遅すぎた悔恨と、歪んだ鎖
雨上がりの朝はいつも微かな冷涼感を帯びており、雨に洗われた湿った土と青草の芳香が、窓のわずかな隙間から静かに流れ込み、布団の中に潜り込んで二度寝を貪りたくなるような心地よい安らぎをもたらしていた。
柔らかなベッドの上でしばらく微睡んだあと、完全に覚醒した白石こころは、気だるげに枕元のスマートフォンへと手を伸ばした。
画面のロックを解除した瞬間、視界を埋め尽くすトレンドのトップに躍り出たのは、昨夜の万単位の観客を動員したライブで一之瀬萌乃が見事に崩壊した凄惨なニュースだった。
「マッハ三の反動痛」と「強力下剤」の二重の打撃を奪い取った萌乃は、ステージのスポットライトの真下で、破滅的な因果の暴発を迎えたのだ。
何ヶ月も入念にリハーサルを重ねたはずのキレのあるステップは、神経を引き裂くような反動の激痛によって無惨に乱れてぎこちなくなり、顔の筋肉は骨肉を苛む激痛によって引き攣り、制御を失っていた。
そして、あの医療用の強力下剤が怒涛の勢いで腹腔内を荒れ狂ったとき、萌乃はついに耐えきれず両膝から崩れ落ち、何万人もの熱い視線が注がれる生中継のカメラの前で、無様にペタリとへたり込んだ——
直後、ふんわりとした華やかなミニスカートの裾から、言葉を失うような不可名状の汚れが勢いよく滲み出したのだ。
昨夜のネットコミュニティは、まさに壊滅的なお祭り騒ぎへと叩き落とされた。
所属事務所が非人道的な過重労働を強いて、重病のアイドルを無理やり登壇させたのではないかと激しく追及する声も上がったが、それ以上に多かったのは、無数の悪意に満ちたミームや冷笑だった。
世の中に、すべての人から無条件に愛される人間など存在しない。
類まれな美貌と才能を誇っていた白石こころ自身、その理を痛いほど知っていたのだから、気運を奪い取っただけの萌乃が例外でいられるはずもなかった。
無数の冷淡な嘲笑のコメントの中で、もっとも熱狂的な議論を呼び、かつ決定的なトドメとなった名場面は、同じステージに立っていた別の超人気トップアイドルにまつわるものだった。
優雅な立ち振る舞いで知られるそのトップアイドルは、ターンを決めて立ち位置を移動した瞬間、靴底で萌乃の残した「産物」を寸分の狂いもなく踏み抜いてしまったのだ。
その場で見事にバランスを崩し、鏡のように滑らかなステージの床を宙に浮くような派手な放物線を描いて滑走し、凄まじい轟音とともに無惨に打ち付けられた!
