ルシオ、帰宅する
秘書の男がドアを開けるよりも早く、こちらから外に出た。
マナー的にはよくはないが、緊急事態なので気にしない。
馬の手綱を引いていた秘書の男が振り返る。
「すみません、少し馬の様子がおかしいようで……。申し訳ありませんが、こちらでお待ち頂けますか?」
「気にするな、仕方がないさ」
父親はひらひらと手を振って、目の前の店に向かって歩き出す。
小さな喫茶店だ。
手作りのパンがメインの店で、商会にも時折パンを下ろしてくれている。
王宮帰りの正装では大分目立つと思うが、何が起こるかわからないので、防御魔法がかけまくってある服を脱ぐわけにもいかない。
父親とルシオは店に入る。
案内しようと寄ってきた店員に向かって、父親が「こんな格好ですまないね」と声をかけた。
ルシオは「手を洗ってきます」とだけ告げて、するりと奥へと抜ける。
洗面所を探すふりをしながら、気づいたようにしゃがみ込んだ。
床の隙間から、ネズミが一生懸命顔を出そうとしている。
紐靴を結ぶふりをしながら、少しだけ出ているネズミの口元に袖口を近づける。
ネズミが鼻を小さく揺らしながら、契約書を引っ張り出した。
「行け」
ルシオの指先が外へと向くと、一度だけ小さく鳴いてネズミが消えた。
小さく笑ったルシオは立ち上がり、手を洗ってから席へと戻る。
椅子に座りながら、指先をさっと動かす。
もんだい なし
父親の目が、細くなったことを確認する。
どこぞの教師が、自宅に帰るまでが研修だと言っていたが、あれはある意味当たっている。
本店に戻るまでは、気が抜けない。
「うーん、時間がかかりそうだねぇ」
間延びした声で、父親がパンを千切る。
わざとらしく「どうしようかなぁ」と、ぶつぶつ言っている。
「急ぎの用があるとのことだったし、早く帰れたらいいんだけど」
「……そうですね」
白々しすぎる父親を、蹴りたい気持ちになった。
堪えて、こちらも本当に困ったように項垂れておく。
「仕方がないね」
父親が立ち上がり、店の奥へと向かう。
わざわざ出てきてくれた店主に身振り手振り、何かを伝えているようだ。
やがて「すみません、本当にありがとうございます」と父親の少し大きな声が聞こえた。
うまくいったようで、何よりである。
「ルシオ、馬を手配してくださるそうだ。お礼を言っておくんだよ」
さっと立ち上がったルシオは、店主を振り返る。
笑顔を見せてくれている店主の元まで早足で向かい、頭を下げた。
「お手数をおかけしてしまい、大変申し訳ありません」
「いや何、気にすることはないよ。その恰好じゃ、外を歩くには目立ちすぎるしね」
照れたように店主は頭をかきながら「でも、馬でいいの? 馬車を呼んでもいいのに……」と笑う。
ルシオは苦笑しながら頷いた。
「急ぎがあると聞いておりますので、馬車より足の速い馬の方が助かります」
「そっか、大変だね」
人の良さそうな店主は、本当に善意で馬を手配してくれている。
それがこちらの思惑通りとも知らず、大変ありがたいことである。
ルシオの父親は、店主に「迷惑料」という名目で、多めにお金を手渡す。
そのまま、他の店の邪魔にならないようにと角で待たされている馬の元へと走った。
すらりとした茶色の馬が二頭見える。
「お前、落ちるなよ」
「父さんこそ、年齢を考えたら?」
くだらない言い合いをしながら、それぞれ馬に飛び乗った。
動物の扱いは、慣れたものだ。
「じゃ、帰りますか」
父親が、ぐっと手綱を引っ張る。
勢いよく走り出した馬を、ルシオも追いかける。
頭上では、相変わらず鳥がぎゃいぎゃいとやりあっている。
にぎわいに鳴き声がかき消されているが、ルシオの耳は小さな音をしっかりと捉えていた。
もうすぐ決着かな。
ルシオは真正面から来る強い風を受けながら、より耳を澄ます。
よく知る鳴き声からすると、本店到着前には終わりそうだ。
馬車を追いかけるように飛んでいる、王家の鳥。
それを、指示を受けて追い払うコンラード商会の鳥。
操られてぬくぬくと育った王家の鳥と違い、こちらは相手から指示書を奪うことも、奪われることも前提として育てた鳥しかいない。
指示を運ぶだけの王家の鳥からすれば、ひとたまりもないだろう。
可哀想だなと思わなくもないが、こちらも追い詰められる可能性がある以上、止むを得ない。
馬はスピードをあげて、走り抜ける。
馬車とは違い歩行者の側を通るのは危ないので、道はあえて人通りの少ない外れた場所を通る。
かなりの遠回りにはなるが、地理は頭に入っているので、たいした問題は無い。
