死なぬ男と、歴戦の引導者をも惑わすキャリア最大の難関
早朝の肌寒い小雨が無音のまま降り注ぎ、梢に残された落ち葉を優しく叩いては、透き通った雫の層を浮かび上がらせていた。
重く垂れ込めた濃い雨雲が昇り始めた朝の光を隙間なく覆い隠し、空の陰鬱な気配をどこまでも長く引き伸ばしている。
異世界転生会社の、まるで鋼鉄の迷宮のような立体駐車場の一階。プシューという小気味よいエアバルブの減圧音とともに、白石こころは深く心地よい伸びをして、大型運転席の分厚いドアを開けて軽やかに跳び降りた。
生活の拠点をこの移動式居室へと完全に移して以来、乗り降りや出入りの際には必ずあの重厚なメイン運転席のドアを通らねばならなくなった。
動線としては普通のアパートより幾分か手間に思えるが、食材を無尽蔵に複製できる深淵の冷蔵庫や、温度調節機能付きの大型ベッド、独立したバスルームの快適さを前にすれば、そんな些細な不便などとっくに意識の彼方へと吹き飛んでいた。
極上の美食と安寧にたっぷりと満たされた今の彼女は、毎朝のコンディションが信じられないほど良好で、その琥珀色の瞳には生き生きとした活力の光が宿っていた。
「おはよう、心ちゃん〜」
駐車場の脇にある社員寮の方向から、気だるげで優しい聞き慣れた声が響いてきた。
見れば、もふもふとした三毛猫の頭部を乗せ、仕立てのよいレディーススーツを身に纏ったレベッカが、頭上の二つの愛らしい猫耳を足音に合わせて微かに揺らしながら、優雅な足取りで歩み寄ってくるところだった。
レベッカの姿を認めるなり、白石こころの冷ややかな顔立ちに一瞬で屈託のない満面の笑みが咲き誇った。
彼女は躊躇することなく、巣へと帰る小動物のように一直線に飛び込み、レベッカの胸元にある柔らかく芳しい圧倒的な膨らみの中へと、心底満足そうに顔をしっかりと埋めた。
「ん……柔らかい……」
白石こころは満ち足りた仔猫のように、その温もりの中で小さく身を擦り寄せた。
異形の魔物がひしめき、規律違反には電刑すら辞さないこの社屋の中で、レベッカの優しい温もりに預かりたいと密かに夢想する社員は数知れない。
だが、この極上の特権をこれほど無邪気に独占できるのは、天地広しといえど彼女、白石こころただ一人だった。
この唯一無二の寵愛を受けるだけで、彼女の胸の奥には誇らしさと愛されている確かな安心感が満ち満ちていく。
レベッカは白石こころの艶やかな黒髪を愛おしそうに撫で、喉の奥を心地よさそうに鳴らしながら、やがて微笑んで口を開いた。
「そうそう、さっき岡田課長から言伝があってね。今日はとんでもなく厄介な特級勇者候補がいるんだって。外勤に出ても『できる限りのことをすればいい』くらいに構えて、あまり気負いすぎないようにって言ってたわ」
「厄介な標的……ですか?」
白石こころは芳しい胸元からわずかに顔を上げ、琥珀色の瞳に困惑の色を滲ませた。
この二ヶ月間の死線の修羅場と昨夜の領域の開眼を経て、彼女の大型トラックの運転技術は飛躍的な進化を遂げていた。
だが、キャリアや純粋な破壊力という点において、社内には歴戦の猛者や化け物じみた先輩たちがいくらでもいる。なぜ上層部はわざわざ、正社員になって間もない新人の自分を指名してきたのだろうか。
「疑問に思うのも無理はないわね。というのも、その選ばれし者が送り込まれる予定の世界は、難易度超S級と判定された深淵の煉獄級異世界なの。そして何より……彼自身の物理的な肉体再生能力が、生物学の常識を完全に置き去りにするほどデタラメらしいのよ」
二人は薄暗く広々とした会社の廊下を肩を並べて歩いた。
道すがら、ワニの頭や巨鷹、トカゲの顔を持った異形の同僚たちと手慣れた様子で挨拶を交わしながら、白石こころはレベッカから今回の任務の奇怪な詳細を聞かされていた。
長い廊下を抜け、課長室の曇りガラスの扉を押し開けると、食欲をそそる濃厚な出汁の香りが一気に鼻腔を突いた。
鉄塔のように屈強な体躯を誇る岡田課長が、執務机の後ろでだらしなくあぐらをかき、目の前に置いた小型の電気鍋から茹でたての湯気を立てる蕎麦を箸で気ままに啜っていた。