高画質の生中継は、この荒唐無稽で混沌とした惨劇を鮮明な映像として全世界へ拡散し、スイッチャーのカメラ切り替えすら間に合わなかった。
画面に映し出される、決定的な社会的死を遂げた数々のスクリーンショットを眺めながら、枕に突っ伏した白石こころは指先で静かに画面をスクロールさせ、口元に極めて愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
奪いたいなら全部奪っていけばいい。今の白石こころにとっては、もうどうでもいいことだった。
この一件を経て、彼女は一之瀬萌乃が持つ略奪能力の境界線を完全に看破した。
以前、岡田とレベッカが雑談交じりに話していたが、この手の寄生型の略奪法則は、本質的に「身に纏う外的なもの」しか奪えない——外力によって付加され、与えられ、あるいは因果の巡りによって生じた一時的な状態こそが、強奪の対象なのだ。
例えば他者からの好意や寵愛、胃に流し込んだ強力下剤、才覚を認められて見出される巡り合わせ、果ては極限のドライビングが引き起こす過度の疲労や神経の反動といった類のものだ。
それゆえに、周囲の偏愛を奪われたからといって、白石こころが生来備えていた精緻な美貌が消え失せるわけではない。
才能を世間に認知される機会を奪われたところで、彼女自身の天賦の才が灰燼に帰すわけでもないのだ。
そこまで理解できれば、あの女をやり込める手段などいくらでもあった。だが厄介なのは、この転移現象が「直接的な身体接触」を前提としている点だった。
萌乃のあの疑り深く抜け目のない性格からして、二度も手痛い目に遭えば確実に警戒し始めるだろう。
その上、あまりに過激な劇薬を使って萌乃を完全に死に至らしめてしまえば、後始末をつけるのも面倒になる。
白石こころは無益な殺生を望んでいるわけではなかったが、かといって萌乃を寛大に許す気など爪の垢ほどもない。この報復の道は、時間をかけて慎重に、一手ずつ詰めていくしかなかった。
彼女はもう頭を悩ませるのをやめ、成仏号の内部空間にある簡素なキッチンへと足を踏み入れた。
電子レンジから湯気の立つホカホカの白米を取り出し、冷蔵庫から納豆のパック、溶いたばかりの豆腐の味噌汁を取り出す。
新鮮な生卵を割り落とし、色鮮やかで食欲をそそる明太子を一筋添える——これこそが、彼女がもっとも愛してやまない王道の和朝食だった。
手の込んだ調理など要らない。シンプルにかき混ぜて頬張るだけで、胃の腑からじんわりとした満ち足りた実感が広がっていく。
濃厚な卵液と明太子をまとった白米を一口運びながら、今日がまだ岡田課長から強制された「有給による謹慎」の最中であることを思い出し、白石こころはパチクリと瞬きをした。ふと、レベッカの顔が見たくなった。
この不条理でありながら温かな境界のシェルターにおいて、あの知的で冷静、時に少しツンとした三毛猫頭の上司は、白石こころが今、心の底から甘えたいと思える唯一の先輩だった。
彼女はスマートフォンを開き、言葉を選びながらレベッカへメッセージを打ち込んだ。
所詮はまだ二十歳そこそこの娘なのだ。血肉を分けた家族や愛した男の残酷な裏切りを経験し、死線の淵で十トントラックを駆ってどれほど獰猛に暴れ回ろうとも、針鼠のような防壁を脱ぎ捨てた胸の奥底では、いかなる打算も略奪も存在しない純粋な温もりを渇望していた。
送ったメッセージが読まれるまでにはしばらく時間がかかるだろうと思っていたが、驚いたことにほんの数秒後、画面にレベッカのアイコンが陽気な着信音とともに躍り出た。
白石こころが通話ボタンをスライドさせると、受話器の向こうから、少しハスキーでありながら至極柔らかな女性の声が即座に響いた。
「こころちゃん、おはよ〜。朝早くから連絡してくるなんて、私に会いたくなっちゃった?」
レベッカの声には猫特有の気怠げな気まぐれさが漂っていたが、優しくトーンを落としたその声音の奥に滲む気遣いと慈しみは、隠しようもなく伝わってきた。
暴雨の断崖で繰り広げられたあの狂気の追走劇は、今なお転生部門の内部で語り草となっていた。
勇者が「勇者」と呼ばれる所以は、誰もが天賦の才と強大な運命に愛された規格外の怪物であるからであり、組織の枠組みの中で糊口をしのぐ半魔物の平社員たちが太刀打ちできる相手ではない。
それなのに、入社してわずか二ヶ月の華奢な小娘が、死線を踏み越えてあの頑強な盾を岩壁へと縫い留めてみせたのだ。
