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それはファンタジーじゃなくていい  作者: 異羽ようた
最新話
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第一章 第三話 part2

早めの晩御飯が終わり、七時頃解散となった。

キリカはそのまま帰宅。シュウは出かけると言って僕と一緒に。

時間的に余裕が無くなり、慌てる様にして集合場所へ。


時刻は八時前。何とかギリギリ間に合った様だ。

ハクトとシュウは夜自由に動きやすかった為、彼女の家の近くを待ち合わせに選んだ。

広めの共用駐車場の一角。彼女は既に居た。


ハクトは慌てる様にして駆けだす。


「ごめん、お待たせ」


「ううん……って、お昼にもこんなやり取りしたね」


微笑を浮かべる彼女を直視出来ず、視線を外して頬を掻くハクト。

後ろから歩いてきたシュウはそんな二人を見て。


「しょっぱなからラブラブ空間作りやがって。俺、居ない方が良くね?」


「シュウっ、そろそろ同じネタでからかうの止めてっ!」


『アウェー感満載なんだけど』と続けるシュウに、ハクトが喰ってかかる。ユメがそれを見て笑う。


「仲、良いね」


「そんなそんな。お二人の仲に比べたらそんな」


「そんな進んでないからっ!!」


「ほう。進める予定はあると」


「今は照れて否定してるけど、落ちるのは時間の問題だからね。……でも、ハクトくんに自覚があったなんて驚いたよ」


「~~っ!! と、とにかくっ! 作戦会議っ!!」


からかう二人の言葉に顔を赤くしつつ、話題の変換を図るハクト。

そんなハクトに二人は『はいはい』、といった様子で従うのであった。




  ◆




「……そういや、重傷負ったらどうなんだ?」


「どう言う事?」


ユメのステ振りや職業選択について話し合っていた所で、シュウがふと呟いた。

ユメは生存重視でクレリックを選択した所で、その話が出たのだ。


「ただの怪我なら、体細胞分裂を加速させて自己治癒力を高める、っていうんで理屈は分かるんだがな――例えば四肢を欠損したり、内臓やっちまったりしたら、どうなるのか。そもそも治らないのか、治るとしたらどういう原理で治るんだろうなって話」


シュウの返しに、ハクトは思わず沈黙する。

要は人間の身体の自己再生機能で賄いきれない損傷が発生した場合、どうなるのかという話だ。


「……ファンタジー作品でよくあるのは、傷が塞がるだけで、四肢欠損はそのままってのだけど」


「まぁ、出血や痛みに即対応できる、って考えで良いか。――いや、な。昨日の火傷が綺麗サッパリ……それこそ気持ち悪いくらい完璧に治ってるんで、気になっちまってよ」


そう言って両手を広げて二人に見せるシュウ。ハクトは気付いていなかったが、昨晩相当の負傷をしたようだった。


「だが……そうなると戦術も改めて考え直さんとな。確かにクレリックが居ると生存率は上がるが――」


「――重傷を負った場合は、治癒できない。即、その人間は戦闘続行は不可能になる、ってことだね?」


『そうそう』と頷くシュウに、ハクトは不安そうに訊く。


「じゃあ、クレリックは止めておいた方が……?」


「いやいや。生存率が上がる、ってのは大事だぞ。色々補助系スキルも取れるだろうから、そこら辺吟味せにゃならんなって話だ」


「ねぇ」


それまで口を噤んでいた、ユメが唐突に発言する。二人は会話を止め、彼女を見やった。


「昨晩の傷が完璧に治ったって言ってたよね」


「ん? ああ」


「それって、『夜』の間に負った傷は、『夜』を越えたら自動的に治るって解釈で良いのかな?」


「……多分な。あんまあてにしない方が良いが」


「という事は、だ」


シュウの発言に半ば被さる形で、ユメが続ける。


「――もし四肢欠損や内臓損壊が起こった場合、それも人間の自己再生機能を超えた治癒が起こる場合……問答無用で治るって事だね?」


沈黙が、降りる。


それらが自己再生で治らないのは、神経細胞等に増殖機能が無い為だ。それをどうにかする場合、現実だと他者由来の神経や臓器を移植する必要がある。


だが――このケースの場合、その空きは何処から埋めるのか。


長く、三人は黙ったままだった。

ようやく、シュウが口火を切る。


「どのみち、だ。絶対に重傷を負っちゃならんって事だな。重傷を負った結果が、手足が失われたたままにせよ、『得体の知れない何かに置き換わる』にせよ、だ」


再び沈黙が降りる。重い空気に支配されてしまった。


『あ~』と呻きつつ、シュウが頭を掻き。


「ハクト。ジュース買ってこい」


「いきなりパシリっ!? 酷くないっ!?」


「うっせぇ早く行け。でないと、お前を今後『年中発情兎』と名づける」


「兎って性欲の権化だし発情してないし嫌だよっ!! ――ええいっ、分かったよ! 二人とも何が良い!?」


「あ、ボク、ミルクティーが良いな。ホットで」


「俺、どろり濃厚コーヒー味で」


シュウに『そんなもんあるかっ』と吐き捨てつつハクトが駆けて行く。




  ◆




再度、沈黙が降りる。

気まずそうにシュウが頭を掻いている。場の空気を変える為の提案をしたは良いものの、ハクトが居なくなり、接点の乏しい二人が残ってしまった。

それでも、シュウは口を開いた。


「あ~、ありがとな」


「……? どうしたの?」


端的なその言葉から、意図が読み切れず、ユメが問う。


「あいつってさ、何か危なっかしいんだよ。自分自身を勘定に入れてないって言うかさ、あっさりと自分の命投げ出しちまいそうな気がしてな」


「……うん、分かるよ。そこも愛おしいんだけどね」


『ごちそうさま』と苦笑しながらシュウは続け。


「だからな。アイツを引き留める理由を作ってくれるのが、ありがたいんだよ。自分を好いてくれる人間が居て、それを置いて死にに行くなんて選択、取り辛くなるだろうからな」


