ルシオ、その裏で 後編
父親は、体を起こして、白い箱をルシオの方へと押しやった。
さっさと蓋を閉めてしまう。
「これ、何。甘すぎない?」
「甘いお茶だからね」
「砂糖を死ぬほど入れたのか? あー、口の中が……」
そう言いながら、父親は飲み干した水をもう一杯飲み始めた。
少し口をつけただけとはいえ、相当甘かったらしい。
ルシオはしてやったりと、口の端をあげた。
「希少なお茶だよ、味わって飲んでほしいぐらいなんだけど」
「は? どれだよ」
そう言いつつ、父親はルシオから渡されたリストに目をやる。
最後のお茶のところにはチェックがついており、サリーナが考えたのだとわかる。
父親はお茶を売り出すときに、茶舗に行って打合せはしたものの、新しく自分でお茶を仕入れるまではしていない。
元々コンラード商会が庶民向けの商品を売り出すことから始まったので、茶舗のお茶だけでも十分だったからである。
リストに書かれている茶葉の名前は、聞いたことがなかった。
一応、知識は人よりはあるとはいえ、知らないことの方が多いのだ。
さすがにこんなに甘いお茶を飲んだことがない。
多少甘くなってきていたのでわかってはいたが、いきなり最後に大当たりである。
と同時に、疑問がわく。
「お前。これを出して、一体何がしたいんだ?」
これだけ甘いお茶を提示するのはいいが、この国ではここまで甘いお茶は浸透していない。
いくら薬物の苦みも独特の重ったるい甘さも消えるとはいえ、このお茶を定期的に飲めるかと言われると難しい。
そんなことはわかっているだろうに、何故わざわざ出してきたのだろう。
「言っておくけど。それ、砂糖は一切入れてないから」
「……ん?」
「砂糖の二百倍ぐらい、甘いお茶らしい」
「はぁ!?」
「ちなみに生産地によっては、もっと倍率が高くなるお茶もあるんだってさ」
「ほぉ……。これだけ甘いのに、砂糖不使用ねぇ」
「そう、お茶だけ」
「ほほーぅ」
興味深そうな返事をして口元に手をやる父親に、ルシオが何かを見せる。
机の上においたのは、薄い袋に入った葉だ。
「これが実際の茶葉。さっき飲んだお茶には香りづけに別の茶葉が入っているけど、これだけでも十分に甘いから。報告するときに必要なら、どうぞ」
「……お前、準備良いな」
「その分、経費上乗せしておいて」
この件は王家が絡んでいるので、父親には定期的な報告義務がある。
ただ、見返りとして、王家からは調査費用として、潤沢すぎる資金を回してもらっている。
特に、王妃は息子である第一王子の即位式までに、この件にある程度の決着をつけたいらしく、高価な魔道具にいくら費やしてもいいと、言質を取っている。
報告書ついでに経費計上も行っているが、許容範囲だろう。
「上乗せって、お前。この茶葉、どこから手に入れたんだ?」
この辺りでは聞いたことがないお茶だし、飲んだことがない。
少なくとも茶舗ではない。
「原産地から、門で送ってもらった」
「うげ、転移門か」
たった一言で、父親はその裏まで正確に理解する。
お茶の原産地に、ルシオが子飼いを向かわせていること。
その子飼いが、転移することのできる門を使えるということ。
「……よくやるよ、お前」
一体、いくら資金を費やしたのか。
転移門とは、指定された場所同士をつなげる門だ
門ということだけあって、人が通れるほどの大きさの空間がある。
荷物の輸送などにも使われるが、時間を歪める魔道具よりも、はるかに高価だ。
一番費用がかかっている転移門分を取り戻したいので、上乗せは必須だ。
ちゃんと茶葉の実物があるので、ご納得頂けるだろう。
一通り試飲が終わったので、ルシオは机の上を片付けていく。
広くなった机の上を見渡した父親は「よし、確認しよう」と両手を叩いた。
「声の方は問題ないとして。あとはお茶と、匂いか。重要な二つが残ってるなぁ」
今のところ、ザイードには防御魔法がかけられたままだ。
サリーナのおかげで今のところ元気に過ごしているが、これからは別である。
発動条件であるサリーナとの接点が、完全になくなるからだ。
防御魔法は、ザイードがかの国へ王女と一緒に行った後も継続していく予定である。
ザイードを駒として使うためには、防御魔法が発動する条件になる、サリーナの声と匂いが、どうしても必要だった。
声の方は、すでに解決済みだ。