彼女は煮え湯を飲まされ続けた十数名のベテランドライバーたちの鬱憤を晴らしただけでなく、長年にわたる狼頭の大叔の悲願を叶え、莫大な功績と引き換えに最愛の妻との再会をもたらした。
今や白石こころは、転生部門で密かに称えられる伝説のルーキーとなっていた。
だが同時に、この少女が昨夜どれほどの身心と体力を削り取られたのかも誰もが知っていたため、部門全体が暗黙の了解として静まり返り、誰も彼女の休息を邪魔立てしようとはしなかったのだ。
「……うん。ちょっと、会いたくなっちゃいました」
白石こころは膝を抱え、少しこもった、滅多に見せない甘えたような声を漏らした。
「今日……お買い物、付き合ってくれませんか?」
普段はステアリングを握って修羅のように冷徹な少女が、いまや無防備で柔らかな鼻音を鳴らして甘えてくるのだ。
電話の向こうのレベッカは明らかに一瞬虚を突かれ、やがて大人の色香を帯びた、微かに震える艶やかな笑い声をこぼした。
「あらまぁ……うちにもこんな可愛い妹がいたらよかったのに。うちの愚弟ときたら太ってて鈍間だし、毛玉ばかり吐き散らかしてちっとも可愛げがないんだから」
レベッカが口にしたのは、同じく部門の後方支援で雑用をこなしている茶トラ頭の弟のことだった。体型はずんぐりとして動作も鈍いが、誠実で責任感だけは人一倍強い。
「じゃあ、決まりですね! 着替えたら街で待ってます!」
通話を終えると、白石こころは瞳を細めて笑みを浮かべ、胸の奥に久しく忘れていた温かさを感じ取っていた。
本当に久しぶりだった。自分が心から好意を抱いている相手と、陽光の下を並んで歩くことを純粋に心待ちにするこの感覚。
血を分けた親族からの冷笑もなく、幼馴染からの損得勘定もなく、ましてや悪意ある謀略もない——ただの、女の子同士のありふれた一日。
白石こころは、今の盛夏にぴったりな爽やかな青緑色を基調としたワンピースを選んだ。
涼しげな薄手の生地が細い腰のラインに寄り添い、彼女が持つ凛とした冷ややかな美しさをいっそう際立たせていた。
略奪の呪縛はいまだ世間の認知の層で尾を引いており、道を歩いていても、すれ違う通行人の視線は無意識に彼女を滑り落ち、その輪郭を記憶に留めることすら覚束ない。
だが、それは白石こころが鏡の前で自身の姿を愛でる喜びを少しも損なうものではなかった——他人が認識できようができまいが知ったことではない。この美貌は自分自身のものであり、自分自身が愛せていればそれで十分だった。
「成仏号」はビジネス街の近くにある地下駐車場へと静かに滑り込み、兇悪な殺気を忍耐強く押し殺しながら、駐車スペースにじっと身を潜めた。
白石こころは軽やかな足取りで薄暗い階段を上がり、待ち合わせ場所に指定したオープンモールのベンチへと向かった。
陽光は心地よく、微風が頬を撫でる。アイスコーヒーのストローを咥えながら、白石こころは胸を躍らせてこれからの「甘えん坊作戦」の段取りを思い描いていた——その美貌と佇まいに限って言えば、人間の姿を取り戻したレベッカは、上流階級から渇望されるあの長女・白石絢香に少しも劣らない。
だが、いつも高みから見下ろし冷酷な眼差しを向けてくる長姉と比べるなら、白石こころは今や、レベッカこそが自分と血を分けた実の姉であってほしかった。
もちろん、普段オフィスでふわふわの三毛猫頭を見慣れているせいで、彼女が人間の姿をとった時のあの絶世の美貌が、凡人の世界でどれほどの熱狂と息を呑む騒動を巻き起こすかを時折忘れそうになる。
あまりにも眩しい美人は周囲の耳目を集める。当然ながら鋭い通行人の中には、「あの美女の隣にいる女の子の顔がなぜかよく見えない」という違和感に気づく者も現れるだろうが、そうした認知の矛盾も技術部門のエージェントによって瞬く間に上書きされ、記憶から消去されるため、何ひとつ綻びは残らないのだ。
白石こころはきゃしゃな足をパタパタと揺らし、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、いっそ子供のように無茶を言ってレベッカをホラー映画に引っ張り込もうかと企んでいた。
一番恐ろしいシーンで怖がって泣きつくふりをして、あの甘い香りの漂うお姉さんの胸元へ飛び込んでやろう、と。
しかし、その次の瞬間——。
骨張った、酷く冷たい手が、前触れもなく彼女の手首を万力のように締め上げた!
