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宵闇が訪れる

 ブラヒム・ディアスは、ぱっと見れば人間とほとんど変わらなかった。もちろん、じっくり見れば違う。肌の色は明らかに死者のそれだし、体温も生者のものとは違う。だが逆に言えば、そこさえ隠してしまえば、動きも声も、所作も受け答えも、人間と遜色がない。


 だったら、隠せばいい


 そう考えた富士宮ひとみは、オーエンに命じて仮面と手袋を用意させた。そして、出てきた品を見た瞬間に思った。


 うん、知ってた

 絶対ちょっと嫌な性能ついてると思った

 こいつ、表向きは雑貨店店長の顔してるくせに、ほんと装備選びのセンスが仄暗すぎる

 最高か


 オーエンが差し出したのは、まず半仮面だった。黒曜石のような鈍い艶を帯びたそれは、鼻梁から頬、額の一部までを覆う形をしている。単に顔を隠すだけではなく、見る者の視線を微妙に滑らせて、「よく見たはずなのに印象が残らない」ような嫌らしい作りだ。


「こちらは《ナイトフォール・ヴェール》でございます」


 オーエンは、相変わらず穏やかに微笑んでいた。


「暗所で輪郭が目立ちにくく、顔色や表情の細かな違和感をごまかしやすい品です。加えて、着用者に対して深く考えたくなくなる印象を与える傾向がございます」


 富士宮は《鑑定眼・宵》で確認する。予想通り、特殊効果は「夜相偽装」、暗い場所で着用者の人外的違和感を認識しにくくする。


 隠すというより、スルーさせる方向の偽装か

 やだ、実務的

 オーエン、ほんと性格出るわね


 次に出てきたのは、深灰色の革手袋だった。肘下まで覆う長さがあり、細身だが強度は高そうだ。指先の動きを阻害しない作りで、剣を握るにも接客するにも向いている。


「《グレイヴ・グローブ》でございます」


「そうですか」


 表向きには短く頷くが、内心ではちょっとテンションが上がっていた。


 名前もいい

 墓由来っぽくてわかりやすい

 こういう誰が見ても少し嫌な感じのネーミング、好きなのよね。


 鑑定結果によると、特殊効果は「死熱遮断」、触れた相手に伝わる死者特有の異様な冷たさを和らげ、血や体液が付着しても表面へ残りにくい。つまり、証拠と違和感を残しにくい手袋である。


 うわ、めちゃくちゃいい

 これもう雑貨店店員用じゃなくて、半分処理班用じゃない

 さすがオーエン、わかりすぎてる


 ブラヒムは、その仮面と手袋を静かに受け取った。もともと彼は、屍肉兵であることを除けば、驚くほど落ち着いた男だった。動作は滑らかで、言葉の選び方にも無駄がない。元はパーティリーダー格だったという話も、会話をしていればすぐに納得できる。


 実際、仮面と手袋を着けた彼は、驚くほど自然に「謎の用心棒」へ変わった。店の隅に立っているだけで客が変に騒がなくなるし、荒くれ者も絡みにくくなる。威圧感はあるのに、喋れば普通に通じる。イニゴと並べると「大人枠が増えたな」という感じがきれいに出る。


 いいですね

 大人の安定感は大事です

 まあ大人と言っても三百歳以上年上なんだけど

 イニゴが三十五で、ブラヒムが三百超え

 年齢バランスどうなってんの


 問題は、育成方針だった。ブラヒムはかなり貴重な存在だ。不死者の王候補なんて、墓地で拾えるものではない、普通は。


 ただ、さすがに大聖堂へは連れて行けない。死者の肌色を完全に隠せるわけではないし、教会中枢へアンデッドをうろつかせるのは、どう考えてもトラブルの元だ。


 だから、当面の方針は決まっている。

 教会宛てのクエストをコツコツこなしてもらう。


 近場の魔物討伐、ブラヒム寄りの存在である怪異の鎮圧、貧民街の夜警や護衛などをこなしてもらうことにする。そういう小口案件で経験値を積ませつつ、雑貨店の信用も高める。まさに一石二鳥だ。


 富士宮は机の上で育成メモを眺めながら、内心でかなり真面目に考えていた。


 不死者の王ルート、絶対面白いんだよな

 アンデッド支配特化で自己バフも厚い

 しかもブラヒム本人が元パーティリーダーで統率力に期待できる

 うまく育てたら、アンデッド系統の静かな中核ユニットみたいなイメージ?

 静かなのが逆に怖い的な?

