愛執、殺し合い、渇望、思慕
火花が、まるで驟雨のごとく死寂の街道の中央で狂乱して迸った!
一連の、寸分の隙間すら存在しない金属の暴鳴が、まるで大型プレス機が人影の途絶えた幽閉都市の中で連環して引き起こされたかのように鳴り響く。それは純粋な物理的膂力と極限の速度が激突することによって生み出された、破滅的な嵐そのものであった。
大気は幾重もの音速を超越した斬撃によって生々しく引き裂かれ、肉眼でも視認できる乳白色の衝撃波を激しく波打たせる。
足元の舗装は砕け散り、舞い散る落葉と塵芥は、地表へと落ちることすら適わぬうちに、狂暴な刀風に巻き込まれて微塵へと絞り砕かれていった。
薄暗く静まり返った結界の深奥で、白石花が動いた。
それは、尋常の剣士が構えるようないかなる立ち姿でもない。彼女はわずかに身を屈め、重心を常識ではあり得ないほど低く沈ませ、ほとんど全身を凍てつく石畳の地表へと擦り付けるように伏せていた。
右手に逆手で握りしめた妖刀の切先は斜め下を向き、その刃は躊躇うことなくアスファルトの路面へと足掛け半寸も突き刺さっている。
直後、大気がまるで雷霆が転がるかのような、低く重苦しい咆哮を放った!
白石花の姿は、突如として幽緑色の貼地流星へと変貌を遂げた。
彼女は両脚で駆け出すことすらせず、ただ片手を地表に突き立てて支え、常人離れした柔軟性をもって、地表からわずか十センチほどの超低空を滑空したのだ!
手にした特製の妖刀は超音速でアスファルトを狂暴に削り進み、耳障り極まる金属の悲鳴を伴いながら、路面を焦げためくれ上がった深い溝として強引に切り裂いていく。爆裂する無数の火花と灼熱の砕石が、まるで彗星の尾を引く炎のように彼女の背後で狂い咲いた!
初撃! 白石花は猛烈な速度で肉薄するや、左の掌で地表を強烈に叩きつけた。ほんのミリ単位の誤差の間でその反動を利用し、全身で物理法則を踏みにじる水平の大旋回を完遂する!
地を這う妖刀は回転の極限の遠心力を乗せ、中空に直径三メートルを超える森緑色の狂暴な火炎の円環を描き出しながら、白石心の足首と小脛を刈り取らんと迫った!
刀風が巻き起こした引き裂くような気浪が、白石心の頬の皮膚を痛烈に苛む!
そして、その狂乱の嵐の渦中において、白石心の身に纏う黒いトレンチコートは黒旗のごとく猛烈に翻っていた。「絶対軌跡」と「魔女時間」は、かつてない前人未到の極限へと強制的に超頻駆動させられていた。
神経の深奥において、周囲の世界は停止に近い死寂の中へと強引に引き延ばされている。白石心の神経の奥底では、灼熱に焼かれた無数の鋼針が乱暴に掻き乱されているかのごとき激痛が走り、過負荷に晒された毛細血管が次々と破裂して、鼻腔と喉の奥には重く苦い鉄錆の血の味が満ち満ちていた。
速すぎる……辛うじて視覚で捉えることすら、全身の神経が崩壊の淵に立たされている。
白石心は奥歯を砕けんばかりに噛み締めた。通常の跳躍や後退で回避できる余地など、もはや爪の先ほども残されていない。彼女は大レンチを支柱に見立て、両手でその柄の端を渾身の力で押さえつけると、己の身体を強引に跳ね上げて両脚を空中で縮め、跳躍した!
ガギィィィンッ——!
森緑色の火環は、危ういところでレンチの最下部を掠めるようにして両脚の下を通り過ぎた。鉄すら泥のごとく断ち切るその怪力は、特殊鋼の表面にすら鏡面のように滑らかな切断面を削り出していた。
だが、これは単なる手始めに過ぎない!
野獣の狂舞を思わせるこの奇怪な刀術には、「空振りによる硬直」など最初から存在しなかったのだ。
一撃をかわされた白石花の身体は、空中で着地して反動を殺すことすらしなかった。彼女は逆手に握った刀身を地表へと突き立て、それを第二の回転軸とするや、しなやかな細身の身体を中空で優雅に解き放ち、狂乱の舞踏手のごとき極限の倒立反転を演じ、左足に音速の衝撃波を纏わせながら、武器を構える白石心の肘関節を目掛けて無慈悲に蹴り抜いた!
