第24話 宝番の夜想曲(ノクターン)
「え!? ちょっと、オーランドさん!!」
慌ててオーランドさんの後を追い部屋に入ると、カビ臭い匂いがツンと鼻を突いた。前に来た時と同じだ。
ただ……何かがおかしい。
あの時、ミミックに追い回されて壊した家具や装飾品が、すべてが元通り綺麗に並べられている。それに……
「うそ。宝箱……全部、戻ってる」
私は呆然として呟いた。ラカンさんが開けたはずの宝箱は、再びきちんと蓋がされていて、場所を変えて再配置されている。
「何を驚いている? ダンジョンだぞ。時間が経てば、宝も魔物も素材も再出現するに決まっている」
オーランドさんはまるで何でもないように言った。この人にとっては、これも常識のうちなのだろう。
話には聞いていたけど、実際に目の当たりにするとやっぱり不思議な仕組みだ。幼い頃、ダンジョンの宝は「ダンジョン戻し係のおじさん」が毎晩せっせと配置し直しているんだ、とかいう冗談話を信じていたのを思い出す。
ちがうちがう! 今はそんな事より……。
「ど、どうしましょう? 『トラップマーカー』を持ってきてませんけど……」
あの薬品、ラカンさんの言うとおりそれなりに高価な物らしく、新人の私の権限じゃおいそれと支給して貰えるような代物ではなかった。
これじゃ、どれがミミックか全く分からない。あの強いラカンさんが不意打ちをしても勝てなかった相手だ。そんな相手に、逆にこっちが不意打ちをかけられるかもしれない状態で挑むなんて……考えただけで悪寒が走る。
けれど、オーランドさんはまったく動じる様子もなく、部屋の真ん中まで進み、崩れかけたテーブルにアタッシュケースを置いた。
「あ! もしかして、オーランドさん持ってきてくれたんですか? トラップマーカー!」
「トラップマーカー? あぁ、お前たちはミミックを見つけるために、わざわざ宝箱にあの薬をかけて回ったのか?」
なんだか、鼻につく言い方。おそらく「ご苦労な事だな」とでも言いたいのだろうけれど、その真意が分からず私は黙って頷くしかない。この人、言い方がキツイ上に、基本的に悪気が無いのがまた質が悪いんだよ。
私のことなどお構いなしに、オーランドさんはアタッシュケースから小さな箱を取り出すと、箱についたネジを巻くようにして回し始めた。ギコギコと小気味よい音を立ててゼンマイが巻かれていくのが分かる。
「よし、こんなものだろう」
小箱をテーブルの上に置くと、そっと蓋を開けた。
すると――箱の中から聞こえてきたのは、優しいオルゴールのメロディ。
「……綺麗な音色」
まるで子守唄のような優しい旋律に、さっきまでの緊張が一瞬ほぐれるのを感じる。
「音色はどうでもいい」
私の感想を一瞬で打ち消すように、オーランドさんの冷たい言葉が響く。
ムッとしてその顔を睨みかけた――その時。部屋の奥から微かな音が響いた。
ガチャリ。
慌ててその方を見ると、誰も触れていないのに、一つの宝箱の蓋が勝手に開いていた。
「え? どういう、事ですか?」
困惑する私に、オーランドさんはまったく慌てる様子もなく答える。
「あれがミミックだ」
そう言って、平然とした表情でオルゴールの蓋を閉じた。
「え、え? ど、どういう道具なんですか!?」
驚いて問いかける私に、オーランドさんは冷静な表情を崩さずに、淡々と答える。
「『宝番の夜想曲』。見ての通り、ミミックを眠らせる道具だ」
「眠らせる……」
私はミミックの方へ目を向けた。そこにあるのは、微動だにせず、物音ひとつ立てない、どう見てもただの箱。これが、眠ってるミミックの姿なのか。
「便利なアイテムですね……。こんな便利な物があるのに、ラカンさん、なんでわざわざトラップマーカーなんて……」
「言っておくが、そう簡単に手に入る物ではないぞ」
オーランドさんは軽くため息をついた後、いつも通りの静かな声で言葉を続けた。
「何せ細工が細かい上に魔力の定着が面倒でな。過去に売り出した数は、数えるほどしかない」
つまり、これもオーランドさんの自作道具という事だ。
