ルシオ、その裏で 中編
この国はもちろんのこと、隣国も、王女が嫁ぐかの国も、お腹の中は真っ黒である。
同じく真っ黒な物を抱えているコンラード商会も、情報を出さないわけにはいかない。
ただし、こちらの手の内を出来る限り晒したくないので、あくまで最低限、失敗も踏まえて提示する。
そのためには。
「常に、情報が動くぞ。お前の方も、押さえておけよ」
「犬も含めて、そこはぬかりありません」
思い出したように、父親が「犬かぁ」と呟く。
そういれば、そっちもいたな。
「大きなお犬様、最近見かけないね。元気?」
「即位式に向けて、忙しいらしいよ」
「そりゃあ、第一王子様とその側近が、しょっちゅうその辺を出歩けるのもおかしな話だろうねぇ」
わざわざ魔法まで使って、ルシオと接触しようとしていた第一王子である。
側近共々、即位式に向けて本格的に忙しくなってきているので、こっそり視察などという時間も取れなくなっているのだ。
「王家の鳥は、随分とおもしろい子らしいな」
「おもしろいっていうか、手がかかるんだけど」
連絡手段として、第一王子は自分の伝書鳩をルシオに紹介した。
薄いグレーの鳩は人懐こいようで、あっという間にルシオのことを覚えてしまった。
今では第一王子とルシオの間をせっせと飛んで、手紙を運んでくれている。
「すっかりなつかれたな、お前」
「少し手を出しただけだよ」
むっとしてはいるものの、第一王子の鳩にはなつかれている自覚がある。
鳩は、ルシオ向けの手紙を持ってくるときは、支店の屋上まで飛んでくる。
屋上には屋根があるものの、商会の鳥たちのこともあり窓はない。
当初こそ、第一王子の鳩ということもあり業務的に接していたルシオだったが、だんだん変わっていってしまった。
第一王子の鳩は、はっきりと言ってしまえば、かなり手のかかる鳩だった。
王子からの連絡はしっかりと運んでくるし、ルシオの返事もちゃんと渡してくれているようだった。
だが、雨にびしょびしょに濡れても体を震わせて水分を飛ばすことなく、雨を滴らせながらルシオに手紙を出しだしてきたときは、何ともいえない気持ちになった。
第一王子の伝書鳩とはいえ、鳩は鳩だ。
すぐにルシオからの手紙を運ぶこともないので、この後は王子の元へと戻るだけだろう。
時間はあるだろうと、タオルでわしわし拭いておいた。
驚いたように固まっているうちに、さっさと終わらせる。
温かくして、水分と餌も準備したときに、雷が落ちた。
動きを止める鳩をそのままにしておく気にもならず、少しだけ撫でてみた。
そんなことを繰り返しているうちに、すっかりとなつかれたのだ。
今では、ルシオを見て嬉しそうな様子で寄ってくる。
ここまで来たら、いっそ手名付けてしまいたくなるほどである。
第一王子がそれを見越して鳩を寄越したのだとしたら、見事な話だった。
「犬も鳩も、押さえておけばどっちでもいいけどな。頼むよ、そっちは任せてるんだからな」
父親は強く感じるようになってきた甘さに、顔をしかめた。
苦さはなくなっても、薬物独特のどろりとした甘さが重い。
「特に、サリーナ嬢の元婚約者の彼。変に未練を残すなよ」
「残す訳ないでしょ」
ルシオの声が、一段低くなった。
父親は突っ込む気にもならず、甘さの残るお茶を飲む。
向こうの気持ちは知らないが、ルシオの方は随分と根深いものがありそうだ。
フェアスーン王女殿下の周囲の人間は、すっかりと彼女に陥落してしまっている。
その中でも、ザイードだけは浮いていた。
王女殿下と距離は近いのに、ザイードだけは依存症というほどの症状がない。
他の令息たちは病気を理由に監禁されるほどなのに、ザイードだけは学院に通っている。
王女を慕う気持ちは消えていないが、何が何でも彼女の願いを叶えようとするほどでもない。
彼女を咎めるほどでもないが、もたらす結果までは考えることができる理性がある。
彼だけが、特別な理由。
それは、ザイードだけに防御魔法がかかっていたからだった。
魔法をかけたのは、ザイードの父親である伯爵。
その伯爵に指示をしたのは王妃だと知ったとき、ルシオは妙に腑に落ちたことを覚えている。
防御魔法により、ザイードは薬物依存から免れた。
否、暗示や摂取量により多少の依存性は認められているが、たいしたことはない。
そして、この防御魔法は重ね掛けにより、発動条件を備えたもう一つ重要な役割があった。
発動するための条件は、サリーナの声と匂い。