まるで田舎の実家で隠居生活でも送っているかのような脱力したその佇まいは、ここがトラックで人を異世界へ跳ね飛ばす悪辣な企業であることを完全に忘れさせてしまう。
「おっ! おはようさん、レベッカ、白石」
岡田は顔を上げ、他人の不幸を面白がるような豪快な笑い声を上げた。
「いやあ……白石、お前が今日引いたこの特級案件は、マジで半端ねえぞ!」
楽しそうに面白がる岡田課長の様子に、レベッカも眉を寄せ、隣の少女に代わって疑問を口にした。
「課長、勿体ぶらないで。その特殊な標的って一体どういう状況なの? どうして上層部が『特級注視対象』に指定したのよ」
岡田はニヤリと笑い、彼女たちの驚く顔を待ち構えていたかのように、机の上にあった分厚い機密ファイルの束を片手で二人の前へと滑らせた。
そして再び手元の蕎麦にふうふうと息を吹きかけ、ズズッと豪快な音を立てて啜り始める。
白石こころとレベッカは身を寄せ合ってファイルを捲った。
だが、表紙に記載された経歴の概要を一目見た瞬間、二人の美しい瞳は同時に大きく見開かれ、瞳孔を激しく揺らした!
そこには、赤の太字でこう記されていたのだ——
【対象者経歴概要】:
大型トラックによる正面衝突被害回数:実に六十七回!
事故結果記録:六十七回のうち六十五回において全身粉砕骨折および内出血と診断され、集中治療室(ICU)へ緊急搬送。しかし、いずれもわずか三日以内に自然治癒して退院。その後、自宅療養にて高額な傷害保険給付金を受給。
累計受給保険金額:すでに十億円を突破。
——実に六十七回!
一週間に一度以上のペースで大型トラックに正面から轢き飛ばされ、そのたびにICUへ三日間収容されては、何事もなかったかのようにピンピンして自足で歩いて札束を数えに戻ってくる。
これは勇者候補などという生易しいものではなく、もはや「トラックに轢かれること」を本業にして稼ぎまくる人体構造の奇跡そのものではないか。
過去六十七回に及ぶ各地のドライバーたちの正規のアタックは、この男の魂を肉体から物理的に剥離させて異世界転生プロセスへ送るどころか、あろうことか彼を悠々自適の資産家へと押し上げてしまったのだ。
これほど理不尽極まる因果のしっぺ返しを前にしては、百戦錬磨で数え切れないほどの勇者案件を扱ってきたレベッカですら、引きつった口元を隠せず、かつてない不条理に打ちのめされていた。
「要するにだな、ドライバーが当て損ねてるわけじゃねえ。一般的な大型トラックの物理的な衝撃力と規模じゃ……こいつの防御上限をどうしてもブチ破れねえんだよ」
岡田は至福の表情で蕎麦を飲み干して口を拭うと、引き出しから鮮紅の公印が押された免責特許状を取り出して白石こころへと差し出した。
「そこで本部の重役共が協議した結果、創世魔王様の直々の加護を受けた『深淵魔導トラック』を駆るお前を投入して、深淵の衝撃力で奴を強引に昇天させられるか試してみようって話になったわけだ。そこにも明記してある通り、今回は『極限因果異常テスト』扱いだ。万が一粉砕できずに任務失敗となったところで、お前の期末評価や特別ボーナスには一切のペナルティはつかねえよ!」
手渡された鮮紅の印が押された免責特権の条項を見つめ、白石こころは書類の山から戸惑いに満ちた端正な顔をゆっくりと上げ、琥珀色の瞳をしばたたかせて魂の疑問を口にした。
「……課長、この人……本当にまだ『人間』の枠に入ってるんですか?」
「おとぎ話みたいに聞こえるだろ?」
岡田は残った蕎麦の汁を豪快に飲み干し、手の甲で顎を拭いながら、もっともらしく考察を語り始めた。
「だから本部の方でも一つの大胆な仮説を立てててな——こいつは昔、別の異世界で魔王を討伐して役目を終えた後、地球へこっそり戻って隠居生活を送ってる『引退勇者』なんじゃねえかってな。だが今になって、崩壊寸前の超S級世界でどうしても火消しが必要になって、世界の意志が再びこいつに目をつけたってわけだ」
岡田の推論を聞き、白石こころはなるほどと納得しかけた。それならば、生体合金のごとき常軌を逸した肉体の頑強さにも説明がつく。
