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08

※女性に対する暴行シーンがあります。ご注意ください

フィンが連行されてから、現場の空気は目に見えて変わった。


レグナードという爆弾を処理しきれなかった鬱憤が、ようやく晴れたのだろう。

新たな被疑者の確保という結果に、誰もがどこか安堵していた。


協力を仰いだのはアイリスだったが、皆の協力がなければ成しえなかった。


周囲もアイリスの評価を少しずつ変えていく。


男女問わず声をかけられることが多くなり、その気兼ねなさに戸惑いながらも喜びが芽生える。


生き方を変えるのは、思っていたよりもずっと怖かった。


どんな過去も変えることは出来ないが、必死に生きる未来を変えようとする者に、表立って石を投げるような人間はいない。


前を向いて歩いて行くことを決意したアイリスは、強く美しい。


セドリックへの想いは少しずつ昇華していく。


だから――油断していた。



 ◇◆◇



「……っう……?」


いつの間に意識を失っていたのか。

目を覚ませばそこは自分の部屋なのに、なぜか不自然さを感じる。


ベッドから起き上がろうとした途端、自分の体が思うように動かせないことに気が付いた。


両腕が不自然に自分の頭上に掲げられている。


腕を動かそうとすると、じゃらりと鎖がこすれた音がする。


視線を上げると、自分の手首に鎖が何重にも巻き付けられていて。


「なに……これ?」


言いようもない不安がよぎる中、必死に自分が眠る前の記憶を呼び覚まそうとすると。

すぐそこにあるキッチンに人が立っているのに気が付いて。


「ああ、目が覚めたんだね、アイリスさん。おはよう」


エプロン姿で笑顔を向けてきた男――トマスだった。


その瞬間――全身がぞわりと逆立ち、警鐘が脳内に鳴り響く。


日常に溶け込むように、当たり前のように挨拶をしてきたトマスに、体が無意識に震える。


そうだ――今日は休日で、久々に何の予定もなくのんびりと自宅で過ごしていた。


夕方になり、来訪のノックが聞こえてドアを開けると。


笑顔のトマスが視界に移り、次に来たのは腹部への鈍痛。


そこから意識は現在へと飛んだ。


理解した途端、動かせる足をばたつかせて、ベッドの上でトマスから距離を取る。

トマスは笑みを浮かべながらアイリスに歩み寄り、ベッドに片膝を立てると、嬉しそうに頬を撫でた。


「もうすぐごはんできるよ、アイリスさん。今日は僕の得意料理を作ってみたんだ。きっと気に入ると思うよ」


えへへ、と無邪気に笑うトマスにアイリスは慄いた。


「なん、で……」


ようやく紡ぎ出した震える声に、トマスは頬に触れた手を少しずつ下げていく。

首筋を這わせ、鎖骨を撫でながらアイリスの胸に手を置いて。


「はぁ……夢みたいだ。こうやってまたアイリスさんと過ごせるなんて」


恍惚とした表情はアイリスを見ているようで、見ていない。


胸に置かれた手が、静かにアイリスの腹を撫で始めたところで。


自由の利くアイリスの足が、トマスを遠慮なく蹴り飛ばした。


豪快な音と共に、無抵抗だったトマスの体が吹っ飛ぶ。


壁に背中を叩きつけ、その辺にあった小物を散らす。


「ぐっ……酷いなぁ」


痛そうに顔を歪めながらも、しょうがないと言った風に笑うトマスにアイリスは腕に巻きつく鎖を引っ張る。

無常にも鎖はアイリスの手首に食い込むだけで、解ける様子はない。


立ち上がり、にじりよるトマスは狂気を孕んだ瞳をアイリスに向けた。


「僕、やっと、わかったんですよ」


そう言って一歩。


「アイリスさんは、閉じ込めておくべきだって」


そう言って、一歩。


「無理をしてでも孕ませればいいんだなぁって」


そう言って、また一歩。


「怪我をしたら、それが仕事を辞めるきっかけにもなりますし」


そう言って、さらに一歩近づいて。


「愛してます、アイリスさん。僕のモノになってください」


そう言って髪をひとすくいして、唇を落として。


「例え足が一本なくなっても、僕は貴方を愛せます」


次の瞬間――トマスの重みがアイリスに重なった。


「っや! いやっ! やだ! やめてっ!」


いやだ。


いやだ。


いやだ。


いやだ。


いやだっ!


体を這う温度が気持ち悪い。


大きく抵抗しても、両手がふさがれた状態では抗いきれない。


けたたましい音が鳴る。


パニックで本来の力も発揮できず、トマスのまさぐる手は服の下へと侵入してくる。


(なんでっ――もうっ前を向くって決めたのにっ!)


溢れる涙は、抵抗する荒い呼吸と共に増えていく。


どれだけ泣いても。


どれだけ叫んでも。


過去の所業が、現在の自分を傷つける。


(……無理、なのかな)


唇を奪われ、衣類が乱れ、それでもアイリスから離れないトマスの狂気を目の当たりにして。


再び聞こえてきた激しい打撃音が遠くて。


(結局、私は変われない……)


心が限界を迎えて、狂気に呑まれそうになった時だった――。


玄関が、叩き割られるような音を立てた。


「アイリス!」

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