第十四話
「……ッ」
それから三日が流れ、リーンはあの日からほぼ毎日、一人で部屋に篭もり、無数の泡を作り出していた。 カノに使える魔法を聞かれたとき、これしかないと答えたのが、この泡である。
空に浮かび、自由自在に操れる小さな泡は、部屋の中を大小様々な物が飛んでいる。 これは所謂魔法の一種だが、魔法に長けるウィザード族の者が見れば、稚拙で魔法を冒涜しているとも言われかねないほどに、下位の魔法である。 そしてそれが、リーンの限界でもあった。
「はぁ……はぁ……本当に、こんなのが役に立つのかな。 そもそも、ショウギをするのに何やってるんだろう……あれ、もしかしてわたし、魔法の練習をしてるってことは、ショウギの試合は期待されていない……?」
カノに対しては、もちろん「これが何の役に立つのか」と聞いたが、返ってきたのは「それを考えるのは俺の役目だよ」というもので、リーンは内心、不安まみれであった。 魔法で作る泡故、その強度はとても頑丈なもので、物理現象には滅法強い。 それに魔力をほぼ使わないおかげもあり、リーンですら長時間、多数の運用が可能な魔法。 そのサイズも手のひら大の大きさから、顕微鏡でようやく確認できるほどの極小サイズまで作り出せる。 が、所詮はただの泡であり、一瞬でも気を抜けば呆気なく割れてしまう。 更に言えば、これを攻撃か何かに転用できるとは思えない。
「……」
リーンはカノに言われた言葉を思い返す。 カノのこと自体、好きではないと思いながらも、その顔はどこか恋する乙女のような顔をしていた。
「馬鹿でもできることはある! ……あれ、これって良く考えたら、わたし馬鹿にされてるのかな……?」
そんなことを思いつつ、リーンは再び泡を作り出すことに専念するのだった。
ところ変わって、カノの部屋。
「四日後か」
既に、精神状態はとても安定していた。 頭の中で何度もイメージは組み上げ、問題がないことは確認してある。 カノ自身、あの賢い神人族と正面から将棋で戦う場合、勝てる確率は五分程度だと思っていた。 しかし、問題視はしていない。
カノは様々なイメージを作り上げた。 が、そのどれも自身が敗北する姿はなかったのだ。 自分が負ける姿というものは、どれだけイメージしても出来上がらない。 だから問題など存在しない。
「……」
目を瞑り、息を吐く。 この世界に置いて、最初の戦いとも呼べるそれはカノにいくらかの緊張感を生み出していた。 余程のことがない限り、カノが感じることはない緊張感だ。 それはカノの心、心臓の鼓動を早め、全身が熱くなる感覚を与えてくる。 神人族が醸し出す圧倒的なオーラは、計り知れない。 そして、神人族が持つ凶悪な固有スキル『全知全能の加護』だ。 今回戦う上で、もっとも厄介であるのはそれで間違いない。 カノがどれだけ知力を持っていようと、神人族はスキル一つでそれを上回ってくるのだから。 しかし、それを打ち破る方法はないわけではない。
「あとは、俺とあの天使の性格の悪さ勝負ってとこかなぁ」
目を開き、カノは外の景色を眺める。 ずる賢さ、そして勝負時の運くらいのものかもしれない。 その差が、勝敗を決めると言っても良い。
「嫌な戦いになりそうか……ん」
カノが視線を遠くにある神人族の木へ移したときだった。 カノは思わず、笑ってしまう。
「そう来たか、あの天使も本当に性格が悪すぎるよね」
この俺が、出し抜かれた。 カノは真っ先にそれを感じた。 あの神人族の長は、完全に展開を掌握しようとしてきている。 約束の期日まではあと三日、それなのに遠くの空から、一人の神人が飛んできているということはそうだろう。
戦乙女、ヴァルヴァード。 三日後に来るはずの彼女は、真っ直ぐにダリラへと向かってきているのだ。