「……なんでそこまで入れ込むの?」


不意の質問。面食らった様に少し固まった後、シュウは答えた。


「何でだろな? 会ってまだ三日なのに、な」


考えながら、頭を掻くシュウ。


「一緒に、同時に、同じ境遇になって、仲間意識持ってるのかな。放っとけないっつうか、逆に俺が救われてるっていうか。……俺だけじゃないんだな、っていうか」


ユメは応えない。この『夜』に巻き込まれたのは、『一緒に』でも、『同時』でもない事は、ハクトから聞いた話で推測できたのだろう。それとは違う、もっと大きな何かが、二人には起こったのだ。それを問う事を、ユメはしなかった。


「……っつうか、それはお前にも言える事だぜ? 助けたのはアイツだけじゃなく、俺も一緒なのに」


『アイツだけ役得かよ』と茶化す様に言うシュウに、ユメは苦笑を返す。本気の妬みではないと分かったのだろう。

やがて視線をシュウから外し、ユメは答える。


「例えばさ――逃げ場の無い暗闇に、ずうっと閉じ込められていて」


ユメは、呟く様に続ける。


「自分でそこから抜け出す方法が無くて。誰もそれに気付けないし、気付かない。それなのに、そこから救い出してくれる人が出てきたら……その人の事、本当に、本当に大切に思うでしょ?」


シュウは答えない。……応えない。

ユメはシュウの方へ視線を戻す。


「ボクは、そんな自分を救ってくれた人が、ハクト君なんだって事が分かる。……理屈じゃ説明できないけれど、あの時、二人があの場所に駆けつけてくれた決定的な要因を作ったのが、ハクト君だって事が分かるんだ。だから、ハクト君を本当に尊く、大切に思ってる。好きで、愛してるんだ」


『こんな言葉じゃ、分からないよね?』と苦笑しながらユメはシュウに問いかける。


「いや――分かるよ。俺には、分かる」


ユメには目を向けずに、何処かを見つめながら、シュウが答えた。


そこから会話は続かなかった。

また沈黙が訪れるが、気まずさは無かった。


そこにハクトが駆け寄っていく。


「お待たせ。ハイ、ミルクティーのホットに……シュウはコーヒーね」


「お前……コレ、コーヒーという名前を付けるのがおこがましい、甘いだけのナニカじゃねぇか」


『あったのかよ』、と手渡された黄色い缶を見ながらシュウが言う。

ふと、ユメが何かに気付いたのか、ジト目を作りながらハクトに顔を向けた。


「……凄く、タイミング良いね?」


「――何のことやら」


ユメの追及からそっぽを向いて逃れるハクトを見て、シュウが遅れながら気付く。


「お前、聞いてやがったな?」


「何を?」


答えるハクトは、尚も視線を合わせようとしない。図星だと白状してるのが丸分かりだ。


「気になる女の子と別の男との会話に、聴き耳立てるとか……お前、ほんっとに思春期だな」


「……ハクト君のえっち」


「濡れ衣だっ!?」


ハクトの叫びが夜闇に響く。


夜が、更けて行った。




  ◆




――やがて、時刻が零時になった。


紅い空が現れ、辺りが赤黒く染められる。

すぐさまユメは指輪に触れ、操作し始める。


「慌てなくて良いからな。操作間違って、何処ぞの誰かみたいに、アホなステータスになられるよか、遅い方が良いから」


「……それ、僕の事だよね?」


「自覚あるんなら、もうチョイ自重した行動とろうな?」


シュウの言葉に呻くハクト。やがて打ち合わせ通りに操作し終えたのかユメが顔を上げる。


「……完了したよ」


「OK、それなら探索開始だ」


「――なんか集まってやってるかと思えば」


唐突に挟まれた声に、弾かれる様にして三人は振り向く。


「その様子だと、事情を知ってるみたいね」


そこに居たのは、キャップを被り、ウインドブレーカーの下にTシャツとスパッツという格好で、服装からは少年と見受けられる人物であった。しかし、声は女性の物であり――ハクトとシュウには、それは聞き覚えのある物であった。