 あー、早く成長した姿を見てみたい


 そしてもうひとつ、富士宮には雑貨店をただの雑貨店で終わらせない目論見があった。


 オーエンを帳場へ呼び、静かな声で言う。


「この店に、貧困地域の子どもたちが自然と集まるようにしてください」


「承知しました」


 オーエンは、理由を聞かなかった。聞かなくても、だいたいわかっているのだろう。


 富士宮は心の中で頷く。


 そう

 将来の秘密組織拡大のためには、人材の青田買いが必要不可欠

 人を集めて根こそぎガチャ

 ……いえ、神聖な鑑定をしなければ


 子どもはいい

 まだジョブも固まっていないし、環境次第で伸び方が大きく変わる

 しかも南部の貧困地域なら、教会や貴族に拾われず埋もれている異才がいる可能性が高い


 オーエンも、ブラヒムも、もう薄々気づいているはずだ

 自分が裏のネットワークを欲していることに

 だが、それはこの二人まででいい

 ここから先に加入する構成員には、なるべく聖女が黒幕だと知られたくない

 だから、必要なのは外部人格だ


 富士宮は、机上メモに小さく書きつけた。


 「義賊、始動」


     *


 その頃も、名前を思い出せない勇者からの陰湿な攻撃は続いていた。


 今度は新聞社への圧力である。聖女を批判する論評を載せようとしているらしい。正面から誹謗するのではなく、「神秘性は実態を伴うのか」だの「王国との協調姿勢に課題があるのでは」だの、相変わらず印象を削るタイプのやつだ。


 富士宮は報告書を読みながら、内心で素直に毒づいた。


 あいつ、どこに向かってるんだ

 大方、攻撃して弱らせて、泣きついたところを口説く、とかいう雑な脳みそなんだろうけど

 発想が古いし、陰湿だし、何よりアホすぎる

 でも面倒なんだよなぁ、こういうの

 アホなのに面倒って最悪なんだわ


 ただ、その件で一つ得た教訓もある。今後の裏の活動のためには、逆説的にマスコミ人材も必要だということだ。新聞は特定の人物や勢力の風聞を広め、評論によって印象を操作することができる。聖女であっても容易には実現できない世論形成をマスコミはその本来的な性質として為すことができる。裏の世界を動きやすくするように表の世界を動かすには、その辺りも押さえなければならない。


 だからこそ、もう待っていられなかった。マスコミの興味を引くためには、まず結果がなければならない。そろそろ、義賊として動こう。


     *


 義賊といえば、悪代官の成敗がテンプレである。


 ではこの世界における悪代官とは誰か。


 富士宮がぱっと思いついたのは、私腹を肥やしている神官たちだった。


 もちろん他にも、悪徳商人、腐った役人、地方領主などわかりやすい悪代官候補が山ほどいるだろう。だが、自分の今の立場から最も手が届きやすく、かつ「処理した時の絵が映える」のはやはり教会関係者だ。特に王都南部の教会は、貧困層が多いぶん、神より金を信じている俗物が紛れ込みやすい。法外な治療費を、奇跡の代価だと言って請求したり、素行の悪い教会騎士とつるみ恐喝まがいのことをするのは日常茶飯事といえる。だったらまずは、そこから処理していこう。


 富士宮は義賊の名を考えた。


 黒の盗賊団、夜の刃、影の徒などなど、いろいろ脳内で試したがどれもしっくりこない。そして最終的に、《鑑定眼・宵》と《タナトス》のイメージを掛け合わせて、ひとつの名へ辿り着いた。


 『宵闇』


 富士宮はそれを紙へ書いて、少しだけ満足した。


 うん、中々いいんじゃない?

 雰囲気も出てるし、ちょっと格好いい

 

     *


 その夜、王都南部第三教区の教会で、神官が一人殺された。


 その神官は、神より金を愛していた。貧民からは奇跡の代価として治療費を巻き上げ、妻には贖罪だと言って売春に近い働きを強い、地元の素行不良教会騎士とつるんでは恐喝まがいのことをしていた。ある意味、典型的な南部の神官。


 富士宮は、いつも通り静かに侵入した。夜の教会は、彼女にとってはただの侵入しやすい構造物だ。壁、廊下、窓、死角といった要素の組み合わせに過ぎない。


 《タナトス》が脈打つ。殺意に逸りそうなそれを抑え込みながら、必要なだけの動きだけをする。


 神官が、寝台の横に立つ不穏な影に気づいた時はもう遅かった。


 その恐怖に歪む顔を、富士宮は感慨なく見下ろす。表の顔でいる時と違い、ここには遠慮も演技もいらない。


 ただ命を一つ終わらせるだけだ。


 富士宮の右手から迸った刃は神官の喉に短く、深く入り血が広がる。一瞬で命が終わった。

 富士宮はそれを確認してから、部屋の中を手早く見回す。


 金品は回収し、不正の証拠となる帳簿も一部持ち出すことにする。痕跡は何も残さず、それでいて「断罪された理由」がわかる程度の証拠だけを選ぶ。


 そして、被害者の血で壁へ文字を書く。


 『この神官は民を苦しめ、妻を苦しめ、私腹を肥やす愚物であるので神罰を下した。奪った財は王都の貧しい人々へ分け与える。』


 そして大きく署名する。


 『宵闇』、と。


 そして彼女は静かにその場を離れた。


     *


 翌朝、異端審問局の上級異端審問官ジェンナーロ・ガットゥーゾは、現場へ臨場した。


 血の匂いが立ち込める寝室の中に、荒らされた寝台と首を掻き切られた肥満の遺体が置かれている。

 そして、寝台横の壁面には血文字で書かれた、断罪めいた文面と、下手人と思われる者の署名。


 ジェンナーロはそれを読み、苦々しい顔で呟く。


「……宵闇」


 その声は低く、重く、そして静かに、その血生臭い現場に響いた。

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