サリーナの声はサンプルがすぐに山盛り集まったので、分析すれば早かったのである。
音は結局のところ空気の振動なので、共通の周波数を集めて実験すれば、成果はすぐにわかった。
ルシオは、身を乗り出した。
「お茶の方は、ひとまずいいだろ」
「甘味の話もあるし、こっちは後回しだな」
父親はリストに目を向ける。
少しだけ悩んで、顔をあげた。
「とりあえず、数種類だけでも持っていくか。王妃が好きそうな匂いがあったぞ、あれを入れておこう」
王妃向けの報告書用のお茶を選んだものの、問題はまだ残っている。
「匂いの方は、どうなってる」
「そっちは、ほとんど進展がない」
「仕方ない、話を引き伸ばすかねぇ」
父親は思ったような報告を持ってこないことで、ぷりぷりと甲高い声をあげる王妃を思い出し、うんざりとため息をつく。
茶葉の方で誤魔化したいところである。
表立ってはザイードのためにとしていることだが、結局は他の人間にも使える。
防御魔法と、サリーナの声と匂いを組み合わせれば、薬物依存に対して対策が打てる可能性があるのだ。
対策が打てるということは、その逆もあり得る。
王家が資金をつぎ込むのも、その打算を目論んでのことだろうという気もしているところだ。
ザイード以外の取り巻きたちには、薬物を摂取させ続ける予定ではあるが、できればザイードと同じぐらいまでには正気を取り戻して頂きたいところである。
かの国へと王女と向かうザイードは、要であるサリーナに二度と会えるかどうかもわからないのだ。
今更狂っても困るし、取り巻きたちにしても部屋で発狂されても、迷惑でしかない。
ただ、匂いは本当に難しい。
サリーナの匂いと言われても、体臭だけではなく洗剤やシャンプー、周囲の環境によって変わってしまう。
王家も、匂いに関しては声の組み合わせと指示しただけなので、細かくはわからないらしい。
役に立たない、本当に。
サリーナの周辺の空気をせっせと集めているなどとは、サリーナには絶対に知られるわけにはいかない。
ついでにその空気の分析を他の人間にさせるのも嫌すぎて、ルシオが一人で担っている。
時間を歪めていなければ、とっくの昔に破綻しているだろう。
お茶はサリーナに任せるとして、匂いも早めにどうにかしなければ。
ルシオが沈みそうになっている向かいで、父親が口直しとばかりに小分けにされたリンゴを食べている。
「あの年頃の女性って、甘い匂いするからなぁ。そっちかねぇ」
「何言ってんの」
「あれ? サリーナ嬢からしてないか? フルーツ系の、甘い匂い」
「……実は、変態だったんですか?」
ルシオがドン引きしているのを隠さずに、父親を見た。
完全に嫌悪した顔をしているが、父親は全く気にしていない。
「あのね、俺は商人なの。女性向けの香水、シャンプー、ボディソープを取り扱うとき、ちゃんとデータを取ったわけ」
「そうして目覚めた、と」
「そんなわけないだろ! 情報はあくまで情報だ、仕事だよ」
「言い訳がお上手で」
「違う! 市場調査、仕事!」
「ふーん」
全然信じていないような顔をして、ルシオは相槌をうっておく。
実際のところ、父親が変態だとは思っているわけではないが、発言が気持ち悪かったのでそのままだ。
父親はソファにだらりともたれる。
くだらない言い合いは、元気な証拠だ。
リンゴの欠片に、フォークを突き刺した。
「とにかく、次はもう少し結果を出せ。魔道具使いまくってでも、何とかしろよ」
期限がたいした障害にならいことは、お互いにわかっている。
時間を歪める魔道具がある以上、どうとでもなってしまうからだ。
王家からの資金が湯水のごとく流れてきているので、それだけ求められている成果も大きい。
父親は首を捻る。
そろそろ一度、後ろからつついておいた方がいい頃か。
ゆっくりとりんごを咀嚼して、飲み込んだ。
「言っておくが。次の報告までに成果がなければ、俺が出るからな」
ぴくりとルシオが反応する。
瞳がひたりと父親を捉えた。
「何する気だよ」
「えー? そこ、聞いちゃうの?」
軽く笑って、フォークを置いた。
腕を組み「そうだなぁ」と考えたふりをする。
ルシオは決して手を抜いているわけではないのだろうが、うまくいっていない。
サリーナに関わることに、他の人間を寄せ付けないせいだ。
何もかもすべて自分で引き受けて、ひたすら身を削っている。