「……キリカか?」


「そ。変装してるつもりは無かったけど、気付かれないもんね。さっき飲み物を買いに出るハクト君とすれ違ったのに」


「嘘っ」


慌てるハクトを睨むシュウ。しかし責めてもどうしようもないと気付くと、その視線をキリカに移す。


「……こうなるのが嫌で黙ってたのによ。付いて来やがって」


「それは置いといて、説明してよ。黙ってた事も、誤魔化してた事も、大体想像付くけど……突飛過ぎて訳分かんないのよ」


そう言われて。渋々、といった体でシュウが説明を開始する。

状況説明が主で、これまでに具体的に何が起こったのかは言及を避けていた。


「……非現実的に過ぎるわね」


「そういうもんだと思って、慣れろ。いちいち疑問挟んでられねぇから」


文句を言いながらも、キリカが指輪の操作を終える。

現実との乖離を無くす為に、なるべく万遍無くステータスにポイントを割振り、徒手で戦える様、モンクを選択した様だ。


徐にキリカは素振りを行う。突き出した拳が容易く音速を突破し、破裂音が響く。


「おお。ホントに力が上がってる」


「……まぁ、っつう訳でだ。急な話だがお前にも――」


話を切り出したシュウに、唐突に拳が襲い掛かる。


シュウは流れる様な動きで、危うげ無くその拳打を受け流した。


重い沈黙。シュウが鋭く相手を見据え、呟く。


「どういうつもりだよ――キリカ」


「アンタ、ここで寝てなさい」


「あ?」


「だから。アンタはここで大人しく寝てなさい――てのっ!」


再度、繰り出される拳打。それも捌くも、続く攻撃にシュウは徐々に後退を始める。

キリカと違い、シュウは身体能力に関わるステータスをそれほど上げてはいない。その差が防戦一方となっている状況に現れる。


一際、振りの大きい突きが放たれ、腕で威力を殺しきれず、シュウは大きく飛び退いた。


追撃は――無い。

代わりにキリカは背後の気配に向かって、問う。


「アンタには関係無い。退いて」


「そうは言ってもですね……」


呑気な口調とは裏腹に――ハクトは手に持つ短剣をキリカの背に突き付ける。黒と髑髏の禍々しい装飾を施された、刺突に特化する為か、刀身は鋭く細い。

いつの間にか、帯びていた物だった。アイテム欄での表示から見るに、恐らく昨晩のボーナスアイテムなのだろうと、ハクトは推測している。


ハクトは続ける。


「仲間が危害を加えられるのを、黙って見てる訳にはいかないものでして……」


「そう。なら――」


言って、振り抜かれる裏拳が――薄く光る障壁によって防がれる。

破砕音と共にその障壁は砕かれるが、拳打の威力は完全に殺されている。


「おお。本当に発動した」


そんな少女の呟きがキリカの耳に届くが、視線をそちらに向ける事は出来なかった。

位置取りを変え、今度は側面からハクトが刃を突き付けていたからだ。


正面を見やると、シュウが腕を突き出し指を広げ、何かを打ち出す様な恰好をしている。


観念した様に、キリカが諸手を挙げる。


「降参、降参。不意をついても、三対一は無理か~」


「……一体、どういうつもりだっつってんだよ」


腕を掲げたまま、怒りを隠さずシュウは問う。


「――アキラは?」


唐突に出されたその名に、シュウは固まる。

やがて、絞り出す様にして一言だけ呟く。


「……死んだ」


「そう」


短く答えた後、キリカはしばらく瞑目する。その後。


「やっぱ、アンタはここで大人しくしてなさいって。アンタじゃ、無駄死にするのがオチよ」


「っざけんなっ! いきなり乱入してそれかよっ! 引くならテメェが引きやがれ!!」


「だから。アキラが居なくなって自暴自棄になってんのが見え見えなのよ。……あの時と一緒だわ。見てらんないのよ。なら、私が止めないとでしょ」


「分かった様な口聴きやがって……!」


「――そこまで~」


剣呑な空気にそぐわない、気の抜けた声が響く。

両者とも、ハクトの方へ振り向いた。


「お二人とも、お互い心配なのは分かるのですが」


「ああっ!?」


「聞き捨てならないわよ。勝手に人の気持ち決めつけないで」


「決めつけるも何も。だって晩御飯の後、キリカさんは『シュウを守る為に空手を始めた』って話してくれましたもん。危ない目に、シュウを遭わすのは本意ではないですもんね」


「……っ」


「それに……自暴自棄どころか、逆に僕の無策無謀をシュウが諫めてくれてるんですよ。アキラさんがどんな人か僕はよく知らないけれど……アキラさんが居ない分、居ないからこそ、シュウが冷静に動いてくれているんだと思います。だからシュウは大丈夫ですし、その……シュウが居てくれないと僕が困るんです」


そこまでハクトが言うと、キリカは押し黙ってしまう。

翻してハクトはシュウに振り向く。


「シュウも『こうなるのが嫌で黙ってた』とか、キリカさんまで巻き込みたくないって言ってる様なもんじゃん。何でここまでこじれるんだか」


「お前なあ……」


「あはははっ」


今度は三人が振り向く。笑い声を挙げたのは、ユメだ。


「ハクト君にかかると、物騒な殺し合いも、単なる痴話喧嘩に早変わりだ。敵わないね」


「何が痴話喧嘩かっ」


茶化す様に言うユメに、シュウは慌てる様に抗議する。

ふと、キリカが大きくため息をつく。


「もう。こんなんじゃ仕切り直しも出来ないじゃない。二重の意味で降参だわ」


両手を降ろし、今度は片手を差し出す。


「まぁ……戦力にはなるでしょ? もう巻き込まれちゃったんだし、よろしく」


「お、おう……」


釣られる様に、握手の形を作った手をシュウは差し出す。


――その時。


一同のすぐ傍にあった車が、軋む音を立てる。


同時に、キチキチと、何かが擦り合わされる様な音。


一斉に四人はそちらを振り向いた。


――一言で表すなら、巨大な虫がそこに居た。


基本の形はカマキリ。頭部・胸部・腹部に身体は別れており、腹部からは三対の肢、胸部からは一対の巨大な鎌が生えている。しかし異様なのは二メートル近くもあるその巨大な体型に――頭部には人間のソレより一回り大きな、禿頭の人面が付いている事だ。

口は人のソレの様に縦にではなく、横に開かれ、昆虫の顎の様に先が鋭く尖っている。口内の露わになった部分、そして体表のあちこちが赤黒く且つ人の筋組織に酷似しており、直視し続けられない様なグロテスクさがあった。


その異様を目にして、四人の内、二人は身を凍らせた様に動く事が出来なかった。


――しかし。すぐさま対応した二人が居た。




  ◇




「フレイムランチャー」


シュウは短くその魔法の名前を告げ、発動させる。

先程、ステータスを確認した際に追加されていた呪文だった。効果は、小さな火球を任意の回数……最大で魔力が尽きるまで打ち続けるというもの。威力は恐らく小さいが、一発目で消費されたMPを見るに、連射するならコストパフォーマンス的にはファイアボールよりはこちらの方が上だ。


虫は打ち出された小火球を身を捩る事でかわす。そこまでは折り込み済みだ。


現在、四人の位置は、シュウ・ハクト・キリカの三人が固まって、ユメが少し離れて、といった形だ。

一人……しかも戦闘未経験で支援職が孤立している。まずはそれを何とかしなければならない。


シュウは少しずつ、ユメの居る方とは逆側に腕を動かしていく。吐き出される火球が、それに従い軌跡を変える。

最初は、僅かな、最後には大きな動作で虫はそれらを回避。別の車体の上に着地した。


その間にシュウはキリカとユメを一瞥。二人はまだ硬直から脱していない。思わず舌打ちしそうになるが、それを責めても意味が無い。『化け物との実戦』など、今までに経験できるはずが無い。ならば、それをフォローするのが自分と――アイツの役目である。