これは尋常の刀法などではない。超越的な肉体性能、近接格闘、アクロバット、そして純粋な獣の凶暴性を極限まで溶融させた、戦慄すべき殺戮の儀式であった!
空中に身を晒した白石心に躱す術はなく、極限の判断でレンチを傾け、分厚い鋼鉄の顎でその踵落としの直撃を迎え撃つしかなかった。
ズドォォォンッ!
重砲の斉射を思わせる爆音が炸裂した。白石心の身体は勇者特有の暴力的な膂力によって宙を数メートルも吹き飛ばされ、アスファルトの上に両足で二本の深い制動痕を削り残した。喉の奥から込み上げた鮮血が、黒い風衣の襟元に直接吐き出される。
しかし白石花は、彼女に体勢を立て直す隙など一切与えなかった。蹴りの反動を利用して空中で軽やかに身を翻し、音もなく地表へと舞い降りるや、右腕を一振して再び妖刀を路面へと擦り付け、視界を遮断する猛烈な火花の雨を巻き起こした。
「お姉ちゃん、地面ばかり見てちゃ駄目だよ……」
甘く蕩けるような、粘度を帯びた囁きが耳朶を撫でたその瞬間、白石花の姿は幾重にも重なる緑の残像となって火花の中から立ち現れていた。
まるで酔い痴れているかのように奔放でありながら、その一撃一撃は骨の髄に至るまで冷徹に研ぎ澄まされている。地を這うような滑走、刀を支点とした空中旋回、その全てがこの死に絶えた結界の大気を乱暴に掻き乱し、怒涛の気浪を幾重にも巻き起こしていた。
金属と金属が激突するたびに、二人の瞳の前で白熱の烈火が狂い咲く。飛び散る火花が触れ合わんばかりの至近距離にある互いの相貌を照らし出し、そして直後の耳を劈く轟音と共に、虚無の彼方へと掻き消えていった。
——白石花の視覚において、これは全身の細胞が歓喜に震える、神聖極まる再会の儀式に他ならなかった。
真に綺麗だな……お姉ちゃん。
白石花が一歩を踏みしめるたび、勇者の恩寵によって再構築された足首と脚部の筋肉は、常人には決して到達できぬ異形の動能を爆発させる。
彼女の動態視力と神経反射は疾うに生物の限界を超越していた。幽緑色の瞳に映し出される世界において、時間の流れは何十倍にも引き延ばされ——お姉ちゃんの乱れた呼吸、風圧に煽られて揺れる額の前髪、引き絞られた風衣の繊維の一本一本が受ける張力の変化に至るまで、静止した絵画のように克明に解読できていた。
彼女はお姉ちゃんのあらゆる防禦行動を完璧に見透かしていた。もしその気になりさえすれば、手にした妖刀をお姉ちゃんの眼窩へと突き立て、頸動脈を裂き、あるいは胸骨ごと心臓を貫くことなど造作もない。
魔王すら素手で引き裂くまでに鍛え上げられたその非人の肉体を前にすれば、虐待と飢餓に苛まれ続けた白石心の凡胎など、水に濡れた薄紙のごとく脆い存在に過ぎなかった。
けれど、どうしても刃を向けられない。
心臓は駄目……お姉ちゃんが壊れちゃう。綺麗な頬も駄目、もし傷跡が残ったら、私は自分を許せなくなっちゃう。喉や舌も絶対に傷つけちゃいけない……あの冷たく澄んだ声で、一生涯私の胸の中で名前を呼んでほしいから……。
白石花の瞳の奥で、緑の燐光が狂おしく渦を巻く。それは魂そのものを甘美に溶かし尽くすほどの、底知れぬ病的な愛執であった。殺すことが許されないのならば、外の世界へと羽ばたこうとする余分な「翼」を、すべて優しく摘み取ってしまえばいい。
彼女の太刀筋は雷霆のごとく苛烈でありながら、その切先は人体の致命箇所を極めて不自然に、かつ精密に避けていた。繰り出されるすべての斬撃は、白石心の関節軟骨、アキレス腱、手首の靭帯を外科手術のように狙い澄ましている。
それどころか、刃が鋼鉄のレンチと激突する瞬間、彼女は内包する怪力の九割以上をわざわざ殺してすらいた。あまりの衝撃波が金属を伝い、お姉ちゃんの脆弱な内臓を血泥に変えてしまうことを恐れたがゆえに。
いい子だから、手足を私にちょうだい、お姉ちゃん……。それさえ切り落としてしまえば、もう二度と外の世界で一人ぼっちで苦しまなくて済むんだから。
——だが、白石心の視覚において、これは万丈の断崖絶壁の上で己の寿命を削りながら繰り広げる、計算の極限であった。
幽紫の双眸は、生きた人間とは思えぬほどに冷徹に凍りついている。「絶対軌跡」の予読視野の中で、中空には無数の紫の軌道が蜘蛛の巣のように網羅され、彼女が逃げ延びる可能性のある退路をことごとく封鎖していた。
だが、その十死無生の絶望的な盤面の中で、白石心の機械のような思考は、あまりにも不自然極まる違和感を鮮明に嗅ぎ取っていた。
——全身の急所が、完全に放置されている! 喉、顔面、心臓、下腹部……白石花が繰り出す数千にも及ぶ狂暴な斬撃の中で、彼女の命そのものを絶とうとする刃は、ただの一撃たりとも存在していなかった!