凄まじい力だった。爪先が白くなるほどに強く握り込まれている。
日頃から死線の極限ドライブに身を置く白石こころの瞳孔が急収縮し、アイスコーヒーを握る指先が反射的に跳ね上がった。
そのまま中身ごと相手の顔面へと叩きつけようとした、その刹那。
視線が交錯した瞬間、彼女の動作はピタリと凍りついた。
視界に飛び込んできたのは、激しく紅潮し、荒い息を乱れさせている見覚えのある顔——白石花だった。
「……捕まえた!」
白石花の胸は激しく上下し、走ってきたせいで額に張り付いた前髪が汗で濡れていた。
遠くの人混みの中でその姿を見つけ、二度と煙のように消え去ってしまわないよう、なりふり構わず全力で駆け寄り、力任せにその手を掴み取ったのだ。
白石こころは口を開かず、その琥珀色の瞳を波ひとつ立たない深い泉のように冷え切らせ、高みから見下ろすように、冷淡極まりない視線で目の前の実の妹を観察した。
高校の頃に白石家からゴミのように放逐されて以来、彼女はこの妹とろくに顔を合わせていなかった。前回家に戻った際も、この名ばかりの妹に視線を注ぐことすらしなかったのだ。
こうして数歩の距離で改めて検分してみれば、白石の血筋の皮肉なまでの優位性に感嘆を禁じ得ない。
かつて後ろをついて回って泣いてばかりいた洟垂れ垂れの小娘も、今や非の打ち所のない凛とした美少女へと成長していた。
「お姉ちゃん! ここ最近……ずっとどこに行ってたの?!」
白石花は目を真っ赤に腫らし、その声には制御を失いかけた憤りとやるせなさが滲んでいた。
白石こころは妹の背後へと視線を滑らせた。少し離れたパラソルの下で、気まずそうに顔を見合わせ、立ち往生している三人の女子中学生の姿がある。妹のクラスメイトなのだろう。
どうやら自分の運の悪さは相変わらずらしい。せっかくの休日にデートを楽しもうとしていた矢先に、街で買い物中の実の妹に鉢合わせるなどという不条理に見舞われるとは。
白石こころの我関せずと言わんばかりの冷ややかさとは裏腹に、白石花の指先はますます硬く締め上げられていく。
手を緩めてしまえば、目の前の存在が砕け散ってしまうとでも恐れているかのようだった。
先ほどまで、彼女は通りで友人たちと心ここにあらずの調子で談笑していた。
だが雑踏の深奥に、華奢で、どこか懐かしい気配を纏いながらも、すりガラスの向こうにあるかのように顔立ちが酷く曖昧に霞む、孤独な後ろ姿を見出したのだ。
駆け寄ってその手首を死に物狂いで掴んだ瞬間、二人を隔てていた奇妙な霧が、肌の接触によって唐突に霧散した。
そこに現れたのは、紛れもなく白石こころの顔だった。
だが、それは記憶の中にあった物静かで瞳の澄んだ次姉の姿ではなかった。
目の前の女性は痛々しいほどに痩せ細り、その目元には幾年もの孤立と遺棄によって無慈悲に削り取られた、凄惨なまでの滄桑と冷気が沈殿していた。
その底知れぬ無関心は、まるで鋭利な刃となって白石花の胸を刺し貫いた。
なぜこの数年間、自分は心を奪われた操り人形のように実の姉を透明人間として扱い、外の世界で孤独に朽ち果てていくのを野放しにしてしまったのかという、圧倒的な後悔が渦巻いていた。
白石こころが眉ひとつ動かさずに冷視してくるのを感じ取り、白石花は完全にうろたえた。彼女は無意識のうちに姿勢を崩し、握り締めた指先を小刻みに震わせながら、その声音にかすかな卑屈さを帯びた機嫌取りの色を滲ませた。