サリーナの声と、彼女の側で香る匂いを感じるたびに、ザイードは王女への懸想の念が押さえ込まれ、自我を取り戻すよう仕組まれた。
サリーナの存在が、ザイードを守ったのだ。
ザイードはサリーナを婚約者として丁重に扱っていたし、二人で出かけたこともあれば、プレゼントを贈りあっていたと聞いている。
時間は少なくとも、頻繁に二人で会っていたことはわかっているのだ。
いずれ結婚することに、何も違和感もないほどに。
たった一度だけ対面した王妃は、サリーナとの婚約の件だけしか話をしなかった。
ザイードとサリーナの婚約を解消したことに納得していない様子で、まるでルシオに責任があるかのように圧をかけた。
魔法まで使ったやり方は、明らかに違和感があった。
魔法石の扱いにたけているシュベルグ家の娘であるサリーナと、ザイードの婚約。
何としでも結婚させたかったのだろうと、ルシオは思う。
ルシオが沈んでいきそうなところに、父親は「お前ね」と声をかけた。
「言っておくが。サリーナ嬢も、だからな」
「そっちは問題ない」
「ホントかよ。元婚約者が一人だけ、明らかに浮いてるんだぞ。自分に理由があると知ったら、どうするんだ」
「だから話が向かないように、こっちに引いた。サリーナは気づいてないと思う」
けろりとして、ルシオが聞き逃せないことを言い出している。
お茶の甘さも重なって顔を歪めた父親は、けほ、と小さく咳をした。
「何だ、お前。誘導したのか」
「まぁ、ちょっとね。婚約の解消をぶらさげて俺の方に向けたから、気をとられたんじゃないかな」
甘ったるさを水で押し流していた父親は、ぶ、と水を吹き出しそうになった。
慌ててコップを机において、口元を拭う。
「お、前、何、やってるんだ!」
「何って……誘導だけど」
「もっと、他のやり方があっただろ! 婚約解消なんかで気を引くな!」
平然とした様子で、一体何をしているのか。
婚約を解消されてしまったら一番ダメージをくらうくせに、自分から泥沼にはまろうとしている。
「他のやり方って。何があるんだよ」
「そんなことは、俺にきかれても知らん」
きっぱりと言う父親に、アホらしいとルシオは目を眇めた。
「だったら、口を出すなよ」
「お前ね、それを言われた彼女の気持ちが、わからないわけじゃないだろ」
父親は、婚約を解消する可能性を口にしたときの、サリーナの姿を思い出す。
ただの想像だけでも、見ているこちらが可哀想になるほど動揺していた。
婚約解消などとルシオから言われたサリーナの気持ちもわからない息子ではないだろうに、あえて傷つけて、どうする気なのだろう。
じとりとルシオを見ていた父親は、向けられた視線にゾッとした。
一瞬怯むほど、ルシオの瞳が暗い。
「言いたいことは、終わった?」
げ、と父親は内心呻く。
軽口で済んだはずが、どこかで踏みつけたらしい。
ルシオが「あのさぁ」ゆらりと首を傾げる。
「俺がサリーナに何を言おうと何をしようと。そこだけで収まる限りは、父さんに関係ないよね」
表情がない。
さて、どうしようかな、というのが父親の正直な感想である。
ここで「そうだな」の一言で話を収めてしまってもいいけれど、何か言いたくなってしまうのはサリーナのことが頭をよぎるからか。
顔色を変え、身を小さくして震えるサリーナが浮かんだままだ。
実の息子と未来の娘とどちらにつくかと言われたら、とりあえず今のところは純粋な方につきたい。
浮かんだ気持ちに諦めつつ、顔をあげた。
純粋さは、父親がとっくに捨てたものなのだ。
「やり過ぎを諫めるのは、親の務めだろ」
「その親が、誰よりもやり過ぎていると思うけど?」
「お前の場合、相手が悪すぎる。彼女の性格を考えれば、他に方法があったはずだ」
「代案もないくせに、口だけだす気? 最低だね」
「何だお前、他に案がなかっただけか。浅いねぇ」
小ばかにしたように笑うと、ルシオの瞳に怒りが灯る。
気が短いと大変だ、と父親はわざとらしく大きく息を吐いた。
ルシオの拳が握られる音がする。
「自分こそ。倫理観無視して、手を打ってきただろ」
「おやおや。誰を相手にした話をしているのかな?」
ぴりっとした鋭い空気が肌を刺す。
柔らかい笑顔を浮かべたまま、父親は頬杖をついた。
父親の目元は一切笑っていないが、地雷はお互い様だ、とルシオは睨んだまま引かない。
「閉じ込めて、外には出さないくせに」
「そうだよ、それがどうした」