こいつ、手加減している……。私への愛のあまり、私を殺すことができないんだ。
胃の底から込み上げる吐き気を覚える事実であったが、この瞬間において、それこそが白石心に唯一残された最大の防壁となった。
通常の人間であれば、このような死の暴風雨に晒されれば本能的に頭部や内臓を庇い、身を縮こまらせる。しかし白石心は、それらの致命部位をすべて切り捨てて盤面から排除した!
彼女は瞬きという動作すら完全に削ぎ落とし、残された神経の伝達と肉体の残滓のすべてを、四肢を繋ぐ四つの急所を防衛するためだけに一点集中させたのだ!
シュッ——!
白石花がふわりと地を滑った。着古したジャージの裾は風の音すら立てない。彼女の妖刀は下段から鋭く撥ね上げられ、その刃先は妖気漂う緑の光を帯びながら、寸分の狂いもない軌道を描いて白石心の右足アキレス腱へと迫った!
常人の歩法で後退すれば確実にワンテンポ遅れ、腱は弦のように切断される。
白石心の双眸に冷徹な燐光が宿った。彼女は引くどころか、千分の一秒の猶予の中で体重の全てを右膝に乗せ、あろうことか切先に向かって前へと倒れ込んだのだ! 凍てつく重厚な大レンチを両手で固く抱え込み、落下する自重を杭打ち機のごとく叩きつけ、自らの右の踵目掛けて全力で振り下ろす!
ガギィィィィンッ——!!!!
両者の足元で、鼓膜を裂く金属の轟鳴が炸裂した! 刃の切先とレンチの分厚い鋼鉄の側面がミリ単位の誤差で激しく衝突し、眩い火花の奔流が白石心の風衣へと容赦なく降り注ぐ。
狂暴な反動が冷たい鋼鉄を伝って両腕へと逆流し、白石心の腕の筋肉は引きちぎれるような悲鳴を上げた。両手の虎口は裂け、噴き出した血がグリップを濡らす。
しかし彼女は痛覚を失った屍のように眉一つ動かさず、その反動を利用して地表を蹴り、後方へわずか半メートル滑り込むことで、腱を寸断する死線から右の足首を強引に引き抜いてみせた!
「あら……やっぱり反応が早いね、お姉ちゃん」
白石花は軽やかに刀身を巡らせ、顔に張り付いた甘い笑みを崩すことすらせず、まるで悪戯に逃げ回る小動物を愛でるような瞳を向けた。彼女は白石心に息を整える間すら与えず、つま先で舗装を軽く弾いた。その瞬間、大気が爆発的な白煙の波紋となって炸裂する!
二太刀、三太刀!
それは音速の領域を軽々と突破した二連の刺突! 骨を削り落とすような烈風が白石心の風衣を切り裂き、前髪を激しく乱れさせる中、その切先は寸分の狂いもなく——左手首の関節と右肘の靭帯を貫かんと迫っていた!
軌道は見えている……だが、この肉体では防御が間に合わない!
「魔女時間」の中で神経が限界の悲鳴を上げる。白石心は痛感していた。受動的な防禦を続けていれば、白石花の怪力によって骨が粉々に砕かれるのは時間の問題だと。この絶境を覆す唯一の防禦、それは攻勢——相手の「愛」を利用し、向こうから致命的な隙を晒させることしかなかった!
左手首を狙い澄ました刃の切先に対し、白石心は手首を引くどころか、あえて五指を大きく広げ、身体の均衡を完全にかなぐり捨てて、無防備な喉、心臓、そして己の顔面を、超高速で突き出される白石花の刃先へと自ら真っ向から突っ込ませたのだ!
殺せるものなら、殺してみろ。
「——っ?!」
白石花の瞳に宿る狂熱が、その一瞬で凍りついた!
