サリーナ、考える 中編
ルシオが、サリーナの手に引っ付いている。
何となく恥ずかしくなってきて手を引きたい気もしたが、それもできずに動けない。
机に伏せたままのルシオが、両手でサリーナの手を握ったまま、何かやっている。
「あのぅ、ルシオ様」
「んー?」
「そろそろ、離して頂け、たり、は」
手汗が出てきている気がする。
ルシオがこんなにぐだぐだとしているのは珍しい気がして、視線が彷徨ってしまう。
サリーナが少し緊張してきたというのに、肝心のルシオは「うーん」と唸る。
「今、甘えてるところだから。もうちょっとだけ、待って」
「甘えていらっしゃるんですか!?」
「そうです、凹んだので」
「へ、凹んだ、え?」
凹むようなことがあっただろうか。
ルシオの口調からして、凹んでいるようにも思えないのは何故だろう。
ただ、甘えていると言われたらそれ以上何も言えない。
サリーナはそろりと力を抜いた。
ルシオが甘えてくれるのなら、それはそれでいいと思ってしまった。
「うん、もう大丈夫」
サリーナが黙った少し後である。
凹んでいたとは思えないほど、気軽にルシオが体を起こした。
全く意味がわからずに、そろそろと様子を伺っていると視線が合った。
ルシオがそっと笑う。
「ありがと」
「い、いえ」
返事をしたサリーナは、本当に大丈夫なのかと口を開きかけたが、やめた。
ルシオが凹んだ理由もわからないけれど、言わないならばそれでいい。
大丈夫だとルシオが言うのなら、そうだといいなと思うだけだ。
代わりに、別のことを言う。
「良かったです」
ルシオが甘えてくれる存在であるならば、良かった。
サリーナは何かしたつもりもないけれど、ルシオが甘えて笑ってくれていたら嬉しい。
「俺の台詞じゃない? それ」
ルシオに言われると恥ずかしくなって、へらりと笑う。
離れた左手を右手で包んで、スカートに押し付けた。
指先が、やけに熱い気がする。
空気を変えるように、ルシオが立ち上がった。
「とりあえず、片付けようかな。いい?」
「はい」
机の隅に追いやられていたティーセットを、カートに乗せる。
サリーナもカップとソーサーはおいたが、その他はどうしたらいいのだろう。
乱雑に並んだこの小瓶は、どこにおいたらいいのか。
戸惑っている間に、ルシオがすべてカートの上においてしまった。
一度机の上を綺麗に拭いてから、もう一度試作した小瓶を綺麗に並べる。
「小瓶の方は、全部試し飲みしたよね」
「はい。でも、すべて常温でしたので、細かくは」
お茶は温度によって味を変えるので、本当は温度も変えたもので試してみたい。
しかも飲んだと言うよりもスプーンの先で味を確認しただけなので、あれですべてわかるわけもない。
「温めたとしても、同じだよ。人前に出せるほどじゃない」
ルシオがにべもなく言い切った。
何となくそうだろうなという気もしているので、あえて否定もしない。
「何か気になるヤツ、あったの?」
「そう、ですね、いくつかは」
「え、どれ?」
驚いた様子のルシオは小瓶を眺めた後、パッと顔をあげる。
「ごめん、ちょっと待って」と言ってから立ち上がり、机から紙の束を持ってきた。
「いいよ、教えてくれる?」
「はい」
どれだったかなとラベルを確認しながら告げると、ルシオがメモを取っていく。
数量はもちろん、原産地など、気になることも伝えておく。
読みやすいお手本のような綺麗な字が紙の上に並んでいくのを見ながら、気づく。
ルシオの使っているペンは、サリーナが以前にプレゼントした魔法石付きのペンだった。
たったそれだけのことで、ふわりと気持ちが軽くなる。
この位置から見える石の様子もおかしなところはなさそうなので、ルシオの身に危険が迫っていることもなさそうだ。
「気になったことは、以上です」
「ありがと」
ペンの蓋を閉めたルシオは、書かれた紙を見落とした。
視線が動く。
「凄いね、これ」
「あくまで参考ですからね、どうなるかは試してみなければわかりませんよ」
「それはわかっているけど、さすがだなぁ」
感心したようなルシオに、サリーナは恥ずかしくなって俯いた。
ルシオとは違って、人生をやり直しまくった結果なので、あまり堂々としてもいられない。
紙をまとめたルシオは「次は、どうしたい?」とサリーナを見た。
ルシオは先ほど、サリーナに任せると言った。
ちゃんと話を聞こうとしてくれる姿に、サリーナは微笑む。
「疑似薬物が入っているという、小袋だけの味を確かめたいです」
「……別にわざわざ飲まなくても。味は、わかってるでしょ」
「私、本物も一度だけしか摂取していないんですよ」
そう、本当に一度だけである。
あまりに強烈な記憶だったので覚えていただけで、やっぱりもう一度確かめておきたい。
「どうしても飲むの?」
