二章 目指すは皇都アジェ・1
「人と分かり合うこと……それは他者を信じるということ」
紫色の瞳が、こちらを振り返る。無表情だけれど、やさしい表情を浮かべたアリオスはわずかに目を伏せる。
「今だから分かる…」
そっと、ささやくように言葉を紡ぐ。
「彼女は俺に、<それ>を、――とても大切なことを教えてくれた。だから…」
どこか、幸せそうに。
「――――彼女を幸福にしてやりたいと、そう思った」
――――――
アリオスは離宮のひとつ――レヴィアル宮――の東屋に居た。
ここ最近皇子宮に篭もりきりの第一皇子を案じて催された今日の園遊会には多くの貴族たちが招かれている。湖に面して立つ庭園にはリクスル皇王一家をはじめ、身分ある者たちで満ちていた。
アリオスはアヴィーナ皇妃やルイシア皇女に再三説き伏せられ、実に半年ぶりに公の場に姿を現した。黒髪の第一皇子は注目を浴びている中で言葉少なに挨拶をのべると早々に姿を眩ませてしまったが。
恐らくは今頃ラウあたりが姿を眩ませた自分を探しているに違いない―――アリオスは東屋の壁に寄りかかり、腰をおろすと軽く息を吐いた。指を伸ばし、眉間にふれると肌を通して血管がぴくりと脈動した。…疲れていた、らしい。
ゆっくりと目を閉じ、息を吸い込む。視界を意図的に断ち切り、肩の力を抜くと思いのほか穏やかな気持ちになった。風が通り抜けてさわさわと心地よい音をたてている木々や珍しい鳥の鳴き声…先程まで張りつめていた神経が緩やかにほぐれていくのをアリオスは感じた。
(最後にレヴィアルに訪れたのは…いつだったか…)
そう―――半年は来ていなかった。最後にこの離宮で遊んだのはルイシアやアスエルや…母もいた。
確か今日のような催しはなく、皇王一家だけで訪れていたか。
いたずら心が働き、侍女たちがおろおろする姿が面白くて姉とともに早駆けの真似事もした。まだクルテアに居た頃はアリオスはよく遠乗りに行ったものだが、ルイシアから、彼女が馬に触れ合うのは馬術の授業だけと聞きひどく驚いた自分を思い出した。
今は―――とてもその気にはなれないが。
(俺は…何をしているのだろう…)
母を亡くし、家族の心労を増やし―――それでも結局前に踏み出せずにいる。ふっと目を開け、視線を軽く上げると、この地方でよく見られる鳥の巣が視界に入ってきた。全身が白く、目の下だけ灰色のラインの入った親鳥がちいさな卵を懐にしっかり抱えている様子がよく見えた。
おまえは結局甘えているのだ―――心のどこかで酷薄な囁きが聞こえた。
(…分かっているさ)
分かっている。今の振る舞いが矛盾していることくらい。ひどく子供じみた愚かな振る舞いだ。自分の立場で許されることではない。
だが、…それでもと思ってしまうのだ。
(―――いや、俺が……ただ、人と関わるのを疎むようになった、というだけか)
或いは―――。自分はあの日に死んだのかもしれない。前に姉に洩らした、あの言葉こそがアリオスの本心だったのか。
母のなきがらを目にしてからこの胸に宿る鬱屈とした感情がそう思わせているのか…。
(…よそう)
考えても詮ないことだ。頭が酷く重く感じたためにアリオスは眉をしかめ、壁に体重を預けきると目を閉じた。
―――皇子よ。おまえにひとつだけ良いことを教えてやろう。
ふと、いつかに出会った黒衣の少年の囁きがアリオスの脳裏を掠めた。
―――それはね…
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「そう、じゃあ一緒に行けるんだね」
ヨナは梱包しかけていた本から手を離し、リンダに目を向ける。リンダはええ、と頷き照れたように下を向くと両手の指を絡めた。この少女がその仕草をするのははにかんでいる証拠。
ヨナは口元を緩めると手を動かし作業を再開した。
「ユリスさまは…姉さんの背を押してくれたんだね」
「自分の心に従うように、と」
「心に従え、か…ユリスさまらしい言葉だ」
ヨナは少し変わった装丁の本の背表紙を指でなでると、リンダを振り返る。
「僕は姉さんが一緒に来てくれるなら嬉しいけど………あっヨーラン!『ロイア戦記』はこっちの箱に入れて」
ヨナは振り返った先にいたリンダ――の後ろにいた侍従に声をかける。リンダもつられて振り返るとヨナに頷いている青年が心得たように手にした本をヨナの差した箱に入れ始めた。
「でも姉さんは、アリオス殿下の侍女になるんだろう?」
「…はい」
「カストール公爵家は宮廷での地位がそれなりに高いから…やっかみはあるかもしれないけど表だって姉さんを貶める輩はいないだろうね。―――姉さんと殿下の血筋の事情が、無ければ…ね」
おまたせしました。二章に移ります。舞台はまだカストール。次か、その次にはアジェに舞台を移し…たいです(泣)早くアリオスとリンダを会わせたい…。
ところでこの連載、1話1話の量は短め…でしょうか?そこらへんを知りたい今日このごろです。感想などでぜひ意見をお聞かせください!