「そ、そうなんですね。これがたくさん作れれば、ミミックに襲われる事故なんてなくなりそうなのに……」
そう呟く私を見て、オーランドさんは小さくため息をついた。
「そのつもり、だったんだがな」
「え? それは、どういう……」
私の質問には答えずに、オーランドさんはミミックの前に歩み寄っていく。
カツカツと靴で床を鳴らし、全く警戒する様子もなくミミックの側に立つ。
そして、懐から小さな鉱石を取り出した。彼の掌に載せられた黒い石は、ダンジョンの薄暗い灯りに照らされ、怪しく輝いている。
オーランドさんがもう一方の手をそっと掲げると、石はパキパキと砕け、結晶となって掌から溢れていく。零れ落ちた結晶は再び集まり、見る間に……黒い剣へと姿を変えた。
漆黒の剣は、光を呑み込むかのような不思議な輝きを放っている。魔法の剣だろうか? その怪しくも美しい刀身に思わず目を奪われてしまう。
オーランドさんが一振り軽く振ると、刀身に沿って黒い残像が空中に漂う。まるで空間そのものが裂けてしまったかのような、奇妙な光景だった。
「な、なんですか? その、剣――」
私の言葉を遮るように、オーランドさんは黙ったままミミックに向かってゆっくりと剣を構え、振りかぶった。
「ちょ、オーランドさん! そいつ、ものすごく強いんです! 気をつけてください!」
思わず声を荒げて叫ぶ。
ラカンさんの特注の剣でさえも、一瞬で噛み砕かれた相手だ。いくら魔法の剣でも、あんな細い剣一本でシルバーミミック相手に対処できるんだろうか?
オーランドさんは、私の声に一切反応せず、静かに剣を振り下ろした。
剣は容赦なく宝箱の身の部分を貫く。
『――ギギ!! ギギギッツ……』
ラカンさんの時と同じように、ミミックが不気味な呻き声を上げた。見る見るうちに蓋の裏から無数の牙が生えてきて、刺さった剣を噛み砕こうと大きく口を開いた。
「オーランドさん!!」
私が叫びを上げると同時に、オーランドさんが剣を軽く薙ぎ払う。すると――まるで紙を切り裂くように、ミミックの身体が何の抵抗もなく真っ二つに切り裂かれた。
一瞬、私は目を疑った。あのシルバーミミックが……たった一撃で。
オーランドさんが事も無げに剣を眼前に掲げると、再び結晶状に砕け鉱石へとその姿を戻した。
「――何か言ったか?」
「い、いえ……何でもないです……」
オーランドさんが只者ではないということは分かっていたけど、ここまでとは……。ほんとに、道具屋で隠居してていいの、この人……?
……
オーランドさんは、倒れたミミックの残骸の中から、被害者の遺品と思われる物をいくつか拾い始めた。傷薬やナイフ、カギ縄などの冒険道具が散らばっていたが、その中に手帳を見つけ、私に手渡した。
「……被害者の物で間違いありません」
「そうか。気の毒だったな」
その意外な一言に、少し驚く。他人に全く興味の無い人だと思っていたから……。
「そう、ですね」
地面に跪き、両手を組んで哀悼の祈りをささげる。被害者の魂が、少しでも安らかに天国へと行けますように、と。
「……忌々しいことに、今回は私の道具がどれもこれも裏目に出たようだ」
オーランドさんの声に、ふと祈りに閉じていた目を開ける。
「え? どういう……」
「……数日前。店に『宝番の夜想曲』を探しているという客が訪れた。今どきこんな物を知っているとは篤実なものだと思い、譲ってやったんだが……」
オーランドさんはしゃがみこんで、ミミックの中にもう一つ遺品を見つけた。それは美しい赤い宝石のついたネックレスだった。
「なるほど、これか……」
オーランドさんはそう呟き、ネックレスを私に手渡す。
「よかった。これで依頼達成ですね。依頼人にも、お母さんにも、ちゃんと形見が渡せます……」
私は安堵のため息をついたが、オーランドさんはネックレスを再び私の手から取り上げ、じっとそれを見つめた。
「いや、まだだ。これを渡す前に……私の借りを返させてもらおう。――この謎、道具屋オーランドが買い取ってやる」
オーランドさんの声はいつも通り静かなものだったけれど……これまで聞いた事のないような怒りを隠しているように思えた。




