閑話 御影一俊
閑話として御影視点のお話になります。転移前〜1章の中間くらいのエピソードです。
今日は何曜日だったか。
平日の深夜、仕事を終えて帰宅する。ドアを開け、真っ暗な部屋に入り明かりを灯した。真っ暗な状態から急に明るくなって、まぶしく感じる。
「ただいま」
誰も答えないのは分かっている。キッチンには、弁当や惣菜のトレイが詰められたゴミ袋が、いくつか並んでいるのが見える。
食器も流しに放置されたまま。どれくらい洗ってないんだっけ。暑くなる前にゴミを捨てなきゃ、と毎回思う。
服を脱ぎ、軽くシャワーを浴びて汗を流す。体を拭くとそのままベッドに倒れるように横になる。
仕事をしている時はいい。やるべきことに没頭して全てを忘れてしまうことができる。問題は勤務後や休日だ。何をしていいのかさっぱり分からない。いや、分からなくなってしまった。
床に、ひび割れたフォトフレームが落ちている。近所の海で撮った、瑛理と俺のツーショット写真だ。彼女に何をしてあげられたのだろう? 失ってからから毎日考えている。
俺は目を瞑った。また明日来るであろう、くだらない朝に備えて。
★★★★★★
突然、体がふわっと浮く感覚があった。すると、見たこともない部屋にいた。そんなに広くはないが、テーブルがあって、部屋の天井の四方は何か光っている。
俺は、突然何が起こったのか理解できず、動けずにいた。
目の前には、中世西洋風の服を着た、高校生くらいの少女がいた。コスプレ?
その顔を見て、どきりと心臓が震えるのを感じた。少女は一瞬、唖然とした顔をしたものの、すぐ我に戻ったのか猛ダッシュで逃げてしまった。
自分が裸であることに気付く。
頬をつねってみるが、夢が覚める気配がない。すると全裸なのに近くに他人がいることが妙に恥ずかしく、手で股間を隠してしまった。
頭の中に何かの意思のような物が入り込んでいるのを感じた。さっきの少女を守れというものと、少女の父親を探せ、という言葉が響く。
なんだろう。呪いというものがあるのならこういう物なんだろうか?
先ほどの少女は、誰か人でも呼びに行ったのか。
変態! 変態! 変態! と言われ、逮捕されちゃったりするのかなあ。それは困る。自分でもどうしてこうなったのか分からない。うまく説明しなくては。
耳を澄ましてみたら、どうやら隣の部屋にまだいそうだ。
俺は素っ裸のまま、彼女と話をする。どうやら彼女が、俺をここに「召喚」したらしい。そのことに負い目を感じているようだ。
「困ってますよね? なんでも言ってもらえると!」
一瞬、ん? と思った。
「えっと、とりあえず、何か服があると助かります」
俺は、この状況をなんとかしようと、そうお願いしたのだった。
★★★★★★
無事に服を受け取り、少女と話をする。その子はレェナと名乗った。
話をしていくうちに、狼が三匹ほど部屋にやって来て襲われたが、なんとか撃退した。主に彼女の活躍が大きかったように思う。
襲ってきた狼が窓から逃げだし、外を走って去って行くのを俺は目で追っていた。やがて、視界から消えていく。
レェナさんって、しっかり切りつけてダメージを与えるなんて凄いな。剣を構える格好も様になっていた。同じ武器を持っても、傷を負わせることなんて俺にはきっと無理だ。この世界では無力だな。いや、この世界でも、か。
どうも魔法の存在といい、ここは俺が元々いた現実世界とは異なるところのようだ。子供の頃から本や、映画、ゲームなどで親しんでいた異世界というやつだ。
その突拍子もない話を聞いて、素直に受け入れられる自分に少し驚いた。
レェナさんの容姿の影響だろうか。もう瑛理はいない。でも、彼女を見ていると、その仕草や笑顔が瑛理を思い起こさせて仕方ない。
だから、素直に信じられたのだろうか。彼女が嘘を言っていないと。
レェナさんと話したり、接しているだけで、心の乾きや飢えが癒やされる気がした。話せば話すほど、似ているだけで違う人だと確信していくのだけど。
愛した人を別の人に重ねること。男らしくないとも思う。最低かもしれない。いや、かもしれないじゃないな。最低だよ。でも、それでも、どうしても。失礼極まりないけど、心に刻まれた誓約を守ることで、許してもらえないだろうか……。
それでも、愛した人はこの世界にはいないのは理解しているし、最終的には、あの思い出が残る部屋に帰りたい。
ふと、さっき妙にレェナさんの顔色が悪かったのを思い出した。急に心配になり急いで戻る。すると、彼女は放心したように狼の血に汚れた床を見つめていた。
「狼は、壊れてる窓から逃げていったよ。とりあえず、壊れた窓は直さないと」
「そっか、よかった」
レェナさんは俺を見て、呆けた顔から、安心したような笑顔になった。
(うっ)
顔立ちも整っているし、こんな笑顔を見たら同じくらいの歳の男なら、あっさり惚れそうだな。俺も若かったらどうなったことやら。さらに、かわい……。
と、そう思った瞬間。
キィン!!!
