めつみあるある。
桜の花びらが散り、代わりに若葉が芽吹きはじめる頃。
自身二度目のこの季節がやってきた。
柿農家にとっての一大イベント……『摘蕾作業』、通称『めつみ作業』がスタートするのだ。
新緑に彩られた柿の木その枝には、将来柿の実になろう芽がたくさんついている。
一本の枝につく芽を一つだけ残し、他を手で摘み落とす。
細かな例外や注意事項はあれど、これが『めつみ』の大まかな作業内容だ。
やることは実に簡単。
ただ、脚立を乗り降りしながら移動したり、一面緑の空間で芽を摘んだ箇所と摘んでいない箇所を常にチェックしたり……やってみるとなかなか大変。
なにかと根気と集中力の要る作業なのだ。
俺みたいな柿初心者だと、芽を摘むのに必死で他に気を配る余裕すらない。
「天気予報やと雨っぽかったけど、今日は晴れて良かったなぁ、おじさん」
「ああ、そうやな」
農主さんや由愛さんほどの熟練さんになると、世間話をしながらもスイスイこなすことができるらしい。
「今日はこの一筋終わらすのが目標やったっけ?」
「ああ、そうや」
「今年は芽のつきが良いから、基本どおりにしていいやんな?」
「ああ、そうや」
「昨日、冷蔵庫に入れといた私の『ぷりぷりプリンちゃん』食べたのっておじさん?」
「ああ、そうや」
「やっぱり! おじさんやったんか!」
「……あ」
「あれだけ食べやんといてって言ってたのにっ! あれ期間限定で最後の一個やったのに……どないしてくれんの!?」
「ああ……そ、それは……あれや……その……」
……なにやら不穏な空気が感じられる気もするが、俺にはまだめつみ以外に気を配る余裕はないのだ。
なので二人の会話には関わらないのだ。
ただ、早く二人のようにスイスイと作業ができるようにはなりたいもんである。
* * *
基本的には四月から六月の間に行われるめつみ作業だが、作業以外にも、この頃ならではの色んな出来事がある。
例えば、この季節は紫外線の量が多い。
実にハンパない。
快晴の日に一日作業するだけでも日焼けは必至だ。
男なら、「焼けてなんぼ」な精神の持ち主も多いかもしれないが……
「ふぃ……今日はお疲れさん、保科」
「お疲れさんっす先輩。今日は一段と日差しがキツかったっすね……」
「ああ……ぶはっ! ははは! 保科! お前それは!」
「え……? なにを急に笑うっすか先輩」
「鏡見てみろ!」
「んん? ……ぎゃ!?」
たまに『おれんじふぁーむ』に手伝いにくる保科。彼女は最近よく黒いサングラスを着用している。日差し対策なのか、はたまた黒豚リスペクトなのか。
今日も例によってそうだったのだが、慣れない外仕事も相まって、逆に惨事を引き起こしてしまった。
「……目の周りだけ真っ白っす……」
「お前、日焼け対策してなかったんだな……ぷぷ」
「春の陽を侮ってたっす……」
一日頑張った保科の顔はこんがりと焼け、ただしサングラスで隠れた部分だけ綺麗に白いまま……パンダの白と黒を逆にしたような状態になってしまっていたのだ。
「これは恥ずかしいっす……このままじゃ大学に行けないっす……!」
「そのまま行ったらすぐ友達できるかもよ?」
「に、ニヤニヤしながら言われても説得力ないっす! ぅぅ……ただでさえゼミでも浮き気味なのに、これでさらに浮くのが目に見えるっす……」
……このように、紫外線が牙をむくことがままある。
とくに女性陣にとっては、このめつみ作業下の条件は脅威であるらしい。
* * *
他には……例えば、姉ちゃんが手伝いに来ていたある日。
――ポツ、ポツ。
「あ、雨降ってきたなぁ。はなくんはなちゃん、合羽は持ってきた?」
「あ……い、いえ。忘れちゃいました」
「そういえば、雨の対策してきてなかったなぁ……」
めつみ作業は期間内集中作業なので、雨でも決行されることが多い。
なので、合羽や長靴など、雨作業の道具は常備すべしなのだ。
「まぁ、あたしは雨もしたたる良い女だし、今日は濡れるの覚悟でやるよ。な、草太?」
「前半は賛同しかねるけど、俺も今日一日くらい大丈夫ですよ。由愛さんは合羽着てきてください」
「そ、そう?」
頷く俺たちに遠慮がちになりつつ、由愛さんは合羽を着るべく畑道を歩いていった。
ちなみに、農主さんはすでに合羽を着ていた。
今の瞬間でいつ着る時間があったんだ……?