商会の本店が見えてくる。
この場所は、表は馬車が通りやすく広いが、裏手には狭い道もある。
木が覆っている道を抜けると、裏口の一つだ。
素早く降りて、馬をつなぐ。
裏口から従業員が出てきた。
「おかえりなさいませ」
彼は、水が入った桶を抱えている。
それを馬の前において、振り返った。
「店長がお待ちです」
「うん、ありがとう。悪いけど、後は頼んだよ」
父親が手を振ると、従業員は頷いた。
ルシオも「お手数をおかけします」と頭を下げる。
二人して店の中に入ると、店長が駆け寄ってきた。
「おかえりなさいませ、ご無事で何よりです」
「ありがと。鳥、飛ばしていいよ。あと、サリーナ嬢にはもう少し待ってもらうよう伝えておいて」
「かしこまりました」
父親は支持を出しながら、ネクタイを緩める。
ひらりと手を振って、廊下を早足で歩きだした。
ルシオもそれに続く。
迷路のような廊下を抜け、階段を上って降りた奥にあるドアノブを回す。
ヒンヤリとしたレンガ作りの部屋は、何となく安心感すらある。
父親はずんずんと奥へと進み、壁をペタペタと触り始める。
ルシオの方はというと、真ん中に置かれた机に近づいた。
そのまま体を屈め、覗き込む。
机の足元のすき間から、小さなネズミが顔を出していた。
「よくやった、偉いな」
小さく呟き、ひょっこりと出ていた鼻先に触れる。
顔をあげたネズミは、ごそごそと顔をよじりながら、紙を押し出してくる。
それを拾い上げながら、ルシオは代わりにナッツをすき間に押し込んだ。
一鳴きしたネズミの声が聞こえたかと思うと、ナッツが消える。
ルシオは体を起こして、折り畳まれた紙を広げる。
それは、間違いなくルシオが第一王子と交わした契約書の原本だ。
「いいぞ」
父親の声で、ルシオは立ち上がる。
うっすらとしか光が届かないほどの奥にいた父親の目の前には、金庫がある。
「はい」
ルシオは折り目すら消えている契約書を差し出した。
それを、父親は金庫の中へと入れる。
鍵をかけ、何重にもかけた魔法を確認して金庫を隠している父親を横目にルシオはソファに座り込んだ。
疲れた。
とにかく、疲れた。
コートを脱ぎ棄てネクタイを緩め、だらりと力を抜く。
「とりあえず。これで、日々怯えず暮らせるというわけだ」
戻ってきた父親が、音をたててソファに座り込む。
机におかれた回復薬を、ルシオに押し出してきた。
これは体力的な物には効果があるが、精神には全く効果がない。
そっちはサリーナに何とかしてもらおう、と切り替え、ルシオは小瓶を煽った
「俺のおかげということで」
「何だ、頭でも撫でたらいいのか?」
「一発、蹴らせてもらえれば」
「え、今? 嵌めてからじゃなくていいの?」
にやにやと笑いながら言う父親に、思わず舌打ちが出た。
父親の言う通り、こんなところで父親を蹴り飛ばしたところで満足できるはずもない。
どうせなら、嵌めて落として、床に手をついたところで蹴りたいし、踏みつけたい。
そんなルシオの心情をわかっている父親も、忌々しい。
うんざりしてきた。
サリーナに会いたいな、とルシオは天井を眺めた。
本当は今すぐ抱きしめたいけれど、この格好でははばかられる。
今頃、王宮は大騒ぎだろう。
ルシオと父親にとって最重要事項なのは、第一王子とあの契約を結ぶことだった。
王家の影にはならないこと。
自分たちの身の安全を保障すること。
何も知らないふりをしている自分たちを前に、王と王妃が頷くはずもない。
だからこそ、ある意味現状をわかっていない第一王子から契約を奪った。
契約書には「ルシオを含め、ルシオの大切な人や物には王家も王族も手を出さないこと」と思いっきり書いてある。
その範囲は、第三者を経由しても有効だ。
契約書が守られている限り、王家はルシオにも父親にも手出しはできない。
「じゃ、着替えますかぁ」
父親がのろのろと体を起こした。
王と王妃からがっつりと悪意のある魔法をかけられた服なんて、いつまでも着ていたくない。
ごそごそと服を脱ぎだした父親同様、ルシオも立ち上がる。
少々ではあるが、マヌケな光景だなと思わなくもない。
何が悲しくて、男二人でこんなところで着替えなければならないのか。
身内とはいえ男の裸体を見る気にはならないので、ソファの後ろに回っておいた。
こちらとしても、いろいろと見られたくはない。
「いやでも。本当によくやってくれたと思ってますよ」
シャツを投げ捨てた父親が、思いっきり背伸びをした。
