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第八話

 ――ヴァルヴァード、ヴァルキューレの二名がダリラに到着した同時刻――


「お腹が空きました……」


「そりゃそうさ、朝が早かった所為で俺もリラも何も食べてないしね。 飯を出されているわけじゃないから、お腹が減るのは俺も一緒だ。 で、そんな空腹を紛らわすために、どうせ暇だしジャンケンでもする?」


 大きいとは言えない牢屋に閉じ込められていた二人は、そんな会話を繰り広げていた。 リラは部屋の隅に座り、わざわざその真正面に座り込むのはカノだ。 生気を失いつつあるリーンとは反対に、カノは何故か楽しそうにしている。


「ジャンケンはさっきしたから良いです。 他にないんですか?」


 少々ムッとしながら言うリーンに、カノはその笑みを崩すことなく口を開く。


「負けたからって怒らないでよ。 それなら、ああ、俺は将棋が好きなんだけど……分からないか」


 ちなみに、ジャンケンは二十回行い、リーンはその全てで敗北していた。 何かしらの不正が行われたのかと思い、リーンはカノのことを疑ってはいたものの、その方法をカノは何一つ言おうとしない。 その一件もあり、リーンにジャンケンを受けるつもりは皆無であった。


「ショウギ……ですか?」


「そうそう。 歩とか飛車角とか金銀王、そういう駒を使って遊ぶゲームだよ」


「それなら知っていますよ。 カノが居た世界では、ショウギという名前のゲームなんですね」


 名前こそ種族駒と呼ばれるゲームであったが、内容は将棋と同一のゲームがこの世界には存在していた。 カノはそれを聞き、念の為にと詳細なルールまでを確認する。 そんな心配も杞憂で、全てがカノの知る将棋と同じものであった。


「詳しいね、リラ。 得意なの?」


「それはもう。 わたしは負けなしです」


 それを聞いたカノは笑う。 そして「だったら負けを教えよう」と言い放ち、リーンとの勝負を望んだ。 そう言われてはリーンも断ることができず、受けざるを得なくなったのだが……。


「……でも、牢屋に駒や盤があるわけないですよね」


「ん? そりゃ牢屋だからね」


 リーンの言葉に、カノは心底不思議そうな顔をする。 その表情を見て、リーンは何かが噛み合っていない気がした。 段々とカノの表情から、その気持ちが読み取れるようになってしまっていることを嫌がりながらもそう感じる。 リーンから見て、カノは常に笑顔で爽やかではあるものの、その腹黒さと言うべきか、図々しいと言うべきか、軽薄な態度は嫌いであった。 他人の気持ちや考えを尊重しないその態度は、苦手であった。


「では、今度にしましょう。 わたしに負けたら謝ってください」


「……別に謝るのは良いけど、何に対して? 俺、謝るようなことしたっけ?」


「たくさんしてるじゃないですかっ! わたしに……その……結婚しろだの言ったり? 可愛いと言ったあとに嘘だと言ったり? わたし結構傷付きやすいんですよ!」


 リーンは自身の胸を叩き、言う。 それを見たカノは「慎ましい性格とは真逆な胸だな」との感想を抱くが、この場で口にすることではないと思い、流した。 しかしそれを流しても、リーンが現在提示している問題は解決しない。


「結婚しようとは言ったけど、しろとは言ってないよ。 それに可愛いっていうのは、そのあとにちゃんと訂正したじゃん、俺個人としてはそう思うって。 最後の傷付きやすいってのもそうじゃないと思うんだけど。 だって、そんなに傷付きやすい人が崇高な神人族様相手に、あんな啖呵は切れないでしょ? むしろ真逆、その胸みたいにリラは随分態度がでかい。 あ、これ言うつもりじゃないことだった」


「……う、ぐううう……! このバカノッ!!」


「おっと」


 言われ放題になったリーンが最後に取った策は、原点に戻る平手打ちである。 外見、性格は大人しいリーンであるが、意外にもその怒りの沸点は低い。 今までそれで問題が起きなかったのは、大人しいリーンにそこまで言い詰める者が居なかったからである。


 が、そんなリーンの平手打ちもカノに見切られ、止められる。 お互いにレベル1同士、見切りさえできれば止めることは容易い。 ここだけの話、身体能力がレベルで決まるゲームとしての性質上、知能的な違いはあれど、身体能力はカノもリーンもほぼ同一である。


「……ばかっ!!」


「え、それは」


 小気味良い音が牢屋に響き渡る。 右で駄目なら左で、その精神で攻撃をしたリーンの平手は、カノの右頬を見事に捉えた。 カノはそれを予想しておらず、まともに食らう。 予想を外したことはない……が、予想できないこともカノには存在している。


