配もなければ不安もない状態」と言えるのかもしれなかった。そして

「それって、セレブっていうのかな?」

とわたしは思ったりもした。

 ただ、ダーリンは火曜の朝ゴミ捨て場の掃除をしなければならなかったし、金曜はいこいの広場の芝刈りをしなければならなかったが、それはそんなゆっくりとした、平穏な生活に少しの覇気を与えるような、そんな出来事でしかなかった。

 けれど確かに「ダーリンが犯罪を犯した」っていう事実は本物だった。最近わたしは少し胸に去来するくせにすぐに消えてしまうシャボン玉のような気持ちが時折湧いてくるのを感じていた。「日陰者」それである。

特にペンキでなにかを書かれているわけじゃない。張り紙が玄関にはられているわけじゃない。はじめは少しうるさかった電話も、今はもう鳴りやんだ。マンションの住人に挨拶を無視されるわけでもないし、先週行われた理事会でも、

「お宅のご主人のおかげで、蟻が出なくなりました。本当にありがとう」

とたくさんの人にも言われた。

 けれど確かにダーリンは犯罪者だ。それを日陰者と言わずになんというのだろう? そしてダーリンも眉間にしわをよせて何か思索にふけるっているのを目撃するのも多くなった。それを哲学的とも科学的とも感じない自分に、大いに「どきり」とした。変わった。確かに変わってしまったのだ。以前は哲学的思考、科学的宇宙の公式への炯眼、そんな風に確かにわたしには見えていたのだ。それなのに今そのダーリンの眉間によせられたしわにたいして、「老化」と思ってしまうのだ。その変化を受け変わってしまうのは、もしかしたら最も近くにいる人間なのだろうか。マンションの住人でもなければ、共同通信でもない。妻である私だったっていうことに、わたしはためらうしかないのだ。


 最近のダーリンは思索にふけってばかりだ。そういう私だって、胸がシャボン玉だらけではあるのだが。そしてある晩の会話である。

 その時わたしたちは夕食を黙って食べていた。つまりのどごし生を飲みながら大根おろしたっぷりのさんまを食べていたのだ。そう今は秋だ。夕飯のさんまの頻度はとても高い。リビングに昼間立つとなにやら悲しくなってさえ来るようなロケーション。終わっていく、そんなことを主張しているようにも見えるのだ。けれど今は夜だ。外は暗い。それだけだ。

ただコーヒーメーカーがシュンっていう音を立てるだけだ。それを以前スペースだと思ったことを覚えている。そしてさらに発見する。コーヒーメーカーのシュンっていう音はわたしたちの沈黙を肯定する。そういうことだ。

「もう秋なんだね」

「そうね、もう秋ね」

そしてまたコーヒーメーカーのシュンっていう音が耳に入る。

そうしてわたしたちは何をお互いに言いたいのかわかるようなまったくわからないようなそんな気分を持っていて、食後のコーヒーを飲んだ。

「コーヒーはホットだね」

「そうよね、ホットだわ」

会話といってもただそれだけだ。

 わたしはごく狭い友人間で、トイレが近いことで有名だ。コーヒーを飲み終えぬまま、トイレに立った。

「ねえ、ダーリン、わたしってちょっとだけトイレが近いのよ」

「そうなのかい? ハニー、そんなこと僕としたことが今まで気づかなかったよ」

会話といってもただそれだけで、狭い友人間でトイレが近いことが有名でも、一緒に暮らすダーリンが気かつかないこともあるのだな、と思った。


 春には三泊で箱根に行った。夏には二泊で修善寺の湖で遊んだ。秋、昨日三泊の那須から帰ってきた。退屈した。

食事は済んでいる。ダーリンがわたしをいたわり、荷解きは明日ゆっくりで構わないさ、というけれど、濡れたものや下着くらい片付けてしまいたい。その様子をダーリンはテレビも飽きてきたのか、もうどんなものにも飽きてきたのか、ただソファに座っている。エコーにも飽きたのだろうか? 

 わたしはそれらを終えてダーリンが座るソファの横に座った。

「あの」

二人一緒に言った。気の合う夫婦だ。先どうぞとお互いに遠慮しあい、そしてそれなら、とわたしが

「なにか飲む? って聞きたかったの」

「うん、コーヒーを」

「ダーリンは? 何を言いたかったの?」

「いや、僕はコーヒーを飲みながらにするよ」

「わかったわ」

 コーヒーメーカーをセットする。またシュンっていう音がテレビもつけていない、そして二重サッシの静かなへやに、やけに目立つ。ソファに座って、もうダーリンを見ようとしない。そうすべきだ、なぜかそう思ったのだ。コーヒーを運びテーブルの上に置く、

