第20話 獲物を待つ箱
「ラカンさん。私、正直……お母さんの言っていたことの方を信じてたんですけど……これはさすがに」
目の前に掲げられたあからさまな「注意! トラップルーム」の看板。これほど分かりやすい警告があるのに、わざわざ中に入っていくなんて……。
これはさすがに冒険者たちが言っていた通り、彼女が宝に目が眩んで無茶をしたというのも納得がいってしまう。
「はぁ……。そうだよな。だから俺も気乗りしなかったんだ」
ラカンさんが、少しだけ肩を落としながら言った。この事を知っていたラカンさんは、昨日の時点で既に被害者の方に非がある可能性に気付いていたんだ。
「とりあえず、中に入るぞ」
ラカンさんが扉に手をかけると、蝶番がギギギと重い音を立てて開いた。古びたドアの先には、真っ暗な部屋が広がっている。
埃とカビが混ざったような嫌な臭いが鼻をつき、私は思わず軽く咳き込んでしまった。
「うっ……。埃っぽいですね」
「わざわざトラップルームに入るような、命知らずな初心者は中々いないからな」
ラカンさんが手に持っていたランタンで、部屋の中を少しずつ照らしていく。
壊れた家具、壁に掛けられたよく分からない装飾品、散らばったガラクタ。そして、それらの間に――いくつかの大きな箱が、無造作に置かれていた。
「……どれがミミックなんですか?」
箱を指さして尋ねる私の横で、ラカンさんは目を細めながら慎重に部屋を見回した。
「さあな。慣れた冒険者ならある程度、経験則で予測はできるらしいが、外観じゃ見分けがつかん」
ラカンさんの言う通り、見ただけではどれもこれもただの宝箱にしか見えない。この中に人を食らう恐ろしい怪物が潜んでいると思うと、緊張で背中がゾワゾワする。
「それじゃあ、運頼みってことですか?」
問いかける私の顔がよっぽど怯えていたのか、ラカンさんは少しだけ小さく笑って答えてくれた。
「いいや、昔はそうだったらしいが、今じゃ手はある。いいか、お前はドアの前で出口を確保してろ。何があっても絶対に手を出すなよ。そこらのスライムやインプとは比べ物にならない相手だ」
「は、はい……!」
いつになく真剣なラカンさんの表情に、思わず息をのんで返事をする。私が入り口近くに待機すると、ラカンさんは慎重に箱に近づくと、鞄から何か小さな瓶を取り出した。
「……頼むぞ。あんまり経費がかさむと、経理のネーチャンが煩いんだ」
そう独り言を漏らしながら、ラカンさんは瓶に入った液体を箱に垂らしはじめる。1本をまるまる使い切った所で……
「まず、これは違うな」
そういって箱から離れる。
「ど、どういうことですか?」
私の問いかけに「いいから見てろ」とだけ答えて、ラカンさんは次々と箱に液体をかけていく。
そして、最後の一つを前にして立ち止まると……
「はぁ……。ツイてないな。こんだけ使い込んだら、どんな嫌味を言われるか」
そうぼやきながらさっきまでと同じく箱に瓶の液体を全てかけ終わると――。
「……えっ?」
思わず数歩前に出てその光景を確認する。
他の箱では何の変化もなかった液体が、薄っすらと紫色へと色を変え、淡い光を放ったのだ。
「『トラップマーカー』見てのとおり、ダンジョンのトラップに反応して色で知らせてくれる道具だ」
ラカンさんが自慢げに瓶をこっちに見せて来る。
「ち、ちょっと待ってください! そんな便利なものがあるなら、どうして被害者はミミックに気づかなかったんですか!?」
それはそうだろう。これさえあればミミックなんて一目瞭然だ。
「これ、高いんだよ。見つけた宝箱に片っ端からかけてたら、あっという間に逆ザヤだ。俺たちみたいに経費で落ちるなら良いけれど、財宝目当ての冒険者じゃそうおいそれと使う訳にはいかない。欲の深い冒険者なら尚更だそうだ」
「そ、そうなんですか……」
自分の身の安全よりも実入りの方が大切だなんて……。冒険者という仕事は、私にはあまり理解できそうにない。
「なにはともあれ、中の宝に用がないってのは楽でいい。最初から分かってれば、やりようはいくらでも――ある!」
言い終わると同時に、ラカンさんは剣を垂直に立て、箱の蓋をこじ開けるように中へと突き刺した!
『ギッ!? ギギギギギィィ!!』
それは、今まで聞いたこともないような不気味な呻き声だった。次の瞬間、ただの箱にしか見えなかったそれが、突然ピョンピョンと生き物のようにその場を跳ね回り始めた。
箱だったものの表面は、錆びた鉄板のような不気味な凹凸が浮かび上がり、蓋の裏にはおぞましい歯がぎっしりと並んでいる。さらに、中からは昆虫の足のようなグロテスクな触手が次々と伸びてきた!
「ひ、ひぃぃ!」
思わず、遠くから見ているだけの私が悲鳴を上げてしまった。
一方、ラカンさんはいつも通りの冷静な顔で……と思った瞬間、ミミックが口に刺さった長剣を、ひと噛みで粉々に砕いてしまった!
「――っ!」
ラカンさんはすぐに身を翻すが、ミミックの勢いに任せた体当たりで吹き飛ばされてしまう。そのままなんとか体勢を立て直し、這いつくばるようにして私の方に慌てて駆け寄ってきた。
「おいおいおいおい! 嘘だろ!? 逃げるぞ、エリナ!!」
まるで子どものように数歩ハイハイで迫ってきたラカンさんは、立ち上がるなり私の腕を引っ張って、一気に部屋から駆け出した。
「な、なんですか!?」
「シルバーミミックだ!! くそっ、なんでこんなところに!」
「え、え? シルバーって……当たりですか?」
私の問いに、ラカンさんはツッコミを入れる余裕すらない様子で、私を引きずるように走る。背後では、ドアを突き破る勢いで飛び出してきたミミックが、触手をワシャワシャと振りながら追いかけてくる。き、気持ち悪い……!
「アホか! ミミックの上位種だ! 俺一人なら何とかなるが、お前が一緒だと多分死ぬ! お前が!」
「え、えええ!? 嫌です! 私、あんなのに食べられるなんて、絶対に嫌です! ラカンさん、助けてください!」
「だから今こうやって助けてるだろうが!!! 自分でも走れ!!」
そう言うと、ラカンさんは私を後ろからバンと強く押し出した。
二人とも、わき目も振らずに必死になって走った。
追いつ追われつ、私たちの足音だけがダンジョン内に響く中、どうにかして上の階層まで駆け上がった。




