第3話 手の震え
「犬……じゃなくて狼?」
御影さんがつぶやいた。
獣は三匹。狼に見えるそれは、尖った牙、ギラリと光る瞳をしていた。目は全体が黒く、今まで見たことがある狼と違って、少し異質な雰囲気だ。
私は、ドアから後ずさり、部屋の中央にいた御影さんの所まで下がった。狼はグルルという声で威嚇してくるけど、襲っては来ない。私たちの動きをじっと見ているみたいだ。どうしようかと考えていると、御影さんが話しかけてきた。
「このまま窓から逃げるのは、ちょっと厳しそうだな。戦うしか……」
「戦うって、どうやって?」
「君は剣が使えるんだろう? なんとか身を守ることに専念して、隙を見て逃げて欲しい」
もしかして、御影さんは武器を持たずに戦えるの? と期待をしたけど、どうやら違うようだ。彼は座っていた椅子を持ち上げた。盾にするのだろうけど、そんな装備で大丈夫? と心配になる。
それでも、この状況で一緒にいてくれるだけで、心強い。
「これ、結構重いな」
「武器も持たずにどうやって?」
「わからん」
御影さんは椅子を、身を守るように持ち、私を庇うように前に出て狼に近づいていく。その危なっかしさに、私はつい、叫んでしまった。
「ちょっと!」
「どうやら誓約の効果で、君を守らないといけないようだ」
眉毛を下げ、トーンの落ちた声で御影さんが言った。椅子を持つ手が震えている。ううん、彼一人に任せず、二人で戦わないといけない。習っている剣がせめて役に立つといいけど。私は、剣を構え、御影さんに近づこうとした。
すると、狼が動く。二匹が御影さんに、一匹が私に向かって来た! 私は向かってきた狼に剣を向け、振るい、近づけないように牽制する。
御影さんの様子を見ようとも思うけど、そんな余裕はない。
狼は剣の攻撃範囲ギリギリを見極め、隙を窺っているようだ。私は、小さく剣を振り、下がらせようとするが、すばしっこく避け、逆に距離を詰めてくる。
大振りすると一気に接近されそうで危険だ。そうしているうちに、自分がじりじりと後退していることに気付く。すぐ、後ろに壁が迫っていた。やばい……。
噛まれたらやっぱり痛いだろうな。首元を噛まれたら、血がたくさん流れて、死んでしまうのかな?
こんな状況でも、頭は冷静にフル回転で考え、私の目は狼の動きを追っていた。でも、怖い。剣を持つ手の震えが大きくなったような気がした。
その瞬間、
「灯火!」
御影さんの声が聞こえた。叫んだのは、明かりを灯す魔法だ。
「ギャン!!」
彼と対峙している、狼の悲鳴が聞こえた。すると私の前の狼は、とても驚いたようだ。仲間の悲鳴が聞こえた方向に、わずかに振り向いた。見逃さず、必ず当たる胴めがけて剣を振り下ろす!
ザクッ!
「ギャンギャン!」
鈍い何かに当たった感覚が手から伝わってきた。振り下ろした剣を見ると、狼の背中に刺さっている。急いで剣を持ち上げると、それは、血に濡れていた。どす黒く赤い。血が気持ち悪い。
私……生き物を……傷つけたんだ……。
でも、まだ戦闘は終わっていない。私は、再び剣を構える。すると傷を負った狼は、仲間の元に走り出していた。
「もういっちょ、ライト!」
再び御影さんが言った。だけど二回目の魔法は発動しなかったみたいだ。
「なんでぇ?」
少し情けない感じの、力が入っていない声が聞こえた。狼は侵入してきた扉側に、三匹とも集まっていた。
部屋が少し明るいと思っていたら、一匹の狼の顔……目の辺りが光っている。
ライトの魔法を狼の頭に使ったようだ。あれでは、自らが眩しくて周りがほとんど見えない気がする。
不利を察したのか、狼は一瞬私たちを睨むと、三匹とも隣の部屋に逃げ出していった。
御影さんは、その後を追っていく。
しかし、彼についていく気力は、もう残されていなかった。視線で追うのみだ。
すぐ、狼の血が床を汚しているのに気付く。掃除をしないといけないな、と場違いなことを思いながら、ぼんやり見つめていると、御影さんが戻ってきた。
「狼は、窓から逃げていったよ。とりあえず、壊れた窓は直さないと」
「そっか、よかった」
優しい声に安心する。
彼はゆっくりとしゃがんだ。そして、狼の残した血の痕と体毛を見つめ、呟いた。
「ドロップ品にしては……セコイな。倒してないからかな?」
「ドロップ品?」
「それはね——」
何のことだろう? 彼は得意げな表情をして、白い狼の毛を指でつまんだ。だけど、それは、すっと消える。まるで、指先に吸い込まれていくようにも見えた。御影さんが腰を抜かす。
「なあっ? こ、これはどういうこと? 俺の指先に吸い込まれたっ」
人の体に、物が吸い込まれるなんて見たことがない。私はその様子をぼんやり眺めていた。少しだけ頭がぼーっとする……。
「とりあえず、忘れよう。うん」
すぐに彼は落ち着いたのか、そう言って、無かったことにしたようだ。
私は、改めて脅威がいなくなったことを理解した。すると、体の力が抜け、急に視界が暗くなってくる。ドン、と剣が床に落ちた音が聞こえた。
「レェナさん、顔色が悪いんだけど……大丈夫——?」
御影さんが慌てて何か言っているけど、ぼんやりして聞き取れない。
初めての実戦。緊張と疲れ。召喚術実行による体力と、魔力の消耗。生き物に傷を負わせ、血を流させたという罪悪感。
もう限界だった。私は意識を手放し、体が崩れ倒れていくのを感じた。
ただ、気を失う直前に感じたのは、床の冷たさや硬さではなく、人の温かさだった——