自ら致命の急所を晒し、刃へと身を投じてきた最愛の姉。常人を凌駕する神速の神経反射と、骨の髄まで染み付いた強烈な執着心が、この瞬間、白石花を内側から縛り上げる致命の枷となった——
白石花は悲鳴にも似た短く鋭い呻きを漏らし、手首の関節を力任せに捻じ曲げた。刃の先端が白石心の頸動脈の皮膚を裂く数ミリ手前で、自らの手首を脱臼させかねないほどの負荷をかけながら、強引に刀身を横へと三寸引き剥がしたのだ!
その刹那の、絶対的な静止!
白石心の心拍は、揺らぐことすらなかった。白石花が自ら招いた僅かな硬直を逃さず、彼女の瞳の奥で氷のような殺意が爆ぜた。血に濡れた両腕の激痛も、神経の反動も全て無視し、右手単腕で数十キロに及ぶ冷徹な鉄の大レンチを振り回す。
まるで破城槌のごとき凶悪な軌道を描き、前方に踏み込まれた白石花の左膝の皿を目掛けて、渾身の力で薙ぎ払った!
冷徹な攻心の罠。肉を斬らせて骨を断つ、非情なる強撃!
「うぅ……お姉ちゃん、本当に酷いよ!」
常人ならば脚骨を粉々に粉砕されるであろうその一撃を前に、白石花は中空でただ微かに嘆息を漏らした。勇者としての規格外の柔軟性が極限で発揮され、彼女の左脚は骨のない鞭のようにしなやかに跳ね上がると、全身を捻って中空へと跳躍し、レンチの縁を紙一重でかわしてみせたのだ。
ズガァァァンッ!
空を切った大レンチは、広場のベンチ傍の石畳へと激しく叩きつけられた。分厚い石板は純粋な落下の運動エネルギーによって粉々に砕け散り、鋭利な破片と白煙を四方へと跳ね上げる。
風圧が散り、砂塵が静かに舞い落ちる。
白石心は深く石畳にめり込んだレンチを支えに、片膝を乱暴に地へと突いていた。胸は激しく波打ち、唇の端からは深紅の血がとめどなく溢れ出している。
思考回路を限界を超えて酷使したことによる、神経の内傷であった。彼女は顔を上げ、一片の動揺も宿さぬ幽紫の瞳で、数歩先へとふわりと着地した白石花を冷徹に見据えた。
向かい側では、白石花が足先を軽やかに整え、ジャージに付着した僅かな埃を手で払っていた。手首を軽く振れば、自らの肋骨を鍛え上げて作った妖刀が、飢餓感を孕んだ妖異な金属音を微かに鳴り響かせる。
白石花は小首を傾げた。その瞳に浮かぶ緑の燐光は、底知れぬ沼のように重く淀み、白石心の血に濡れた口元と、微かに震える両腕をねっとりと舐めるように見つめていた。
そこにあるのは、罠に嵌められたことへの僅かな拗ねと、瞳から溢れ出しそうな狂おしいまでの溺愛。彼女は聞く者の理性を芯から凍りつかせるほど甘ったるい声音で、静かに呟いた。
「お姉ちゃん、さっき……私を殺そうとしたの? 嬉しいな……お姉ちゃんがやっと、あんなに真剣な目で私を見てくれたんだもん。でもね、さっきの一撃でお姉ちゃんの綺麗な手首が粉々になっちゃってたら、私、悲しくて泣いちゃってたところだよ?」
「狂人が……」
白石心は低く吐き捨てた。肺の奥が焼けるように熱く痛んだ。
彼女の肉体は、すでに限界を迎えつつあった。度重なる超頻度の予読によって神経系統は断線の危機に瀕し、両腕は凄まじい衝撃によって感覚を失いかけており、口元からは生暖かい鉄の味が絶え間なく溢れ出している。
目の前の完全に怪物へと変貌を遂げた妹を前にして、彼女の思考はどれほど高速で回転させようとも、局面を打破しうる突破口をただの一つも見出せずにいた。
そもそも、どうして事態がこんな無様な泥仕合に発展しなければならなかったのか。
自分は、ただの車を走らせる運転手に過ぎないのだ。彼女の本来の役割は、ステアリングを固く握り、アクセルを床まで踏み抜き、標的の肉骨を躊躇なく異世界の彼方へと撥ね飛ばすことのはずだった。
なぜ前線の戦闘部門や、血の海に浸り続ける勇者たちのように、こんな狭苦しい路傍で原始的な白兵肉弾戦を強いられなければならないのか。
これは戦術的な駆け引きなどではない。ただの、運命と理不尽による悪意に満ちた嫌がらせであった。
周囲を取り囲むのは、物音一つしない幽閉の結界。