頭の中に不愉快な甲高い音が響いた。が、すぐに消えた。なんだ? 今のは。確かに似ていると、失礼なことをまた思ってしまったのは反省すべきだけど。
改めてレェナさんを見ると、彼女の視線が定まっていない。
「どうした?」
声をかけるが、聞こえていないようだ。カラン、と音を立てて、剣が彼女の手のひらから滑り落ちる。そして膝がかくんと曲がり、その場に崩れ始めた。
「おっと!」
とっさに、レェナさんの体を抱き、倒れないように支える。とても華奢だ。そして柔らかい。女性の体って。と、そう思った瞬間。
キィイイン!!!
頭の中に再び、不愉快な甲高い音が響いた。今度は止まらず頭が割れそうなほど、大きい音が響いている。耐えがたい苦痛。こんなの、俺も倒れそうだ。
急いで、レェナさんをベッドに寝かせると頭の中の音も消えていった。
「まさか」
レェナさんの父親が召喚術を用意したという。さっき狼に侵入された時、逃げようと思ったが、その時も頭痛が始まりかけた。
でも、今の方がキツかったぞ?
もしや、レェナさんに対して女性を意識すると、守れという誓約に反したと判断されるのか? もしや俺が男だからなのか? それとも? いくらなんでも過保護過ぎだろ。
改めて、レェナさんの顔を見る。呼吸は規則正しく、眠っているように見える。召喚術を行ったのは彼女だというし、狼とも戦った。怪我も無いようだし、疲れたのだろう。
冷静に彼女を見るだけでは、先ほどの不快な音は頭に響かないようだ。父親にしてみれば、召還した相手が男だったら娘におかしなことをしないかと心配するかもしれないが。
「あの凧オヤジ……」
思わず、レェナさんが言っていた言葉を苦々しくつぶやいた。今はともかく、この現象が緊急時に起きないといいが。なんとも不安だ。俺は断じて賢者ではないのだ。
ふっと、瑛理の顔が頭に浮かび、気分が滅入るのを感じた。
とりあえず、この件は置いておくとして。これからどうするべきか。レェナさんが起きるのを待つか? 考えていると、どこからか誰かの声が聞こえた。
「レェナ? レェナいるのかい?」
「レェナ?」
さて、誰だろう。心配そうにレェナさんを呼ぶ声の方向に歩いて行く。
彼女の寝ている部屋から、通路を抜けると、この家の入り口と思われる扉があった。声の主は近くの住人だろうか? 多分そうだろう。
扉を開けると、外には驚いた顔をした男性と女性がいた。二人とも俺より少し上の歳だろうか。男性はやや長い剣を腰にぶらさけでいる。女性は、何か鞄を抱えていた。
それぞれ凜とした姿勢で隙が無さそう。
「あ、あの、こんにちは。レェナさんは奥で寝てますよ」
「……誰だ!? レェナはどうした!?」
男性は険しい顔になると俺に向かって剣を構え、女性は下がって距離を取り、鞄からスクロールを取り出した。
あれ? これなんかヤバくない? 明らかにさっきの狼よりこの人達の方が危険な感じがする。
こういう場合は経験則から謝るか逃げろと、俺の本能が最大級の警告を発したのだった。
——そんなこんなで、異世界での生活が始まった。
強制されているとはいえ、目的があるというのはいいことだ。いや、最終的には元の世界に戻るのが目的で、強制されていることは、その手段だ。
俺は久しぶりに感じる、生きているという実感に、少女が召喚してくれたことに感謝をしたのだった。
ただ、このレェナと過ごして帰還する時、俺はどう思うのだろう。それが楽しみでもあり、少し不安にも感じていた。