「ハニー、くつろいでいるかい?」

「ええ、とっても」

その時やっとダーリンを見た、ダーリンは、火をつけたエコーを灰皿に置き、灰になるのもかまわずに、右手を顎に添えて、眉間にしわを寄せている。わたしははっと思う。そのしわは、煩悶する小説家のようにダーリンを見せていたのだ。

 ダーリンはやっと灰皿のエコーに気がついたようで、やっとエコーを押しつぶし、

「僕が話したいということっていうのは」

と言って、言葉を切る。本物の静寂だ。今は秋。けれど雪が降っているみたいだ。そんな静寂だ。そしてわたしはエコーに火をつけた。エコーに火をつけてみるという行為、それは手持ち無沙汰な猫がなんとなく毛づくろいをするっていう、そんな所作にも似ているのではないか? と思った。そしてダーリンが語りだす。

「僕は以前『儲かるカウンセラー』を営んでいたよね? そう確かに儲かった。でもそれは、僕の胸に僕が聞くと、それっていうのは本当に僕がしたいと、男子一生の仕事にしたいと思っていることではないとその僕の胸が言った。それは一年前に気がついたことだった。そして僕はお金を儲けることと並行して自分が本当にやりたいことをするにはどうしたらいいのだ、と丸一年、丸一年考えていたんだ。すまなかったと思っている。ハニー。退屈なときもきっとあっただろう?」

「別に。けどそれってなあに?」

「タケコプターの開発だ」

わたしは息をのむ。

「タケコプター?」

「そう、タケコプターだ。だってさ、ハニー、君も思わないかい? あんなもんを頭にくっつけてさ、空を飛べたらさ、あはは、愉快だろうね」


 それはお金を産む事業ではなかったっていう結果になった。今私たちは足立区に築三十年、モルタルの2DKのアパートに住んで、生活保護を受け暮らしている。ダーリンは五十歳になった。年齢だけではない、やはり前科もともなって、職は中々見つからない。ダーリンはまたユーキャンの資料を取り寄せて、コタツの上に広げて、インスタントコーヒーをがぶがぶ飲んでいる。


「そしてダーリンはまた逮捕されてしまった。今度の容疑は「痴漢」であった。わたしはダーリンの身の潔白をもちろん信じていた。むろんダーリンの従順な妻であるとか、ダーリンをちらりと疑ったことなどないというような処女性からだけではなかった。他にも理由があったのである。

 ダーリンが拘束されている容疑はエスカレーターで女子高生のスカートの中を鏡でのぞきみようとしたという容疑であったが、これは第一報をわたしが聞いた時点で失笑するしかない容疑であった。

 久しぶりに裁判の場でダーリンを見たが、わたしはお菓子を差し入れしすぎたことに改めて気が付いた。随分お腹が出っ張っていたのだ。ダーリンの手紙には絶対に

「ハニー、君がぼくを信じてくれているのは、百も承知だ。それを疑ったことなどないってこと、天に誓って言えるんだ。そしてご承知の通りぼくは潔白さ。けれどお願いがあるんだ。月餅を、月餅をできるだけたくさん差し入れてほしいんだ。最近の僕は月餅中毒なのさ。僕は最近、ノートにこう書いた。『もっと月餅を!』。つまり身の潔白を明かすっていうことには体力と知力がどうしても必要で、ゲーテ並に必要で、つまりこう月餅が足りないと、愛する君に対するラブレターさえ、少しの乱れを巻き起こしてしまいそうになることがたびたびあるんだ。ああ、もっと月餅を!」

 ダーリンのお腹は今にもはちきれそうになっていて、ワイシャツのボタンをはめるとか、ズボンのチャックを頂上まで上げるとか、そういうことがとても大変だっただろうなと思えるのだ。

 だいぶ前にわたしたちのアパートにはがガサ入れが来ている。わたしはダーリンの部屋を存分に見てくれとばかりにリビングでアップルティーを飲んでいた。アップルティーを入れるためにお湯を沸かしたのは白いホーローの鍋で、このアパートに引っ越してからというもの、どうしてかアップルティーを飲もうとすると、この小さい白いホーローの鍋がセットで頭に浮かんでしまう。アパートのキッチンには小さな窓が付いていて、わたしが生まれて初めてやってみたお裁縫っていうやつでカフェカーテンをつけてみた。ダーリンもそれに賛成したし、そのカフェカーテンをつけるためのツッパリ棒をドン・キホーテで買ってきて設置もしてくれた。人っていうやつはそういうものなのだろう。ちなみに警察官たちは冷めた白いホーローの鍋を裏返して、カンカンと叩いてみるほど執拗だった。

 ダーリンはおおむね裁判で無口だった。裁判官はその日のその出来事について、それはそれは細かくちぎってダーリンに質問し、弁護士が抗弁し、どうやら裁判官というのは、どれほど一つの事象について小さく細かくちぎることができるか、という点において、「偉さ」がランク付けされるらしいのだ。そしてそのランキングに、どの裁判官もこぞってランクインしようと世界中で張り切っているらしい。そのような細かくちぎられた質問に、弁護士も慣れているように見えた。