――ハクトがカマキリが大きく跳躍した際に、同時に飛び込んでいた。


大きな動作には、それに付随して大なり小なり隙が生じる。それを見逃さず、ハクトは突貫する。


車体を飛び越す様な跳躍。同時に短剣を突き出す。


しかし、これもカマキリは身を捩るだけで回避。すぐさまハクトは真っ直ぐの突きの軌道を、横に払う軌道に切り替える。


途端、車体が軋み――カマキリは一番奥の車に跳び移った。

元の自動車から三台分の距離。それをハクトの斬撃以上の速さで跳んでみせたのだ。


それを見届けつつ、シュウは口早に指示。


「ユメ! こっちに来い! 奴に背中見せんなよ!? キリカとハクトで前衛! キリカが正面でやりやって、ハクトはその隙を狙え! 出来るよな!?」


「了解」


「無茶を……あ~っ、もう! 分かったわよっ!!」


即答するハクトと違い、キリカは文句を言いかける。

しかし信頼・信用といったものが透けて見えるシュウの声に、キリカは渋々といった様子で応じた。


それを聞き届けながら、シュウは別に思考を巡らせる。


(昆虫が人間大になると……って、よくフィクションであるけどよぉ)


それが現実になった時、これほど厄介な物は無いとシュウは考える。

昆虫は異次元じみた速さで動く。人間大に直せば、瞬時に時速1000㎞を出せる種がざらに存在するのだ。跳躍力も言わずもがなである。

目の前の化け物も、音速とまではいかないにせよ、それに準ずる速度を瞬時に、矢継ぎ早に出せるのは先程見ての通り。推測だが、秒速100m前後といった所か。


加えて、全身に存在する神経節によって頭部を欠損したくらいではすぐに死なないし、全身は強固な外骨格に覆われている。


考えれば考える程に、厄介な相手である。


そんなシュウの想いとは関係無しに、敵は行動を開始する。


口が大きく開き、口内から筒状の器官が飛び出す。内臓を吐き出したのかと思わせる様相だ。

そしてその器官が収縮を始め、棘が先を覗かせた。幅は三センチ以上はあるだろう。


次に――耳障りな金属音が響いた。


筒には既に棘が無い。


音の方へ目を遣ると、ハクトが短剣を振るった後の姿勢で居て、地面には……先程まで視認していた棘が突き立っていた。コンクリの地面に、だ。


つまりは――ずっと視界に収めていたにも関わらず、眼にも止まらない速さで棘がいつの間にかハクトに向かって射出され、ハクトはそれを短剣で弾いたのだ。


シュウの頬を、冷たい汗が流れる。


「――大丈夫。次も、誰に打たれても、僕なら弾ける」


シュウの想いを見透かした様な、ハクトの発言。

ハクトは、続ける。


「予備動作も要るし、連射も出来ないみたいだ。ただ……予備動作を見たらすぐ構えないといけないから、僕はそれに備えなくちゃならない」


それに密かに感嘆の念を抱くシュウ。


そして――その間に虫に突っ込んでいき、攻勢をしかけるキリカを見て、シュウは思考を切り替えていった。




  ◇




遠距離攻撃をしかけてきた敵の間隙を狙い、キリカは突貫した。


勢いを乗せて放った直突きの効果を見届け、一歩飛び退く。

衝撃から直った敵の異様を見上げる。


嫌悪感。忌避感。焦燥感。そして――恐怖。

最初よりは持ち直しているものの、相手の動きに目が慣れて尚、未だ怖くて、気を抜くと膝が笑い出しそうになっている。


キリカは思う。

幾ら自分とは違い、あらかじめの経験があったとしても――たった一、二度の経験でコレに平然と立ち向かい、あまつさえ冷静に状況を見、次に採るべき行動を模索し続けている、あの二人は異常だった。


一秒先には自分の死が待っているのかもしれない。それが延々と続くこの状況。先程の敵の攻撃も、ハクトが対応していなければ、誰か死んでいた可能性がある。

そんな中で平静でいられるのは、逆に人間として異常だ。


――まるで、そんな人間性がどうでも良くなるくらいになるまでの……何か大事な物を失くしてしまっていて、とっくに感覚が麻痺しているかの様だった。


なら、恐れ慄き、動けずに居る方がよっぽど自然なのではないか。


だけれど。

そんな甘えをアイツが許してくれない。


……先程の、シュウの言葉を思い出す。


「――やってやろうじゃないの」


不敵に笑い、自分を奮い立たせる。


――あの時、強く在りたいと願った。


今、そう在る事を――誰よりもアイツが望んでいるし、信じている。


ならば、今がまさに意地の張り時だ。


頭上に“The Swarmer”という名を冠する敵が、巨大な鎌を振り上げる。

車上からキリカの方へ跳び、馬鹿みたいな速さでそれが振り下ろされる。しかし今度は見えない訳でも対応できない訳でもなかった。


腕を前方で半回転させる様にして、背刀受け――裏拳での受け流しだ――を繰り出す。


鎌に手の甲が触れ、甲高い音を立てながら衝撃が伝わる。

それに逆らわぬようにして身体を流し、横へ跳ぶ。


元居た地面が鎌に貫かれる。コンクリの地面に、刃の四分の一ほどが埋まった。

……相も変わらず馬鹿馬鹿しい威力だ。自分がそれを受ける事になればと、想像する事自体が恐ろしい。


それを思考の隅に追いやり、次の動作を行う。

身体は右方へ流れ、左足が浮いている。地に着いた右脚に力を入れ制動し、右への移動を止める。反動を利用して、そのまま左足で踏み込み、右腕を突き出せば――それで直突きの姿勢になる。

鎌が地面から抜けずに動けずにいる敵の身体に、モロにその突きが命中する。


すかさず右手を引き、同時に左腕を突き出し、順突き。右脚を使い蹴り込む、蹴り出し。その右脚を地面に叩きつける様に振り下ろし、同時に手刀を繰り出す裏拳打ち。

流れる様に技を次々と繰り出すキリカ。

異なる動作は自然に繋がり、淀みなく続く。何故なら、これまでに何千何万回も繰り返した――型の動き、そのままだからだ。

思考も要らず、身体が覚えているそのままに任せ、キリカは技を叩きつける。


最後に左右の突きの連打が放たれ、動きが一時止まる。

隙とは言えない、刹那の一瞬。敵が再度鎌を振り上げた。


足に全霊の力を入れ、右方へ跳躍。

入れ替わりに鎌が降ろされ――破砕音。


キリカの元居た場所の前方に白く光る壁が現れ、砕かれていた。

衝撃に鎌の威力は幾らか減衰したが、それでも十分な勢いで地面に鎌が叩きつけられる。


「……防ぎ切れない!!」


悔む様な声。それを耳にしたキリカは、密かに苦笑した。

自分の不甲斐無さを悔んでいるのは、自分だけで無かった。変な仲間意識がもう一人の少女に対して芽生える。

そして。


「――いや、充分だよ」


障壁に攻撃を阻まれた反動で、相手は若干硬直している。

その間隙を見逃さず――少年が敵に接近していた。


キリカが感嘆の念と、少々の悔しさを感じたと同時。

――すれ違い様の斬撃が敵に放たれる。




  ◇




――一瞬の停滞があった。

その空白に、ハクトは敵から離脱。敵は鎌を今度は横に振るが、重力の助けも無く、キリカとハクトの攻撃に怯んだままで放たれたそれは充分な速度が乗っていない。ハクトが鎌に捉えられる事は無く、敵の攻撃が宙を斬る。