援軍もなく、近代火器の支援もなく、成仏号ですらただの冷たい鋼鉄の塊へと身を縮めさせられている。白石家で冷遇され、栄養失調のまま育った脆弱な凡胎の身で、全盛の膂力を誇る近接特化の勇者と正面から渡り合えというのか。
白石心は内心で冷笑した。かつて耳にした情報では、勇者の間にも厳格な階梯と神の恩寵による隔絶が存在するという。そして白石花が今見せつけている体躯の強度と反射神経は、異世界の古戦場へと放り込まれたとしても、間違いなく最上位に君臨する規格外の怪物であった。
もし、事務所で清掃と殺戮を生業としている戦闘員の先輩たちであったとしても、魔法と超常の術式を完全に剥奪されたこの闘技場の中で、白石花の鬼気迫る兇刃を前にして五体満足のまま三分間持ち堪えられる者が何人いるかなど、誰にも分かりはしない。
白石心は埃にまみれた風衣の袖口で、口元を伝う血を無造作に拭った。激しい動悸と耳鳴りが木霊する中、彼女は数歩先で佇む白石花を冷ややかに見据え、先ほどの激闘の中で胸を刺し続けていた疑問を口にした。
「あんたのその……関節を不自然に捻じ曲げ、舞踏を踏むような気味の悪い太刀筋は、私の予判を狂わせるためのものね?」
それは人類の武術体系に存在するいかなる流派でもなかった。通常の剣戟であれば、いかに神速を誇ろうとも、重心の移動、足捌きの支点、そして骨格が力を伝える物理の軌跡に必ず縛られる。
しかし先刻の交鋒において、白石花の斬撃は物理の常理をことごとく踏みにじっていた——貼地滑走、片手を支点とした大角度の旋回、視界と身体構造の死角から繰り出される刃、そして超高速の回転の中で強引に断ち切られる運動の慣性。
それらはすべて、「絶対軌跡」による単一の未来予測を無力化し、動態予読の回路を過負荷で焼き切るために編み出された、殺人の舞踏であったのだ。
「あぁ……やっぱり、お姉ちゃんはいつだって私のことを一番よく理解してくれるね」
白石花は瞼を微かに伏せ、その喉の奥から、甘美な痺れを伴う陶酔の吐息を漏らした。
彼女は、今の白石心が愛おしくてたまらなかった。頑なで、脆く、傷だらけで、今にも壊れてしまいそうなのに、雪の原に咲く茨のように泥臭く抗い続けるその姿。
あの氷のように清冽で感情を見せなかった顔が、今や屈辱と疲労に染まり、青白い唇の端から鮮血を滴らせている。その痛々しくも美しい姿は、白石花の胸の奥底で燻る狂気の庇護欲を、止めどなく煽り立てていた。
胸が痛い。全身の細胞が痛痒いほどに疼いている。けれど、あまりにも美しい。今すぐにでも目の前の姉を一番愛らしい人形へと仕立て上げ、その翼を優しく折り畳み、自らの胸の奥深くへと永遠に閉じ込めてしまいたかった。
これ以上、お姉ちゃんをこんな風に苦しませてはいけない。ただの一太刀。言うことを聞かずに逃げ出そうとする手足をそっと取り外してあげさえすれば、お姉ちゃんはもう傷つくこともなく、こんな痛々しい表情を浮かべる必要もなくなるのだから。
白石花の構えが、唐突に変貌を遂げた。
もはや通常のいかなる立ち姿の面影も残されていない。しなやかな双脚を路面の上で限界まで左右へと割り開き、背筋が凍るほどの柔軟性をもって重心を極限まで押し下げ、上半身はほぼアスファルトと平行に倒れ込んでいる。
汚れなき白皙の左手は、砕けた石畳の上にそっと押し当てられ、その掌は獲物を前にした深淵の巨蜘蛛のように地を捕らえていた。
そして右手に逆手で握られた妖刀は、背骨の延長線上という歪な角度で背後へと構えられ、斜め上方を睨むその切先からは、幽緑色の怨念の燐光が毒蛇の舌のように明滅を繰り返している。
全身の骨格と筋肉が、極限まで張り詰めた弦のごとき微かな鳴動を立てた。その華奢な少女の肉体は今や、限界まで引き絞られ、一撃で大気を両断せんとする万斤の剛弓そのものであった。
獲物の肉骨を喰らい尽くす直前の捕食者が放つ、原始的で純粋な圧迫感を全身から立ち昇らせながら、彼女は静かに、その時を待っていた。