茶葉の方こそサリーナにある程度任せるようだが、どうせ自身の監督下におくだろう。
学院のこともあり、多忙を極めている。
魔道具と薬のおかげで何とかなっているようだが、とにかく抱え過ぎだ。
踏ん張るならば、やってもらわねば。
どれだけ頑張ったといったところで、成果がなければどうにもならないこともある。
と、いうことで。
「とりあえず、サリーナ嬢を抱きしめてみるかな」
「は、あ!?」
音をたてて、ルシオが立ち上がった。
驚いたというよりも、信じられないものを見るような顔でこちらを見ている。
「抱きしめてみれば、俺でも匂いがわかるかもしれないだろ?」
「ふざけるな、そんなことさせるわけがないだろ!」
「一日中、彼女に張り付いているわけでもないのに?」
にやりと笑うと、ルシオが引きつった。
顔色が変わる。
焦ってしまえばいい。
限られた中でしか得られない物を、最大限に使え。
「違和感なく、彼女を抱きしめる方法なんて、腐るほどあるぞ。お前、全部潰す自信あるの?」
「必要があれば、全部潰す」
「ま、それでもいいけど」
肩を竦めた父親は、手を伸ばしてフォークを取った。
ルシオは決めれば本当にやるだろうし、潰すといえば本当に潰してくるだろう。
手段を選ばないところは、誰に似たのやら。
「ただねぇ、俺の勘だけど」
フォークをリンゴに刺しながら、父親は薄く笑う。
「サリーナ嬢は、俺が正面から頼めば受け入れてくれるんじゃないかな」
「何、言って……」
もぐもぐとリンゴを味わいつつ、ルシオを見た。
「素直だし、優しいよね、彼女。懐が深いっていうか、基本的に善意を見ようとする。だから、頼めば、抱きしめさせてくれると思うんだけど」
それは、何ともあり得そうな話だった。
ルシオの父親相手だということも、可能性をぐんと引き上げそうでしかない。
慌てるサリーナをあっという間に丸め込むことぐらい、簡単にやってのけるだろう。
平然と「ルシオには許可を取ってるから」とか言い出しそうで、恐ろしすぎる。
しかも、サリーナは明らかな嘘すら、素直に信じそうな気さえする。
ルシオは、父親を睨みつけた。
「させる、わけ。ないだろ」
「えー。だったら、落とし物を拾うことにしようかな」
地の底を這う様なルシオの声にも、父親は動じない。
フォークを持った手を、くるくると回す。
「そこにさ、何か落ちてるわけよ。ほら、ネズミが勝手に持ち出しちゃったものが、落ちちゃったみたいな」
そんな話、知らないが。
黙ったままのルシオの眼差しが鋭さを増す。
「それが、たまたま。たまたまね、サリーナ嬢の私物でさ。匂いがわかるような……」
「黙れ」
身を乗り出したルシオが、父親の腕を掴んだ。
ぱちくりと瞬いた父親は、痺れる右手を軽く引いてみるが、びくとも動かない。
細いくせに、と頭の片隅で全然違うことを考える。
「そんな、こと」
ルシオの様子が変わる。
容赦ない敵意が、父親を包み込んだ。
「絶対に、許さないからな」
「お前が許さないからって、特段支障はないんだが」
「……嘘つき」
ルシオは淡々と答えると、力が抜けたように掴んでいた手を離した。
音をたてて、ソファに腰を下ろす。
「人を煽って、楽しいかよ」
「楽しくはないけどね、必要があればやりますよ」
ルシオに思いっきり握られた手首をさすりながら、父親はフォークをおいた。
怪我でもしたら、危ない。
ソファに腰を下ろしたルシオは、髪をかきあげた。
俯いたせいで、表情が見えない。
父親が、わざと嫌がりそうなことを言ったことぐらい、わかっている。
あえて一番嫌な所を突いて、こちらの気持ちを焦らせる。
やり方は、よく知っているのだ。
だが、例え想像の話だとしても、許せそうにない。
「煽るなら、もっと上手に煽ってほしいんだけど」
「何言ってんだ、見限ったら現実になる話だぞ」
そう言う父親は、今のところ手を出す気はないらしい。
だが、一度動くと決めれば動く人間だ。
そうなってしまえば、先ほどの話は想像ではなくなってしまう。
サリーナを抱きしめることも、変態のように匂いをかぐことも、何とも思わずにやるだろう。
仕事なのだから。
「俺に、そんなことさせるなよ、ルシオ」
「……当たり前だろ」
低く呟いたルシオは、机の上に並んだ白い箱を見た。
人を巻き込んで突っ切って、それでも。
やっぱり、認められそうになかった。