着地。対峙。そして一瞬の静寂。


油断なく武器を構えながら、呟く。


「今の……」


反撃が来る前、明らかに敵の動きが鈍った。

それはハクトの攻撃の直後で……原因に思い当たるのは一つしかない。


事前確認で《呪い》の付加効果があるのは確認していたが、そもそもその《呪い》の効果なるものは具体的に何なのか、予想は出来ても確証が無かった。

だが、今の敵の様子から察するに――


「――キリカ。デカイ隙を作る。全力で一発お見舞いしてやれ」


シュウもその事に気づいたらしい。背後から聞こえる指示の声に耳を傾ける。


「ユメは結界魔法。タイミングだけに集中してくれたら良い。俺が合図したらハクトにかけてくれ。ハクト、今度はお前が前衛。できるだけ接近。んで、合図があったら敵にゼロ距離まで詰めろ。さっき言ったデカイ隙を作るのがお前だ」


短く区切る様に言葉が続く。そして最後に。


「ハクト、良い事を教えてやろう――多分、そのデバフ重複するぞ」


――返答は、見せない笑みで返した。


いつまでも状況は停滞していない。

敵が遠距離攻撃の予備動作を始める。


その口の向かう先へ身体を躍らせ――射出と同時に短剣を振るう。

衝撃と金属音。腕を背後に流す事によって、反動を前進の為の力へ転化。接敵する。


応じる様に、敵は鎌を振り上げた。

一旦足を止め、攻撃の軌道上から逃れようと脚に力を込めるが――。


「――今!!」


それは振り下ろしが開始される直前だった。反射的に回避ではなく、接近の為に踏み込み、跳び出す。同時にハクトの前方に障壁が生じ――鎌に力が乗る前に衝突する。

結果、鎌は障壁に弾かれ、攻撃が中断。隙が生じた。


「――ッ!!」


殆ど無我の内に腕を振った。呼吸を忘れ、合わせて三度敵の甲皮を切り裂く。

途端、敵は身体を痙攣させる。脱力と、それから脱する為に力を込める動作……その二つが拮抗し、それが断続的な震えとなって表れているのだ。


一旦、ハクトは大きく後ろに跳躍。そして――。


「――私の番ね」


入れ替わる様に敵の正面に立ったキリカが、地に沈むように構えを取る。

片足と片腕とを少し引かせた態勢。膝を曲げ、足裏でしっかりと地面を捉える。

その態勢から放たれた全力の突きが、敵の正中線を捉える。


ギィと、固く耳障りな鳴き声を漏らしながら、敵の身体が折れた。


力無く、両腕と上半身を垂らし、痙攣を続ける相手。


「んで、オーラスが俺な訳だ」


そこに容赦なく追撃の火球が着弾し、戦闘は終わりを告げた。




  ◆




「……ボク、今回何もしてないよね。肝心の魔法も弱いし」


「馬鹿。あの障壁作るのだけでどれだけ戦術のバリエーション増えると思ってんだ。適切に使えば生存率ものすごく上がるぞ? 後は使うタイミングの見極め……それは場数を踏めば何とかなるよ」


「場数って……どんなにこういう事繰り返しても、あんな発想が咄嗟に出てくる気がしないよ。それに歳も変わらないし、皆つい最近巻き込まれたみたいだし……元から素地が違うというか」


「……俺とキリカはずっと戦闘訓練と変わらん事してたからな」


「じゃあ、ハクトくんは?」


「アイツこそ例外中の例外。イレギュラー。頭のネジ何本かぶっ飛んでやがるから、アレを参考にすんな」


「酷くない?」


戦闘終了後、緊張から解けたのか、会話の応酬が始まる。槍玉に挙げられるのがハクトだったのが、気にくわなかったが、張り詰めていた物をほぐすにはジョークが必要だ。自制して軽く非難するだけで留めた。


「キリカさん、弁護お願いします」


キリカに会話を振ると、しばらく考える様な仕草を見せた後。


「まず、さん付け要らない」


これで三度目となる、敬称不要の意志表示。自分の周囲の人間は敬語嫌いな人間が集まる傾向があるのか、それともハクトに問題があるのか真剣に悩む。

続けてキリカは。


「能力任せの戦い方は気になるけど……咄嗟の判断が必要な時も迷ってないし、鉄火場の中での状況分析も冷静にしてるし、一歩間違えれば死ぬような戦術も迷わず採るし……一言で言って、オカシイ」


最後はシュウを睨みつつ、繰り出される容赦ないキリカの評価が、ハクトの胸に刺さる。


「……本人は清く正しく、真面目に生きているつもりなんですが」


「お前の場合、それが突き抜け過ぎてて逆に変になってるパターンだな」


否定しようにも、別の角度から肯定される始末。さすがに泣きたくなってくる。

何せ、戦闘狂の二人に加え、この分だと一般人代表であるユメも似たり寄ったりの評価をしているだろう。


ガックリと顔を降ろし、ふと何となく、燃えている敵の死骸に目を向けた。キリカに内部構造ごと破壊され、シュウによって焼却されたのだ。如何に強靭な生命を持っていようと、確実に絶命しているだろう。証左に、その死骸はピクリとも動かなくなっている。