「お姉ちゃん……ご飯はちゃんと食べたの? そうだ、お姉ちゃんの部屋……この前みんなで綺麗に片付けたんだよ。お姉様がね、家のドアはいつだってお姉ちゃんのために開いてるって、みんな待ってるって……お姉ちゃん、いつお家に帰ってくるの?」
その言葉を耳にした瞬間、白石こころの気だるげに伏せられていた睫毛がわずかに跳ね上がり、瞳の奥に驚愕の色が走った。
彼女自身、白石家という檻に戻る気など微塵もないし、白石絢香が垂れ流す偽善の慈悲など知ったことではない。彼女が純粋に驚いたのは、目の前のわずか十五歳の妹の立ち振る舞いだった。
身を低くして瞳を潤ませ、いかにも哀れみを乞うような態度を見せながら、その言葉の選び方を吟味してみればどうだ——「みんなで掃除した」「お姉様が待っている」「いつ帰ってくるのか」。
外堀を丁寧に埋め、「許してくれるか」や「帰りたいか」という大前提をすべて無視し、一見すると下手に出ながらも有無を言わせぬ真綿で首を絞めるような話術によって、「白石家に戻る」という結末を唯一の確定事項として強引に押し付け、拒絶の余地を一切残していない。
見事な手腕だ。
まだこんな子供の分際で、名門の権謀術数の中で磨き上げられたこの支配の技術を、すでにこれほど完璧に使いこなしているとは。
白石こころの内心の冷笑はいっそう深まった。やはり同じ白石の血が流れているのだ。
萌乃の干渉から抜け出しかけていようとも、他人の意思を勝手に決めつけ、上から目線で支配しようとする傲慢な本質は、寸分違わず刻み込まれていた。
「お姉ちゃん……? どうして何も言ってくれないの?」
白石こころが冷ややかな笑みを浮かべたまま沈黙を保っているのを見て、白石花の瞳から動揺が完全に決壊した。
昨夜、彼女はあるSNSで爆発的に拡散されていた都市伝説のような動画を目にしていた。タイトルは『最近の大型トラックってこんなにハイテクなの?』というものだった。
雨煙の立ち込める峠道の出口で、漆黒の十トントラックが無人でタイヤを滑らかに転がし、横断歩道の前で几帳面にウィンカーを出して減速している映像。
そして広大なフロントガラス越しに、糸の切れた操り人形のようにボロボロになってステアリングに突っ伏した、華奢な少女の姿が確かに映っていたのだ。
あの疲れ果て、今にも壊れてしまいそうな横顔を、白石花が見間違えるはずもなかった。
実の姉がこの数年間、どれほどの地獄を味わってきたのか想像するだけで気が狂いそうだった。
小瓶のフタを開けることすらおぼつかないほど華奢な女の子が、あろうことか十トントラックの運転手をして生き延びていただなんて。
退路を断たれ、崖っぷちに追い詰められたのでもない限り、まともな女の子がそんな仕事を選ぶはずがないではないか。
唯一の救いは、実の姉が風俗街のような泥沼に身を落として身体を売る羽目に陥っていなかったこと——それだけが、白石花が幾夜もの悪夢の中で自分を慰め続けた唯一の安堵だった。
だが、その遅すぎた安堵は、すぐさまより深い偏執と恐怖へと呑み込まれていく。
焦燥と不安が胸中で膨れ上がるにつれ、白石花が白石こころの手首を締め付ける力は刻一刻と強まり、ついには痛みに耐えかねるほどの領域に達した。
細い皮膚が硬い骨に乱暴に押し潰され、手首は瞬く間に鬱血して赤紫色へと変色し、針で刺されたような激痛が神経を伝って脳天を突き刺す。