「あ、レベル上がりました」


「……そりゃおめでとう。 俺のおかげだね」


 頬を抑え、苦笑しながらカノは言う。 リーンはそんなカノの姿を見て、思わず笑い出す。


「ふ、ふふ。 あは、あははは!」


「レベルが上がると頭がおかしくなるの? だったら俺は一生上がらなくて良いんだけど」


 突然笑い出した理由が分からず、カノは可哀想なものを見る目、悲壮感溢れる目でリーンを見つめる。 心なしか、そんなリーンから距離を取りながら。 だが、リーンはそのことには何も言わず、笑い出した理由を口にした。


「だ、だって……カノ、強がるから。 そういうこともするんだなって……ふふ」


 口元を抑え、リーンは笑う。


 リーンから見て、カノという人物はどこか奇特で奇妙な人に見えていた。 異世界からやって来て、更に人間らしくは見えず、人を喰ったような性格に思えたカノが、人間らしい一面を見せたことが、どうしようもなく面白かった。 そして少しだけ、嬉しくも感じた。


「俺を機械か化け物か何かだとでも思ってるの? 殴られれば痛いし、平手をされたら腹も立つしね。 だから、そんな俺のストレスを解消するために将棋をしよう」


 カノは皮肉交じりにそう言ったが、リーンにとってはその言葉を聞いて、改めてそれもそうだ、と思わざるを得なかった。 カノは機械でもなければ化け物でもない、自分と同じ人間なんだと、改めてそう思った。 そして、そんな人間の身でありながら、神人族を倒すと豪語している。 果たしてそれは可能なのか、リーンは少々不安になっていた。 それもそのはず、先ほど駒も盤もないという話をしたばかりなのに、同じことを口にしているカノを見て。


「さっき言いました。 あはは、思っているよりもカノって忘れっぽいんですね」


「んーと……ああ、分かった。 リラ、君と俺で一発でコレを共有できる言葉を発しよう。 根本からズレてたね、これ」


 カノはリーンに向け、人差し指を立てる。 そして、まさに一発でこの話をお互いに共有できる言葉を言い放った。 カノとリーンで、根本的な部分で食い違っていたこの話を修正するひと言だ。


「将棋なんて、()()()()()()()()()()()()


「……はい? いや、何を言ってるんですか。 種族駒……ショウギに限らず、卓上ゲームなんてそれがなければ話になりませんよ」


「なるさ。 俺たちには何のために頭がある? この記憶力と想像力は何のためにあるんだ? 考え、覚え、想像し、予想し、行動する。 俺たち人間の全てはここにある。 それでその全てを司っているココを使えば、駒と盤なんて必要ない。 俺たちの頭には、それがもう詰め込まれているんだから。 駒と盤、その全てを記憶するのは容易いことだ」


 カノは言い、リーンの額に人差し指を当てた。 カノが言っている言葉の意味は、リーンにもすぐに伝わる。 カノは、頭の中で駒と盤を想像し、その想像だけで将棋をしようと言っていることに。 リーンにとってそれは想像を絶することで、しかしそれは不可能なことではない。


 世の中には、それを行う者も存在する。 目を隠し、更には対複数でそれをやってのけてしまう者さえ存在する。 そんな信じられない芸当が出来てしまうほど、人間の脳というのは可能性に満ち溢れていると言えるだろう。


「単純な話、記憶力だよ。 俺は記憶力が良い方だからね、もしも盤上が分からなくなったら俺が教えるって感じでやってみようか。 物は試し、ハンデはつけよう。 十枚落ちでどう?」


「……やります、そこまで馬鹿にされてはやらないわけには行きませんっ!! もしも負けたら何でもします!!」


 将棋に置ける十枚落ちとは、つまり歩と王のみで戦うということ。 まさに初心者を相手にしているような物言いで、それを受けたリーンが激昂しないわけがない。 リーンは顔を真っ赤にし、そう言い放つ。 リーン自身、将棋は何度もしたことがあり、完全な素人というわけでもない。 だというのに、そこまで馬鹿にされては黙っていられなかったのであろう。 しかし学習をしていないのか、すぐに「何でもする」というのは、些か思慮足らずとも取れてしまう。


 事実、カノはこのとき勝ちを確信した。 挑発に乗って挑んできた者ほど、倒すのは簡単だ。 勝てるという確信を持ち、負けられないという意地を持ち、相手を倒すという意思を持つ。 それはひょっとしたら大事なことかもしれない。 だが、カノはこう考える。