ふと、視点が一点に留まった。


――一瞬で奔る違和感。


頭上の“The Swarmer”の文字。それが表示されている事自体は、死骸が残っているので、納得する事は出来る。

だが、その色。


――未だに、青色だったのだ。


「……ねぇ、コイツの名前の表示」


「ん? ……ああ、“Swarm”って何だっけな。多分、虫の群れとかそんな感じだったと思うんだが」


「いや、それも気になるけど、文字の――」


ハクトの言葉が途切れる。

群れ。『群れる者』。そして青色――未だ健在の意味。


ハクトが猛烈な不安と焦燥感を感じたと同時に、それが起きた。


「――なに、これ」


キリカの呟き。同時にあちらこちらから聞こえる、キチキチという音。

無意識に、ハクトは起動を止めていた《鷲の眼》を再度発動させる。


半径100mを埋め尽くす、無数の何かの気配。


――そして視界には、駐車場の周囲に次々と集う虫達の群れ。


大きさはバラバラだが、特徴は四人が先程まで戦っていた個体と共通していた。恐らく、戦闘能力自体も変わらないだろう。

それが、一、二、三……四五六七八九十――二十、三十……と数えるのも馬鹿らしくなるほど、集まってきている。


血染めの月の空の下。無数の赤黒の群らがり。

地獄を体現した様な光景が目の前に広がっていた。


――絶望が、四人の周囲を埋め尽くしていった。




  ◇




「……あ」


か細い呻きが、隣から聞こえる。

正面の方に居る少女は細かく震え続け、絶句している。


絶望に思考を支配され、考える事を止めてしまっている。


無理も無い。シュウ自身も、諦めてしまいたかった。

考えれば考えるほど、自分に逃げ場も生きる目も無く、ただただ絶望を深めていくだけなのだ。


敵は三桁近い数集まっている。動きも俊敏で、それほど脆い訳でもなく、行う攻撃もまともに受ければ全てが致死必至。

逃げ場は無い。三百六十度の前後左右……何処を向いても敵の存在がある。


そんな状況の中で、シュウは模索し続ける。誰もが考える事を止めてしまうこんな状況だからこそ、シュウは考え続けなければならなかった。

様々な手段を検討し、取捨する。

結果、結論は一つだ。


……それでも決断できなかった。

そんな残酷な事は、出来なかった。


「――シュウ」


そこへハクトが、呼びかけてくる。


「公園を出てから左の方へ真っ直ぐ、三百メートル。《枝》がある。僕が――残る」


そんなハクトの言葉を受け――シュウの思考は真っ白になる。


叫び出したくなる衝動を抑え、別の言葉をシュウは叫んだ。


「――キリカっ! 付いて来い!!」


包囲が完全に終わっていない駐車場の出口を目指し、シュウは駆け出す。

自失しながらもキリカはそれに続く。

シュウは背後を努めて意識しない様にして脚に全力を込める。


「シュウっ! 二人はっ!?」


そこでキリカが気付いたのか、何処か悲鳴の様に聞こえる声を上げる。

シュウはそれに叫び返す。


「いいから突っ切るぞ! 二人で《枝》を破壊する!!」


――これが、生き残る為の最善の策であるはずだった。


最大戦力で群れの中を突っ切り、迅速に《枝》を破壊し、『夜』から抜け出す。

この数を相手に、まず殲滅は論外。そもそも対処すら出来るかどうか危うい。

勝利条件はこれ以外に無い。


まず相手側の攻撃は受ければ即死が見える。結界魔法も敵の攻撃を完全には防げないし、治癒魔法も軽傷・重傷なら対処できるかもしれないが、致命傷に対しては疑問が残るし、そもそも治癒している間は無いだろう。またこれだけの数……一斉に攻撃されれば回避は不可能である。そもそも先程の一個体だけとの戦闘でも回避困難な攻撃をされたのだ。


ならば四人が採るべき基本戦術は先手必勝……攻撃される前に、こちらが先に倒すしかない。また拙い連携は却って逆効果であり、殆ど初顔合わせであるこの四人では、全員で《枝》に向かうとしても、敵への対処は各々で個別に行う必要がある。


……ここでネックになるのが、ユメの存在だ。

後方支援職である《クレリック》を選択した彼女は、殆ど攻撃能力を有していない。

つまり、自衛の手段を持たない彼女が群れのただ中を突っ切るのは自殺行為でしかない。無論、その場に一人残すのも論外だ。


だから彼女を守る者が、残る必要があった。

それは、敵を一時的に無力化出来るが純粋な攻撃力は低く、しかし唯一敵の遠距離攻撃に初見で対処した、ハクトが最適であろう。


しかし――それは死地に、しかも攻撃能力を持たない二人を残す選択をするに他ならない。

そしてその内の一人は最も過酷であろう、盾になる役割を負わなければならない。


ハクトは、そんな選択を迷いなく、自ら請け負った。


どうしようもない衝動がシュウの胸中に渦巻く。


危うさを感じていた。気付いていた。

なのに自分はどうしようも出来ない。


そんな悔恨を振り払うかの様に、ただ目の前を見据え、シュウは疾駆していく。




  ◇




「早く後ろに」


ハクトはユメに短く告げると、ユメは反論する事無くそれに従う。


三百六十度、全てに敵が存在している。身を低くして車の陰に隠す様に指示する。そしてユメの前にハクトは立つ。


それまでこちらの様子を窺っていた蟲達は、獲物が逃げられない状況にあるのを理解したのか、各々のタイミングで仕留めにかかる。無機質に、何の感情も持たず、効率的にこちらを殺す手段を選択してくる。