しかし思い直してみれば、どうしても辻褄の合わない部分があった——もし本当にそれほど規格外の戦闘力を持つ引退勇者なのだとすれば、その卓越した神経反射をもってすれば、大型トラックの突進など豆腐を切るように容易く身を躱せるはずだ。
どうして律儀に横断歩道の上に立ち止まり、六十七回も連続で吹き飛ばされ続けているのだろうか。
いくら考えても答えの出ない問題に、白石こころはそれ以上深入りするのをやめた。
極度の異常事態を示す分厚い任務ファイルを胸に抱え直すと、彼女は踵を返して軽やかな足取りで課長室を後にした。
今の彼女が直面している課題は、「標的に正確に激突できるか」ではなく、「いかなる物理的運動エネルギーを用いれば、この人型の化け物を完全に粉砕できるか」という点にあった。
両者は言葉の上では僅かな差異に思えるが、実行の次元においては天と地ほどの隔たりがある——それこそが、過去六十七人のドライバーたちがことごとく苦杯を嘗め、標的を十億円の資産家へと仕立て上げてしまった根本的な原因なのだ。
白石こころは廊下を歩きながら、先輩たちの残した痛ましい失敗記録に目を通していた。
中には短気なベテランが車体後部に「航空宇宙用固体ロケットブースター」を無断で増設し、十トントラックを時速三百キロまで引っ張って正面から激突させたものの、相手は空中で数回転した末に地面へ叩きつけられ、ICUで三日眠っただけで何事もなかったかのように退院していったという記録まであった。白石こころは思わず息を呑み、口元を小さく引きつらせた。
この肉体防御力……もはや警察に通報したくなるレベルの理不尽さではないか。
「これは本当にとんでもない相手に当たっちゃったかも……」
白石こころは華奢な肩を落とし、爛々と輝いていた瞳にわずかな困惑を滲ませた。
昨夜「絶対軌跡」を開眼させた今、純粋なドライビングテクニックや峠道での読み合いであれば誰が相手だろうと引けを取らない自負がある。
だが、今日になって突きつけられたのは技術の試験などではなく、物理法則の壁そのものとも言える「不滅の肉体」という難題だったのだ。
異世界の勇者というのは、本当に理屈の通じない規格外の化け物揃いなのだと、白石こころは心の底から痛感していた。
「おはよう、白石ちゃん〜! クエッ!」
その時、爽やかで澄んだ少年の声に混じって、軽やかな鳥の鳴き声が耳に届いた。
見れば、廊下の曲がり角の自動販売機の傍らに、極彩色のコンゴウインコの頭部へと姿を戻した清水陽向が寄りかかり、アイスコーヒーの缶を片手に翼のような腕を振っていた。
その生き生きとした様子を見るに、どうやら風の噂を聞きつけて、ここで待ち伏せして攻略法を伝授しようとしていたらしい。
「例の、先輩たち六十七人を保険金の踏み台にした伝説の怪物候補を引き当てたんだって?」
清水は物々しげに近寄り、大きなインコの首を器用に左右へ傾げると、声を潜めて歴戦の運び屋のような口調で問いかけてきた。
「ところで……白石ちゃん、人間の社会にいた頃、大型トラックの運転手たちの間で代々囁かれてる『裏ルール』って聞いたことある?」
「裏ルール……ですか?」
白石こころは小首を傾げ、書類を抱えたまま怪訝そうに見つめ返した。だが女の直感として、清水がこれから口にしようとしていることが決してまともなレース技術ではないことだけは察せられた。
「とある国の交通法規や賠償の判例じゃね、中途半端に人を跳ねて重度の障害を負わせちまうと、運転手は一生涯にわたって天文学的な介護賠償を背負わされることがある。だから追い詰められた一部の荒くれドライバーは、人を跳ねちまった瞬間、どうするかというと……」
そこまで言うと、清水は自らの手のひらの五本指を揃え、中空に大型トラックに見立てて水平に構えてみせた。
そして白石こころの目の前で、極めてリズミカルに、かつ容赦のない手つきで、その手を**「前へと力強く押し出し——素早くバックさせ——再び加速して踏み潰し——さらにバックして踏み直す」**という動作を繰り返した!