 勝つのが目的ではなく、勝ったあとが目的だと。 それ故に、目の前の勝負に思考を全て持ってはいかれない。 その視界には常に先があり、その手がある。 カノにとっての勝負とは、ただただ経過に過ぎず、見えているのが目的という点では神人族と似ているかもしれないが、それは似て非なるものだ。 カノの目的に、最終着地点など存在しないのだから。


「それじゃあ始めよう。 先攻はリラで」


「とことん馬鹿にしてきますね……うぐぐ! ボコボコにしてあげますからっ!」


 そして始まった勝負。 その結果は、言うまでもないことである。






「嘘を吐いたんじゃないんですか?」


「吐いてないし、第一リラが「嘘だ」と言う度に、俺は懇切丁寧に説明してあげたじゃん。 負け惜しみとしか思えないね」


 全部で三戦行われた勝負は、その全てがカノに軍配が上がった。 カノは盤上を覚えながら、十枚落ちに加え、駒全てがどう動いてそこにあるのかを記憶し、想像での将棋ができないリーンに教えつつ、その全てで勝利していた。 それがどれほど異常なことなのか分からないリーンではなく、辿り着いた結論は「嘘を吐かれた」というものである。 が、カノに説明される度、そう動かしたかもしれないという記憶があったのは事実だった。


「で、何でもしてくれるんだっけ?」


「……あっと、えっと、ですね……あれは、言葉の綾みたいなもので……そもそも、盤がないショウギでは正式に勝負というわけでも……ないような」


 カノの言葉に、リーンは狼狽えながらそう返す。 視線はあちらこちらを彷徨い、声色は上擦り、額には汗が浮かんでいた。


「まー確かに。 なら仕方ないか」


「ですよね!? わたしは確かに負けましたけど、正式なものでなかった以上――――――」


「負けを認めた」


 リーンが最後まで言い切る前に、リーンの口元に指を突き付け、カノは言う。 どこか嫌らしく笑う顔は、そのときのリーンにとって恐怖でしかなかった。


「負けを認めなければ、考えた。 俺の記憶が嘘だと言い切り、負けを認めなかったらね。 でもその意見がブレて、たった今負けを認めた。 だから俺の勝ちだ、約束は守ってもらうよ」


「んなっ……!? 騙しましたね!? 仕方ないと言ってたのに!」


「仕方ないよ、でも許すとは言ってない。 俺の仕方ないってのは、そういう風に負けた言い訳をするのも仕方ないかってこと。 ね?」


 楽しそうに、愉快そうにカノは言う。 それを言われたリーンは歯を食いしばり、ただカノを睨みつけるだけだった。 言い返す言葉が浮かんでこない……いや、言葉こそ出てくる。 だが、何を言っても確実に、目の前の軽薄そうな英雄は何かを言い返してくるに違いない。 そう思うと、その後更に酷い目に遭うことを考えると、リーンは何も言えなかった。


「さて、それじゃあリラの罰ゲーム。 なぁに、難しい話じゃないよ。 今から数えて三十分後「わたしです」と言えば良い。 簡単でしょ?」


「え? それだけですか?」


 てっきり、カノの性格からして裸踊りをしろだとか、あの神人族みたいに足を舐めろだとか、果ては裸で四つん這いで街中を歩けと言われるのではと考えていたリーンであったが、その予想はかなり外れる。 そんな命令をされると怯えていたこと自体がそもそも相当アレだということに、リーンは気付かない。


 カノのその罰ゲームならば、何も問題はない。 三十分後に恐らく、カノは何かしら恥ずかしい質問を自分にしてくるはずだと、リーンは予想する。 一日にアレをアレ回しているのは誰? 露出趣味があるのは誰? 変態なのは誰? 思い付くのはまだまだあるが、そのどれだとしても、この牢屋に閉じ込められている状態であれば、聞かれるのはカノだけだ。 カノの胡散臭さは初対面なら誰しもが感じることで、そんなカノの前で恥をかいても問題はない。 その結論に至ったリーンは安堵する。


 だが。


「無事ですか?」


「無事だよ。 そろそろ来る頃合いだと思ってた、ロッドさん」


 牢屋の前に現れたのは、四柱の一人、初老の男、ロッド・ロイルだ。 先日、カノの言葉を受け、カノを支援すると密かに決めていたロッドは、ライルの目を盗み、この牢屋までやって来たのだ。


「今、鍵を開けます。 カノ様、また奴らが……」


「オーケイ、それなら行こう。 ほら、リラ行くよ」


「……」


 とても、とても嫌な予感がしたリーンであった。

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