あっさりと肯定した父親は、ふっと笑う。
父親が閉じ込めて、絶対に外には出さない唯一の存在。
そうするために、ありとあらゆる手を使い、たった一人を言葉の通り、手に入れた。
その彼女を、父親は今でも大切に大切に囲って、仕舞っている。
「お前は、この世の空を飛べる鳥が、例外なく空を飛びたいと思っているとでも?」
ルシオはぐっと堪えた。
先ほどの怒りを押さえつけるような、重たい空気。
「外の厳しい世界に疲れて失望して苦しんで、籠に入って休みたい鳥もいるんだよ」
「……そう、仕組んだだけだろ」
「それを知ってどうする。告げ口でもするか?」
そう言って低く笑う父親は、ルシオがやらないとわかって口にしている。
ルシオが暴露するよりも早く、父親が手をうって消してしまうだろう。
その後は、実の息子だろうと関係なく、容赦なく叩き潰されるはずだ。
本気で潰しにかかった父親には勝つには、駒が足りない。
少なくとも、今はまだ。
ルシオは息を吐いて、力を抜いた。
こんな父親とやりあったって、疲れるだけだ。
白い箱を引き寄せて、カートに乗せた。
空気が変わる。
「俺だって、たいして変わらないよ」
本当に、心の底から不本意でしかない。
残念で悲しい話だが、わかってしまう。
唯一を手に入れるためならばと、出来てしまうのだ。
平気で嘘をつき、他人を巻き込み、優しさすら利用して、その心に入り込むところがそっくりだと思う。
「利用できるものはするし、打てる手は打つ。それが最善手なら、婚約解消の話題だって例外じゃない」
最善の手をうつこと。
それは、父親がよく口にしていることだ。
王女への懸想や心酔が暗示と薬物によるものだということは、お茶のアドバイスをもらうためには、サリーナには伝えなければならなかった。
取り巻きの人である、ザイードの話が出るのは自然なことだった。
むしろ、隠す方がおかしい。
だからルシオは、サリーナの理解が追い付くよりも前に自分から話を振ったし、そこから深く考えるよりも早く、思考を自分に向けた。
婚約解消の話を持ち出したのは、それがサリーナの気を一番引けるとわかっていたからだ。
圧を追い払うように片手を振った父親は、視線を反らす。
「解消する気もさせる気もないくせに、よくやるよ」
「隙間を作るには、一番効果があったからね」
嫌そうな顔をした父親に、ルシオは薄く笑った。
サリーナの心の奥に居座り続けるザイードの存在がわかったところで、ルシオにはどうにもできない。
それが過去である以上、いつまでも残り続ける。
思い出したように浮上して、無駄にサリーナの心をかき乱す男の存在をどう扱うかは、サリーナが決めることだ。
婚約解消をぶら下げてサリーナの話を自分に向けたルシオは、少しだけ弱音も吐いた。
言わなくてもいいことを、あえて口にした。
項垂れるルシオを前に、サリーナはどうしたらいいのかわからない様子だったと思う。
かける言葉も見つからず、不安そうに見えた。
そうやって、罪悪感や自責の念の一つでも抱けばいい。
忘れなくても、追いやってしまえばいい。
サリーナの優しさにルシオが付け込んだことなど気づかないまま、そのままで。
父親は黙ったまま、最後の箱を開けた。
甘ったるい香りが鼻をつく。
最後ということは、これが一番甘いはずだろう。
香りを確かめて、口に含んだ。
「あ、まっ……」
少しだけだというのに、恐ろしいほど甘い。
何だこれ、とルシオの顔を見るが、おもしろそうにこちらを見ているので押し黙る。
呼吸一つで意識を戻し、カップを揺らした。
何とも、やっかいなことだねぇ、と口から言葉が漏れそうだ。
決めてしまえばさっさと動くルシオは、同じことが起これば躊躇なく婚約解消の話を持ち出すだろう。
それがサリーナを傷つけるとしても、それすらわかって言うのだ。
大切だと囲って、甘く溶かすだけでは飽き足らないらしい。
傷つけても許されるとわかっているから調子にのって、手放す気もないくせに試すのか。
父親は、話を打ち切るように両手を天井へと向けて伸ばす。
「……ま、二人の中で収めてくれ」
結局、それで成り立っている関係なのだから、外部が口を出す問題ではない。
こんな息子にがっつりと捕まったサリーナに同情しそうになるけれど、ルシオの言う通り自分も相当なのでこれ以上はやめておく。
サリーナ自身も父親の考えの範疇外にいるようなので「まぁ、いっか」という気持ちだけが沸いた。