前、後ろ、前、後ろ!
そのあまりにも生々しく悪意に満ちたジェスチャーは、「確実に息の根を止めるための反復轢過」の光景をこれ以上なく克明に表現していた。
「——それ、酷すぎません?!!」
白石こころは思わず半歩飛び退き、両手を胸の前で構えて目を丸くしながら抗議の声を上げた。
「私たちの崇高な理念は『選ばれし者を物理的に異世界へ導いて世界を救うこと』ですよ! 人助けの慈善事業であって、路上での凶悪犯罪じゃないんですから!」
毛を逆立てるようにして抗議する白石こころの愛らしい様子に、清水は硬い嘴を大きく開けてからからと笑った。
「落ち着いて、落ち着いて! よく考えてみてよ——あいつが地球で寝そべって保険金を巻き上げ続けるのをこのまま放置したら、あの超S級の異世界は一ヶ月も持たずに完全に崩壊しちまう。そうなれば行き場を失った何十億もの狂暴な怨念が次元の裂け目から溢れ出して、他の平和な異世界はおろか、僕らのいるこの地球にまで逆流してくるんだよ! 白石ちゃんだって、せっかくの平穏な休日を怨霊塗れにされたくはないだろ?」
白石こころは息を呑み、逆立っていた感情を急速に冷ましていった。
転生部門の一員として、一見ブラックに見えるこの会社が多元宇宙の生態系においてどのような「清掃人」の役割を担っているのかは、彼女も重々承知していた。各次元における魂の総量バランスを適正に保つことこそが、彼らの本分なのだ。
言い換えれば……。
彼女がステアリングを握り、あの十トンの深淵魔導トラックの運転席に座っている限り、あらゆる激突と物理的救済は多元宇宙の因果律において「正当な外勤公務」であり、世俗の罪には問われない。
だがもしトラックを降りてレンチで直接殴り倒せば、それこそが真の法に触れる殺人となってしまう。
その絶妙な境界線を完全に呑み込んだ白石こころの眉間から、険しさがすっと消え失せた。手元の資料に視線を落とし、一年で十億円もの保険金を手にして悠々自適に暮らす男の写真をじっと見つめるその琥珀色の双眸に、冷徹で危険な光が静かに宿り始める。
一度の激突による物理衝撃で装甲が破れないのであれば……。
魔導エンジンのダウンフォースを極限まで高め、衝突の瞬間に「絶対軌跡」で因果をロックオンし、そのまま……峠道で間断のない連続反復轢過を叩き込む……?