白石花に姉の手首の震えと苦痛が分からないはずがなかった。
しかし、その瞳には力を緩める気配など微塵もなく、いまにも羽ばたいて逃げ出そうとする小鳥を前にして、諠けば諠くほど強く掌の中に囲い込もうとしていた。
名家の令嬢がいくら温室育ちであろうとも、幼少期から立ち振る舞いと護身のために剣道や古流武術の過酷な稽古を積まされており、その筋力と瞬発力は常人を遥かに凌駕している。
対して白石こころは、高校時代にすべてを剥ぎ取られて放逐されて以来、極度の栄養失調と日雇い労働の赤貧に喘ぎ、転生部門に入って成仏号を駆るようになってからのこの二ヶ月で、ようやく温かい食事にありつけるようになったばかりなのだ。
魔導の武装を脱ぎ去った純粋な肉体の基礎筋力において、白石こころが鍛え上げられた妹の力に敵うはずもなかった。
「お姉ちゃん……一体、いつお家に帰ってくるの?」
白石花の声は極限まで低く、極限まで優しく、溶け崩れた水飴のように胸が悪くなるほど甘ったるい執着を孕んでいた。
この可憐で脆そうな皮膜の下で、決して拒絶を許さない狂気的な支配欲と偏執が、見えない蜘蛛の糸のように白石こころの全身を絡め取っていく。
その声音は、白石こころの耳朶には昨夜のマッハ三の暴風がもたらした衝撃波よりも鋭く、禍々しく響いていた。
それこそが、白石の血に刻まれた傲慢と身勝手さそのものだった——愛していない時は道端の枯骨のように踏みにじり、都合よく良心の呵責を覚えた時には、操り人形の糸を手繰り寄せるように、自分たちが与える檻の中へと有無を言わさず引きずり戻そうとする。
冷たい汗が白石こころのうなじを伝い落ち、薄い青緑色のワンピースの布地をじっとりと濡らしていく。
幼い頃から家族に刷り込まれ続けた冷酷な暴力と支配のトラウマが、この瞬間に骨の髄まで沁みついた本能的な恐怖へと形を変え、彼女の細く清らかな肉体を、抗うことのできない激しい震えへと突き落としていた。
最近、ふと気づいたことがある。
どうやら私は、美しい女性から強引で身勝手な愛を一方的に押し付けられるような物語を書くのが、昔からたまらなく好きらしい。
もちろんそれは、これまでの人生の中で出会ってきた過去のパートナーたちが、私に対して常にそういった態度をとってきた影響なのかもしれない。
だからこそ、世間一般で言うような「甘くて砂糖菓子のような恋愛」はどうしても書けないし、むしろこれこそが、私の揺るぎない作風になっていくのだろう。
実は別作品の主人公であるセリアも、気がつけば知らず知らずのうちにそっちの方向へ筆が滑ってしまっていた。
そして本作の白石こころが今後その道へ突き進むのかどうかと問われれば……「まあ、仕方ないよね」と答えるしかない。だって、書いていて一番楽しいのだから。
けれど実を言うと、過去のパートナーたちは決まって私を部屋に閉じ込め、その代わりとして彼女たちが満たせる限りのものを精一杯与えてこようとする人たちばかりだった。
だからこそ、私の描く人間の感情は、どうしてもこうして痛々しく、無惨な歪み方を帯びてしまうのだろう。
こうした歪んだ感情や愛の形が、果たして良いものなのかどうか。
それは受け取る人によってそれぞれだろう。
ただ世の中には、こういう息苦しいほどの愛がどうしようもなく好きな人も、案外少なくないみたいだしね(笑)。
BY 酣睡 台湾・楊梅にて 13:00 P.M.