あのとき、別室で王家の影になるように圧をかけられた父親は、いきなり身が軽くなったことに驚いた。
ルシオが、ただの紙面上の契約を魔法契約に引き上げた瞬間だ。
魔法が効かないとわかった王と王妃の慌てようは、今思い出しても笑えてしまう。
何が起きたのか、わからなかっただろう。
「まさか、あのまま身体検査もなく返されるとは思ってもいなかったし」
「魔法で人を操ってばかりいるから、判断力が鈍ったんだろ」
「辛辣だねぇ」
冷ややかなルシオの言葉に、父親は笑う。
ルシオも父親も、魔法は使えない。
魔道具があればこそ魔法の恩恵を受けるが、そればかりには頼れない。
だからこそ、いくつも案を考えた。
今回、第一王子と魔法契約を結ぶことは最重要事項ではあったが、そもそも第一王子に会えない可能性だってあった。
王妃が邪魔をしてくる可能性もあったし、王子の側近が優秀すぎれば、契約に割って入ってきたかもしれない。
第一王子に無礼を働いたとして、帰宅できずに監禁される可能性もあった。
いくつもの可能性を考え、案を重ね、組み替えて、最善の策を取った。
体にまとう魔法を飛ばしていた父親が、息を吐く。
「第一王子様、今頃ボコボコにされてたりして」
「どうあがいたって、今更王位継承権が変わるわけがないから大丈夫だろ。思った以上に擦れてなかったな、今は」
そう、今は。
いつどこで、身勝手傲慢王になるかはわからないが、とりあえず今は、第一王子は未来に希望を見出せるほどは真っすぐだったと思う。
契約の内容は、実際にはどこまで付随させることができるかはわからなかった。
魔法契約にできなかった場合、紙切れ一枚でしかない契約書はただのゴミと同じである。
契約書を奪われる可能性、帰宅時に襲撃される可能性、見張られている可能性等、言い出したらキリがない。
だから、帰宅する際には、問題が起きたことにして王家の馬車には乗らなかった。
襲撃を考え途中で馬に乗り換え、馬車では通らない裏道を駆け抜けた。
王家の鳥は蹴落としたが、第二弾が放たれるかもしれない。
商会の前も後ろも、見張られているかもしれない。
その可能性すら考え、帰宅してからは店長におとり用の鳥を飛ばさせた。
わかりやすく足元に紙を折り込み、全部で十頭もいる鳥を各方向に飛ばした。
スピード重視の鳥を選んだので、一頭だけでもそう簡単には追えないだろう。
どれも、今更魔法で操ることができないものばかりである。
魔法ばかり使って人を操るから、いざというときに困るのだ。
父親が、含み笑いをする。
「それで? お前、うまく叩けたの?」
「手を出さない程度には」
「犬の躾は、飼い主の義務だからね」
「肝に銘じております」
返事をしながら、ルシオは第一王子を思い浮かべる。
王になれば手数も時間も方法も増える第一王子対して、確実に優位にたてるのは、今しかなかった。
十分な種をまいたし、牽制もしておいた。
得体の知りえないものに手を出すことほど、怖いことはない。
ルシオの基準がサリーナにあるとわかった以上、あの王子は簡単にシュベルグ家には手を出せないだろう。
父親が「だったらいいけど」と言いながら、魔道具を手に取る。
服越しとはいえ、王と王妃の魔法は肌にしみ込んだ。
それを魔道具で飛ばしながら、父親が顔を顰める。
「あー、気持ち悪い。あの女、容赦なく人のこと押しつぶそうとしてきやがった」
「王妃の方が、魔法を操る力が強いのかもな」
「あの王はなぁ、表情に出まくってたしな。あれ、外交のときどうしてんの、魔法で誤魔化してんの? 何考えてるのか、すぐにバレちゃうよ」
「気になるなら、探れば?」
興味がないので、返事も適当である。
何重にも来ていた服を脱いで、ルシオはため息をついた。
最後の肌着一枚脱ぐのも、面倒だ。
脱いだ服をまとめると同時に、サリーナがくれた魔法石つきのペンを取りだした。
「うわ、最悪。魔法石の色、変わってるし」
澄んだ緑色をしていた魔法石の色が、すっかりとくすんでいる。
これだけ色が変わってしまったということは、その効果を十分に発揮してくれたのだろう。
感謝しかない。
サリーナにバレないように、こっそり魔法を付与してもらいに行かなくては、とルシオは頷く。
その様子を見ていた父親が目を眇めて、口を尖らせた。
「いいよね、お前は。サリーナ嬢が待っててさ、いろいろと平穏だろうよ。俺なんか、今から組合長と話し合いだぞ」
「会頭ですから、致し方ありませんね」
「そろそろ、お前に代行してもらえる頃じゃない?」
「若輩者には、荷が重いかと思われます」