二体が口内の器官を露出させ、棘を打ち出してくる。すぐさま短剣を振り払い、二本の棘を弾いた。

その間に別の固体が鎌を振り上げ迫ってくる。短剣を突き出すが、攻撃から回避に瞬時に体勢を移行し、後退する。

間髪いれず、棘が今度は倍の数で飛来してくる。同じく倍の速度で腕を振るい、これも凌ぐ。


断続的に、途切れなく、終わり無く。死が迫ってくる。


対してハクトは集中し、追いすがり、最善を選択し続け、今迫っている死を、先へ先へと延ばし続ける。

思考は、脳は、常に回転し続ける。回路が焼き付くかと思う程に、頭が、体が熱い。

瞳孔は開き、あらゆる危険の兆候を逃すまいと視線が、眼が動く。

対して身体はそれらと同等以上の早さで動いている。思考を置き去りに、目で捉えるのと同時に、反射的に……最善の行動を身体は採り続ける。


――それでも足りなかった。


倍に、倍に増える棘を払い切れず、左腕と左太腿に棘が突き立つ。

骨にまで伝う衝撃と痛み。それでも怯まず、全身を動かし続ける。


だが。


「―――ッッッッ!!」


唐突に発生した熱と――更なる激痛に動きが止まる。

神経に、脳に直接流し込まれる様な、尋常でない痛みだった。

それに耐え切れず、嘔吐した。

視界が歪む。流した涙のせいか、視覚にまで異常が発生しているのか、それすらも定かではなかった。


そんな状態を蟲達が見逃すはずが無かった。

一片の容赦も慈悲も無く、打ち出された棘が迫る。


それらが薄く光る壁に阻まれ、弾かれる。

何本かが突き抜け、刺さるが、浅い。右手で掴み、棘が喰い込みながらも無理やり引き抜く。少量の血と共に棘を払い捨てた。


吐き気も収まらず、未だ激痛は発生しているが、それに慣れ、徐々に思考がまとまってくる。


恐らく、神経毒。それも、純粋に痛みだけを発生させる……それだけを突き詰めた類の物だろう。麻痺、昏睡、出血……そのどれもが発生していないのだ。刺さった部位以外、まともに身体は動いている。棘自体も、骨を砕いてはいないようで、激痛は奔るが、腕も脚もまだ動かせる。ただ動脈が傷ついたのか、看過できない勢いで出血しており、衣服が赤黒く染まっていた。このままだとそちらの方で動けなくなる可能性が高い。ならば。


「ハクトくんっ……!!」


悲鳴染みた呼びかけ。自分を案じてくれている、その気持ちには直接応えず、淡々と指示の言葉を紡ぐ。


「……結界はもういい。その代わり、治癒魔法をかけ続けて」


「な、なんでだよっ!! そんなこと出来る訳ないでしょ!?」


「いいから。お願い」


「…………ッ!!」


食いしばり、叫びを堪える様な気配。

少しの間を置いた後、治癒魔術がかかる。


徐々に傷が癒える。棘が刺さったままで。

細胞が棘に癒着し、自ずから肉に棘が喰い込んでいく。

別種の痛みが生じるが、絶え間ない激痛でそんなのは気にならない。今は出血が止まり、身体が動かす事が出来ればそれで良い。


次の攻撃が迫る。


合わせて十六の棘を、致命に至る物だけを選んで、弾く。

無論のこと、幾つか棘が突き刺さる。しかし激痛が発生するだけで、出血は治癒魔法ですぐさま止まり、傷が棘を巻き込みながら塞がっていく。激痛も、ここまでくると慣れた。少なくとも、思考と動作が邪魔されないくらいには。

間に挟まる近接攻撃も、相手に短剣を避けさせる事で、事前に潰していく。体内で棘が肉を突き破るが、それもすぐさま癒える。


弾き、刺さり、前に飛び出し、振るい、傷つき、治り。

それが幾度と無く繰り返された。


恐らく自分の姿は、凄惨なヤマアラシの様になっているだろう。


至る所から棘が突き出し、血に染まり、動く度に……時間が経つ度にその箇所が増えていく。


――これで良い、とハクトは思う。


死が先延ばしにされているだけで――背後に居る彼女が守れるだけで、それで良い。

純粋に、心からハクトはそう考えていた。


「もう止めてよッ!!」


そんな時に、少女の絶叫が奔る。


「ボクを庇うからそうなるんでしょ!? 何でそこまでするの!? ボクなんか見捨てたら良いじゃん!!」


悲痛な叫び。それにハクトは殆ど忘我の内に答える。


「――嫌だ。絶対に、嫌だ。もう、“二度と”置いていかない。君は、僕が助ける」


言いつつ、全身を動かす。


絶望せず。諦観せず。

ハクトは自ら傷つきながら、抗い続けた。




  ◇




全方位より迫ってくる死を、二人は払い続けていた。


駐車場を出て十数メートル。それまでの距離で受けた敵の攻撃は二十を下らない。


側方より飛来する無数の棘。疾駆を止めず、前へ進み続ける。棘は一瞬前まで自分達が居た場所を貫いていく。

前方より繰り出される鎌。体を捩り回避。反撃は行わず、前進する。

後方よりの追撃は走り続ける事により、そもそもさせない。


遠方に居る棘を発射する前の固体はシュウが小火球を放ち、近距離から鎌を繰り出そうとする固体はキリカが拳打を放つ。攻撃が中断されれば……少しの間、怯んでくれればそれで良かった。トドメも刺さず、二人は前へ、ただ前へと走り続ける。


――百メートル。


強化された身体能力が、容易く人間の限界の速力を突破させる。それでも無数の死線をくぐりながらの疾走だ。ここまでにかかった時間は二十秒といった所か。


二人は既に忘我の境にあった。思考はもう状況に追いついていない。ただ脳に――肉体に刻まれた身を守るための『術』が、脊髄反射の如く身体を動かしている。

魔法を打つ、打撃を放つ。体勢を変える、腕で捌く、脚を踏み出す。先手を取る、反撃する、回避する、受ける。無数にある選択肢から、最適の解を刹那の間に選び続ける。

その些細で無数に産まれる選択を、一瞬の猶予も無く即座に、一度の間違いも無く正確に答え続けなければ、決して生き残れない。

確率に直せば零がどれだけ続くのか。そんな那由他の彼方にあるかの様な途方も無い道のり。


しかし二人はそれに絶望も諦観もせず挑む。


……いや、二人にはその一瞬一瞬しか見えていないのだ。


――二百メートルを過ぎた辺りでそれは起こった。


ある地点を通り越した時、背後と側面の至近に何かが降り立つ音がした。何かの正体など考える必要すらなかった。元より前後左右を無数の化け物に囲まれた状態なのである。その中で新たに気配を感じても、それは間違いなく自分達にとっての敵だ。恐らくは民家の尾根に待ち伏せていた固体が居たのだろう。