 そういった裁判官の被告人質問に際し、出っ張ったお腹を少し持ち上げるように両の掌を股間で組んだダーリンは、つまりはこう答えた。

「その鏡は以前妻からもらったもので、鏡をもらった経緯とは、妻が買った資生堂のマキアージュのドラマティックムードアイズBR354のノベルティがその鏡で、妻から『はい、あげる』と手渡され、『はい、ありがとう』と受けとったというそれだけの経緯で、なんとなくカバンに入れてしまって、お茶の水のエスカレーターを昇っているとき、ふと最近妻に『ダーリン、あなたの前頭部の剃りこみ、最近キレを増したわ』という言葉を思い出し、その鏡で前頭部を写していただけのことで、今回の出来事に関しては、お茶の水のエスカレーターがえらく人を退屈させるという現象面からもアプローチするべき問題ではなかろうか」

といったものだった。それらをちぎらされて、とつとつとダーリンは語ったのだ。

けれど、裁判長に性的な嗜好を尋ねられた時は少し熱を帯びた口調で、

「俺ってのは、俺は、不器用な男でして、熟女ってやつ、熟女のケツが、どうしようもなく好きな男でして」

と答え、寡黙な中にこもった重みのある情熱が、裁判所全体にも広がり、裁判官は眼鏡の曇りを袖でとり、筆記者は筆記であるが故の象形文字のようなそのわかりにくい文字を、思わずさらにわかりにくく書いてしまったという。

 そして自宅からは、特に熟女のお尻にフォーカスを置いたDVDが偏って多いのは警察も把握していたため、ダーリンの容疑ははればれと晴れ、無罪放免とダーリンはアパートに戻った。

 そこで誤解されたくないのだが、ダーリンがいっくら「熟女のケツが、どうしようもなく好き」であっても、わたしのダーリンに対する信頼や尊敬、もちろん愛情も一片たりとも欠けたことなどなかったということだ。ダーリンの伏せたまつ毛が似合うその「タケコプター」について思索にふけるさまや、その人格と「熟女のケツが、どうしようもなく好き」であるという性癖とは分けて考えたいのだ。たとえわたしの中の性的な偏りを、もしかして発見したとしても、わたしという迎合的な人間性とは分けて考えてくれないか、そう願ってやまない。

ダーリンは更に無口になった。そしてアップルティーを白いホーローの鍋でいれてもコタツで、やっぱり月餅を食べた。


 わたしたちはとうに、ダーリン、ハニーと呼び合うのをやめていた。今はダーリンをぷーちゃんと呼び、ぷーちゃんはわたしをピヨちゃんと呼んでいる。そして今、わたしもコタツの上にパソコンを置いて、小説を書いている。そう、今わたしは四十四歳になったけれど、やっとわたしの情熱のすべてを傾けることができる、そういうものが見つかったのだし、ユーキャンの資料を熱心に読んでいるダーリンの隣でキーボードを打っている。それは多幸感だよと笑うなら笑うがいい。わたしは今とても幸せなのだ。そういうものだろうと生活し、なにかを目指している。それはまた作品の大ヒットを祈願し、またタワーマンションを目指しているのかもしれない。もしくはそんなわけではないのかもしれない。でもわたしの幸福に包まれた今はこうなのだ。


 そして家族が増えるっていうトピックも最近あった。イオンペットでセキセイインコのヒナを買った。早朝からやかましい。プラケースの中で背伸びをして口を開けている。はいはい、と私は泡玉をお湯でふやかしてさし餌をする。羽が生えそろえるとそれはとてもきれいなブルーのセキセイインコに成長し、今は窓辺に置かれた大きなケージの中で楽しそうにさえずり、わたしたちを大いにほほえませるのだ。ぷーちゃんがポコちゃんと命名した。



今度の寝室にはセミダブルベッドだ。今芋虫ではないわたしは、自分の身体に、少しぷーちゃんが触れているのを感じながら寝ている。今不眠はない。時にはわたしが手でもつなごうかと言うと、ぷーちゃんは足の親指と人差し指の間を目一杯広げ、わたしの足先をはさみ、『今、僕たちは足をつないでいるのさ』などとふざけたりもする。そうしてそういう悪ふざけが続くとねむくなったわたしは突然機嫌を損ね、離婚だわと言って背を向け眠る。

「今わたしには仕事があって」

とわたしは澄まして言って、食器洗いと洗濯物を干すことをダーリンの役目と押し付けた。

 そして朝、洗濯物を狭いベランダで必死で干しているぷーちゃんにコタツにくるまりながら声をかける。

「食器を洗うと手があれるじゃない? 洗濯物を干すと紫外線を浴びるじゃない? わた

しの美意識において許されないことよそれって」


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