ルシオは、笑顔を貼り付けて父親を見た。
苦虫を嚙み潰したような顔をしている、ざまあみろ。
コンラード商会は、新興商会の一つであり、数ある商会の中の一つにしかすぎない。
当然組合にも所属して活動しているので、その中でのルールは守らなくてはならない。
今回王宮へと呼ばれた経緯は伝えてはいるものの、その結果などを、組合長に報告する義務があるのだ。
あまり強すぎる力を持つと、老舗商会から目をつけられるし、他の商会からの印象も悪い。
その辺りの調整は、計算しておかなければならなかった。
父親を蹴落としてやろうと思わなくはないが、この辺りの調整をしている様子を見ていると面倒くさそうで、二の足を踏んでしまう。
いやぁ、本当に大変だなぁと他人事のように思いながら、脱いだ服をソファに乗せたルシオは、嫌な視線を感じて顔をあげた。
父親が、こちらを見たまま眉を寄せている。
「……何」
「お前、ほっそいなぁ」
「は?」
「えー? お前小柄だし細いとは思っていたけど、ここまでなの?」
「何の話だよ」
バカにしているのならやり返そうと思ったが、口調が心配そうだったので詰まる。
うっとうしいのでさっさと服を着てしまおうと、着慣れた服に腕を通した。
「お前、今でも鍛えてるんだよね?」
「当たり前だろ」
コンラード家の人間は狙われることを考え、各々鍛えている。
護身術は発狂する程繰り返し教えられたので、対面で勝負するには弱いけれど、相手を怯ませることも、場合によっては押さえつけることもできる。
細身のルシオではあるが、体は柔らかいし、実はバク転も懸垂もできるし泳げるし、足も速い。
馬だって乗れるし、狩猟だって鍛えられた。
身体能力としては、どちらかといえば高い方である。
若干、体力に難はあるが。
新しいシャツのボタンを留めるルシオを、父親はまじまじと見る。
わかっていたとはいえ、実際に目にしてみると思った以上に細いというか、薄い。
そういえば、ズボンをはくときに市販のベルトの穴が合わなくて、調整していると聞いていたような。
「つまずいたサリーナ嬢を支えるどころか、一緒にひっくり返る未来が見える……」
「心の声が漏れているようですが、喧嘩売ってます?」
思わず出たつぶやきが、静かな部屋では大きな声となった。
身支度を整えたルシオが、こちらを睨みつけている。
「純粋な心配ってやつだよ。お前、もうちょっと食べた方がよくない?」
「余計なお世話だ」
そう言うルシオは、支店に住むようになったからといって、食生活において怠けているような様子はない。
ルシオは食事にこだわりはないが、料理好きの母親のおかげで大体何でも作れるし、規則正しい生活の大切さはわかっている。
もちろん、支店長を通してある程度の把握もしている。
元々食が細いわけではないので、食べた分いろいろと取られているのだろうと想像がつく。
仕事を、回し過ぎているかもしれないなぁ。
いい加減、時間拡張の魔道具の使用を許可するか。
どれぐらい効率あがるか……比率も計算しないとな。
父親が頭の片隅でぐるぐると考えている間に、ルシオは脱いだ服を片付けている。
怨念が込められたような魔法を受けた服の固まりを詰め込んで、ペタペタ札を貼った。
渋い顔をしたまま、父親を振り返る。
「あのさぁ。気持ち悪い視線向けるの、やめてくれない?」
「息子の体を心配している、父親ですけれども!」
酷い言われように、先ほどまでの優しい気持ちが吹っ飛んだ。
目を剥く父親に対し、ルシオははん、と鼻で笑う。
「自分の腹の心配でもしてろ、中年」
「はぁ!? お前、何言ってんだ! 鍛えてむっきむきだわ、ほら、よく見ろ!」
シャツを上に引っ張り上げて、ふん、と腹筋を見せつける。
ルシオが引きつった。
「わざわざ服をめくるな!」
「いいから訂正しろ! 俺はなぁ、時間を見つけては、体作りに励んでるんだよ!」
「はいはい、凄いですねー」
「お前、見てないだろ。棒読みなんだよ!」
これ以上ないほど、不快である。
ずんずんと寄ると、顔をしかめたルシオが後ずさった。
「ちょっ、何で近づいてくるんだよ!」
若干慌てた様子に、少しだけ意地悪な心が沸く。
にやりと笑った。
「何だ、お父様の腹筋が羨ましいのか」
「そんなわけないだろ!」
「憧れてるなら、素直にそう言え」
「圧をかけられまくったせいで、頭がやられたな!? 今すぐ医者に診てもらってこい!」
ソファを挟んで逃げるルシオを、ニヤニヤと笑いながら追う父親。
何とも見るに堪えない二人の攻防が、何故か幕を開けてしまった。




