第十五章 砂漠の逃避行
砂漠は寒暖の差が激しく、昼の暑さに比べて夜は気温が急激に下がる。
そのため砂漠を旅する者は昼夜を逆転させる。つまり夜に進み、昼に休息を取るのだ。
アイオナも当然そのことを知っている。始めの内は苦しいし、何よりも暑いので休みを取ろうとしてもなかなか寝つかれないのだが、すぐに慣れる。疲労がそんな問題を解決してくれるのだ。
ただ、全ての砂漠がそうというわけでもないらしい。
アウラシールの東には恐ろしい流砂の砂漠があると聞く。そこでは流砂を避けるために敢えて暑い昼間に旅をするのだという。
夜だと足元が見えず、砂に飲みこまれるからだ。
「お前は休め」
休息を取る時になると、ダーシュは一人で天幕を張り、横になることが出来る場所を作った。
「王子なのにしっかりしてるのね」
「それなりに苦労してるからな」
「いったい何があったの?」
「母の弟が謀反を起こしたのさ。それが今の王だ。いや先の王と呼ぶべきかな? 今は……ザハトが王だろう」
アイオナは不思議に思った。母の弟と言うことは、先程話に出ていたダナン族ではないのか? そこの出身になるはずだ。
となるとホイヤムを行かせたのはどういうことなのか。大丈夫なのだろうか。
「それだと謀反を起こした叔父さんは、ダナン族の出身にならない?」
「そうだ。叔父は元々はダナン族の人間だった」
「ちょっと……ホイヤムは大丈夫なの?」
「アンケヌを追放された俺たちが身を寄せたのはダナン族の所だ。今では叔父とダナン族は完全に切れている。問題無い」
そういう問題なのだろうか。アイオナにはよく理解出来なかった。
「そんなに簡単に割り切れるものなの?」
いまいち納得しきれないものを抱えながらアイオナは腰を下ろした。
「お前はローゼンディア人だから解らないかも知れないが、俺たちには俺たちなりの考え方があってな。一族の中でも敵味方が入り乱れているものなのさ」
ダーシュは作業する手を休めた。何故かは判らないがジャヌハを摺り下ろしている。
ジャヌハは香辛料として使われる他、魔除けにも使用される植物だ。香草の一種だが何か料理でもするのだろうか。その割には火の用意をしてないが。
というか蠍退治はしないのだろうか。アイオナは気になって仕方がない。
「蠍退治はしないの?」
「今準備してるじゃないか」
ダーシュは摺り下ろしたジャヌハを小さな水袋に入れて、そこに水を注ぎ入れて振り始めた。混ぜ合わせているのだ。
「では行ってくる」
外に出たダーシュは天幕の周りを注意深く調べて回った。
蠍の巣穴を見付けると持っていた水袋から水を流しこんでいく。蠍が慌てて出て来たところを叩き潰して始末するのだ。
蠍退治が終わるとダーシュは天幕の中に戻って来た。
「さっきの話だが心配するな。ホイヤムは無事だ。俺たちよりも遥かに安全だ」
「それはそうだけど……」
やはり納得できない。どうも安全に対する判断の仕方に疑問が残る。
文化の違いというやつだろうがホイヤムの身が心配だ。
「これを体に塗れ」
そんな風に考えていると蠍退治に使っていた水袋を突き出された。摺り下ろしたジャヌハを溶いた水は、結構臭いがきつい。
「蠍避けになる」
アイオナは大喜びで受け取った。これで蠍の恐怖から逃れられるのならば易いものだ。
「俺は外に出ていよう。体の柔らかい所には塗るな。滲みるからな」
ダーシュが出ている間に肩や首筋、腕や足などおよそ塗ることが出来る場所にはすべてこの水を塗った。お蔭で臭いがする身になってしまったが構わない。そんなことを気にしている場合ではない。
「塗ったか? では寝ろ」
「いちいち指図するのね」
「夫だからな」
ダーシュは軽く笑い、残った水を自分に塗りつけた後、アイオナの寝床回りに軽く散らした。
「夜になったら出発する。それまでは体力を養っておけ」
「言われなくてもそうするわよ」
アイオナは目の上に布を折って被せ、横になった。暑いが、乾燥しているためそれほど苦しくはない。アンケヌに来る前もこうして砂漠を越えてきたのだ。楽とは言わないが、堪えられないわけがない。
でもこんな蠍避けはやったことがなかったな……。
ジャヌハの溶き水を体に塗るなんて想像したこともなかった。
隊商は大人数だったし、見張りを受け持つ護衛たちも居た。父や自分は立派な天幕の中で安心して眠ることが出来たのだ。
あの護衛の者達もこうやって蠍を退治してから眠りに就いていたのだろう。
旅の間はそれなりに苦労してると思っていたが、今に比べれば何と安楽な旅だったことか。
そう思いつつアイオナは眠りに落ちていった。
起こされたのは日が暮れてすぐだった。
まだ大気には暑さが残っているが、これくらいがいいのだ。完全に闇が落ちると進む方向を間違える恐れがある。
視界はほぼ一面砂礫だけだ。所々に生きているのか死んでいるのか判らない草が生えている。
砂漠と言っても実態は荒れ地に近いのだ。荒野と言ってもいい。
しかし南大陸のマゴラや、ここから遥か東の、ハルジット高原だかトゥライの付近だかには、砂だけの砂漠があると聞く。
そこはとても美しく、そしてとても恐ろしい場所だという。
一面の砂。想像するだけで美しいと感じるが、何が恐ろしいのだろうか?
だがそこはトゥライ語でガウィダーン砂漠と呼ばれているらしい。
それは『二度とは戻れぬ』という意味であり、ハルジット語では、そこはムワナティカ砂漠と呼ばれている。こちらは『無限なる死』という意味だそうだ。
アイオナはその事を知って以来、その砂漠を見てみたいとは思うが、行ってみたいとは思わなくなった。
今居る荒野の方がまだましなのだろうか。
風が少し吹いていてアイオナの髪を揺らしている。
目を遠くに向けると、夕日の残した輝きがまだ残っているのが見えた。
「急げ。出発するぞ」
ダーシュは言い、てきぱきと片づけを始めた。実に手際がいい。手慣れた動作である。
「慣れてるのね」
「それなりに苦労してると言っただろう? 追放された王族が安楽に暮らしていけると思っていたのか?」
「でもホイヤムだっているじゃない」
「あいつはな……」
ダーシュは苦笑した。
「あいつは兄上が生命を助けたのさ。そして自由の身分を与えた。あいつが俺に仕えてくれるのは兄上の遺言だからだ。王族だから仕えているわけじゃない」
「お兄さんがいたの?」
「ああ。殺された」
何でもない口調だったが、アイオナは衝撃を受けた。
「……ごめんなさい。不躾な発言だったわ」
「構わんさ」
気にした風もなく、ダーシュは天幕を纏めて紐で縛った。
「行こう。うまく行ければ明後日にはオアシスに着けるはずだ」
アイオナは頷いた。
月の砂漠を進んだ。駱駝の背に揺られて。
出来るだけ急いだ。でないとザハトの手が伸びてくるかも知れないからだ。
目指すディブロスの町まではかなりの距離がある。まだアンケヌの峡谷を抜けて、エルメサ砂漠の縁を南に下り始めた辺りだろう。
果たして無事に辿り着けるのか、アイオナには判らなかった。




