最終話
「あ、アイリスさん」
声をかけてきたのは、第三区に最近配属になった新人隊員だ。
ふわりと、ポニーテールを揺らしながら振り返ったアイリスに、新人隊員の男性はがちがちに緊張した面持ちで続ける。
「あのっ! よろしかったら、今度一緒にお食事に行きませんか!?」
顔を真っ赤にして食事に誘ってくれた新人隊員に、アイリスは素直に困った。
――最近、職場で言い寄られる事が多くなった。
本気でアイリスにお近づきになりたい独身男性が主だ。
ここ最近のアイリスは、妖美さよりも愛らしさが目に付く。
キリリとした人を寄せ付けない空気がなくなり、ほわほわっとした柔らかい空気がアイリスを包み込んでいる。
この変化は女性からも好評で、アイリスに気兼ねなく声をかける同僚が増えて、今や女友達の方が明らかに多い。
目の前の新人隊員は、入ってまだ一か月程度だったと思う。
以前のアイリスを知らないからこその声掛けだったろうが、それを見ていた周囲が口笛を吹き囃し立てる。
「お、またアイリスが新人ひっかけてんぞ」
「相変わらずモテるよな」
それは僻みや妬みではなく、仲のいい同僚としての茶化しだ。
雰囲気が変わってとっつきやすくなったアイリスに、ジョークを言うくらいには仕事で関わる人間関係が改善されている。
「あの、ごめんなさい。そういうことは、しないようにしているんです」
そういって小さくペコリと頭を下げれば、大抵の男性は諦めてくれる。
しかし今回の新人隊員は諦めきれないようで、食い下がってきた。
「どうしてですかっ?! 僕の何がダメなんですか!?」
少し強引な誘い方に、アイリスの指先がわずかに強張る。
こういう相手はもう勘弁願いたい。
トマスの時で懲りたアイリスは、こういうタイプの男性がトラウマになっている。
――あの後、トマスは連続女子失踪事件と関わりが見つからなかった。
しかし、特定の女性への悪質な付きまといが問題になり、一定期間の服役後、王都からの追放命令が下された。
当然、アイリスへの接触禁止命令も下り、破れば今度は鉱山への強制労働を余儀なくされる。
トマスの両親は、王都の外れて商売をしていたはずだ。
巷で噂になり、これをきっかけに店を手放したと風の噂で聞いた。
アイリス自身も、一度関係を持ってしまった手前、後味が悪い結果となってしまった。
どんな理由であれ、もう二度とセドリック以外の男性と夜を共にするつもりはない。
「貴方が悪いとかではないんです。ただ、その……か……か、彼氏っ――がいるので」
彼氏、という固有名詞が恥ずかしいアイリスが、戸惑いながらもなんとか口にすると。
その様子があまりにも愛らしく、新人隊員は頬を赤くしてますますアイリスに沼っていく。
「その、彼氏さんがどんな方か知りませんけど! まだ結婚とかしていないなら、僕にもチャンスが――」
「ないわー」
そう、遮りながら、アイリスの体を自分の方に寄せたのは、セドリックだった。
「セドッ――」
驚くアイリスの腰に手を回したセドリックは、何の躊躇もなく、頬にキスを落とす。
「迎えにきちゃった」
「し、仕事は?!」
「終わった終わった。俺、優秀だから」
さくっと言い返すセドリックに、アイリスが戸惑いと喜びが入り混じった表情で対応していたのだが。
「アイリスさんの……彼氏?」
新人隊員が、アイリスとは違う動揺と戸惑いの中で尋ねると、セドリックはニッコリと笑って見せると。
やはり、と確信した新人隊員は大きな声で叫ぶように言った。
「だ、騙されてますよアイリスさん! その人――いや、その方、宰相第一補佐官のセドリック・モーガン様ですよっ!?」
どうやらセドリックの正体を知っていたらしい。
新人隊員は現実を突きつけてやったと、思ったのだろうが、アイリスも周囲の反応も予想していたものではない。
まるで最初からわかっているような無反応に、今度は新人隊員が動揺し始めて。
「え? え? ご、ご存じなんですか!?」