「……なるほど。車から降りさえしなければ、すべては業務の範疇というわけですね」
白石こころは人差し指の先を顎に当てて小さく独りごちると、その端正な口元に小悪魔のように妖しく美しい笑みを浮かべた。
行動の筋道と境界線を整理し終えた白石こころは、タブレットとファイルを抱え、しなやかな足取りで漆黒の威容を誇る自らの深淵トラック「成仏号」へと戻っていった。
重厚なキャビンへのドアを開け、高い運転席へと軽やかに身を滑り込ませる。車内の空調システムが静かに作動し、早朝の冷気と湿気は分厚い防弾装甲によって瞬時に遮断された。
標的が所定の峠道に姿を現す指定時刻まではまだ余裕がある。
白石こころは焦ってエンジンをかけることはせず、センターコンソールの特製ウォールナット収納ボックスから、洗練されたコンパクトなサイフォン式コーヒーメーカーと手動のミルを取り出した。
ミルのハンドルを一定の速度で回すにつれ、絶妙に深煎りされたコーヒー豆が刃の間で細かく砕かれ、心地よい破裂音とともに、香ばしく濃厚なナッツの香りが閉ざされた運転席いっぱいに広がっていく。
手慣れた所作で粉を上のフラスコへと移し、底部の熱源に火を灯す。
下側のフラスコに張られた澄んだ水が熱に促されて細かな気泡を立て、ガラス管を伝って勢いよくせり上がり、深褐色の粉を優しく浸してキメ細やかな泡の層を立ち上がらせていく。
その美しい物理の循環を静かに見つめるうち、白石こころの強張っていた神経は一筋ずつ完全に解きほぐされていった。
火を落とし、冷まされた琥珀色の濃厚な雫が、雨のように静かに下のフラスコへと落ちていく。
立ち上る湯気とともにブラックコーヒーをカップへ注ぎ、温かな陶器の感触を手の中で確かめながら、白石こころは窓の外へと視線を向けた。
外の小雨はいつの間にか視界を白く染めるほどの土砂降りへと変わり、大粒の雨が屋根を激しく打ち据えて、遠くの山並みと駐車場の鉄骨の輪郭を煙らせていた。
この劣悪極まりない悪天候を前にしては、普段は冷静沈着な白石こころの胸中にも、微かな緊張の影が差さずにはいられない。
泥濘と水たまりに覆われた豪雨の峠道を爆走することは、決して遊び半分で挑めるものではない。
たとえ創世魔王の加護を受けた深淵の巨獣であっても、時速二百キロを超えるブラインドコーナーにおいて、十トンもの質量がハイドロプレーニング現象やタイヤのグリップ喪失に見舞われれば、車体ごと奈落の底へと転落する危険は厳然として存在していた。
「ふぅ……」
カップから立ち上る白い湯気を軽く吹き散らし、ほろ苦くも奥深い甘みを持つ熱いコーヒーを一口含むと、白石こころは会社支給の暗号化タブレットを指先で起動させた。
画面が灯り、社内転生物流システムに【極限目標——六十七回生還者・第六十八回合同排除検討会】と銘打たれたオンライン会議室がポップアップした。
画面は十八分割され、そこには転生部門でその名を轟かせる、キャリアの長い大先輩たちがずらりと顔を揃えていた。
小窓に映し出された面々は、実に壮観だった——威厳あるツキノワグマの頭部を持つ歴戦の古株、陰険な光を瞳に宿す双頭の鷹の先輩、さらには義手をステアリングに預けた隻眼の巨狼のベテランまで。
だが今、各異世界で「死神の引導役」として恐れられているはずの怪物たちは、揃いも揃ってどこか煮え切らない屈辱と焦燥をその表情に浮かべていた。
各々の背後にあるホワイトボードには、あの男が過去六十七回の事故で見せた衝撃力の解析グラフや放物線の軌跡、救急搬送時の骨折修復レポートが所狭しと張り出されている。
誇り高きベテランたちにとって、同じ標的を数十回も跳ね飛ばしながら魂を異世界へ送り込めず、あろうことか相手を十億円の資産家へと押し上げてしまったことは、自らのキャリアに刻まれた拭い去れぬ屈辱に他ならなかった。
『諸君、前置きは不要だな』
画面の向こうで、灰色の狼の頭部を持つベテラン班長が葉巻を深く吸い込み、机を拳で叩いて低く唸った。
『今回、本部は岡田組のルーキーである白石ちゃん、そして魔王様直々の加護を受けた深淵特化型トラックの投入を決定した。我々十七名は本日、期末賞与のすべてを投げ打ってでも、白石ちゃんのために防御の隙を抉じ開け、包囲網を完成させねばならん! 何としても今日、あの忌々しい保険金野郎を……確実に異世界へと送り届けて世界を救うのだ!』
画面の中で怒りを露わにし、汚名返上を誓い合う先輩たちの熱気を見つめながら、白石こころはコーヒーカップを手に、呆れと可笑しさが入り混じった何とも言えない笑みを口元に浮かべていた。
どうやら本日の外勤は、とてつもなく賑やかな次元規模の大包囲網になりそうだった。