「温度を変えることで、成分の抽出量が変わりますから。確認は必要かと」
サリーナが何のために言っているのかを分かっているだろうに、ルシオは眉を寄せている。
その様子に気づいてはいるが、笑顔のまましっかりと伝える。
今更ルシオが何を言ったとしても、サリーナはやると決めた。
ここで飲まないと等という考えはない。
「仕方がないなぁ……」
そう言うルシオは、心の底から嫌そうである。
それでも、サリーナを止めるようなことはしない。
「温度、どうする?」
「20度ずつぐらい温度が違うものを、比較してみたいです」
「わかった。準備してくるから、待ってて」
「できれば、淹れたてでお願いしたいのですが」
「いいよ。砂時計も持ってくるから、時間も計ろう」
「ありがとうございます」
ティーカートに片手を乗せたまま、「あ、そうだ」とルシオが振り返る。
一度机に向かい、冊子を持ってきた。
「これ、俺が試したかけ合わせの、全種類のリスト。凄い失敗もあるから、たいして参考にならないかもしれないけど」
「そんなことはありません、助かります」
厚みのあるリストを受け取って、頭を下げた。
ルシオがティーカートを押して奥にあるキッチンに向かう姿を眺めながら、サリーナは薄く笑みを浮かべた。
今、自分は、ルシオの気持ちに反することをしているのだろうと思う。
ルシオの優しさを踏みにじってしまったかもしれないけれど、間違ったことはしていないと信じている。
謝るのも、発言を撤回するのも、今はできない。
その分、全力を尽くさなければ、とサリーナは手元のリストに目を向けた。
リストは、ルシオが試したという茶葉が、驚くほど細かく書かれていた。
かけ合わせの理由、量、温度、茶器、試飲した時のバランス等、とても詳しくわかりやすい。
何となく、ルシオの学院での成績が良い理由がわかった気がする。
人生をやり直しまくりのサリーナは、お茶は散々と飲んできた。
生まれは貴族令嬢だということもあるが、王妃もやったし商会も運営したし、やりたい放題だったので、あちこちのお茶は飲みまくりである。
相当詳しいとは思うけれど、正直忘れていることもある。
魔法を使えばすぐに思い出せるし、疑似薬物に合う組み合わせもわかる。
ただ、異次元の魔法を使うことは、ルシオが認めない気がした。
自分の持っている知識だけで、どこまでいけるだろう。
困ったときには当たり前のように魔法をつかっていた身としては、やっぱり怖いし不安だ。
何とかルシオの期待に応えたいと思う。
「サリーナ、準備できたよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
顔をあげたサリーナは、リストを机の端においた。
ティーカートを押してきたルシオは、上に乗っていた白い箱を開ける。
そこからカップを二つ取り出した。
「これは、0度。淹れたてだよ」
「ありがとうございます」
「冷たいから、気を付けて」
「はい」
カップを持つと、冷たさが伝わってくる。
変に温度があがらないように、サリーナはハンドルだけを持ったまま口をつけた。
「ほとんど味がしませんね」
「もう少しおかないと、さすがにね」
砂時計を机においたルシオが、向かいに座った。
同じようにカップに口をつけて、「うわ、薄いなぁ」と顔をしかめている。
紙を取り出してメモをしている。
「ルシオ様。私にも、紙を頂いても?」
「あぁ、うん。もちろん」
ルシオが手渡してくれた紙に、サリーナもメモを取る。
味、香り、舌触り。
飲んだ後に残る、余韻と残り香。
サリーナはカップを見つめた。
どこから手を付ければいいだろう。
「そういえば、さっき期限の話をしてたよね」
「はい」
サリーナはこくりと頷く。
やはり、期限が決まっているのだろう。
「早ければ早い方がいいけど。できれば、季節が変わる頃までには完成させたいかな」
「社交界シーズン前ぐらいでしょうか」
「その直前に、王子が即位式を行うでしょ? その二週間前ぐらい前ってところかなぁ」
今度の社交界の始まりは、いつもとは違う。
その直前に、第一王子が王として即位し、その式典が行われるからだ。
この薬物を使った一連の件は、王家も絡んでいると言っていた。
即位式までには、決着をつけておきたいというところか。
しかし、改めて期限を聞くと、焦りが生まれる。
試飲を繰り返し、改良を重ねていかなければならない中、時間が足りるだろうか。
いざとなったら魔法を使うしかないかも、とサリーナはそろりと右手に力を込めた。
「……頑張ります」
「頑張りすぎは、駄目だよ」
ルシオが渋い声を出した。
くるりとカップを回す。
「無理も無茶も。道理に合わないことは、俺の前では認めません」
紫色の瞳が、ちらりとこちらを見た。