「あ、え。うん」
「だってセドリック・モーガンですよ!?」
敬称を忘れた新人隊員は、持ちうるセドリックの個人情報を羅列し始める。
「セドリック・モーガンって言うと、子爵家次男にも関わらず、現場から叩き上げで補佐官まで上り詰めた超天才で!」
「お?」
「“武のモーガン家”と呼ばれたモーガン家でも、天賦の才を持った武術の申し子!」
「……よく知ってるね」
「家督を継ぐ嫡男であるお兄様を立てるために、わざわざ文官の道を選んだという、文武両道の塊みたいな人ですよ!」
「……君、絶対、俺のファンだよね?」
どう頑張っても褒められているようにしか聞こえない。
新人隊員の発言で、新情報を知った周囲からは「そうだったんだー」と納得したような声も聞こえてきたけれど――。
――実際、セドリックが初めてアイリスを迎えに来た時、屯所は阿鼻叫喚となった。
お迎え自体がサプライズで、アイリス本人も驚いていた。
しかし突然現れたセドリック本人は何も言わず、アイリスの腰に手を当てて、こめかみに軽くキスを落として。
「アイリスの彼氏です」
なんて自己紹介したものだから、屯所の中は混沌となった。
以前の監査で、ほとんどの人間がセドリックを認識していたし、非番で顔を知らない人にも、その場で正体が知れ渡り、驚きの声が上がった。
貴族といえば、レグナードのような存在だと思っている連中だ。
監査での圧を経験した者からすると、当然、セドリックを警戒する。
けれど、アイリスを前にしたセドリックは、あの威厳ある宰相補佐官と思えぬほど、甘い雰囲気を醸し出し。
ただただ好きな人をでろでろに甘やかしている姿を、目の当たりにしているのだ。
警戒心も簡単にほどけていく。
何より――“あの”アイリスが、本気で顔を真っ赤にして恥ずかしがっているのを見て。
お迎えの回数が二桁に乗る頃には「バカップルか」という共通認識が芽生えたのだ。
「そ、そんな人がアイリスさんの彼氏だなんてっ!」
アイリスの腰に回ったセドリックの指先がピクリと動いたけれど。
「絶対騙されて――いや、でもモーガン様がまさか騙すようなことっ……でもっ! お似合いでっ! いや、アイリスさんはっ!」
「あのー、全部駄々洩れだから、一旦落ち着いてから出直しておいで?」
セドリックはそう言いながら、何度も遠慮なく人前で頬にキスを降らせる。
そのたびにアイリスが「ちょ」「やめ」と恥ずかしそうに声をあげるが、セドリックは止まらない。
「そ、そうやって! 女にべたべたして気持ち悪いです!」
攻めあぐねく新人隊員は、別方向から攻撃を仕掛け始める。
そんな言葉に意を介さず、セドリックはぎゅっとアイリスを抱きしめて。
「好きな女にべたべたして何が悪い?」
「人前で恥ずかしくないんですかっ!」
「この世で一番楽しいじゃないか。俺の行動一つで一喜一憂するんだ。滅茶苦茶、可愛いんだぞ?」
恥ずかしくてやめて欲しいというアイリスに、セドリックは絶対に離すもんかと抱き寄せる手に力を籠める。
「俺がどれだけ待ったか、この涙ぐましい努力を演説してやりたい気分だぜ」
周囲は慣れたもんで「ぜひぜひ!」「ききたーい!」と囃し立ててくる。
セドリックは「今度なー」と気軽に声をかけて、それから新人隊員をまっすぐみた。
「誰がなんと言おうが、俺はアイリスを手放す気はない。アイリスに手を出してみろ。職権乱用だろうが公私混同だろうが、息の根止めてやるからな」
「セドリック!!」
過激な発言をするセドリックに、アイリスがとうとう怒りをあらわにした。
「ごめん! どちらにしろ、私もセドリックがいいの! 他当たって!」
若干、おざなりな返事になってしまったが、引きずるようにセドリックを連れて退社していくのを、唖然と見送るしかない。
未だ呆然と立ち尽くす新人隊員に対し、先輩隊員がポンッと肩を叩いて。
「諦めろ。あのモーガン様を敵にまわすとロクな事にならない」