「早めに気付けて良かったよ。 まったくさ」
カノは言い、部屋を後にする。 事前の根回しは終わっているが、国民たちは万が一を考え、逃さなければならない。 それほどまでに、神人族は危険だということだ。 カノはすぐさまそう組み立てると、まずは手を打つべく、王室へと向かっていった。
「カノ様」
カノが城の王室まで辿り着くと、それに気付いたロッドが近づいてきた。 その顔を見て、カノは口角を釣り上げる。
「間に合って良かったよ」
「お察しが良いことで。 例の物です」
ロッドが渡したのは、小さな箱に入ったとある物だ。 それをカノは受け取ると、そのままポケットに無造作に入れる。
「しかしカノ様、このような騙しをしても、奴らはすぐに気付くのでは?」
「だろうね。 けど、そういう風にもならないときもあるんだよ」
「はぁ……いえ、不肖私めでは到底分かりませぬが、聡明なるカノ様が仰るならば、そうなのでしょう。 カノ様、どうか宜しくお願い致します」
言われ、カノは居心地が悪そうに頭を掻きむしる。 砕けた性格、とても軟派なカノにとって、ロッドの態度は大変息苦しいものであった。 そんなことから、カノはロッドの肩に手を乗せ、言う。
「ロッドさん、俺はあんたより年下だし、敬語を使わないでくれって言いたいんだけど、多分あんたは聞かないんだろうね」
「英雄様にそのような無礼なこと、出来ません。 我々ヒューマンを導いてくれる方であります故に」
「その慎ましい態度を俺はリラに見習って欲しい限りだよ。 無事に終わったら祭りでもしようか」
カノはロッドへ笑顔を向け、言う。 それを見たロッドは「このようなご老体で良ければ、お手伝い致しましょう」と、やはり丁寧に、物腰静かにそう答えたのだった。
それから、カノはロッドへ伝える。 今現在、神人族のヴァルヴァードがこちらへ向かってきていることを。 そして、カノとリーンは今からそれの対応をしてくるということを。 最後に、五時間が経っても戻らなければ、負けたと思えということを。 その際は、このダリラに暮らす全ての人を連れて、この国を去れということも伝え、カノはロッドの前から去っていく。
「……信じておりますぞ、カノ様」
ロッドは誰もいなくなった王室で、カノが去っていった扉を見つめ、呟いた。 この数年、ヒューマン族は一気に窮地に立たされ、国王の逃亡、財政難、そして神人族の襲来が一挙に訪れ、絶体絶命とも言える状況になっていた。 神人族はごく微量の援助こそしてくれたものの、その対価はとても大きなもので、ヒューマンとしての尊厳、人としてのプライドを全て、踏みなじられるものだった。
自業自得、ロッドはこの事態をそう認識し、国王を支えきれることができなかった自らの技量を恨み、そして、せめて神人族の対応だけはと思い、進んで対応を行っていた。 が、それも神人族がヒューマン族を生物とすら認識しているか怪しい態度で、無に還ってしまった。 そんなとき、現れたのがカノだ。 リーンは顔こそ知っていたものの、少々抜けているところも、いざというときは恐れ知らずなところもあり、そんなリーンが指名され、神人族に口答えをしたときはもう駄目かとも感じていたのが、事実である。 だが、それに肩入れをしたのがカノだった。
カノは神人族を相手にしても恐れることなく、その会話は対等なものだった。 ロッドはそれを見て、感銘したのだ。 この人こそ、我々を導いてくれる存在だと。 そして更に、詳しく聞けば伝承の英雄ではないか。 ロッドがカノの味方についたのは、それしかあり得ない運命だったとも言える。
「私、ロッド・ロイルはどこまでもお供します。 ヒューマンの王よ」
王の居ない王座、そこに対する忠誠は、固く、強く、そして誇りあるものだった。