「ううん。農主さんはさすがプロだな」
「いや、プロとかどうこうより人間の域も怪しいけどな……」
時間をも超越する農主さん。
まさに神業。
――ドバシャァァ……!
「……」
「……」
そして刹那。
俺たち姉弟は仲良く濡れ鼠になった。
あまりの豪雨。飛沫のせいで顔をあげることすらままならない。
「……これは合羽必須だな、草太」
「……そうだな、姉ちゃん」
ところで、ついさっきこの場を離れた由愛さんは無事だっただろうか……。
――ゴロゴロ。
「雷までも……。それに今の、真上で鳴ってなかった……?」
「そ、そうだな……」
暗い空と唸る雷鳴におののく俺たち姉弟。
「お前らぁぁぁぁぁぁああ――――! 今すぐ脚立から離れろォォォォォ――!!」
『ひ、ひぃぃっ!?』
そして、いきなりの農主さんの雄叫びに飛び跳ね、脚立から飛び跳ねた。
哀れな濡れ鼠たちは、すぐ下の牧草地帯に顔面からダイブ。
「……まぁ、別に飛ばんでもよかったんやぞ? ただ単純に離れればよかっただけでな」
『だったら最初から普通にそう言ってよ!?』
いきなりあんな絶叫されたら何事かと思うじゃん!
「……これだけ雨と雷やったらしゃあないな……。おい、お前ら。今日は中止や。倉庫まで戻っとけ」
「あ、はい」
……このように、よっぽどの大雨や雷の時だと中止になることもある。
めつみ作業時に使用する脚立は、アルミ製のものが多い。
つまり、『山間の柿畑×アルミ脚立+雷=非常に危ない』ということなのだ。
「ふぃぃ! 濡れた濡れたぁ~」
「ああ……て、おいこら! いきなり脱いでんじゃねえっ!」
倉庫兼休憩場所についてすぐ、姉ちゃんは大胆にも上の服を脱ぎ捨てる! つまりは上半身ブラのみ! ただでさえ透け透けな格好だったのに、余計ヤバい格好になりやがって!
ううむ……何がとは言わないが、震度4の縦揺れ、ってところか。……いやいや! そんなこと考えてる場合じゃない!
「あ、いけね。つい家のような感覚で……てへへ」
「てへへじゃありませんっ! よりにもよって農主さんのいる前で!」
奔放な姉を叱りつつも、そばに立つ農主さんの様子をちらりと伺う。……やけに静かだな。
農主さんはただただ無言で、じっと腕を組んで立っていらっしゃった。
こちらを向いてはいるが、無反応。
ちなみに、うちの姉ちゃんは弟の目から見てもなかなかの締りあるナイスボデーだ。それに対して眉一つ動かさないとは……農主さん、なんて強靭な精神の持ち主なん……あれ?
よく見れば、農主さんは白目だった。
じっと腕を組んで、こっちを向いてはいるが、白目……。え? それってどういうことなの? リアクションの一種なの?
農主さんへの謎が一層深まったのだった。
「……ん、待てよ?」
そこで、ふとイケないことに気がつく。
さっきの豪雨によって、俺と姉ちゃんはズブ濡れ。俺はともかく、姉ちゃんの服はある層が総立ちで拍手を贈るくらいの危ない透けっぷりだった。
……ならば、だ。
俺たちの元を離れて間もなく、雨の被害に遭ったであろう人物がもう一人……いる。
あのタイミングだと、おそらく合羽を着るどころか雨宿りにも間に合ってはいまい……。
つまり、『豪雨×no合羽=透け透け=非常によろし……危ない』ということなのだ。
「あ~ぁ、結局中止になっちゃったかぁ……。あははー、はなくんたちスブ濡れやなぁ」
き……きた!
俺は鼻と口が距離をとろうとするのを必死に抑え込みながら、さも平静を装って声の方へ振り向く。
「え、えっへへへ~、そ、そうなんです……よ……?」
振り返った俺の視線。その先に立っていたのは、
「誰っ!」
ゴツいゴーグルに本格的な防塵マスク。着込んだ合羽はフードまですっぽり被り、まるで某配管工ゲームに出てくるヘイホ○みたいな人物だった。
「せっかく合羽着込んだのになぁ……。って、はなちゃん!? なんちゅう格好してんのっ!」
「あ、うん……。由愛に言われたくない」
いたって健全な期待に膨らんだ胸がみるみる萎む。
と同時に、やっぱりこの人は農主さんの姪っ子なんだ、としみじみ思った瞬間だった。
完全無防備の姉ちゃんに、完全防備の由愛さん。ついでに白目で立ち尽くすおっさん。
いったい何なんだこの状況……。
……とまぁ。
緑に囲まれたなか、芽を摘むだけの一見単調な作業を繰り返す日々。そんな中にも、色んな出来事があるってことで。