「そうそう。結局、あの方が、連続女性失踪事件解決しちゃったくらいだし」
――実際、隊員たちが告げたのは全て事実だ。
あれだけ巷を賑わせていた連続女性失踪事件は、セドリックの働きによって急展開を迎えた。
連続女性失踪事件はやはり人為的なものだった。
黒幕が某侯爵という、大スキャンダルとなったのは、まだ記憶に新しい。
その最たる貢献者がセドリックだったという。
セドリックがどう貢献したのか、詳細は伏せられているが、それで救われた命があったのだから素晴らしい功績だ。
これで陞爵が確定となったらしい。
平民のアイリスが陞爵したセドリックと生涯を共にするのであれば、また違う苦難が待ち受けているだろう。
けれど彼らの関係を知る者は誰もが思うのだ。
――あの二人なら、大丈夫だろう、と。
「だから諦めな。他に女紹介してやるから」
「……可愛くて、おっぱいデカい人がいいです」
「欲張るな」
「よっしゃ、飲み会開こうぜ!」
そう言って周囲の助けもあり、以後、トマスのような存在が、アイリスの前に現れることはなかった。
◇◆◇
「もう、信じられないっ!」
ぷんぷんと頬を膨らませて怒るアイリスに、セドリックは反省もせず、彼女の頬をつんつん突いて楽しそうだ。
「人前でべたべたするのやめてって言ってるのに!」
「嫌だ」
「わ、わがままっ!」
「言ったろ? ドロドロに甘やかすって」
ニィと笑うセドリックに、アイリスの顔は真っ赤だ。
――アイリスが告白してから、セドリックの態度は一気に変わった。
あれほど距離を保っていたセドリックは、アイリスを見つけては腰に手を回して抱き寄せる。
人目も憚らず頬や額にキスもするし、アイリスが遠くにいても一瞬で見つけて走ってくる。
当初こそ戸惑ったものの、次第に受け入れているのも事実だ。
けれど相変わらず人前でイチャイチャされるのは恥ずかしい。
宰相補佐官としてのセドリックは驚くほど優秀だ。
脅しで公私混同するなんて言っていたが、実際はそんなこと一切しない。
仕事を持ち帰ってくることもないし、その内容を愚痴ることもない。
時々上司――宰相が優秀過ぎて大変だと、あの呑み屋で聞いた程度の事しか話さない。
アイリスと一緒にいるとき、時々、セドリックの部下に会う。
そこではいつもの砕けた笑顔を一切封印し、真面目な顔で難しい単語を用いてぽんぽん会話している。
そのギャップがたまらなく好きなことは、セドリック本人には内緒だ。
言うととてつもなく面倒なことになることだけは、何となくわかっている。
アイリスの家に入り浸るセドリックは、今日もベッドに腰かけて後ろから抱き締める。
連続女性失踪事件の事後処理や、陞爵の話があって忙しいはずだ。
けれど、セドリックはどれだけ忙しくても、必ずアイリスの元に帰ってきてくれる。
抱えていた不安や孤独が、セドリックの愛で溶かされていく。
言葉にすることが苦手なアイリスの代わりに、幾度となく声で、態度で愛を示す。
これだけ愛情を示しているセドリックだが――まだ、一度も体を重ねていない。
それが全てだと思っていたアイリスにとって、それ以外で得られる安心感に涙が零れそうになる。
満たされるということは、きっと――こういうことだ。
そう言えば、とアイリスは今まで聞きたくても聞けなかったことを、意を決して口にした。
「……セドリックって、いつから私のこと好きだったの?」
自分の想いを口にする。
躊躇いはあるけれど、少しずつ慣れてきたアイリスが、ドキドキと返答を待っていると。
「んー……」
珍しく言葉を濁したセドリックが、背後からアイリスの肩に額を寄せて。
「最初から――って言いたいけど」
そう言って、言葉を止めて。
顔を上げたと同時に、アイリスとセドリックの視線が至近距離で絡み合う。
少しだけ不安そうなアイリスの揺れる瞳に。
「まぁあれだ」
セドリックは微笑んで――。
「――ずっとだよ」
おしまい
2026/3/22 執筆了