警戒する余地は無かった。先に思考を巡らせる余地は無かった。


もはやどこを向いても抜けられる隙間は無い。それほどの至近の、全ての方向に敵が居る。

そしてこの密度で包囲されれば、全方位よりほぼ同時に敵の攻撃が来る。


迫り来る、より濃密に、より近くなった死の気配。


そんな中でも――それでも、彼等は一瞬一瞬を選択し続ける。


「――天狗下駄!!」


シュウが叫ぶ。疑問を抱く前に、キリカはその背中をシュウに合わせる。


――四方八方に敵が居るのなら、四方八方に目を向ければ良い。


その答えが背中合わせに迎え撃つ事。


――四方八方より敵からの攻撃が来るなら、四方八方に防御の手を巡らせれば良い。


その答えは先ほどまでの行為の延長。遠方をシュウが、キリカが至近を担当する。


――そして全方位から同時に攻撃が来るなら、全方位同時に防御をすれば良い。


その答えはほぼ夢想……いや、妄想に近い虚言。


二人はそれを――限りなく現実に実現させようとする。


そして――群がりが、動く。


まずキリカが応じた。鎌の振り下ろしに合わせての廻し受け。鎌は二人の身体から逸れ、地面に突き立つ。

そして反撃の上段回し蹴り。キリカの右脚が敵の顎部を正確に刈り取った。


回転の動きを受け、シュウが応じるように回る。キリカが回し蹴りを放った敵の、右側後方。そちらに向け小火球を放つ。口を開け棘を打ち出そうとしていた固体が、炎に悶える。


キリカは回転させていた右脚を地に着けると、そのままそれを軸に今度は左脚で回し蹴りを放つ。飛び掛ってきた固体にカウンターの一撃が入り、弾き飛ばす。

その間もシュウは火球を打ち出し続け、キリカの攻撃が届かない距離の固体を焼き払う。


シュウが身を屈め、キリカは背中越しにシュウの身体に乗り、回る。鎌を振り下ろす前の腕に、殆ど垂直に右脚が叩き込まれる。

シュウは身を起こし、遠方より飛び掛ろうとした固体に火球を浴びせる。


そうして遠近の攻撃前の固体は攻撃開始の前に、二人の手によって、焼かれ、打たれ……それを中断させられていった。


――相手の動きを感じ、どう動けば良いかを決める。


二人が行っている事は、言葉にすれば単純だが、現実に起こっているのならそれは超常の動きだ。


背中越しに感じる相手の動きだけを頼りに、次に相手がどう動くのか予測し、かつ相手が求める動きを選択しているのだ。

『天狗下駄』の稽古を通して、相手の動きを予知に近い制度で予測できる、この二人の間でしか届き得ない境地であった。


それは舞踏の様ですらあった。

回り、踊る様に、火線が百八十度の敵を薙ぎ払い、蹴打が残り百八十度の敵を薙ぎ払った。


――包囲が、解ける。


見出した突破口を、シュウは見逃さなかった。

発動させていた《フレイムランチャー》をそのまま打ち続け、道をこじ開ける。

キリカがそれに続き、疾駆する。


――二百五十メートル。


その時点でシュウはキリカを先行させる。後方より魔法で敵を払う。

キリカは突貫する。無謀とも呼べる勢いで、攻撃を、敵の身体をくぐり抜ける。


そして――三百メートル。


キリカはそれを視認する。


何の脈絡も無く、中空に生えているその《枝》を。


空間に亀裂が奔っており、その隙間からその《枝》は伸び出している様だった。

先端は地面に突き立っており、そこから血管に似た何かが広がり、脈動していた。


疑問も考察も無く、キリカは《枝》に向かって拳を突き出す。


技巧も何も無い、疾駆の勢いを載せた一撃。


それを受けてその《枝》は真っ二つに叩き折られた。


空間に亀裂が広がり、そして――弾けた。




  ◇




その瞬間、ユメはハクトに覆い被さるようにして庇っていた。


傷を受け、その度にそれを塞ぎ、それでも多大な量の血を流していたハクト。

ついに力尽き、地面に崩れ落ちた。

間を置かず、群がりが蠢き、殺到する。


やがて二人は原型も残さぬほどに引き裂かれ、殺されていただろう。

それでもハクトの死を、数秒でも、一瞬でも先延ばしにしたかった。

これほどまでにしてくれたハクトが自分より早く無残に終わる結末……それだけは赦せなかった。


掻き抱く様にハクトを自身に引き寄せ、目を瞑っていた。


――そして、何も起きない。


ゆっくりと目を開けると――正常な景色の中にあった。


薄い街灯の光に照らされ、世界に正しい色彩が戻っている。

悪夢としか言い様の無い、赤と黒に染められた空間も、怪物も、何処にも存在していない。


ふとハクトの方へ視線を向ける。

苦しげな表情で浅く、短く呼吸を繰り返している。

焦燥に駆られ、少しでも楽になるように身を引き寄せ、頭部を自らの膝に乗せた。

涙が滲みながらも、見守る。


……呼吸が落ち着いてきた。

見れば無数に突き立っていた棘も無く、傷も無い。衣服に多量の血の跡があるが、それだけだった。


恐慌が、心からの安堵に変わる。


徐に、ユメは呟く。


「どうして……キミは」


様々な意味が含まれた問いだった。


――自分は、あの時に終わっていたはずだった。


ユメは、運命を信じている。


例えば、百度サイコロを振って、ずっと同じ目が出る確率など考慮にすら値しないだろう。それは0に等しい。

昨晩の状況はそれほど絶望的な状況だった。百度試行しても、必ずと言って良いほど確実に、ユメは死んでいた。


自分は、あの夜に死ぬ運命だった。

ユメはそれを信じて疑っていなかった。


――それを、ハクトは覆した。


今の自分は、夢の続きを見せてもらっている様なものだ。

無いほうが当たり前。いつ終わっても良い。


それなのに――


「――キミはそんなボクを、まだ助けてくれるんだね」


自分の身を、自分の命を顧みず。

こんな自分を、守ってくれる。


――そんなキミに、どうしたら報いる事が出来るのか分からない。


欠けていく月の下。ユメは耐え難い痛みを覚えながら、俯いた。




→第二章 第三話

護衛クエストに挑もう!

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