言外に「魔法を使うことは駄目だ」と言われている。
ルシオの前でだけ、というのは、実際に牽制の意味もあるのだろう。
「わかっています」
返答はしたものの、サリーナは拗ねたようにカップを見つめた。
全くもって、不満である。
「ルシオ様は、心配性だったんですね」
「そう。俺、心配性なんだよ」
嫌味のつもりで言ったのに、あっさりと肯定されてしまった。
息を飲んだサリーナに、ルシオは柔らかい瞳を向けた。
「婚約者が大切なので。いつも、心配でたまりません」
うぐ、とサリーナは声にならない何かを飲み込んだ。
そんな甘い雰囲気などなかったはずなのに、どこから引っ張り出してきたのか。
嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが湧き上がる反面、今ここで言い出したルシオに対してのもどかしい気持ちも捨てられない。
素直にお礼でも言えばいいのだろうが、どうしても一言やり返したくて言葉を探す。
それを探し終わるよりも早く、ルシオが笑い出した。
「顔、真っ赤だよ」
「誰のせいだと!」
「俺なの? 特に何かしたつもりもないけど」
いけしゃあしゃあと言うルシオに、サリーナは思いっきり頭をぶつけたくなった。
ルシオだって、サリーナと同じように真っ赤になってしまえばいいのにと思う。
心からそう思っているのに、真っ赤になって慌てるルシオが想像できないのだから、悲しい。
無理だろうか、やっぱり。
「あ。時間過ぎたね」
一人で全然違うことを考えていたサリーナは、小さく頭を振る。
今はそんなことを考えている暇はない。
本当に少しだけ色がついたお茶に、そっと口をつけた。
ほんの少しだけ、甘い味がした。
そこからは、試飲続きである。
一般的に苦味を抑えようと思った場合は、少し熱いぐらいの温度で淹れる。
高温になると渋味や苦味が浸出されてしまうが、やや温度を下げると甘味成分だけで足りるからである。
疑似薬物はそれだけでも独特な苦味に加えて、酸味と重めの甘さがあるので、温度としては少し熱いぐらいが適温だろうか。
「甘いのに苦いからなぁ」
「最初に苦さを感じてしまうので、甘さの調整をした方がいいかもしれません」
甘めの茶葉をいくつか口にすると、ルシオが仕入れ先や時期を教えてくれる。
価格も一つ一つ違うが、ルシオが把握しているので話が早い。
「甘ったるいときは、どうしたらいいと思う?」
「もういっそのこと薬として振り切る方もありかもしれませんよ。苦みどころの話ではなくなるかもしれません」
えーと、とお茶の名前を口にする。
どれほど甘かっただろうか。
ルシオが本棚から太い茶葉の本を持ってきてくれたので、二人で照らし合わせる。
甘すぎるお茶には慣れていないので、通常飲むものとしては不向きだろうか。
無駄に知識だけがあるサリーナは、ただただ驚いてしまった。
「ルシオ様、本当によくご存じですね」
「これでも一応、茶葉を扱っている商人ですので」
さらりと言うが、簡単なことではないと思う。
重たそうな本は新しいようだが、読み込んだのがわかるし、至る所に走り書きが見えた。
ルシオは認めないだろうが、相当時間をかけて勉強したのだろうことがわかる。
「ひとまず、これぐらいかな」
すべてのお茶を試飲して、ルシオが息を吐いた。
サリーナは座ったまま、狭い机を見渡してみる。
横付けされたティーカートにまでカップが進出しているが、カップだらけである。
「サリーナ、体調は大丈夫? 気分悪くなったりしてない?」
「問題ありません。ルシオ様こそ、大丈夫ですか?」
「うん、平気」
そう言って、ルシオはカートの下に手を伸ばした。
出てきたのは、小さく切ったフルーツの盛り合わせである。
サリーナの前においたルシオは、小さく笑う。
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
いつの間に準備していたのだろう。
普段であればケーキが出てきそうなところだが、あえての果物だろう。
切っただけの果物そのままが小皿の上に乗っていた。
「蜂蜜だけ持ってきたから、お好みでどうぞ」
「ありがとうございます」
一言声をかけて、フォークを手に取った。
とりあえずこのまま食べようと、小さく切られたリンゴを選ぶ。
混ぜ合わせた苦味も渋味も、重たい甘さもない。
甘いけれど少し酸味もあって、果汁もすっと喉を通る。
おいしさにホッとした。
先ほどまで、決しておいしいとは言えない物ばかり口にしていたので、懐かしい気さえする。
「おいしいです」
ぽつりと漏らすと、向かいに座っていたルシオが「良かった」と笑った。
こういうときのルシオの気づかいは、素直に凄いなと思う。
お腹の中が水分でいっぱいのはずだというのに、何故か楽になった気がした。




